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February 2011

2011.02.25

図書館は悪なのだろうか?

図書館貸し出し猶予を…小説家が巻末にお願い

http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20110225-OYT1T00650.htm

本日の読売新聞のこの記事。図書館を愛する私にとっては、ものすごくショックな記事でした。

みなさんはどう思われるでしょうか?

いえ、見出しはまだ穏やかな表現なんですけど、記事中に書かれた作者の言葉はかなりきついものです。
引用しますね。

「このままでは、皆が卵(本)をただでもらううち、鶏(著者)はやせ細り、死んでしまう」

さしずめ、本は自分では買わない、いつも図書館で借りる私は、卵泥棒といったところでしょう。

私は子供のころから本が大好きで、近所の図書館には通い詰めていました。今まで図書館で借りてたくさんの本を読みました。
図書館に育てられた・・・図書館は私の親、いっても過言ではありますまい。

大人になってからも一人暮らしの狭い部屋、読みたい本を買っていたらあっという間に部屋は本でいっぱいになってしまう。なので、できるだけ本は図書館で借りるようにしています。

最近、さいたま市の図書館はインターネットで本を予約できるようになりましたし、さいたま市中の図書館の本が利用できるようになったこともあり、面白そうな本をネットで探しては、それを予約したりしています。

天童荒太の「悼む人」など、予約したときは1000人待ちくらいでしたが、1年以上も待ってやっと読めたときはうれしかったなぁ。

で。私はそういう自分の行為を恥じたことはありません。
待つことはやぶさかではない。
早く読みたければ本屋で買えばいいけど、「待つ」という負担を負って、1年先に読むのだから、ただのりとはわけが違うと思っていました。

でも作者の人は、こういう読者を「泥棒」だと思っているの?

・・・ちょっと違う話ですが、以前に「黒執事」というコミックの作者が、ネット上で違法に動画配信される自分のコミックを原作としたアニメについて、そういう動画を喜んでみる視聴者は泥棒であり犯罪者だ、というような批判をしたことがありました。

違法な動画配信は当然、許されないし、それを見る行為を堂々と喧伝してまわる輩は馬鹿者です。
しかし、一方で一部では、友人から録画したものを借りてみる行為なども批判されていて、私はそのあたりは微妙だなぁと思いました。

黒執事は深夜のアニメだったので、おそらく見たくてもみられない人も多く。
私は録画して見ていましたし、その録画を何度も自分で再生しました。。
おそらくアニメの制作者は本当はその作品が大好きならばDVDを買ってほしいのだと思います。
でも私はDVDはまったく買う気はありませんでした。

それもただのり?

もう一つ。
私は中島みゆきさんの音楽のファンでしてここ最近のアルバムは自分で購入しています。
しかし、古い時代のCDはもっていません。ほとんどレンタルで借りて聞きました。
夜会のDVDは一本だけ持っていますが、全巻そろえるほどお金も場所もないので、レンタルで借りたり、友人に借りたりしています。

でも・・・CDをレンタルしたり、DVDを借りて見たりすることは作者への冒涜なの?

ここに挙げた3つの例はそれぞれたぶん違う論点をもつものだと思うので、いったん図書館に戻りましょう。

「図書館が本を無料で貸し出す行為が作者の利益を阻害している。」

これをどう思いますか? 皆様。

私は「悼む人」を図書館で借りて読みました。感動しました。でもたぶん、自分で買うのなら・・・・買わなかったし、読まなかっただろうと思います。

私はずっと図書館の本というのは、本屋に並ぶだけでは、手にとることもない人たちに名作を手にとらせる機会を与える存在だと思ってきました。

私が作者だったら、無料でも自分の本がたくさんの人たちに読んでもらえることがうれしいとも思います。

でも、作者はプロなのだから。自分の作品を提供するにあたっては正当な対価を要求する。

これも言われてみれば実はもっともな話。

記事によると作者は自分の本に44人もの予約が入っていることを見て、貸し出し猶予を訴えることにしたのだとか。
44人ねぇ。その人たちがそしたら自分の本を買ってくれると思っているのかしら?

端的に言えば、私は貸し出し猶予はしてもかまわないかと思います。しかし、それが作者の利益につながるとはあまり思えない。逆にいえば図書館の行為が作者の利益を阻害しているとも思えない。

図書館に新作やベストセラーが並ばなくなれば、私はそういうものは読まないだけです。仕方ないです。ないんだもの。だからって、本屋で買おうとは思わない。

図書館にあれば読みたいと思う。それが泥棒なの?

私はもちろん優れた作品を生み出す作者を尊敬しています。
でも、俺が作った作品で楽しむなら対価を払え、と言われると・・・いやもちろんみゆきさんのCDは買いますよ。
本当に欲しければ買いますが。

まあ、図書館は、確かに少し自重すべきかもしれませんね。
新しい本をじゃんじゃん購入して、予算を使い、利用者を増やすことだけが善っていう考え方そのものが、いかにもお役人的という感じがします。
何のための図書館なのか、もう一度、しっかり、考えるべきなのかもしれません。

子供がどっさり絵本を借りていくならまだしも・・・ああ、でも年金暮らしのおじいちゃんに流行のベストセラーを読ませてあげたい気もするし・・・微妙ーーーーーー!!!

こういう話はいろんな論点があってしかるべきだと思います。
作者が一石を投じた行為が、いろいろな議論の始まりになればいいのかもしれませんね。

でも私はこの作者、あまり知らないし、たぶん買って読まないだろうと思います。図書館にあれば・・・読んじゃうかもなぁ(こらこら)。

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2011.02.21

poem(94)

「カラゲンキ」

だってさ
落ち込んでいたって状況は変わらないし
物事なんて見ようによってどうにだってなるんだから
いいも悪いも一つのことの裏表
いい方だけ見ていればいいじゃないの

自分より恵まれた人をうらやんでも仕方ないし
自分より恵まれてない人を蔑むのはもっと最悪だし
自分は自分 人は人
好きなように生きていて
それに文句を言われることもないんだしね

毎日健康で
毎日元気で
毎日仕事があって
たまには友達とあっておしゃべり
それでなんの不足があるっていうの
(きみも元気でやっているんだし)

なのに世界中で自分が一番不幸だなんて
思っちゃうわけは分かってる
がんばってる私を
きみに見てもらえない、から

世界中で一番
ぜいたくな悩みだ

だけど
それが足りないだけで
毎日息が止まりそうで

何もかもが空っぽ
だからカラゲンキ


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2011.02.15

また風邪ひいた(>_<)

今年は、正月の休み明けから風邪をひき、1月はボロボロだったのですが、やっと治ってきてほっとしていたのも束の間・・・昨日また、のど痛い、鼻がつまる、体の節々が変だよ~という風邪の諸症状。

今朝、熱を測ったら、微熱の範囲ですが熱もありました。

先月もらった風邪薬がまだ残っていたので、それを飲んで、今日は仕事を休み、ひたすら寝ていました。

ひと冬に二度も風邪ひくなんて~!! 体調管理なってないなぁ。

月曜日はいつも職場がめちゃ寒いんですよ。分かっていたから昨日は厚着をしていったのにな。
1月のときも治りかけては月曜日にぶり返すの繰り返し。

今週末は久々の中島みゆきさんの曲を演奏するバンドで「命の別名」と「時代」を演奏します。それまでにはなんとか治したいな。そのために今日は休みました。

明日からもしっかりマスクして出勤します。いや~まいった、まいった。

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2011.02.09

貴志祐介「新世界より」

貴志祐介さんと言えば、最近ですと、「悪の教典」という作品が「このミステリーがすごい!」で1位になったので話題になりました。

以前だと映画化された「青の炎」(私はこれが一番好きだなぁ)とか保険金殺人の「黒い家」など、話題の作品を多く世に送り出している作家さんであります。

「悪の教典」も読んでみたいのですが、すみません、もう我が家には本を置くスペースがないので、本はすべて図書館で借りることにしています。悪の教典が読めるのはいつのことやら。

読みたい本は図書館で予約するんですが、囲碁関連の小説で本屋大賞をとった「天地明察」という本なんて1000人以上の待ち状態です。ひぇぇ。

「新世界より」も、最近文庫が出たばかりなんですけど、ハードカバーは待ちがなくすぐ借りることができました。

・・・お気づきでしょうか。
「新世界より」というこのタイトルですが、これはドヴォルザーク作曲の交響曲のことでして、このブログのタイトルにもなっている「遠き山に日は落ちて」のことであります。
小説の中で、主人公たちが住む町の夕暮れにいつもこの曲が流れるそうですよ。

ハードカバーは上下巻なんですが、私は種明かし前の上巻がよかったなぁ。
小さな町の数々の謎を推理しながら読み進めるのが楽しかった。

学校・・・伝説・・・いなくなったクラスメイト・・・謎の中庭・・・
なんで学校ってそういうミステリーに満ち溢れているんでしょうねぇ。

小説は、そういう小さな町のとある学校の仲良しグループの冒険譚から、下巻では一転して血なまぐさい戦と殺戮の話になっていくのですけど・・・

読み終わって私が思うのは。

人間って、何も呪力なんかなくても、車の一台もあれば秋葉原の交差点につっこんで多くの人間を殺傷したりできてしまいます。やろうと思えば本当になんでも。

でも、一部の例外を除いて多くの人々は、殺しあったりはしないですよね。

甘いのかもしれませんが、私はそういう人間を信じていたい。

動物が本能的に持っている「攻撃性」を、抑制すること・・・それもまた我々の本能であると信じていたいのです。

もし、将来・・・いやもしかしたら今も現実に「業魔」や「悪鬼」に相当する存在というのは誕生しているのかもしれない。
てか、私が知らないだけで、実は「呪力」のような力を持つ人たちというのは世の中に実在するんじゃないかと、昔からSF好きな私などは思ってしまいます。

でもちゃんとこの世界がまだここにあって、継続しているのは、どこかにそれを制する人や仕組みもまた存在しているからなのだろうと。ますますSFですかね。

日本では、たとえば大手ドラックストアなどで、店員から見えない店の外にトイレットペーパーが並べてあっても、いつの間にか持っていかれちゃったりしないじゃないですか。

平和ボケと言われようとも、そういう信頼で成り立つ世界を維持していきたい。
逆にそういう信頼で成り立つ世界を維持できるような、貧富の差のない、みんなが中流でいられる世界をなんとかしてこの先も守っていかなきゃ。

そうでなくなったら、やっぱり殺し合いは始まる。日本人なんてもともと神様さえ信じてないのだから、何でもアリになっちゃったらどこまで落ちるか想像もつきませんもの。

ちょっと感想から話がずれました。
貴志さんはちょっと「新世界より」に話を詰め込みすぎた感があります。
いっぱい書きたくてしょうがなくなっちゃったんだろうな。

もう少し・・・私としてはそういう人間のあり方、みたいなところに突っ込んでほしかったんですが、その先は読んだ私たちが考えろってことなのかもしれません。

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2011.02.07

poem(93)

「カメ」

子供の頃から健康だけが取り柄
女性らしいおしゃれや華やかさとは無縁で
その代わりといってはなんだけど
真面目で堅物なことには自信あり

翼はあっても飛ぶことはせずに
地面を地味にとぼとぼ歩く
だからいつも空を飛べる人に憧れた

飛ぶ勇気を持たない自分を
危険ばかりを並べたて
言い訳という理屈で守ってばかり
だから何も起こらない人生
これでいいのかな?

…でもね
飛ぶ前に風向きを読んだり
高さがどれくらいあるのかを考えたり
着地点を想像したりすること

それが足かせにもなるのだけど
「想像力」が私の翼
だからこそここまで歩いてこれたんだ

昔からのたとえをするならば
私はやっぱりウサギじゃなくてカメ

カメも歩き続けてやっと山の中腹
そりゃ空から見るよりは見劣りするんだろうけど
けっこうここからの景色もきれいだよ

いつか山のてっぺんに着いたら
そこでまたきみと会おう

空から見た景色がどんなに素敵か聞かせてよ
きみが力尽きて羽を休めるまでには
あの頂きでちゃんと待っているから


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2011.02.04

poem(92)

「愛してよかった」

昔 私が恋をしたことがなかった頃
一番大事なのは自分だった

自分を守ること
自分が楽をすること
自分がいじめられないこと
自分が辛い目に遭わないこと
それが一番大事

人から理不尽な攻撃を受けたり
できもしないことをやらなければならない羽目になったり
失敗してバツの悪い思いをしたり
期待どおりに物事が運ばなくてがっかりしたり
あらゆることを避けるために
必死で考えた

だって誰も私を守ってくれないものね
だったら私が私を守る
そう思ってずっと生きてきた

でも今は違う
誰かを愛したら
一番大事なものが入れ替わる

今までしがみついていた「自分」が
子供の頃集めていたおもちゃのコインのように
価値のないものに変わる

どんな愚かさも
どんな不合理も
たとえそのために傷ついても
「好き」という気持ちは揺るがない
そのことに何度自分で驚いただろう

愛してよかった

この世界で
この先どんなに辛いことがあったって
私はきみを思うことで生きていける
きみを思うことで何もかもを許せる

そうして明日も生きていくんだ
きみへの思いを空へ歌いながら


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2011.02.01

poem(91)

「きみの日記とバレンタイン」

私がそばにいなくたって
きみが元気で
生き生きと人生を歩んでいればそれでいいと
別にうそじゃなくて本当にそう思うし
私もきみがそばにいなくても
元気でなんとかやっている

なのにネットできみの日記を読むと
(なぜ私はそのとききみのそばにいられないのだろう)と
そばで一緒に喜んだり悲しんだりしたいのに
できないのがどうしようもなく悲しくなるんだ

会いたいなぁ
いい話でも悪い話でも
私には関係なくても
何でもいいからきみの話を聞きたい

とっておきの紅茶を淹れて
おいしいスイーツも用意して
きみのそばできみを見つめながら
きみのおしゃべりにずっと耳を傾けて過ごしたい

2月の静かな日だまりの中
今年もやっぱり思うのはきみのこと

(この席はいつも空けておくから
 都合がついたらおいで)

きみがここにいなくても
お気に入りの紅茶を淹れて
バレンタインのチョコを開けて
一緒にかの人のバースディを祝おう
この先もずっと
出会ってからこれまで
そうだったように

『大好きだよ』

告白せずにはいられないのは2月のせいだ
大目に見てくれるよね


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