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December 2010

2010.12.31

29人!

12月は予定入れまくりだという話を前の記事でしましたが、実際にどれくらいの人に会っていたのかを数えてみました。
12月は久々に逢う友人ともたくさん再会を果たすことができました。

1)小学校時代の友人 2名

二人とも独身で私も独身なので、ここ数年の間にたまに会って温泉にでかけたりするようになっていましたが、今年はあまり会えていませんでした。でも12月に会えてよかったな~♪ 3人で日帰り温泉でいっぱいおしゃべりをしました。

2)中島みゆきさんのコンサートで 3名+1名

自分ではとてもチケットとれないのですけれど、友人からチケットを譲っていただき行ってきました。
感動した~~~♪♪♪ みゆきさんはやっぱり最高です。
会場でいっしょになった友人3名と・・・プラスの1はみゆきさんです。入れさせてください♪

3)高校時代の友人 1名

彼女にはよく音楽座のミュージカルに誘っていただきます。12月の公演は「ホーム」。なかなか面白い舞台でした。いつもありがとうね。

4)バースデー祝い 2名

毎年ありがとう♪ 友人のお宅におじゃましてみんなでお鍋。一人鍋はよくやりますが、みんなで食べるとやっぱりうまいっす♪ ケーキもごちそうさま。おいしかった~

5)クリスマスパーティ 4名

以前に、創作活動のサークルで一緒だった友人の一人が、クリスマスパーティを主催してくれたので、いってきました。彼女は今、手話サークルの活動をしていて、参加者の半分くらいは耳の聞こえない方。でも聞こえる人も聞こえない人も一緒に楽しめるパーティでした。面白かったな。いい経験ができました。久しぶりの友人にも会えたし。

6)職場の同僚と 2名

職場の友人と忘年会。なかなかおしゃれなお店のセレクトをしていただいてうれしいなぁ。酒が飲めないとこういう店、一人じゃいかれないもの。普段は飲みませんが、ワインを一口だけいただきました。とてもすっきりしていておいしかった。いろいろ遊びにいきましたが「忘年会」は私はこの1回だけでしたのよ。

7)友人の赤ちゃんと 4名

北海道に住む友人がこの夏に出産し、里帰りで帰ってきていたので、赤ちゃん連れで、他、友人たち数人とみんなで会いました。赤ちゃん、かわいかったなぁ。友人の出産の吉報も久々です♪ 本当におめでとう♪

8)職場の後輩と 1名

横浜観光に付き合ってくれた友人。次は年明けに映画の「相棒」を見に行きましょう。楽しみです。

※これから下はすべて「囲碁」関連。

9)ファミレス囲碁 1名

ファミレスにマグネット碁盤を持ち込んで12月も仕事帰りにちょこっと対局。最後はなんとか先で勝利でき、上機嫌です。来年も時間があれば、お付き合いいたしますのでよろしくです。

10) 名古屋の囲碁カフェで 3名

名古屋に、一見、普通の喫茶店ですが、囲碁も打てるという囲碁カフェ「KOSUMI」というお店がありまして。一度行ってみたいと数人でクリスマスに押し掛けました。結婚して今は浜松に住んでいる友人もきてくれまして、みんなでペア碁や連碁を楽しみました。

11) 職場の囲碁サークルで 4名

2か月に一度職場の囲碁サークルのメンバーが幹事の家に集まり、囲碁の先生もお呼びしまして囲碁会をしております。幹事さん、先生、いつもお世話になっております。来年もよろしく。

12) ダイヤモンド囲碁サロン 1名

半蔵門にあるダイヤモンド囲碁サロンっていうところに初めて友人に連れて行ってもらいました。

以上、29人。そんなにいろんな人と会ってたのか~。かぶってる人はいないんですよ。すごいことだ。

これでもまだ年内に「会いたいね」と言っていたんですが会えていない友人がいます。
来年は会えるといいなぁ~

無論12月にお会いした皆様も、来年もどうぞよろしくです。

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2010.12.24

クリスマスイブのひとりごと

 毎年、11月にクリスマスのイルミネーションが町を飾る頃になると、なんだか人恋しいような気分になり、独り身のさみしさをかみしめることとなります。

 で、その反動で12月にはめいっぱい楽しい予定をいれる。
 本番の12月はさみしいとか言っていられないほど、忙しくなります。
 今年もそんな年末でありました。

 先週は、横浜に一泊旅行をしてきました。関東に住んでいると横浜って近すぎるので、あまりあらためて観光とかしないんですよね。なので、一度、外人墓地のある山手の方へいってみたい・・・と以前、神戸を旅行したときからずっと思っていて、やっと実現しました。
 幸い友人(言うまでもありませんが女性です)が付き合ってくれたので、いっしょに横浜の街をウォーキング。山手の洋館は、ちょうどクリスマス前ということで、クリスマスの飾りつけがしてあり、とってもきれいで得した気分になりました。いっぱい歩いた後は、みなとみらいの温泉施設、万葉倶楽部で岩盤浴と温泉。歩いてる間に冷えたので、あったまれて気持ちよかったです♪

 明日からも名古屋に一泊二日で小旅行です。
 名古屋に囲碁が打てるカフェがあって、そこに友人たち(言うまでもなく女性ばかり)で集まってみんなで囲碁を打ったり、クリスマスケーキ食べたり、おしゃべりしたりする予定です。

 そのほか、12月は中島みゆきさんのコンサートにもいったし、昨日は、例年この時期に私が12月が誕生月ということで鍋パーティに招いてくれる友人がいまして、今年もおいしい海鮮鍋と友人が誕生祝いに買ってくれたかわいいケーキで、あったかい夜を過ごしました。

 いい友人に囲まれて私は幸せだ~

 イブの今夜は食べるラー油と白いごはんのいつもの夕飯ですが(笑)、それもまたいいんでないの?
 たくさんの笑いあり涙ありの2010年でありました。

 これからの年末は少し時間ができそう。
 とりあえず予定してた年賀状は今日までに書けたし。
 みゆきさんのニューアルバムのことや、最近読んで面白かった本「家畜人ヤプー」の話など、ブログも更新していきたいと思います。

 12月14日に一つ年をとったんですが、なんだかあまり変わっていないな~
 これからも生きることを目いっぱい楽しんで、いろんなことを考えて過ごしていきます。
 今後とも皆様、よろしく♪

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2010.12.20

給食費未納問題を考える

給食費の未納問題の解決のためにこども手当から天引きする、という案が出ているそうです。

お金に困ってて払えないから未納になっちゃってるわけではなく
「給食出してくれなんて頼んでないから払いたくない」
とかいう親が多いそうですが・・・^^;

なんか、この問題って聞くたびにヘンな気持になります。

ちょっと当たり前の原点からこの話を整理してみると・・・
何かのサービスを享受するためにはそれ相応の対価を払わなければならないのは、社会の基本。
逆に言うと払わなければそのサービスを提供しない、これが基本です。

ところが、「払わないからサービスを提供しない」わけにはいかないという場合があるとしたら・・・それはみんなで税金で負担しましょうということになりますわ。

たとえば警察や消防のお仕事をしている人の人件費や各施設の維持費用。これは税金で賄われています。普段、あまり直接お世話になることはないですけど、社会を維持するために、その人たちが重要な役割を担っていることは周知の事実。およそ公務員と言われる人々の人件費等はすべて、そこから賄われています。

教育もそういうことの一つで。
公立学校の人件費や各施設の維持費用は税金で賄われている。高校無償化なんていってますが、無償なわけはなく、税金で経費を負担しているに過ぎない。

つまり子供のいない人も、公立高校の授業費を負担することになったわけです。まあ、でも我々が選んでしまった政治家がそう決めたんだからしょうがない。もろもろなことを決めるのもけっこう面倒くさいことですんで、それも税金で雇っている政治家に人件費をみんなで負担して、
「面倒くさい決め事は全部あなた方が決めてよね。まかせるから」
ということにしているわけですな。

ちょっと話題がそれました。

え~と、だったら「給食」ってなに?
なぜ給食って「税金」じゃないのだろう?

いろいろ話を聞いていると小学校の子供には、学校にいる間に食事を出すことは必要なようです。
昔は、みんな貧しくて、家でごはんが食べられない子もいたから、給食でなんとか生き延びている子もいた。
給食が子供の命を救っていた。
実は最近は、今の子も同じようです。
「家でごはんが食べられない」
給食でしかものをまともに食べられない・・・まあ、どれだけ、そういう子がいるのか、実感としてはよくわかりませんが、育児放棄で死んだりする子供のニュースが連日報道されているのを見ると「そういう子もいるんだろうな」という感じはします。
ゴールデンウィークのように長期間、学校がない日が続くと、子供が死んでいないかどうか、先生が家庭訪問するそうですよ。(なんか極端な例のような気がするけどなぁ~ほんとかいな。)

それにね。食べることも教育の一環だそうです。

残さず食べること。バランスよく食べること。食べたもので自分の体がどう作られているのか知ること。
食べるものがどこから採れて、誰の努力で自分の口まで届けられているのか学ぶこと。そして、作ってくれる人に感謝をすること。

・・・うむ。素晴らしい。
かつては家庭で行われていたのかもしれませんが、家庭は、今、ほんと格差が広がって、そんな食育なんてかまっていられない家があるようですからねぇ。
だとしたら、たとえ家でどんなものを食べていようと「食べる」という人間の原点の行為がどんなに大事であって、人の命をつなぐために必要で、そのために私たちが何がしなければいけないのか、やっぱり全ての子供に学んでほしいよなぁ~~~

としたら、やっぱり給食費は税金かな。

ただ、自分が中学は給食がなかったらいうわけじゃないですが、小学生までにそんなことは勉強すればいいのだし、中学生には給食出す必要ないんじゃないかと強く思います。
(なんでも税金にしてたら、税金が上がる一方だし)

中学生になったら、親が仮に貧乏だったり、育児放棄を繰り返したりするろくでなしだったりしても、自分で自分の食事くらいなんとかするたくましさはありそう。いや、なきゃ困る。もうその年齢なら、親の影響でなすすべもなく飢えて死ぬ、なんてことはないと思うのですよね・・・

また、出される食事で足りない子もいると思うし。だったら、弁当もってくるか、学校の中か学校の前のコンビニで好きなものを調達してくればいい。希望を言うなら、大学や会社のように安くて温かいものをさっと出してくれる学食があれば理想です。そういうサービスを請け負う会社もたくさんあるよなぁ。もちろん学内でパンを売ってくれればそれでもいい。牛乳の自販機もおいてくれればいい。

対価を払って、サービスを享受する。
金がなくてお昼を食べられない子もいるかもしれませんが、そういう子は我慢してお昼は抜くのかもなぁ。社会にでれば、もっともっと厳しくて、毎日もやしで命をつないだりするんですから、昼抜きくらいは仕方ない。

いやもっと言えば、本当に「経済的な困窮」で食事ができない中学生がいるなら、お金を貸し出す制度だってあってもいいと思ったりします。または何かアルバイト的に働いてもらって、給料をあげたっていいわけで。袋貼りみたいのなら、中学生だってできるもん。
本当の本当に「公」で「食」の面倒をみなければならないのは小学生までなんじゃないかと。

実はこの問題を放映していたテレビでは、学校が親を教育すべき、先生がちゃんと親から集金すべき、なんて話になっていましたが、ちょっと私の実感からはそれってずれています。

学校に親を教育する役割なんて担えるわけないし、いい大人に教育なんて、甘ったれんじゃないって気がしますね。どこまで行政におんぶにだっこしてもらえば気が済むんだって思います。

給食を出し続けて、その費用を税金でなく親から徴収しなければならないなら、もっとビジネスライクに、業者に集金業務は委託すべき。引き落としで払わない親の給食費は、引き落としでちゃんと払う親のところよりも高くなるし、延滞したら延滞金もとることになるでしょう。当たり前じゃん、そんなの。

給食は教育かもしれません。
でもそれを税金で担うか、今のように個別に徴収するやり方をとるのかということになるとしたら、個別徴収なら、上のやり方でしょう。なんで先生が親を教育するなんていう話になるのか理解できん。

「税金」が赤字だって話はみんな知っています。
無料にしたって、結局は税金として負担しなければならないってだけの話で。究極は消費税ウン十%にしなければ足りなくなっちゃう。
なるべく税金を上げないで、必要なところに必要な措置をするために、もっと何のために何をしなければならないのか・・・私たちの選んだ政治家の人たちはちゃんと考えてくれてるのかなぁ~。不安だ・・・

給食を出さないとほんとに死ぬ子供が出るなら、給食費税負担はやむを得ないでしょう。
命にかかわる話だとしたら憲法が保障する「基本的人権」が保障されなくなっちゃうものな。
でもここはわざとショッキングに報道している可能性もあるので、ちゃんと実態を知っている人に判断してもらわないとなんとも言えません。
そこまでじゃないとすると、未納対策は現場の教師に負担を押し付けるんじゃなくて、もっと違う方法を考えないといけないと思います。

で、冒頭の「給食費払わない場合は、こども手当から天引き」って話ですが。
まあ、税負担だって話には変わりないので、それならそれでいいんじゃないの、という気もします。

反対する意見は「本来のこども手当の趣旨に反する」ということで、子供がもらうはずのお金を親の「未納」のツケを払いにまわすことはどうかって話ですが・・・
子供がもらうったって、こども手当はお年玉じゃないですから、子供は自分がいくらもらえるかなんて知ってるはずもないことで。親が生活費やその他もろもろに使ったって、それを止める権利は誰にもない。

それにしても・・・未納問題がここまで大きくなるとはね。
給食費くらい払えるならちゃんと払えばいいのに。

払えるのに払わない親と、本当に払えない親の議論がごっちゃになってるから、未納の額も大きくなるし、それに対する対策も何だか訳のわからないことになってる気がします。

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2010.12.12

宇宙人オチの映画~「ノウイング」感想~

「ノウイング」という映画をレンタルで見ました。

・・・え~? いいの? これって?(-_-;)

表題のとおり、宇宙人オチなんですが、宇宙人オチって「夢オチ」に近いですよねぇ。
これならなんでもありじゃないー!

以前「フォーガットン」っていう映画の宇宙人オチにびっくりしたんですが、「ノウイング」もまさにそれ。あんなにぶっとんだ宇宙人オチって「フォーガットン」くらいだと思ってたのに、なんでまたこんな・・・何度もこういうオチの映画を作れて、それが許されるアメリカって国がとても不思議に思えます。

もともと、SF好きなので、地球が滅亡する映画はこれでもかっていうほど見ているのですが・・・どんな災害があっても、最後には宇宙人が助けてくれるなんて物語を作っちゃう人は、筒井康隆の「霊長類 南へ」を読んで出直してほしいなぁ~~
人間っていう生命って、宇宙人が助けてくれるようなそんなたいそうな存在じゃない。
たいそうな存在だと信じたい気持ちは分るけど、それはたぶん自己中心的な驕りでしかないです。

たとえある日、突然に宇宙から何かが降ってきて人類があとかたもなく滅びるとしても。
結局、我々は、誕生したときから、特に意味はなく、偶然にここにあるだけのものですからねぇ。
滅びるときも大した理由はなく、たとえば人間が土地を開拓するために、何百年もそこにあった木を1日で切り倒してしまうのと同じように、特に思い入れも何もなく、なくなってしまってもおかしくない存在なのだと思います。

・・・って、ああ、そういば、この映画の冒頭に、主人公がそういうことを語るシーンがありました。
我々がここにあるのはなぜか? 「決定論」か「ランダム理論」かという話。

ん? ということは、元々作り始めは「ノウイング」ってそういう映画だったんじゃないのかしら?

たとえば、地球に生命が生まれたのは、太陽からの距離といい、いろいろな奇跡が積み重なった結果です。
でもそれは、生命を生むために、神様がうまく仕組んだということではなくて(決定論)、事実は「たまたま」その距離にそういう惑星ができ、その惑星の環境にぴったりあったもの・・・「生命」が湧いて出ただけなんじゃないかと思うのですよね(ランダム理論)。

昔、眉村卓のSFに「つくられた明日」という小説がありました。
ものすごくよく当たる占いの本があって、すべてはその占いのとおりに運んでいくのですが、主人公が自分をその占いで占ってみると、ある特定の日付からあとが、どうも・・・もしかして自分はその日に死ぬんじゃないか?
というお話です。
その話のテーマは「運命は最初から決まっているのか」それとも「自分で変えることができるのか」ということだったんですが・・・

「ノウイング」もまだそういう話だったら納得できたんだけど。
途中からアメリカ映画が大好きな親子の絆、的なテーマが出てきちゃって、さらには宇宙人が出てきて、「予言」ってのがつまりは宇宙人の耳打ちだったってことに・・・うわ~ん、がっかり。

この作品に関するいくつかの感想を読んでみると、キリスト教圏に住む人たちにとっては、やはり聖書の影響というのは根強くあって、最後の審判があってそこで選ばれる人、みたいな話というのは、ウケる要素だから入れておきたいんでしょうかねぇ。

うーん・・・
もし、この映画がもともとは「預言」と「決定論」を結び付けてその是非を問う話だったのなら、それってとても興味深いテーマなんだけどなぁ。

人間はここに偶然あるのだろうか?と。
私は偶然だと考えるリアリストなんですが、もし、神様が決めたシナリオがあるというのなら、それを信じさせるくらいの映画を見せてほしいです。

「ノウイング」は残念ながら、その大事な問題を「宇宙人」にすり替えてしまった。
もしかすると、そのテーマを問うのは、神様なんか全く信じていない、日本人にしかできないのかもな。

と、もうこの記事は、タイトルからして思いっきりネタバレしてるんですが、この映画、冒頭から中盤はとてもいいサスペンス&ミステリー映画に仕上がっています。
宇宙人が出てきて、もうテーマから何から、何がしたかった映画なのか分からなくなってしまうんですが、そういう映画だと分って見る分には、がっかり度も低いし、面白い。

興味がおありの方はレンタルなら一見の価値ありです。
それからもし他に「こんなすごい宇宙人オチの映画を私は知っている」という方はぜひコメントをお願いします(笑)

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