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June 2010

2010.06.22

poem(89)

「私に還る」

週明けの月曜日に
ふと感じる違和感

プログラムされたとおりに朝起きて
いつもの電車に乗り
降りる駅にくれば自動的に目が覚めて
仕事場へ向かう

仕事場でもまた
プログラムされたとおりにキーボードをたたき
ディスプレイで今週の予定をチェックする

「私」はどこにいるんだろう
この身体(からだ)のどこかにいるはずなのに
肉の身は勝手に動き
空腹になれば「腹を満たせ」と訴える

思うようにならない身体をなだめながら
確かにこれも「生きている」証なのだけれど
それだけではコレは
中身のないただの空っぽの容器だ

「私」はどこにいるのだろう
そう思って私の心は「私」を探す旅に出る


…きみは元気だろうか
そう考えた瞬間に私は私に還る
何のためにここにいるのか
いつだってこうしてきみが教えてくれる

陽が落ちる頃には還ってきた私は
すっかりこの身体に馴染んでいる

1日の終わりに布団に入れば
静かな眠りがやってくる

(きみはよく眠れているだろうか)

どうかきみにも
安らかな眠りが訪れていますように

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2010.06.15

W杯サッカーで「不惑」の大事さを学ぶ

W杯サッカーが始まりました。
ミーハーサッカーファンの私は、普段はサッカーにほとんど興味がないくせに、W杯のときだけは、夢中になってしまいます。
今回も始まるまではそうでもなかったのに、開幕の南アフリカの試合やメッシのアルゼンチンの試合を見たら、
「やっぱW杯サッカーは面白い♪」
おかげで毎晩寝不足です。

大好きなドイツも好発進。夜中の3時からの試合だったので、残念ながら地上波では中継がなかったんですが、翌日の報道で嬉しくなりました。
クローゼがすっかりベテランになっちゃってますが、でも現役で活躍中で嬉しくなってしまいます。

そんな毎日の、世界のスーパープレイの中での日本戦。
すみません、正直、期待してませんでした^^;
だって、W杯前のイングランド戦を見てても・・・まあ、ミーハーの分析など意味がないので、多くは語りますまい。

それでも、一応、見ておこうかなと思った、日本対カメルーン。

・・・いやぁ、面白かったーーー♪
なんだ、日本も捨てたもんじゃないな(こらこら)
松井選手、あんなおっさんぽい感じなのに(ご、ごめんなさい)すげーうまい。カメルーンの選手相手に一歩も引かない。こんなすごい選手が日本にもいたのか。

終了間際の守りもすばらしかったです。カメルーンを上回っておりました。

結果を改めて振り返ると、つくづく
「揺るがない自信」と「不惑」
が大事だと思いました。

囲碁でもどちらが大きいか迷ってしまうことは多いんですけどね・・・
リードを守りきると思ったら、「もう一点取ろう」とか思わない。
何がなんでも相手にゴールを割らせない。その強い信念。

あのシーンで守りにまわらずにもっと攻めて、あと1点と思う人は多いだろうな。
でも、結果的には、徹底的に守りにまわったあの判断が勝ち点3をもたらした、と思います。
それが岡田監督の作戦で、選手達は一丸となって、それを信じて戦った。
そういう時に勝ちって転がり込むんだよな。

囲碁を趣味としている私としては、何でも囲碁にたとえてしまうのですが、碁では、負けるのには必ず理由があって、勝ちには理由がないと言われます。

自分たちのベストのプレイをし、どうすれば勝てるのかを迷わないで貫き通すこと。
もちろん地力で相手が勝れば、ベストのプレイをしても勝てないことは碁でももう本当によくあることで、次のオランダ戦などはそうなる可能性は多いのですが。
少なくとも彼らには悔いのないよういいプレイをして欲しいです。

W杯に出場し、そこで1勝をあげる。そこまでだってどれだけ彼らが血のにじむような努力の日々をここまで積み上げてきたことか。

オランダ戦もがんばって、勝っても負けても結果はともあれ、いいゲームを見せてくれ。
応援してます、サムライジャパン。

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2010.06.08

2万円の出費

職場の同僚が、職場から支給されていた備品である携帯電話(正確に言うとPHS)を紛失してしまい、自費で弁償することとなりました。
その代金が21000円とのこと。

まあ、紛失してしまったものは仕方ないわけで・・・21000円払うのもやむを得ないだろうな。

と、思いましたが、同僚がぼそっとつぶやきました。

「これをかみさんにどう言えばいいのかそれが問題だ」

そ、そうか(汗)
私は一人だから、21000円くらいならすぐ出せるけど、家族持ちじゃそうもいかないのかー。

先日も「年収はいくらなら普通なのか」という記事を書きましたが、そのシュミレーションで考えると2万円って、お父さんの1ヶ月のお小遣いに当たります。

それしか1ヶ月に使えないのに、そこに21000円の出費がきたら、お小遣い0。ランチも食べられなくなっちゃう。
缶コーヒーも買えないじゃん。ひー。

ま、もちろん、奥様にきちんと説明して納得してもらえれば、お小遣いとは別に出してもらえるのでしょうが。

ただなんというか・・・働いて自分で給料をもらっていても、自分のポカで困ったときに、誰かに頼んで頭を下げて説明しないといけない状況というのが・・・

うわー家族持ちって辛いんだなぁと思った次第です。

いや、家族がいたら当たり前なんでしょうけどね^^;
夫のものはみんなのもの。みんなのものを勝手に使うことは許されない。
そういうことになっちゃうのねぇ。

私がもし男性で、家に愛する妻がいて。

会社の備品を無くして弁償したり、車をぶつけて修理代がかかったり、酔っぱらって終電逃してタクシーで帰ったり、世話になった上司の送別会費用を幹事だから立て替えたり。

まあいろいろお金がかかるわけですよ。自分のポカであってもそうじゃなくても。

そういうときに妻に頭を下げてお金をもらえるかというと・・・
まあ、愛してれば、
「ごめんな、余計な出費を増やして」
くらいはすぐに言えるかな。

ただ愛してなかったらだめだなぁ。
「なんで俺が俺の金を、別に好きに使ってるわけじゃなく、やむを得ず使わなきゃいけない金についてまでお前にいちいち断らなきゃならねーんだよ」
ということに・・・うわー、即離婚されそう。
妻はこういうでしょう。
「私の言うことが気に入らないなら離婚しましょ。でも今の発言は酷すぎるので、慰謝料&子供の養育費はたっぷりもらうわよ」
・・・慰謝料なんて払いたくし、子供と別れるのも嫌だから、結局我慢に我慢を重ねて頭を下げて、負い目を背負ってお金をもらい、
「もう二度とポカもしないし、飲み会で遅くなったりもしないし、送別会の幹事は断る」
という念書を書かされる、と。

世のお父さん達って・・・た・・・大変・・・

いや、こういうことになるのを防ぐには、妻とはできるだけ長くラブラブでいられるのが一番いいんですが。
上の続きを書いてみます。

「ごめんな、俺のせいで余計な出費増やして」
「いいのよ、誰だって失敗しちゃうときはあるんだから」
「いつも苦労かけるな・・・」
「何言ってるの。あなたががんばってくれてるから家族みんなが楽しく暮らせるのよ。気にしないで」
「ありがとう」
「ばか(はぁと)」

・・・え? 見ちゃいられない? まー結婚したことないから恥ずかしげもなくこういうシュミレーションができるのでしょう(苦笑)

まあ、私のアホな妄想は置いておいて、このブログを読んでくれてる皆様のご家庭はいかがでしょうか?
21000円、払わなきゃいけないとして、そこまではどういうプロセスになりそうでしょうか~?

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2010.06.07

そうまるで「人生」と同じ

最近、いろいろと「目からうろこが落ちる」経験をしています。

今までの人生でも何度かこういう「転換期」みたいなものがあって、その「時期」の前と後では価値観がガラリと変わったりすることがありました。
卵が雛に孵るように。さなぎが蝶になるように。
面白いですねぇ。そういうのって思春期や青春時代だけかと思っていたら、違うんだなぁ。

ちょっと大げさな表現をするなら「人はいくつになっても生まれ変われる」ということなのかもしれません。

※  ※  ※

きっかけはこのブログではとんとご無沙汰の「囲碁」に関してのことでして。

私が囲碁を始めたのは7年前。始めた頃はすぐに「初段」になれるのだと思っていました。
だって、周りの上手の方も「BUBIさんはすぐ初段になれる」と言ってくださるしー。
周りで碁をやってる人にほとんど級位者なんていません。みんな有段者ばかり。

だから、私は信じました。すぐに初段になれるって。

でも1年過ぎ、2年過ぎ、3年過ぎ・・・未だに初段には手が届きません。

今はこう思います。
やはり囲碁を始めたからといってすぐ初段になるのは難しい。
もちろんすぐ初段になる人もいるけど、なれない人がほとんどなのだと。

ま、それはそれとして・・・そういう経緯があって、私はすっかり不信に陥っていました。
誰が私の碁をほめてくれたってうそっぱちじゃないかとね。
だって実際に、なかなか初段になれないのだし。
7年もかけて初段にさえ届かない自分の碁を、仮にほめてくれる人がいたって、まさか7年もやってると思ってないからでしょ、と。
7年やってることを知ってる人がほめてくれるのは、ただ私に「囲碁をやめて欲しくない」からだけで、本当は強いともうまいと思ってないくせに、と。

本当の私をみんな知らない。
知らないのにほめてもらったって意味ない。
・・・そう、思っておりました。昨日までは。

でもね、これって、アホじゃありませんかね~?

※  ※  ※

昨年「今年中に昇級できなかったら囲碁やめる」という決意で臨んで、結局昇級できなくてすっかりすねて、囲碁をやめると騒いでいたときに「囲碁やめるな」と本気で心配して叱ってくれた人がいました。

けれどそのときも思ったんですよ。
「この人に私の気持ちなんか分からない」
って。

で、結局そのまま2ヶ月ほど囲碁の対局をするのをやめて、ちょっと囲碁から離れました。
2ヶ月たって、結局戻ってきちゃったんですけどね^^; 自分が囲碁の話をしてるときが一番楽しいのに気がついてしまって。
強くならなくたってずっと級のままだって、囲碁を続けられればそれでいいじゃないかと、一度やめてみてようやくそう思えたからです。

戻ってきて、しれっとまた囲碁を始めたわけですが・・・「やめる」と騒いでいたときに本気に心配してくれた人にはメールを無視するなど無礼な所業をしていたもんですから、顔向けできなくて、そのまんまになっていました。

でもたまたま、間に立って、その人とまた会う機会を作ってくれた友人がいました。この機会を逃すときっと自分のせいで、ぎくしゃくしたままだと思って。
・・・大人になればなるほど人に謝るのってできなくなるものですからねぇ^^;;;;
「謝ることのできない自分」を正当化するためにますます意地を張ってしまう。愚かなことです。
私ってそんな情けないヤツだったのか?と。

で、思い切って今度、顔を合わせたらちゃんと謝ろうと思いました。
相手の方は急にそんなことになってきっとびっくりされたことでしょうが、無事謝ることができました。
よかった~。

それが一昨日の話です。

で、その翌日。
昨日は、職場の囲碁サークルで指導碁を打ってくれる先生が、私の碁をほめて下さいました。
「BUBI(仮名)さんはもう2級じゃないね」って。

でも例によって私は
「けっ、そんなわけあるか」
などと思っていたわけです。(こりないやつ)

それをgoxiという囲碁SNSの日記に書いたところ、一昨日、仲直りできた人がコメントをくれました。

「場所によって棋力が違う。どう捕らえるかは人それぞれでいいんじゃないか」

・・・
・・・うん。
そういえば、今までもいろんな人にそう言われたな。今まではそれを
「でもさー。実際勝てないんだしさー」
と思っていました。

でも今回はあらためて、そのことをちゃんと考えてみました。

囲碁をやったことのない方には不思議に思えるかもしれませんが、囲碁の段級位って統一された絶対的なものがあるわけじゃないのです。

つまり、ある大会で2級で出たら4連勝できても、別の大会で2級で出たら4連敗するかもしれない。
ある囲碁教室では2級でも、別な教室では初段かもしれない。
囲碁の段級位というのは、そういう相対的なものでしかない。

だとしたら。
そう、だとしたらね。
あとは何を信じるか、しかないのですよ。

何を信じるかで言ったら・・・アマチュアながら女流の大会でてっぺんをとったこともあって、私がどう打つかも知っていて、私の碁を何年も見てくれてる先生が「BUBIさんはもう2級じゃない」というのなら、それが信じられなくて何を信じるっていうんでしょう。

そこまで、考えて、やっと自分が何にこだわっていたのか、分かってきました。

私は・・・
結局、何かに評価されないと自分を信じることができない。
だから囲碁についても絶対評価が欲しかった。
逆に言えば囲碁は、勝ち負けで実力がはっきり分かり、その優劣は揺るがないものだから、その中で自分が昇級できることが嬉しかったんです。

でも少なくとも段級位に関しては、絶対的ではなく、その優劣は相対的なものでしかないのだから。
ある意味、人生と同じです。何を信じるかしかない。絶対的なものなんてない。

ならば、自分でなく人が言うことをもっと信じてみようじゃないの。

「本当の自分」なんて幻でしかない。
そのことは囲碁ではなく他のことでずいぶん、ここ最近思い知ってきたことではありました。
なのにまだこだわってたかー。
「自分」を客観的に見るのってなんて難しいことでしょう。

でもね、人間はこうしていくつになっても、気づくことができ、そこからまた新しい一歩を踏み出せる。
ほんの少し自分の殻を破ることさえできれば、そこから新しい世界を見ることができる。

そう思えたので、今はちょっと一つ進化できた気がしています。
いえ、囲碁はともかく、BUBIさんという人、そのものが・・・ね^^

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2010.06.01

恋人?それとも・・・?

最近ちょっと困っていることがあります。

世間で一般に「恋人」というときって「両思い」のことを言うんですよね。
片思いの相手のことを「恋人」とは言わない。

たとえば私は俳優の堺雅人さんが好きですが、「堺雅人さんは私の恋人です」というと・・・やっぱ変だな、うん(笑)。

こういう「一方的に好き」な相手の事を、なんて表現すればいいのかなぁとよく思います。

私はこのブログの中で「片思いの相手」という表現をよく使っていますが、最近どうも、いい年して「片思い」はないだろう、と自分に突っ込みを入れずにはいられません。

「思い(想い)人」なんていうきれいな表現もありますが・・・う~ん、十代の女の子が使うならまだしもなぁ~

それに相手を「想う」とか「片思い」ってのは「いつか両思いになりたい」というのを前提にしているように響くのですが、皆様の受け取り方はいかがでしょうか。

さすがに堺雅人さんと両思いになりたいなんて思いませんがな。
一般に、こういう存在を昔は(今も?)「アイドル」と呼びました。日本語で訳すと「偶像」となります。

しかし、堺雅人さんに「アイドル」はどう考えても似合わない。ただカッコイイ、ってんじゃなくて、もっと・・・芝居に対する姿勢とか役に対するプロ意識とかをインタビューとかで読むたびに
「すげーな、この人」
と思うのです。そして彼が表現する「役」にはいつも惚れてしまいます。

そういう、つまり、この場合の「好き」という思いは「尊敬」でもあって。「アイドル」の意味するものとは明かに違う。その人の存在自体が嬉しい。同じ時代に生まれてよかったと思う。その人をずっと見ていたい。その人が表現するもの、その人の生き方・・・そういうものに「憧れ」と「尊敬」を抱く相手。

「憧れ」と「尊敬」は私の場合そのまま「恋」に直結してしまうので、私にとってそういう人は「恋人」なんですが、まあ、堺雅人さんだって勝手に「恋人」にされても困るだろうしなぁ。

一般にいう「恋」は、一時的に熱が上がり、時とともに冷めていくものだと言われますが、そういう尊敬と憧れの相手は、おそらくこの先も一生、私にとって特別な存在であり続けます。
いつも心のどこかにあって、嬉しい時、悲しい時、自分の心が動く時はいつもその人を思う。

 そういう相手をどう呼んだらぴったりくるのかな。
 何かいい言葉はありませんか。

 でも堺雅人さんを例に出したら説明しやすくて助かりました。
 つまりそういうわけで私の片思いはそんなふうに今も続いています。
 いえ、だから「片思い」ってもいつか「両思い」になることを期待してるわけではなくて・・・あ~説明が面倒~(爆)
 
 これを読んでいる皆様にもそういう存在の誰かはいらっしゃいませんか。
 なんて呼んでいますか? 「恋人」? それとも・・・?

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