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2010.08.08

「子育て」という「仕事」を根本的に考え直す時期がきている

2006年の8月にこのような記事を書きました。

ネグレクト、虐待・・・なぜ?

あれから4年。

育児放棄で置き去りか 部屋から幼児2遺体

大阪市西区で、マンションの1室で3才の女の子と1才の男の子が死亡しているのが見つかりました。

23才の母親は育児をするのが嫌になり、子供を置き去りにして、友人宅やホテルを転々としていたとか。

事件の詳細が報じられるにつれ・・・やりきれない思いが募ってきます。

このお母さん、ブログで子供がいる喜びを語っていたとのこと。
なのに・・・

私は独身で子供を持ったことはないけれど、育児の大変さはいろいろな話を友人たちから訊くことで想像はできます。
何をしても泣きやまなかったり、ご飯をあげてもひっくりかえしたり、とにかく生き物だから親の思うようになんかならない。

かわいいと思ってたってイラッとするときは何度も何度もあるんでしょう。
テレビでこのニュースにコメントしてた女性も「(自分の子を)生ゴミに出したいと思ったことがある」と言ってました。
でも、思うことと本当にやることとはものすごい差があったはず。

子供達の父親とは離婚されていたそうです。
一人で子供二人を育てながら働く内に、何もかも嫌になっちゃったのかなぁ・・・それにしては、友人との付き合いは普通にしていたみたいだしな・・・う~む。

前にも何かで聞いた話なのですが、子供を産めば女性は自動的に母親になれるわけではなくて、やっぱり始めは何も分からない中で手探りでやってくしかないみたいなのよね。子育てって。

手をかければいくらでも手のかけようもある「仕事」だけど、最低限、病気や怪我をしないように、体調を崩さないように、究極は死なせないように、ちゃんと世話をしないといけない。極端な話、「愛情」なんてもう二の次なのかもし
れません。

だって、今の時代って、もはや、母であろうとなんだろうと女性も自分の食い扶持は自分で働いて稼ぎ税金も納めるのが当たり前で(最近の男性は共働きを望む人が多いと聞きます)、子供にとって、自分にだけ愛情を注いでくれる母親という存在が「いつもそばにいてくれる」なんてことはあり得ないわけです。

だとしたら・・・「愛情」はもう切り離し、とにかく子供はホント社会全体が(つまり公的機関が)責任を持ってとにかく死なないように面倒を見ていくしかないのかもしれないなぁ~~

と、書きつつも・・・
そんな世の中にすることを私たちは望んでいたんだろうか???
という根本的な疑問があります。

子供はやっぱりちゃんと愛情をもって面倒をみてくれる母親が育てるのがベストかも。
だとしたらやっぱり、その母親がその期間は働かなくても済むように、制度を作っていくのがいいんじゃないのかなぁ。

無論、そういう制度はもうすでにあって。
だからこその「子供が3才になるまでの育児休業」なのよね。
もちろん、会社にとって、3年もいなくなるのが前提の人間のデメリットというのはかなり大きい。
でも、デメリットとか言ってる場合ではなく、ちゃんとその3年間に代替の人を雇うことも含め、それが「当たり前」になっていかなきゃ、本当に私たちの社会で子供を育むことなんてできないんだよな。

私は、何年か前、働くお母さんの立場の女性といっしょに仕事をして、大変な思いをしながら両立させているのを見ていて、そういう女性が「仕事しなくても済むように」なるといいと思っていたんですけど、このブログで働く母の話を当時聞いて、考えを変えました。

母であるとかそうでないとかに関係なく、女性も働くことは必要だと。
お金の問題ではなくてね。

ただ、だとしてもやはり子供は誰かが面倒みないといけない。
機械的に、愛情とは切り離し「保育」するのでいいのなら、早いとこそう割り切って、保育ロボットでも作らないと。保育園だって保母さんだって大変なんだから、要は人手でなんとかしようという限界がもう来てるんだよなぁ。

でも、今はまだ過渡期。
子供は親が育てる・・・それはまだまだ大前提としてある。
子供を産んだらその責任は親にある。
(責任とれないなら産むな、って話もあるから少子化なのよね)
一方で「働く」のも当たり前。
そのしわ寄せが、結局、「個人」に全部かかってきちゃってる。

もちろん、仕事も子育ても、ほんの少しの間、行政の助けを借りてうまくしのいでいる方もたくさんいて。
というかそういう人がほとんどで。
一事が万事みたいな書き方をするとまた極端になっちゃうからなんとも言えないのですが・・・

「個人」の能力、「個人」の資質、「個人」の経済状況に、「子育て」が任されたままだと、いくらでもこれからこういう事件は起こる。
またそこで資本主義と社会主義の話に戻ってきたりもします。
ただ、やはり「命」に関わることは「個人」じゃだめなんだよね、きっと。
だったらやっぱり社会全体で何が起こっていて、そのためにどう手を打つべきなのか、考えなければ。

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Comments

なんだか、数年前から問題はわかっていることなのに、改善もなく、進歩もなく、それどころか、こういう事件がどんどんおきて、後退しているというか。
私自身も保育園や夫に助けられたこともあるし、会社の人に助けられたこともある。
こちらにきてからは、近所の人にも助けられたし、中には祖父母に助けられたひともいるでしょう。
事件を起こす人には、夫や家族の援助もなかった人も多く、たしかに本人に責任はあるのでしょうけれど、助けてもらえない環境にもあったのかもと思うと、社会全体でどうにかしないといけないのでしょう。
高齢者の生存が確認できないニュースも、社会全体でどうにかしないといけないということでは、同じだと思います(というか、高齢社会だから、そちらのほうがよっぽど問題なのかも)。

Posted by: ちゃい | 2010.08.08 at 22:25

このニュースの女性の場合には、そもそも離婚だの母子家庭での育児だのを少し甘く見ていたんじゃないかと思うんですけどね。

ほんとに子供のことを大事に思っているなら、実家に助けを求めてもよかったし、夫の親に預けてもよかった。それをしなかったのは、やはり子供より自分が大事だったんじゃないでしょうか。

どうやら実家とは疎遠だったようだから、自分から頭をさげるような形で親を頼るのは嫌だったのでしょう、自分が。
夫に子供を渡さなかったのは、子供を可愛がる自分が好きだったのでしょう、おそらく。現実に直面しても、こどもの命より自分の気持ちを優先したんじゃないかと思えます。

どんなに非難されようと、どんなに恥をかくことになろうと、子供の命がかかった場面では、それは甘んじて受けるしかないです。あんな小さい子、誰かが守ってやらなければ生きていけないのだから。

Posted by: とと | 2010.08.08 at 23:40

>ちゃいさん

女性も自分で稼ぐ。
それが当たり前だし、社会からもそうあることが求められているなら、やっぱり「子育て」の形も変わっていかなくてはいけないと思うのですが、今は過渡期で、うまくそこを渡りきれない人にひずみが現れてるような気がします。
高齢者は・・・実は、誰にも知られずひっそりと消えてしまうことはそれほど「不幸」ではないような気も個人的にはしています^^;
自分もそうなる予感がするので。

>ととさん

お返事遅くなりました~
コメントありがとうございます。
この母親は確かに甘かったし、馬鹿野郎なんですが・・・
続く記事で私のことを書いてみました。
私の母も、自分で育てられないなら、なんとかするべきだったんでしょうが、それでも、私は母のそばで暮らせたことが幸せでした。

他のいろんな事件でもそうなんですが、
「いっそ殺してしまいたい」
「生ごみに出してしまいたい」
「復讐してやりたい」
人間である以上どろどろとした感情ってあるんですが、思うこととやることにはものすごい差が本当はあったはずで。

いくら面倒くさいと思っても、閉じ込めて見殺しにするなんて、この事件の母親も、どっか壊れちゃってたんじゃないかと思います・・・
その病んだ母親と子供を、自己責任ではなく、孤立させず、サポートできるような仕組みがあればいいんですがね・・・

Posted by: BUBI | 2010.08.23 at 21:54

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