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April 2011

2011.04.30

2011GW1日目&2日目

日記にするなら写真とってくればよかったな・・・

2011GW1日目は、囲碁庵という囲碁サイトで初めて囲碁を打ちました。
いろいろ新機能があって面白い囲碁サイトでありました。
まだまだ会員が少なくて、ほとんど貸切なのも楽しい(笑)

囲碁庵
http://igoan.rikinet.jp/

無料で月3回までお試しできますので、興味があったらぜひのぞいてみてください。

2011GW2日目は、大宮に友達とでかけて、こちらのお店でラーメンを食べてきました。

蒙古タンメン中本
http://www.moukotanmen-nakamoto.com/

大宮店は4月23日にオープンしたばかりで、お店に入るまでにちょっと並びました。
基本的に辛いラーメンなんですが、辛さ控え目も選べます。

私は初だったので、一番基本の味噌タンメンにしてみました。メンが太目でもちもちしてて、野菜がとろとろで、おいしかったんですけど、いっしょに行った友人が蒙古タンメンを食べていて、それを味見させてもらったら・・・うわ♪

蒙古タンメンというのには、基本の味噌タンメンに激辛マーボドーフがトッピングされています。そのマーボドーフが、辛いんだけど、超うまーい。

これは、せっかくここにいくなら、このマーボを食べないのはもったいない。

170円で、好きなラーメンをマーボドーフとライス付の定食にできるのですが、今度はそれを食べてみたいと思いました。ライスとマーボドーフだけ、という注文はできませんが、レディースセットというので、味噌タンメンを半分と定食、というセットにできる。

・・・いかん、通いたくなってきた~

先日、以前にアメトークでやっていた「天下一品」のラーメンを初めて食べてみました。わざわざ六本木で。

天下一品
http://www.tenkaippin.co.jp/

でも、今日、大宮に行ったら、なんだ、天下一品も大宮にできたのね。天下一品のこってりラーメンもくせになるおいしさ。ここもまた行きたい♪

辛いラーメンの後は甘いものが食べたくなって、今、サーティワンのアイスクリームが30%オフなので、行ってきました。サーティワンなんて何年ぶりだろう・・・若い女の子でここも行列でしたよ。
ポッピングシャワーというアイスクリームが流行だと友人からレクチャをうけまして、食べてみました。うむ。うまい。

大宮ってなんでもあるのね。ないのは「つばめグリル」と「スープストックトーキョー」くらい?(もしあったら教えてください)
スイーツパラダイスもあるし、オムレツのラケルもあるし、健康的な自然食レストランもある。

先月の地震で、お店は停電でやってないわ、水も食べ物もスーパーから消滅するわの日々が、ウソのような豊かさで・・・なんだか・・・いいんだろうか?と思っちゃうわ。

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2011.04.29

囲碁のイメージ

ツイッターで以下のような、つぶやきを目にしました。

「囲碁のイメージってやっぱり「棋道」的なものなのかなあ。私は銃弾戦とは言わないまでもボクシングみたいなイメージ。純粋に読み勝ったほうの勝ち。でも強い人に限って「自分を表現する手段」とか言うんだよね。不思議。」

ふむ。

私にとって囲碁ってどんなイメージなのかなぁと考えてみました。

私は「ヒカルの碁」をテレビで見て、それで囲碁を始めたんですけど、そのせいかな・・・
「ヒカルの碁」の中で「神の一手」というフレーズがあります。
私の囲碁のイメージはまさにそれ。


えーと、みなさんは「ラプラスの悪魔」って知っていますか。

検索するとウィキペディアに難しい解説が載っていますが、簡単に書くと・・・

科学の世界で、未来はすべて決定しているのか、それとも不確定なのか、という論争があったことがあり、実は今でもそれは答えの出ない課題であったりします。

未来が決定しているっていうとなんか変な感じがしますが、たとえば、ボールをある力で投げるとそのボールがどのように飛ぶかは、物理の法則を知っていればほぼ確実に、予測することができます。

自然の世界はおおむねその法則に則って成り立っている。太陽があってその周りを惑星が周っていますが、一つ目がここ、二つ目がここ、三つ目がここだとすると・・・・と計算していって、じゃあ8番目の惑星はこのへんにあるんじゃないかと、調べたから海王星が見つかったんですって。

そんなふうに・・・ある時点で、全ての条件を把握していれば、その先がどうなるかは自ずと決まってくる。
未来は全て決まっている、ということです。

もちろん我々はボール一つにしたって、投げる人の腕力とかそのときの風向きとか知らないから、そのボールがどこまで飛ぶのか分らないんですけど、そういうことを全て知っている「神様」のような存在がいるとすれば、ボールの行く末は決まっている。

そういう考えを決定論と呼び、そういう神様のような存在が「ラプラスの悪魔」と呼ばれています。

私は、囲碁は決定論だと思っています。

1手目がそこであれば、2手目はここ。全てを知っている神様ならば、終局まですべて一本道なのではないかと。神の一手は決まっている。

だけど、私たち人間は、神様ではないので、ああでもない、こうでもないと盤面の上で四苦八苦します。

「ここはこう打つべきなんじゃないか、相手がこうしたらこうして・・・えーと」
みたいな。

決定論の中で、何が最善かを必死で考える。答えは必ずあって、その答えにたどり着こうと一生懸命に勉強する。それが・・・楽しい。

私は元々文系で、算数や数学はめちゃ苦手なのですが、算数や数学が好きな人は、算数や数学には答えがあるから好きといいますね。

囲碁を打つ人って理数系の人がけっこう多いのですが、面白さは同じところにあるのかもしれません。
私も、ちょっとその気持ち、分かる気がするな。

もちろん、同じ囲碁を打つ人でも、人によって囲碁への面白さって違うこともあります。強さによっても違うようですし。

私には囲碁は決定論のように見えますが、冒頭のつぶやきのように、強い人たちにはもしかすると決定論じゃないのかもしれません。
無限の可能性があり、神であっても答えがない世界だと、思ってる人もいるかな・・・・

私には、囲碁にはやっぱり神の一手があるように思えます。私たちはそれを打とうと囲碁をがんばっている。

数学者にとってすっきりと解のある問題と答えは美しいと感じられるように、そういう意味で、神様の法則に基づいた一局は美しく・・・私のようなへぼはめったにそんなに美しくは打てないのですけど、でもそれに少しでも近づくような、最善の一手を目標にしています。

この盤面でどこが最善か。答えは必ずあって、それに近づけば近づくほど美しい。

私の囲碁のイメージはそんな感じです。

まあ「美」とか「こうあるべき」とか言ってるから、がむしゃらに何でもやってくる人が相手だところっと負けてしまうわけで、それが弱点でもあるのですが、ちゃんといろんな変化を読み切れるようになって、美しい対局を目指していきたいと思います。

GWもきっと碁漬けですわ。

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2011.04.21

囲碁を打つ幸せ

久々にこのブログで囲碁のことを書きます。

前回の記事はこちら。

「そうまるで人生と同じ」

囲碁との付き合いは昨年が一つの転機でありました。

それまでずっと、なかなか強くなれないことを「恥」だと思い、だから自分をふがいない、情けない、と思っていたし、だから負ける度にひどく落ち込んでいました。囲碁そのものは好きというよりも、つらく感じることの方が多くて。囲碁を通して自分がまだ成長できる実感を得られることが嬉しくて碁を続けてきたので、成長できなくなったら囲碁を続ける意味がないと、思っていました。

でも昨年、その考えは変わりました。

どうやら私は囲碁が好きらしい。
もう続けても意味がないからやめようとしたのに、2ヶ月も経たない内に復帰してしまうくらいに。

それが分かったのが約1年前のことです。

goxiというSNSを通じていろんな仲間と出会い、囲碁を打ってきてまた1年分、囲碁歴を積み上げました。
実力は1年前とほとんど変わっていません。

でも、逆に言えば実力は落ちてはいないということ。できないことは相変わらずできないし、分からないことは相変わらず分からないけれど、何が分かっていないのかは段々見えてきたような気がします。そういう発見が楽しいし、対局も楽しい。どんな人と対局しても今の自分の実力でぶつかればいいんです。

前は自分の実力が強いのか弱いのかよく分からなくてそれでグラグラしていました。BUBIさんは強いとほめてくれる人はいるけれど、結果に結びつかなきゃ強いわけないと思っていましたし、実際負けることの方が多いので、自分で自分がよく分らなかった。

が、今はもう自分の実力は大体分かっています。

基準が甘い囲碁教室レベルでは1級。
それよりも厳しい碁会所レベルでは4級。
レーティングのあるネット碁だと4級は厳しそうですが、もし今から新たに始めるとして「何級からスタートしますか?」と聞かれたらとりあえず6級くらいから、みたいな感じかな。
(いろんなネット碁会所がありますから、最低ランクで登録しても全く勝てないこともありそうですけど、それはレーティングの方がおかしいということで。もう8年もやってればそのくらいのことは言えます。)

それ以上でもそれ以下でもない自分の実力で相手と掛け値無しに対局すればいい。この安定感は1年ごとにどんどん上達してた頃には分からなかった感覚です。

強い人と当たれば負けるし、弱い人と当たれば勝てる。この当たり前のことさえ自分のレベルが分からなかった昔はなんだか納得いかなかったもんなぁ。

この調子で碁を続けていって、いつか「初段」で打てる日がきますように。それがたとえ10年後でも叶えば、もう何も言うことはありません。

囲碁と出会えてよかった。
「囲碁を打つ幸せ」をかみしめる、今日この頃です。


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2011.04.19

「女性の体は7年ごとに変化する」

最近、CMで、表題のようなフレーズを聞くことがあります。ちなみに男性は8年ごとだそうで。

ネットで調べてみると、女性の体に7年ごとに節目が来るというのはそれなりに根拠もあるようです・・・
(興味のある方は検索してみてくださいね)

実は数日前から、体のとある場所のひどい腫れと痛みに苦しめられておりまして。
初めてではありません、3年前に同じ症状を経験しております。
こういうときにブログって便利なのよね。

3年前の記事はこちら。
「普通に歩ける幸せ」

今回も、これから先のために、ちゃんとブログに書いておくことにしました。
いやぁ、今回も、ひどかったですよ~(;;)

前にいった病院に昨日、行ってきたのですが、前回もそうでしたけど、すぐには治らないんですよね、これ。飲み薬と塗り薬をもらってきて服用するわけですが、すぐに回復するわけではなく、昨日が痛みのピークでした。とにかく歩くたびに痛みが走り、座っていてもズキズキします。病院に行くのも、ヒーヒー言いながら、そろそろと歩いていきました。

昨夜、腫れていたところが破れたらしくそこから流血しまして、それで膿みが出たようでだんだんと楽にはなりつつあります。ふ~

ちょうど今年は、私、7年目の周期にあたります。

ずっとブログをご覧いただいている皆様は何歳だか言わずともお分かりだと思いますから、あえて書きませんが、もしかして今年、急にガクッとくるのかなぁ。

思い起こせば3年前の2008年は、体の不調が立て続けにあった厄年でありました。2009年と2010年はおおむねつつがなく過ごせた気がしますが、今年、2011年は年明けから風邪が長引き、そして、今回の3年振りの腫れと痛み・・・なんかやな予感。

おかしいなぁ、今年はいい年のはずなんだけどな。
やはり7年ごとの女性の体の節目のせいでありましょうか。

「こういうときにブログって便利なのよね」と書きましたが、この先は、自分のブログが、こういう風邪や病気の記録ばかりになってしまうのかとちょっと心配になってきました。確かにそれはそれで役に立つし、もしかするとそれで検索してきてくれる人もいるかもしれませんが・・・

もっと景気のいい、楽しい話題がしたい!
今年の桜の話、おいしいものの話、面白かった映画やテレビの話、などネタはあるので、もうちょっと元気になったら、書きたいなぁ~~

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2011.04.11

2011年4月10日のモノローグ

今年の4月10日は亡き母の十三回忌でありました。
法要の方は、内々でながら3日にもう済ませましたので、昨日は普通に桜を見たり、囲碁を打ったりして過ごしたんですけど・・・今朝方、夢に母が登場しました。

とても懐かしい夢。でも全然ほのぼのじゃないんですよ。

母と久しぶりに夢の中でケンカしてました(苦笑)。だってね、母は私の大事にしているものを勝手に壊したり捨てたりしちゃうんだもん~。存命の頃もそういうことがよくありました。そのたびにバトル。私は大事にしてるものをめちゃくちゃにされてすごく悲しい思いをしたものです。

目が覚めて、いろんなことを考えました。

このブログでは前に書いたことあるのですが、生前の母は長年、「そううつ」を患っていました。十三回忌のときの父の話によれば、そうなったきっかけは育児ノイローゼだったとか。まあ、それ以外に、結婚して新居を構えた地が知り合いが一人もいない場所でなじめなかった、とかいろいろ理由はあったと思いますが、父も、まだ幼かった私も、当然、母のそういう状態に無策でありました。
当時は「うつ」ってあまり理解してくれる人少なかったしな・・・

でも、育児ノイローゼだったなんて、初めて聞いた。まあ当の本人である私にそれをわざわざ告げる人もいないですわね、普通。

そうして、私自身、大人になってから、つらつらと子供時代を振り返るに、ずいぶん一般的な子供とは違う育てられ方をしてきたことに気付きました。振り回されっぱなしでしたよ~。母の「気分」にね。

それでも多くの子供と同じように、母が大好きだった私。
思うに、子供というのはいくつになっても親の支配からなかなか逃れられないものです。

今でも母に見てもらいたくて、ほめてほしくていい子をしている自分がいるように思います。
今でも何かのたびに母にダメだしをされているように感じることがあるし。
「人に頼れない」性格も。自分なんか何やったってだめだと思う劣等感も。そのせいなんだよなぁ。

でも、昨晩はふと、考えました。

母にもきっと夢があったでしょう。
私にどんなふうに育ってほしいとか、父とどんな家庭を作りたかったとか。
母の夢はかなったんだろうか。そしてその夢を分かち合えた人はいたんだろうか。
病のせいでかなえられなかったたくさんの夢。うつで苦しんでいたときの母の気持ちは想像すると胸が痛みます。

私は、ずっとそばで見ていて、そんな母をずっと幸せにしたかった。

今、私の大好きな人を幸せにしたいと強く願うのと同じように。


・・・そうして、きっとこういうのって私だけではなく。
生きる喜びや悲しみって、おそらくどんな人も、親からそれを学ぶんでしょうね。

そう考えるとね。私が母から受け継いだものは「支配」ではなく、そういうふうにこの世界の誰もが親から子へ受け継いでいく「思い」そのものだったんじゃないかって。

私も、この思いを誰かに受け継いで、この世界を生きていこう。
亡き母のために。
自分自身のために。

そして・・・愛する人のために。

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2011.04.04

日本人のアイデンティティ???

石原都知事がこんなことを言っていたらしいです。

「日本人のアイデンティティーは我欲になっちゃった。アメリカのアイデンティティーは自由。フランスは自由と博愛と平等だ。日本はそんなもんない。我欲だよ。物欲、金銭欲」

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110314/lcl11031421380004-n1.htm

えーと、フランス人の知り合いがいるわけではないのでフランスのことは分かりませんが、フランスのアイデンティティが「自由・博愛・平等」なら日本のアイデンティティは「善良・平等・平和」なんじゃないだろうかと思います。
きれい事過ぎますかね。いや、あくまでもフランスがソレなら、ですよ。

「我欲」なんてはっきり言って、人類・・・いえ生きとし生けるもののアイデンティティです。
みな生き残るために必死で生存競争をしているでしょう?
人間だけが他の生き物とちょっと違う。我欲だけではないからこそ人であるわけで。

今回の震災にあたっては、多くの人々が被災地を助けたいと願い、実際にそのために動いている人もたくさんいて。
災害時においても、日本人が公共のルールを守り、町で略奪が起こったりしないことを、海外の人々は評価していました。
買い占めなんてかわいいものですよ。ちゃんとみんなお金払ってモノを買っているのだし。「無」計画停電に文句言いつつも結局はみんながんばって節電に協力してるし。

このタイミングで日本人のアイデンティティが「我欲」だ、なんていう石原さんは何かよっぽど嫌なことでもあったのだろうかと思ってしまいます。それか石原さんの身の周りにそんな人しかいないか。

もともとあの人はタカ派なので「平和」が嫌いなのかな。
平和ボケだったり、草食系だったりする日本人が気に入らないのかも。
だとしたら「我欲」の強い人間の方がずっと石原さんに近い。
我欲が強い人間ほど上昇志向があるから、石原さんはそういう人の方が好きなんじゃないかしら。

なんだ・・・だとしたらやっぱり石原さんの周りにいる人がそうだってだけの話じゃないですか。
勝手に日本人のアイデンティティにしないで欲しい。
いや百歩譲ってただのタレントや作家なら自分の好きなことを言ってもいい。
でも仮にも都知事、日本人を代表する立場の人間がそんなこと言うなよ~。
恥ずかしいったらありゃしない。

日本人って基本的にとても善良だと思います。
もちろん善良でいられるのは、戦争がない平和な社会と、どこかの国のような階級社会でないせい。
日本にも昨今、貧富の差はあるんですが、それでもほんと「どこかの国」と比べたら!!

私が見るに、ある意味、危ないくらいに平等で、群れから外れた人間をつまはじきにするのが日本。
昔よりいろんな縛りは無くなってきつつありますが、それでも「自分がどうしたいということより隣の誰かを気にしてしまう「村」的な性格はあまり変わっていません。
我欲よりも何よりも目だたないこと、みんなと同じであることが優先なんですよ、この国は。
だから、今回の地震のように困った人がいればみんなで助けるし。

人のいい人ばかりがそろってるから「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」などが横行する。
人になんて思われようと気にしない人が突出したりします。

自分で何も決断できなくて隣の様子をうかがう人が多いから、強いリーダーシップを持つ人を熱望するし、一人そういう人がいるとついて行っちゃいますが、誰かがその人を批判しだすといっしょに批判し出す。

よい面も悪い面もありますが・・・このどこが「我欲」なんだかね。
石原さんなんてそういうのを私よりもよっぽどいろんな経験をして見てきてるはずなのに。

言うまでもなく石原さんは突出した人間の一人です。
・・・もしかすると、本心ではそう思ってないのに、わざと変なこと言って、おとなしい日本人を怒らせようとしてるんじゃないかって気もしてきた。何が狙いなのだろうな。

都知事に当選したくないのかも。または言いたい放題言ってそれでも選ばれたら好きなようにやらせてもらうって開き直っちゃってるとか。

私が都民だったら・・・ちょっと怖くてこの人にはもう投票できない。
都民の皆様はどういう選択をされるでしょうか。

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