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2010.09.29

今週のサザエさん

9月にとった夏休みの最後の日曜日に、何気なくサザエさんを眺めておりました。

すると今週のサザエさんはこんな話。

○三河屋さんたちが、サザエさんちには配達大賞をあげたい、と話している
○なぜかというとサザエさんちは留守のときがないので、配達を仕事としている人たちはいつもとても助かる
○それを聞くと「家には暇人が多いってことだね」などというカツオ
○家を守るのも大事な仕事なんだという波平お父さんとフネお母さん。もちろんサザエさんもね。

・・・うん。同意です。

いや、ちょっと前までは、ほんと、家にはたいていお母さんがいたもので。
昼間の家に誰もいない家のほうが珍しかった。

今はどうでしょう?
てかいつから、専業主婦希望の女性は、男性に寄生する、なんて見られるようになっちゃったんだろう・・・

と、読売新聞の「発言小町」などを眺めていると思います。

男性視点の発言を読んでいると、
「なぜ結婚したら、俺の金で女性を養わなくちゃいけないんだ」
的な考えをする人が相当数いるみたいだなぁと。今は女性も働くのが一般的になりましたから、やむを得ない流れなんだろうなと思ってはいたのですが、そこで改めてサザエさんなんかを見ると、はっとしちゃうのですよ。

「家を守る」
「家庭を作る」
という考え方自体が男性にも女性にもなくなってきたんだろうな、と思います。

家なんて帰って寝るだけのもの。私は今、独身で一人暮らしですからまさにそうなんですが、サザエさんの時代はそうじゃなかった。

家には家を守り、家を作る人がいた。

その人はいつも家にいて、雑事をこなし、外で働いて帰ってくる人を明るく迎えるのも仕事だった。
もちろん、子供を育てるのもね。

かといってマスオさんや波平さんが子供を育てるのに協力してないかというとそういう感じではないものな。(家事に協力はしてなさそうですが(笑))

今週のサザエさんはこんなふうに続きます。

配達の人たちは、単に留守が少ないというだけでサザエさんちを配達大賞にしたわけではなくて・・・
やっぱりフネさんの配達の人への気遣いや、サザエさんの明るい笑顔に癒される、なんてのもあって。

それは、配達の人に限らず、マスオさんたちも同じなのです。

仕事にいって、会社でいろんなことがあっても家にかえってサザエさんの笑顔を見るとうれしい。会社での苦労も半分になった気持ちになる。

家庭ってそういうところだったし、主婦ってだから、「家政婦」でも「三食昼寝つき」でもなくて、「家を守り、会社とかで働く人を影で支える」大事な仕事だったはずなんだよなぁ。

いや、自分も結婚してないんだからエラそうなことは言えませんし、全ては時代の流れなので、仕方がないんですけど。

私は、サザエさんちみたいに働く人をサポートしてくれる人がいて、いつも帰ってきたら笑顔で迎えてくれる人がいたらうれしいけどなぁ。

もうサザエさんちみたいな家庭ってテレビの中にしか存在しなくなっちゃったのかなぁ。

私はもう女性というよりは働く男性側の立場ですから、その立場で考えてみても、
「俺の金でなぜ他人を養う必要があるんだ」
「養ってやるんだから家事は完璧にやってもらわなくてはいけない」
という発想になってしまった時点でもう、サザエさんの世界はあり得ないわけです。

主婦は家政婦ではないので、金をやって完璧なサービスを求める、的な発想とは根本が違う。
もちろんデリヘルでもないので、性欲を満たす道具でもない。

そこにあってほしいのは・・・「愛」なんだよなぁ~

私、もしかして当たり前のことを書いていますか?(笑)

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Comments

「主婦」に相当する英語は、house wife あるいはhome maker というそうです。後者の方が本文には合いそうですね。

ひところ、家事労働をお金に換算する、というのがありましたが、それは「主婦の抵抗」だったのか、それとも「愛」が喪失したからか・・・。

Posted by: 春海 | 2010.09.29 at 10:53

サザエさんもそうですが、「典型的なファミリー」というのが、昔よりもわかりづらくなったとおもうのです。
たとえば、運動会などは土曜日にありますが、いまや、土曜日勤務の流通業などは一般的にあるわけで、そういう子のお父さんはなかなか来れませんね。むかしもいたのでしょうけれど、今のほうが多い感じがします。逆に昔は週休2日じゃなかったのになぜなんでしょうね。同様に参観日もこれないママも多いですね。
多くの会社から支給される子供の扶養手当は増えるようになってきているのですが(少子化のため)、配偶者手当は削られる一方で、子供が中学生になったら打ち切りとか、段階的に減らされる会社が増えてますし。こういうことも関係しているのかもしれません。
また、サザエさん自体が、大人がノスタルジーにひたりながら、見る漫画という位置づけの気がして、子供はうちの子らは、まるこちゃんは学校が舞台なので喜んでみるけれど、サザエさんはイマイチだし。。。
で、BUBIさんのおっしゃるとおり、「愛」なのかともおもうのですが、愛は昔は対等関係にあったのかもしれないけど、現代においては(いや、昔から?)「愛とは犠牲の上に成り立つ」と思うのは、私もひねくれているんでしょうかね?
先日、宇宙飛行士の山崎直子さんの本と、そのご主人の山崎大地さんの本を読んだのですが、大地さんの本を読んだら、「専業主夫(主婦じゃないです)は犠牲によってなりたっているんだな」と個人的な感想をもちました。
彼は、自分の夢をあきらめ、会社を辞めることになり、介護と育児を負担し、渡米したら、奥さん同伴でなくては携帯電話もつくれないような、身分不詳者(?というのかわからないけれど)になってしまったと。奥さんの本では、「私が事故で死んでも、遺族年金が夫には出ない。男は働けということなのでしょう」とありました。
うつ病、自殺未遂、離婚調停まで、赤裸々に書かれており、就職できない、かといって子供を妊娠することはできない、奥さんを妊娠させたら、国家レベルの事業計画をふいにしたとして、批判を浴びる・・・。そんなことが、書き連ねてありました。
サザエさん一家は幸せだと思いますが、ただ、もしかしたら、これからの世の中、サザエさんがパートにでたとしても、フネさんが留守番家庭をまもれば、それもいいのかな?祖父母が大きな役割を果たす世の中になっていくのかな?なんて、楽観視もしています。

Posted by: ちゃい | 2010.09.30 at 14:29

>春海さん
コメントありがとうございます。
多分、当時から、主婦の仕事を軽く見る風潮があったんでしょうね。
だからお金に換算して、どんなに大事かを知らしめる必要があった。
けれど、その後、時代は主婦をなくす方へ流れた。
結果、家を作ったり守ったりする人がいなくなり、日本から「家庭」が消えた。
大人はそれでいいでしょうが、子供を育てる場がなくなって・・・少子化なわけだなー。

>ちゃいさん
コメントありがとうございます。

ふむ・・・書き方が難しいのですが、私は専業主婦(夫)がパートナーの「犠牲」だとは思わないんです。

サザエさんやフネさんは、夫や子供のために我が身を犠牲にしているのだろうか?
「犠牲」だと思ったら、もうそれは「愛」とは言えないんじゃないかと。

たとえば、子供が生まれてしばらくは、もちろん個人差はあるとは思いますが、一般的には、誰かが赤ちゃんに合わせて夜も何時間おきかに授乳したり、ぐずったら面倒を見ないといけません。

でもそれってその誰かがが子供の「犠牲」になっている、わけじゃないですよね。

たとえば、結婚して女性が仕事をやめて主婦になり、さらに子供が生まれたら、パートナーである男性は女性と子供の生活費を負担します。

その場合、その男性が「犠牲者」だと思うと「専業主婦は寄生虫だ」ということになるのですが、私はそれって「犠牲」とは言わないんじゃないかと。

私たちは、誰でも日々生きている中で、何かの目的のために、時間やお金や労力をかけます。
それは当たり前のことで、時間もお金も労力もかけなければ、本当に欲しいものなんて手に入らない。
愛する妻や子供のために働いたり、子供のために一生懸命に子育てしたりするのって、そこに「愛」があって、自分がそうしたいと思うからすることで、それは「犠牲」とは言わないんじゃないかなぁ。

たとえば山崎さんとこだって夫が妻の夢を叶えたい、応援したいと思うから彼女と結婚し主夫になったんじゃないのかなぁ?

それを犠牲だと思うから、愛よりも恨みつらみが強くなる。相手を責めたり、自分をみじめに感じたりする。

どんなに辛かったり、端からみて悪条件であっても、本当に叶えたい何かのためにする努力って「犠牲」ではないと私は思います。

いや仮に「犠牲」だとしても。それを犠牲にしなかった場合よりもはるかに大きい幸せを手に入れることができるのだから・・・本人たちはそれで十分幸せなんじゃないかって。


Posted by: BUBI | 2010.10.01 at 23:48

BUBIさんのおっしゃるとおりだとおもうし、そうであってほしい(願望)。
 
BUBIさんのコメントで思い出したのですが、以前、こんなニュースがありました。
 
「子育て調査結果 4割の母親が犠牲になるのは仕方ない」
http://www.benesse.co.jp/newsrelease/20090513_001.html
 
当時の拙ブログ記事はこちらです。
http://penguin-mo.mo-blog.jp/penpen/2009/05/post_9fb8.html
 
当時も、ブロガーさんがコメント欄に「犠牲という言葉には悪意を感じる。『制約』というほうがしっくりくる」とありました。
私自身も「制約はあるが前向きにとらえたいと思っている」とコメントしています。
 
ただ・・・やっぱり、制約は思ったよりも多いし、子供が大きくなればなるほど、この制約は頑丈になり、ほどけなくなっています。
 
正直、この記事から1年しかたっていないのに「制約というよりも犠牲かも」と思うときもなくはないです。
 
私も大地さんは「妻を応援して素晴らしい人」との認識でしたが、本を読むと、はじめのうちは愛があって妻を応援したい気持ちだったのだけど、そのうち「制約」がいっぱい出てきて、就労も許可されず、うつ病を患い、離婚訴訟に奔走したあたりから、「これは間違いなく犠牲」と思いました(男性の主夫、しかも宇宙飛行士という国家プロジェクトで、大地さん本人は管制官が夢だったというので、一般的なケースではなく、かなりのレアケースではあります。離婚訴訟が成立しておらず、現在も夫婦なので、愛はまだ残っている結果のかもしれません)。
 
って、こうやって書いてみると、やっぱり葛藤ですね。愛はもちろんある。始まりは愛だった。犠牲とは思わないし思いたくもない。けれど、実際には制約はたくさんある。。。
 
サザエさん一家がうらやましいとおもうのは、こう考えると、世の中の人の多数意見かもしれませんね。

Posted by: ちゃい | 2010.10.02 at 07:05

ちゃいさんのコメント、とても参考になります。

これは私の個人的な傾向・・・要するにくせなのかもしれないのですが、不幸だと思っちゃうとどんどん不幸になるけど、幸せだと思えば別にそんな不幸でもない、みたいな考え方をしています。

たとえば結婚もしないで、いい年になった自分。
不幸だと思えば不幸だけど、別にどう思おうと自由ならば、幸せだと思った方が楽しい。

きっと結婚してても、同じだったんじゃないかと思っています。
不幸だと思えば不幸だけど、きっと子育ても、旦那の世話も前向きにやっていたに違いない。

ただ一つだけ言えるのは、一人だと自分の考え方でいかようにでもなるのですが、いかに自分がプラスに考えようとしても、パートナーが後ろ向きだと・・・
これは困ります^^;

どんなつらいことがあっても、生活に苦しくても、子供を塾に行かせるお金がなくても・・・
同じように前向きに、いつも笑っていられる相方がいたら、サザエさんちになれたかな。

まあ・・・そんな相方には出会わなかったから、今も一人なんですけどね^^

Posted by: BUBI | 2010.10.04 at 00:05

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