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November 2010

2010.11.26

「ブログの何が楽しいの?」

読売新聞の「発言小町」にこんな質問が出ていました。

(引用開始)

最近、一般の方でもブログをしてる人。結構多いですよね?
ブログをして、自分に起きたことなどをみなさんに見てもらいたいのでしょうか?
今日これを食べましたー。とか、今日はこんなところに行きましたー。とか、なぜ他人に知らせたいのでしょうか?
自分をアピールすることは楽しいのでしょうか?
ブログをしている方を批判するわけではありませんが、私にはどうも気持ちがわからないのですが。
ブログ等されてるかた、楽しさ教えて下さい。

(引用終わり)

私もブログをやっているという話を人にすると、たまにそんなふうに言われることがあります。
「個人の日記を知らない人に公開するなんて」と。
それの何が楽しいの?とね。

「何が楽しいのか」という質問に答えるとすれば・・・

私は文章を書くことが好きです。
たとえばこうやって、「私はなぜブログを書くのかな?何が楽しいのかな?」ということについて、とりとめもなく文章をつづってみると、普段、自分の中でも整理されていないいろいろな思いが整理できます。
かっこよくいうと「自分を客観視できる」。

悩み事もそうだし、嬉しいこと、楽しいこと、自分はこれからどう生きていけばいいかなぁということ、ニュースを見てもやもやすること・・・みんな、こうして文章にしてみることで、
「ああ、なるほど。私はそう考えていたのか」
と納得する瞬間があって。それそのものが私にはとても楽しいです。
「文章を書く」ということそのものの効用なんでしょうね。

でも、それをブログとしてオープンにするのは??? それって自分でただ日記に付けておけばいいのでは?

・・・そうだなぁ。
感覚としては「せっかく書いたものだから人に見せたい」という感じです。自己顕示欲? いや、それほど自分大好きでもないんですけどね。

たとえば、
「正木温泉でこんなとこだったよー」
とか
「情報処理試験、難しかった~。算数オンチだからさぁ」
みたいな話を、まあ身近な友達には当然するんですが、一般に、友達とおしゃべりするときって、自分には興味があっても友達には興味がない話があるかもしれませんよね。
もちろん友達だから付き合って聞いてはくれますし、興味があればそこから、
「え~その温泉、私も行ってみたい♪ 今度、行こうよ」
みたいに発展することもある。

それがリアルの世界の人付き合いなんですが、ブログでは、興味が無ければ読まない、興味があれば読む。要は、情報の取捨選択の権限は今、このブログを見てくれている「貴方」にある。

そういう感覚が私にはちょうどいい「人との距離感」だったりします。

このブログのアクセスログなどをみると、特定のキーワードで検索できてくれる人がけっこういます。
私のまったく知らない人がたとえば「伊豆に旅行に行こう」なんてときに検索してきてくれたりする。小野不由美の「屍鬼」を読んで、他の人の感想を知りたいと思ってきてくれたりします。

そういう、「必要な人」、「読みたいと思ってくれる人」に、この文章が届けばいい。
ネットの世界の情報交換っていうのはそういうことなんだよな。

私はmixiやツイッターなどもやっていますが、あまりコメントやフォロー数にこだわったりはしないたちです。
自分を知って欲しいというよりは、自分の持っている情報や感情を、それを必要としたり、共感してくれたりする人たちと共有できれば、それでいい。

最近はこのブログは、1週間に一度更新できればいいくらいの間隔になっているので、定期的にチェックしてくれる常連さんよりも、そういうふうにこのブログをのぞいてくれている方が多いように思います。もちろんそれでOK。

皆様、必要な時にちょっと立ち寄ってくれればよいですからね♪
そしてもし気に入って下さったなら・・・たまに思い出した時にご訪問ください。

ああ、あと、もう一つブログを続ける理由がありました。
遠くに住んでいてなかなか普段会えない友人や、前はよく一緒にでかけたり遊んだりしたのに、最近なかなか会う機会が持てない友達って皆さんもいませんか。

「なかなか会えないけど、私はこんなふうに元気でやってるよ」
と。そういう意味もあります。

BUBIさんのことをふと思い出した時に、様子を見に来てもらえれば。
よろしければまたいつかランチやお茶でもご一緒しましょう♪

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2010.11.23

正木温泉に行ってきた♪

正木温泉についての詳細は、私も参考にさせていただいた、こちらをまずどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/tabinozasshi/archives/51326166.html
母が1年ほど前にテレビでこの温泉を見て、名前をメモしておいたというこの温泉。
千葉県の館山にあり、どうしても行きたいというので、父の車で本日は房総へでかけてきました。

いやー最初はそのメモが不正確で母が「玉木温泉」だというものですから、いくらネットで調べても、それらしき場所が見つからず、困ったなぁと思っておりました。

が、当日の今朝、「正木温泉」だというのが分かり、ケータイで調べたところ、上記の情報がヒット。

分かってみれば、高速を降りてすぐだし、人里離れた山の中にあるわけでもないのでいいんですけど、なんせ案内看板がない^^;
参考ブログの記事が非常に詳細で、目印として「神河鉱泉800m」の看板を挙げてくださっていたので、たどり着くことができました。ブログの筆者には感謝してもしきれません。

正木温泉の外観については、参考ブログの記事の、まさにそのとおりで~

まず、見た感じが個人のお宅そのものなので、多分、普通に房総観光していたら絶対行かないし、仮に迷い込んで看板を見つけたとしても、立ち入るのに勇気が入ります。

本日は年配の女性の方が、農作業姿でたまたま建物の前にいらしたので、すぐに
「ここ、入れますか?」
って確認することができました。
料金一人、550円を入口の貯金箱みたいなのに入れていざ入浴!

建築資材置き場のような脱衣所や家庭のお風呂よりちょっと広いだけの浴槽などにも、事前に参考ブログを見ていたのでうろたえずに入ることができました。

で、肝心要の温泉はというと。

コーヒー色の鉱泉は大変気持ちよかったです。
入ったあともポカポカするし、肌はすべすべになるし、母も大満足。
行ってよかったですよ~

やはり、曲がりなりにもテレビで紹介されるんですから、どこかいいところがなければね~
おそらく、狭さや建設資材置き場のような脱衣所を補ってあまりある効能があるに違いない♪

当然ながらシャンプーも石鹸もありません。バスタオルもタオルももちろん持参。かろうじてシャワーはあるけど、使えるかどうかいまいち疑問。
「浴槽のお湯をくみ出して使ったらいけない」と書いてあったんですけど、入る前に体を洗うのに私はちょっと使っちゃいました。すみません。

帰りに、年配の女性の方に畑で採れたという大根をいただきました。ありがとうございます^^
(さっそく今、煮物にしています)

「宣伝してね♪」

とおっしゃっていたので、ブログの記事にさせていただきました。

・・・いやぁ、しかし、父なんか何度薦めても、結局ここでは入浴せず。
きれいで、広くて、ゴージャスな温泉保養施設を温泉だと思っている方は見た目でだめですから、お気をつけてくださいませ。

私は、まあ最初に母にリサーチしたときからなんとなくこんな予感はしていたので、大丈夫。参考ブログの記事に習うならば「よほどの柔軟性」には自信があります♪

温泉っていってもほんといろんなところがあるんですよね~

でも父と母と非常にレアな温泉の旅。これはのちのちまでの語り草になることでしょう^^
いい思い出を作ることができました。
ビバ、正木温泉♪

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2010.11.18

やっぱ不合格でした(T_T)

今日は基本情報処理技術者試験の合格発表日でしたが、やっぱ不合格でした。
午前の試験は、かろうじて合格ラインの60%を上回っていますが、午後の試験で、100点満点で、38.5点しかとれてないでやんの。

そりゃそうだよなぁ、これで受かってたらおかしいよな~

どうしようかな・・・もう一回、春、受けるかなぁ。

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2010.11.15

その一言がそんなに嬉しかったなんて

先週の土曜日、義理の母がカットをお願いしている知り合いの美容師さんに、私もカットしてもらいに行きました。(義理の母といっても私は未婚なので、この場合の「義理」とは父の再婚相手という意味です。実母はもうすぐ十三回忌。)

私のいつも行っている美容室は、カットだけで(シャンプーなしで。ブローはあり)それなりの値段をとるのに、今ひとつカットがうまくないような感じです。別な美容院に変えればいいんですが、あまりいいところが見つからずずっともやもやしていたところ、母のヘアスタイルがなかなかすっきりしていい感じなので、話をしたらその美容師さんを紹介してくれることになりました。

で、母と連れだって、美容師さんのご自宅へおじゃまして、そこでカットしていただきました(相応の謝礼付き)。最初は母。母が終わってから私。

そのカットの話は、この記事の本題ではありません。
カットをしてもらいながら、母と美容師さんと私の3人で、いろいろと話をしていました。
美容師さんも母と同年代の女性です。

無難な世間話をしている内に、なんとなく私がまだ独身で・・・という話になりました。
私としては、結婚をしないつもりだったわけでもなく、職場は普通に同年代の独身男性もいたし、それ以外にカラオケや囲碁やクラシックギターや文芸系サークルなどいろんな趣味の活動もしていたし、合コン、お見合いパーティ、知り合いからの紹介などなど、若いころはそれなりにがんばったんですよーと。

初対面の相手にぶっちゃけ過ぎ?(笑)
もともと母の知り合いの方で、母も同席でなければそんな話には当然なりません。その美容師さんの息子さん、娘さんももう30過ぎだけど結婚してないという話にもなりまして、そんな流れ上ね。
「がんばったけど縁がなかった」
なんて、あんまり人前で堂々と言える話ではないんですけども。

母は、実の娘さんが3人いて、3人とももう結婚しています。
ご本人もどちらかというと「女性は結婚することが幸せ」という価値観をお持ちみたい。(だから父と再婚してくれたんだろうな~)
はっきり言われたことはありませんが、私のことも心配しているんじゃないかしらん。

ところがその美容師さんは私の話を聞いてこうおっしゃいました。

「でもちゃんと仕事を持っていてやっていけるんだから、それでいいんじゃない? 結婚だけが全てじゃないんだしね。それでいいと思うわよ」

もちろん美容師さんは客商売ですしね~。客である私をフォローしますとも。
それは分かっていますし、言われたことも別に目新しいことじゃない。

・・・でもね、久々に言われた。
「結婚しなくていい、それでもいい」
って人から。なんというか・・・とても嬉しかったんですよ・・・

今まで結婚できていない自分を「人間失格」だと一番思っているのは自分自身なんだろうな。

もちろん自分でも「結婚すりゃいいってもんじゃない」のは分かってますけどね。
相手は誰でもいいわけじゃないし、そんなこと言ったら相手にも失礼だし。
自分の選択を後悔しているわけでもない。

でも、やっぱりね、自分で思うのと人に言われるのとでは違う。
特に、母と同年代の人に、母の前でそう言ってもらえるとね。
自分にできる親孝行は何だってしますが、結婚して子供を産むのは私だけの努力でできることではないからなぁ。

いや、多分ね。
アラフォーあたりの独身女性って私と同じように思っている人が多いと思うのです。

もちろん結婚して子供がいて家庭を作ってる人だって、それでめでたしめでたしなわけじゃない。独身以上にいっぱいいろんな悩みがあって、苦労している。
ただ、そうでない人も「それでいいんだ」って好きな人生を好きに生きてても、やっぱりいろいろと思うことがあるのよね~という話。

もちろん女性だけでなく男性もそうなんでしょう。一人一人が自分の人生を必死にいろんな思いをしながら生きている。

人の生き方は昔よりもずっと多様化しているけど、それぞれの立場の人がそれぞれの思いを分かち合い、思いやることで、一人一人違いつつも孤独ではない、みんなが自分で選んだ人生を生き生きと生きていけるような世界になっていけばいいな、とつくづく思います。

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2010.11.04

「家族狩り」天童荒太

以前にととさんの「半身浴読書」で紹介されていた「家族狩り」。

一部から五部までありますが、天童荒太の本は読みやすいので、楽しく読み進めることができました。

しかし、扱っているテーマは重い。言うまでもなく「家族」です。

事なかれ主義の私としては(こだわってる、こだわってる)、人間関係っていうのは濃ければ濃いほど、そこにやっぱり愛憎が生じるもののように見えています。
そういう意味では、一人暮らしを始めてからはそういう愛憎とはまったく無縁にのほほんとやってきてしまっていて。

望んで家族を持たなかったわけではないのですが、他人をうらやむよりは現状に満足しようといういつものくせもありまして、独りでのんびりという今の生活に満ち足りてしまっているもんですから、また、そこでこういう本を読むと、「家族がいなくてよかったなぁ」と思ってしまいます。
・・・よくない傾向かな^^;

一人で生きていると、自分以外の他者に対しては極力頼らないで生きていこうと思います。

自分のことは自分でやるのが当たり前。
逆に言えば、その覚悟ができてるからこそ、一人暮らしを続けていける。

そうすると思いがけない他人の親切や思いやりは、最初から「ないもの」と思っているからこそ、とてもうれしかったり、心から感謝できたりします。

それが・・・家族だとどうも違うんですよね。
お父さんなら○○するのが当たり前。
お母さんなら××が当たり前。
子供は親に愛されたいし、親も子供に愛されたいし、夫婦はお互いに愛し合いたいし・・・

それが満たされないときにゆがみや亀裂が生じていく。
期待どおりにお父さんは○○してくれない。
期待どおりにお母さんは××してくれない。
母親なら普通は子供に対して△△なのに、この子はそうじゃなかったからかわいそう。etc

・・・・なんか・・・

「そんなの知るか」って思っちゃいます。

人間ってみんな一人ずつ違う。そりゃみんな相手に期待されるような自分でいたいとは思うけど、期待はいつしか重荷になっていく。
自分らしい自分ではなく相手の望む自分であろうとし、そうでないと愛されないと思う。
そして家族に「愛されない」ということは、ものすごいストレスとなって、どんどんつらい方へ追い込まれていく。

小説「家族狩り」に出てくる家族はみんなそんな感じです。
誰もが幸せになりたいのに、なれないでいる。
それは「家族」に思うように愛されないからです。

私もそうなのかなぁ?
家族を持ったら、パートナーや子供に愛されたいと願い、それが満たされずにイライラしたり、苦しんだり、悲しんだりして、そして、そのイライラがさらにパートナーや子供に嫌な思いをさせてしまうような。そんなふうになっていただろうか?

私は、今、一人なので、「家族」のように愛してくれる人は誰もいませんが、別に期待しなければ裏切られることもないし、友人や仲間とのささやかなコミュニケーションにはいつも幸せを感じます。それで十分だと思うけどな。

ネタバレになるので詳細は書きませんが、「家族狩り」四部の冒頭にこんなやり取りがあります。

(引用開始)

「家族は愛の、つまりは生命の象徴なんです。すべての人間の善なるものの基本なの。ひどいことを家族のなかで行う人もいるけれど、それは家族の愛が足りなかったからです。正しい愛が家族のなかにあれば、戦争もなくなるし、人殺しもなくなっていくものなの。戦争が起きるのは、世界中の家族の愛がまだまだ足りないということなのよ」

「家族とは関係なく、愛も善も存在する」

「だめです。家族がなければ、愛も、善も存在しません(後略)」

(引用終わり)

「家族」について、このように強く熱く語る人物が小説中に登場します。しかし、その人物は・・・いかん、ネタバレする~

作者はこの「家族狩り」でどんなことを言いたかったのかなぁ?
「家族」というものは愛の根源だとする、この人物の主張と同一でないことは確かなのですが、だからと言って否定しているわけでもない。

・・・あとは読者が考えろということか・・・

一つ言えることは「家族」にはやはり「他人」とのコミュニケーションとは比べものにならないくらいの「愛憎」があって。それは人が生きていく上で、プラスにもなるしマイナスにもなるんだろうと思います。

「愛」か・・・未だに難しいテーマだなぁ。

自分だけに向けられた強い愛なんてなくたって、私たちは・・・人は・・・生きていけるような気はするんだけどなぁ・・・。

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