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August 2010

2010.08.24

いつでもできるんだから死ぬのは最後までとっておけ~映画「ミスト」~

先週、風邪ひいて引きこもっている間、いくつかDVDレンタルをして見た映画の中の1本がこの「ミスト」です。以下、ネタばれなので、これから見たい方はご注意を。

私はこういう「サスペンス&サバイバル&SF」なジャンルが大好きで、今までもいろいろ見ています。
最近のヒットは「クローバーフィールド」「ブラインドネス」
「ミスト」を借りた時は「REC」もいっしょに借りてきました。

「REC」も悪くはないのですが、やっぱりこの手の原点は「ブレアウィッチプロジェクト」だし、「クローバーフィールド」を初めて見たときの衝撃を思うとやっぱり「似たような感じ」と思ってしまうのは仕方ないところ。比べるとはるかに「ミスト」の方が見応えがありました。

「ミスト」と比較するとすればやはり「ブラインドネス」・・・極限状況の人間模様という意味ではやはり「ブラインドネス」が私の中では究極です。

でも本作「ミスト」もなかなか悪くはありません。
霧の中から現れる未知の生命体はなかなかユニークで面白かったですし、それとの戦いぶりがとてもリアルで切なかったです。

主人公たちはたまたま訪れたスーパーマーケットで霧に囲まれ、身動きがとれなくなる。
霧の中には得体のしれない未知の生命体が潜んでいて、スーパーマーケットの中には入ってこないのですが、一歩建物の外へ出ると、人間を餌か何かだと認識しているらしく、獲って食べたり、蜘蛛の糸みたいなのでぐるぐる巻きにして、卵を産み付けたりします。その中をかいくぐって生き残るためには、一人が捕まったとき他の人がそ
れを助けようとしたら全滅してしまう。他人が食われている間に必死で逃げ出すしかない。

スーパーマーケットの中に閉じこもっていればとりあえず安全です。
もしあなたならどうしますか。
今のところ食料の心配はない。でも助けが来る保証はない。外からの情報はまったくない。

ミストの主人公たちは、2晩くらい、他の閉じこめられた人々とスーパーで夜明かしするんですが、その間、仲間が死んだり、未知の生物の来襲があったりいろいろありまして、
「スーパーを出て、車でガソリンが尽きるまで走ってみる」
という選択をすることとなりました。

主人公といっしょに脱出したのは主人公の子供(男の子)とスーパーにいた知り合いの女性と同じくスーパーにいた老夫婦の総勢5人。ほんとはもっといたのですが、怪物にやられてしまって。

その5人で車でどれだけ走っても霧は晴れず、外は得体のしれない生物がうようよ。
生きている人間にも全く会えなくて・・・

ついにガソリンがつきて動けなくなったときに彼らは、武器として持っていた銃で一思いに自決することを決意します。
ところがその時点で、たまたま弾丸が4発しか残ってなかったので、主人公が他の4人を撃ち殺す。(いや、分からん。一人ずつ自分で頭を撃ったのかもですが)

(まぁ~そんなに急いで死ななくても)
と見ていた私は思いました。

そしたらそのすぐあとに、残された主人公は、他の人間と出会うのですよ。
軍隊が未知の生物を駆逐し、生き残った一般人を保護していました。

なんという皮肉でしょうか。
じっとしていることに耐えきれず、自ら動いた主人公は、結果的に愛する息子の未来さえ自分の手で断ち切ってしまった。
これはドラマなので、自決した直後に
「え~っ??? なんだ、死ななくてもよかったのに」
ということが分かるのですが・・・

考えさせられてしまいます。
前に「チーズはどこへ消えた?」という有名なお話がありました。
何か困った事態が起きたときに、ただ座して静観することと、自ら動いて状況を打開することとどちらがいいかという話。一般には後者がいいとされていますが、後者を選んだからって必ずしもハッピーな結果になるとは限らないわけです。
ただ、その方が「あの時ああしておけばよかった」という後悔はせずに済むし、動くことで状況が打開されることはあるから悪い選択ではない。

ただ自ら動くことを選択したときでさえ、やっぱり「死ぬこと」は最後の手段としてとっておくべきなのかも。明日がどんな1日なのかは誰にも分からないのですから。どんな絶望的な状況でも。

「ミスト」はフィクションですが、この映画のラストが残す教訓は、全ての人に一度は見て心に刻んで欲しい真理だとつくづく思います。

・・・ここまで書いてふと思いました。
絶望的な状況で自ら死を決断してしまう人は、やはり無神論者だからなのかもな。

私も神様を信じているわけではないのですが、「命」というものが自分のものではなくて何かから「与えられている」ものだという考え方をしばらく前からしています。
前に紫堂恭子の「不死鳥のタマゴ」というマンガの話で語ったことがあるのですが、命って、結局何か人間の意志など及ばないところにあって、そこからちょっとだけ借り受けて、今の「私」になってるだけなんだよな。

だから・・・今、生きているということは何らかの「意味」や「可能性」があるんだろうと。
死ぬ時はどうせ自分の意志ではなくいずれやってくるし。

死ぬことはいつでもできる。別に自分で選ばなくてもいつかお迎えがある。
それまでは、少なくとも「ミスト」の主人公のように愛する人がそばにいるんだったら、怪物に食われるまでは生きないとね。

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2010.08.23

poem(90)

「風邪」

急にのどがひりひりしだして
息をする度つらくなってきて
鼻水も出だして
「ああ風邪だなぁ」と思う

ネットで何が効くか調べたり
薬屋で葛根湯のドリンクを買ったり
家では熱を測ってみたり
温かくして早く寝てみたりするのだ

風邪の原因はウィルスなんだってね
でも何のウィルスかなんて別に誰も調べない
ウィルスを退治する薬もない
とりあえず鼻水などの症状を楽にして
体がウィルスへ対応するのを待つしかない

多くの人がさんざん通る同じ道を私も辿る
タオルケットにくるまって
自分の体ががんばってくれるのをひたすら待つ
早くよくならないかと祈りつつ
遊びも仕事もあらゆる予定をキャンセルして
じっと

ひとりだと
自分に対して虚勢をはっても意味ないから
だめなときはとことんだめな自分を
なす術もなく眺めるだけだ
こんな体験 もう何度もしてきて
慣れてるんだけど

こんな辛い思いをしながら
なぜここに生きているのか
もうろうとした意識の中で考えるんだ

そこでおそらく私は
本当に一度死ぬんだろう

…そうしてある日 目覚めると楽になっている
明るい朝の日差しの中を
また歩き出す

暗い部屋の中で
自分に問いかけた問いの答えは

「生きていれば
 またきみに会える日もくる」

幸せだったり
嬉しかったりした日があった
これから先も何度でも
奇跡は起こるだろう

死んで生まれて
生まれてはまた死に
人は一生の内にも
それを何度も繰り返す
治るのが分かっているなら
風邪をひくのも再生の証だ

いつか本当の終わりの日にも
そう思えるといいね

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2010.08.16

どこか痛いのがデフォルトだった

語り始めようとして今、ちょっと感動しました。
昔・・・というかそれほど昔でもありません、このブログを始めた当初はこの話をするのはけっこう勇気がいったのに、ずいぶん話しやすくなりました。

前も何度か書いていますが、私の母が「うつ」だった話です。
今や「ツレがうつ」「友人がうつ」「引きこもりの子供がうつ」「親がうつ」「部下がうつ」「上司がうつ」・・・

「そりゃ人間、この時代に生まれたらうつくらいなるよね」
というのが一般化してきています。
うつの人が増えてきてるとしたら喜ぶのは変なんですが、個人的には「うつ」も本人の怠けではなくて「病気」なんだってことが周知されてきたのは喜ばしいことです。

私の母の時代は、うつで何ヶ月も家の中で寝たきりになり、風呂にも入れず、食事もとらず、じっとしている生活なんてあまり普通の人々には想像できなかったんじゃないかな。そばで母を見てきた私にとってはデフォルトでしたが。

母は「そううつ」だったので毎年季節の変わり目にホルモンの関係なのか具合が悪くなりました。春は3ヶ月ほど寝たきりってことが多かったです。夏になると元気になったりしましたな。元気な時はいやに元気でした。
This is「そううつ」。

で、タイトルの話なのですが、これは一時元気になっても再び寝たきり&引きこもり状態になるのを繰り返す母の話ではなくて、その母に育てられた子供、つまり私の話。

最近は、自分が母の年代になったせいなんでしょうけど、しばしば子供の頃の自分を客観的に考えることがあります。

子供の頃の私は、大体どこかが痛いのがデフォルトでした。
歯が痛い、足が痛い、耳が痛い・・・
たまに思っていました。「どこも痛くない」生活ってあるんだろうかって。生きているのが苦痛の連続のように感じていました。
そんな子供っているのか、って客観的に考えると自分でもびっくりですが実際にそうでした^^;

幼稚園や学校にいけば、対人関係でうまくコミュニケーションがとれなかったりもして・・・まあその結果どうなったかは言わずもがな。
そもそも風呂に毎日入ってなかったからそりゃいじめられますわな。
服も何日も同じの着てたってそれがおかしいことだというのも分かりませんでしたし。

だから私は、「親に面倒を見てもらえない」子供、というのが一体どういう状況になるのか、自分の身に置き換えて考えることができます。
そして、それを「親のせい」にしてみたところで何の解決にもならないということを。
だって子供は自分でそれをどうにもできないのだもの。

一方で、子供にとって自分の母親は世界で一人きりの自分のお母さん。子供は母親を守ろうとします。どんな母親だってね。
私にとっても客観的に見られるようになった今でさえ、母を愛する気持ちに変わりはありません。
少なくともちゃんと殺さないで大人にしてくれましたし、よく私を殺して自分も死のうと何度考えたか分からないとは言っていましたが、実行には移せなかった。(うつのときは殺人も自殺もするほどの気力はないのです^^;)
何より、子供にとって一番大事なものはちゃんと与えてくれました。愛されてたもんな。かなりできはよくない子供だったけど。一人っ子で比較対象がいなかったのも幸いしました^^;

私が、「親の愛情」とは別に、子供を育てるのに「保育ロボット」でもなんでもいいから、面倒を見られる環境を作らないといかん、と考えるのにはそういう背景があります。

「愛情」はある。でも「世話」はできない。そういう母親は実際にいて。
もっとまずいパターンは「世話」ができない故に愛情さえ消えかける。

生まれたばかりの赤ちゃんから小学生まで、親ができないんなら、代わりに子供を「世話」する「システム」は必要です。

こんなこと言うと、今までちゃんと世話も愛情もたっぷり手をかけてきた人からするとおかしいと言われる気はとてもするんですが、人間って完璧じゃないからなぁというのが私の考え方の根本にあります。

「平等」ということの意味については以前も記事にしましたけど、私たちにとって平等でないことや能力差があることがすでにデフォルト。けれど、生まれてくる子供には、少なくとも生きていかれるだけの環境は与えてあげたい。だって子供は、親だけでなく社会の宝ですもの。

私は大人になって、自分の面倒を自分で見られるようになってからは「どこか痛い」のはデフォルトではなくなりました。
そりゃたまに腰を痛めたり、歯が痛かったり、風邪をひいたりすることはあるんですけど、ちゃんと気をつけて、自分の体をメンテナンスして、痛んだらできるだけ早く病院にいったり薬を飲んだりできるようになりました。
それって、大人には何でもないことです。

今、私が小さい頃の私に会うことができたら「痛い」のがデフォルトでないことを教えてあげたい。
その苦しみはあなた自身のせいではないことを教えてあげたい。
多分、大人達のほんの少しの手助けで、今も苦しむ子供を救うことができるはず。

朝も気持ちよく起きて、普通に電車に乗って、普通に会社に通って、普通に仕事して、普通にご飯が食べられる。どこも痛いところがない。
そのことがどんなに幸せなことなのか、今も私はかみしめる毎日です。

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2010.08.08

「子育て」という「仕事」を根本的に考え直す時期がきている

2006年の8月にこのような記事を書きました。

ネグレクト、虐待・・・なぜ?

あれから4年。

育児放棄で置き去りか 部屋から幼児2遺体

大阪市西区で、マンションの1室で3才の女の子と1才の男の子が死亡しているのが見つかりました。

23才の母親は育児をするのが嫌になり、子供を置き去りにして、友人宅やホテルを転々としていたとか。

事件の詳細が報じられるにつれ・・・やりきれない思いが募ってきます。

このお母さん、ブログで子供がいる喜びを語っていたとのこと。
なのに・・・

私は独身で子供を持ったことはないけれど、育児の大変さはいろいろな話を友人たちから訊くことで想像はできます。
何をしても泣きやまなかったり、ご飯をあげてもひっくりかえしたり、とにかく生き物だから親の思うようになんかならない。

かわいいと思ってたってイラッとするときは何度も何度もあるんでしょう。
テレビでこのニュースにコメントしてた女性も「(自分の子を)生ゴミに出したいと思ったことがある」と言ってました。
でも、思うことと本当にやることとはものすごい差があったはず。

子供達の父親とは離婚されていたそうです。
一人で子供二人を育てながら働く内に、何もかも嫌になっちゃったのかなぁ・・・それにしては、友人との付き合いは普通にしていたみたいだしな・・・う~む。

前にも何かで聞いた話なのですが、子供を産めば女性は自動的に母親になれるわけではなくて、やっぱり始めは何も分からない中で手探りでやってくしかないみたいなのよね。子育てって。

手をかければいくらでも手のかけようもある「仕事」だけど、最低限、病気や怪我をしないように、体調を崩さないように、究極は死なせないように、ちゃんと世話をしないといけない。極端な話、「愛情」なんてもう二の次なのかもし
れません。

だって、今の時代って、もはや、母であろうとなんだろうと女性も自分の食い扶持は自分で働いて稼ぎ税金も納めるのが当たり前で(最近の男性は共働きを望む人が多いと聞きます)、子供にとって、自分にだけ愛情を注いでくれる母親という存在が「いつもそばにいてくれる」なんてことはあり得ないわけです。

だとしたら・・・「愛情」はもう切り離し、とにかく子供はホント社会全体が(つまり公的機関が)責任を持ってとにかく死なないように面倒を見ていくしかないのかもしれないなぁ~~

と、書きつつも・・・
そんな世の中にすることを私たちは望んでいたんだろうか???
という根本的な疑問があります。

子供はやっぱりちゃんと愛情をもって面倒をみてくれる母親が育てるのがベストかも。
だとしたらやっぱり、その母親がその期間は働かなくても済むように、制度を作っていくのがいいんじゃないのかなぁ。

無論、そういう制度はもうすでにあって。
だからこその「子供が3才になるまでの育児休業」なのよね。
もちろん、会社にとって、3年もいなくなるのが前提の人間のデメリットというのはかなり大きい。
でも、デメリットとか言ってる場合ではなく、ちゃんとその3年間に代替の人を雇うことも含め、それが「当たり前」になっていかなきゃ、本当に私たちの社会で子供を育むことなんてできないんだよな。

私は、何年か前、働くお母さんの立場の女性といっしょに仕事をして、大変な思いをしながら両立させているのを見ていて、そういう女性が「仕事しなくても済むように」なるといいと思っていたんですけど、このブログで働く母の話を当時聞いて、考えを変えました。

母であるとかそうでないとかに関係なく、女性も働くことは必要だと。
お金の問題ではなくてね。

ただ、だとしてもやはり子供は誰かが面倒みないといけない。
機械的に、愛情とは切り離し「保育」するのでいいのなら、早いとこそう割り切って、保育ロボットでも作らないと。保育園だって保母さんだって大変なんだから、要は人手でなんとかしようという限界がもう来てるんだよなぁ。

でも、今はまだ過渡期。
子供は親が育てる・・・それはまだまだ大前提としてある。
子供を産んだらその責任は親にある。
(責任とれないなら産むな、って話もあるから少子化なのよね)
一方で「働く」のも当たり前。
そのしわ寄せが、結局、「個人」に全部かかってきちゃってる。

もちろん、仕事も子育ても、ほんの少しの間、行政の助けを借りてうまくしのいでいる方もたくさんいて。
というかそういう人がほとんどで。
一事が万事みたいな書き方をするとまた極端になっちゃうからなんとも言えないのですが・・・

「個人」の能力、「個人」の資質、「個人」の経済状況に、「子育て」が任されたままだと、いくらでもこれからこういう事件は起こる。
またそこで資本主義と社会主義の話に戻ってきたりもします。
ただ、やはり「命」に関わることは「個人」じゃだめなんだよね、きっと。
だったらやっぱり社会全体で何が起こっていて、そのためにどう手を打つべきなのか、考えなければ。

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2010.08.01

そりゃ消費税でしょ

 誕生したばかりの菅総理が先般の参院選敗北の結果を受けて苦境に立たされているそうです。

噴出2時間余、菅首相の退陣論…民主両院総会

>参院選の敗因について、党幹部からは「鳩山政権の迷走や、小沢氏の政治とカネの問題も大きい」との本音も

 なんて記事にはありますが、私の見るところ、はっきり言って、鳩山さんや小沢さんなんて国民はもうどうでもよくて、今回はやっぱ「消費税」のことを言い出したから負けた、これに尽きるんじゃないでしょうか。

「消費税を上げる前に、無駄をなくせ」
 これが国民の総意でしょう。
 なんで菅さんにそれが分からないのかなぁ???
 とても不思議です。

 そんなに消費税を上げたいなら
「これだけ削った」
 とか
「これだけ公共事業費を抑えて、その分年金や福祉政策にまわした」
 とかもっとアピールしないと・・・。「事業仕分け」自体は評価されてると思うし。
 それをしなきゃ消費税アップなんて国民の理解を得られるわけない。

 そもそもなぜ菅さんが選挙前に、わざわざ消費税増税の話をしたのかがよく分かりません。内容もまだ全然固まってないのに。低所得世帯への還付とか思いつきで言ってんじゃないかとか思われても仕方ないでしょう。発言はぶれまくるし。鳩山さんがせっかく辞任して民主党への支持が復活したのに、それにいい気なって言っちゃったとしか思えません。

 ただ、現実問題、鳩山さんの辞任でさえ、日本の首相がコロコロ変わって各国の信頼を無くしてると思うのに、またここで菅さんを降ろしてどうするんだってこれもおそらくみんなが思ってること。

 ここで菅さんにはしっかり反省してもらえればいいだけで、彼も内心
「調子に乗って失敗した」
と思ってるはずだし、このあと、堅実にやってってもらえればいいんだと思います。

 民主党の中で、菅さんを批判している人たちって何なんでしょ。批判だけなら誰だってできる。与党なんだからしっかりしてよ。責任は一人一人にあるでしょうが。
 その責任を負うのが嫌なら民主党にいること自体をやめたほうがいいんじゃないかな。

 それにしても、普天間問題にしても、財政赤字削減に関しても、少子高齢化対策にしても、経済活性化対策にしても・・・どうしてここまで日本政府って問題解決能力がなく、機能してないんですかねぇ・・・
 やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、これじゃ困るじゃないの。
 
 もしかすると、構造的な問題なのかな・・・。
 政治家一人一人は馬鹿じゃないのに、ここまで機能してないって、鳩山さんがどうの、菅さんがどうのという個人の問題じゃなくて、政府の仕組み、行政の仕組み自体におかしいところがありそうだなぁ。

 ただ、まあ一説によれば悪いところばかりを取り上げているきらいは確かにあって。
 今の仕組みの中でもパーフェクトではないけれど、粛々と少しずつ前に進んでいっているものもあるんじゃないかとは思うのですけどね。

「政治家失格-なぜ日本の政治はダメなのか」 

っていう本があるようなのでちょっと読んでみようかな。

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