最近、いろいろと「目からうろこが落ちる」経験をしています。
今までの人生でも何度かこういう「転換期」みたいなものがあって、その「時期」の前と後では価値観がガラリと変わったりすることがありました。
卵が雛に孵るように。さなぎが蝶になるように。
面白いですねぇ。そういうのって思春期や青春時代だけかと思っていたら、違うんだなぁ。
ちょっと大げさな表現をするなら「人はいくつになっても生まれ変われる」ということなのかもしれません。
※ ※ ※
きっかけはこのブログではとんとご無沙汰の「囲碁」に関してのことでして。
私が囲碁を始めたのは7年前。始めた頃はすぐに「初段」になれるのだと思っていました。
だって、周りの上手の方も「BUBIさんはすぐ初段になれる」と言ってくださるしー。
周りで碁をやってる人にほとんど級位者なんていません。みんな有段者ばかり。
だから、私は信じました。すぐに初段になれるって。
でも1年過ぎ、2年過ぎ、3年過ぎ・・・未だに初段には手が届きません。
今はこう思います。
やはり囲碁を始めたからといってすぐ初段になるのは難しい。
もちろんすぐ初段になる人もいるけど、なれない人がほとんどなのだと。
ま、それはそれとして・・・そういう経緯があって、私はすっかり不信に陥っていました。
誰が私の碁をほめてくれたってうそっぱちじゃないかとね。
だって実際に、なかなか初段になれないのだし。
7年もかけて初段にさえ届かない自分の碁を、仮にほめてくれる人がいたって、まさか7年もやってると思ってないからでしょ、と。
7年やってることを知ってる人がほめてくれるのは、ただ私に「囲碁をやめて欲しくない」からだけで、本当は強いともうまいと思ってないくせに、と。
本当の私をみんな知らない。
知らないのにほめてもらったって意味ない。
・・・そう、思っておりました。昨日までは。
でもね、これって、アホじゃありませんかね~?
※ ※ ※
昨年「今年中に昇級できなかったら囲碁やめる」という決意で臨んで、結局昇級できなくてすっかりすねて、囲碁をやめると騒いでいたときに「囲碁やめるな」と本気で心配して叱ってくれた人がいました。
けれどそのときも思ったんですよ。
「この人に私の気持ちなんか分からない」
って。
で、結局そのまま2ヶ月ほど囲碁の対局をするのをやめて、ちょっと囲碁から離れました。
2ヶ月たって、結局戻ってきちゃったんですけどね^^; 自分が囲碁の話をしてるときが一番楽しいのに気がついてしまって。
強くならなくたってずっと級のままだって、囲碁を続けられればそれでいいじゃないかと、一度やめてみてようやくそう思えたからです。
戻ってきて、しれっとまた囲碁を始めたわけですが・・・「やめる」と騒いでいたときに本気に心配してくれた人にはメールを無視するなど無礼な所業をしていたもんですから、顔向けできなくて、そのまんまになっていました。
でもたまたま、間に立って、その人とまた会う機会を作ってくれた友人がいました。この機会を逃すときっと自分のせいで、ぎくしゃくしたままだと思って。
・・・大人になればなるほど人に謝るのってできなくなるものですからねぇ^^;;;;
「謝ることのできない自分」を正当化するためにますます意地を張ってしまう。愚かなことです。
私ってそんな情けないヤツだったのか?と。
で、思い切って今度、顔を合わせたらちゃんと謝ろうと思いました。
相手の方は急にそんなことになってきっとびっくりされたことでしょうが、無事謝ることができました。
よかった~。
それが一昨日の話です。
で、その翌日。
昨日は、職場の囲碁サークルで指導碁を打ってくれる先生が、私の碁をほめて下さいました。
「BUBI(仮名)さんはもう2級じゃないね」って。
でも例によって私は
「けっ、そんなわけあるか」
などと思っていたわけです。(こりないやつ)
それをgoxiという囲碁SNSの日記に書いたところ、一昨日、仲直りできた人がコメントをくれました。
「場所によって棋力が違う。どう捕らえるかは人それぞれでいいんじゃないか」
・・・
・・・うん。
そういえば、今までもいろんな人にそう言われたな。今まではそれを
「でもさー。実際勝てないんだしさー」
と思っていました。
でも今回はあらためて、そのことをちゃんと考えてみました。
囲碁をやったことのない方には不思議に思えるかもしれませんが、囲碁の段級位って統一された絶対的なものがあるわけじゃないのです。
つまり、ある大会で2級で出たら4連勝できても、別の大会で2級で出たら4連敗するかもしれない。
ある囲碁教室では2級でも、別な教室では初段かもしれない。
囲碁の段級位というのは、そういう相対的なものでしかない。
だとしたら。
そう、だとしたらね。
あとは何を信じるか、しかないのですよ。
何を信じるかで言ったら・・・アマチュアながら女流の大会でてっぺんをとったこともあって、私がどう打つかも知っていて、私の碁を何年も見てくれてる先生が「BUBIさんはもう2級じゃない」というのなら、それが信じられなくて何を信じるっていうんでしょう。
そこまで、考えて、やっと自分が何にこだわっていたのか、分かってきました。
私は・・・
結局、何かに評価されないと自分を信じることができない。
だから囲碁についても絶対評価が欲しかった。
逆に言えば囲碁は、勝ち負けで実力がはっきり分かり、その優劣は揺るがないものだから、その中で自分が昇級できることが嬉しかったんです。
でも少なくとも段級位に関しては、絶対的ではなく、その優劣は相対的なものでしかないのだから。
ある意味、人生と同じです。何を信じるかしかない。絶対的なものなんてない。
ならば、自分でなく人が言うことをもっと信じてみようじゃないの。
「本当の自分」なんて幻でしかない。
そのことは囲碁ではなく他のことでずいぶん、ここ最近思い知ってきたことではありました。
なのにまだこだわってたかー。
「自分」を客観的に見るのってなんて難しいことでしょう。
でもね、人間はこうしていくつになっても、気づくことができ、そこからまた新しい一歩を踏み出せる。
ほんの少し自分の殻を破ることさえできれば、そこから新しい世界を見ることができる。
そう思えたので、今はちょっと一つ進化できた気がしています。
いえ、囲碁はともかく、BUBIさんという人、そのものが・・・ね^^
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