平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震
この前の記事が「未来予測」というpoemでしたが、予測しえない大災害が3月11日(金)に起こりました。
「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」という地震です。地震そのものもマグニチュード9.0、最大震度7というすごい地震で、私は東京・千代田区のオフィスにいましたが、やはり初めて経験するような大きな揺れでした。でもオフィスでは何かが倒れたり、窓が割れたりすることはなく、ちょうど窓ガラス清掃の業者が窓の外のゴンドラにいたんですけど無事。よかった~。
一番大きなこの最初の地震の後にも大きい余震が何度も来て、さらに大津波の情報が次々と入ってきます。
都内の電車はこの地震で全てストップ。都内にいた人は自宅に帰れない人が続出。帰宅困難者として公共施設に身を寄せて一晩過ごした人もいました。
私は、自宅まで20キロ以上の人は徒歩で帰宅が困難ということで職場待機になったため、職場で夜明かししました。念のため調べてみたら、私の場合だと21キロ。JRは終日運転見合わせでしたが、私鉄は夜中に動いたところもあり、それで夜中に帰った人もいましたっけ。
12日朝、職場を出て電車でいけるところまでいきましたが、その先は電車が動いてなくて、そこから8キロほど徒歩。12日はいい天気だったしウォーキングには慣れているからいい経験にはなりましたけど、正直、思ったより遠かったな・・・。
11日から12日までテレビはCMをとばしてずっと大災害を伝え続けていました。
地震と津波に続いて福島の原子力発電所が水素爆発や放射能もれ! 大災害が次々と起こります。
津波の被害は甚大で、宮城や岩手で海岸沿いの町や村がまるまる津波に飲み込まれ、人も家屋も流されて壊滅状態になりました。
電話も不通だし、役場も流されて・・・壊滅っていうのは「壊滅した」と伝える人さえいなくなる状態なんだと恐ろしくなります。
「南三陸町1万人行方不明」の知らせにぞっとしたのを覚えています。仙台の荒浜というところでは200人から300人もの遺体が見つかったとか。
10日以上たった今日時点では、死者として確定した人も9000人を越え、行方不明者は未だ1万2千名を越えています。連絡が取れないだけで無事だと信じたい・・・
未曾有の大災害、まだまだこれからも予断を許さない状況です。
余震はまだまだ毎日、起こるし、停止した原子力発電所の燃料棒はまだ冷え切っていないため、必死に水を入れて冷却しているような状態。昨日あたりからやっと電源が復活したから、事態収拾に向けてなんとかなるのだろうか・・・。被爆も顧みず、原子力発電所で作業された東電作業員、自衛隊、消防庁の方々には敬意を表します。
そして原発の停止による電力の供給力不足のための計画停電と、首都圏等での買い占めによる物資不足。株は下がるけど円高にはなって経済も大混乱。
千葉県の浦安では土地の液状化によるライフラインの切断もあるし、都内でも九段会館の天井の崩落で死者が出ているし、東北以外の区域でも報道し切れないほどの被害が出ています。
私の周りでは、朝の電車のダイヤも通勤ラッシュも今朝からすっかり普段どおり。
でも、職場では廊下が真っ暗だし、地下鉄でもあちこちのエスカレーターは止まったまま。
スーパーの棚はガラガラです。
起こらなかったことにはできない。前には戻れない。
困難でも前に進むしかない。
2011年3月11日に何があったのか、私たちはこの先ずっと、これを語り継いでいく使命を負っているのではないでしょうか・・・
最後に、被災者の皆様に心よりのお見舞いを申し上げます。
(追記)
災害の間でもツイッターはつながっていて、世界中の多くの人が日本を応援してくれていることが分かりました。多くの人が自分ができる支援をしようとしてくれている。人間もまだまだ捨てたもんじゃありません。
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