囲碁のイメージ
ツイッターで以下のような、つぶやきを目にしました。
「囲碁のイメージってやっぱり「棋道」的なものなのかなあ。私は銃弾戦とは言わないまでもボクシングみたいなイメージ。純粋に読み勝ったほうの勝ち。でも強い人に限って「自分を表現する手段」とか言うんだよね。不思議。」
ふむ。
私にとって囲碁ってどんなイメージなのかなぁと考えてみました。
私は「ヒカルの碁」をテレビで見て、それで囲碁を始めたんですけど、そのせいかな・・・
「ヒカルの碁」の中で「神の一手」というフレーズがあります。
私の囲碁のイメージはまさにそれ。
えーと、みなさんは「ラプラスの悪魔」って知っていますか。
検索するとウィキペディアに難しい解説が載っていますが、簡単に書くと・・・
科学の世界で、未来はすべて決定しているのか、それとも不確定なのか、という論争があったことがあり、実は今でもそれは答えの出ない課題であったりします。
未来が決定しているっていうとなんか変な感じがしますが、たとえば、ボールをある力で投げるとそのボールがどのように飛ぶかは、物理の法則を知っていればほぼ確実に、予測することができます。
自然の世界はおおむねその法則に則って成り立っている。太陽があってその周りを惑星が周っていますが、一つ目がここ、二つ目がここ、三つ目がここだとすると・・・・と計算していって、じゃあ8番目の惑星はこのへんにあるんじゃないかと、調べたから海王星が見つかったんですって。
そんなふうに・・・ある時点で、全ての条件を把握していれば、その先がどうなるかは自ずと決まってくる。
未来は全て決まっている、ということです。
もちろん我々はボール一つにしたって、投げる人の腕力とかそのときの風向きとか知らないから、そのボールがどこまで飛ぶのか分らないんですけど、そういうことを全て知っている「神様」のような存在がいるとすれば、ボールの行く末は決まっている。
そういう考えを決定論と呼び、そういう神様のような存在が「ラプラスの悪魔」と呼ばれています。
私は、囲碁は決定論だと思っています。
1手目がそこであれば、2手目はここ。全てを知っている神様ならば、終局まですべて一本道なのではないかと。神の一手は決まっている。
だけど、私たち人間は、神様ではないので、ああでもない、こうでもないと盤面の上で四苦八苦します。
「ここはこう打つべきなんじゃないか、相手がこうしたらこうして・・・えーと」
みたいな。
決定論の中で、何が最善かを必死で考える。答えは必ずあって、その答えにたどり着こうと一生懸命に勉強する。それが・・・楽しい。
私は元々文系で、算数や数学はめちゃ苦手なのですが、算数や数学が好きな人は、算数や数学には答えがあるから好きといいますね。
囲碁を打つ人って理数系の人がけっこう多いのですが、面白さは同じところにあるのかもしれません。
私も、ちょっとその気持ち、分かる気がするな。
もちろん、同じ囲碁を打つ人でも、人によって囲碁への面白さって違うこともあります。強さによっても違うようですし。
私には囲碁は決定論のように見えますが、冒頭のつぶやきのように、強い人たちにはもしかすると決定論じゃないのかもしれません。
無限の可能性があり、神であっても答えがない世界だと、思ってる人もいるかな・・・・
私には、囲碁にはやっぱり神の一手があるように思えます。私たちはそれを打とうと囲碁をがんばっている。
数学者にとってすっきりと解のある問題と答えは美しいと感じられるように、そういう意味で、神様の法則に基づいた一局は美しく・・・私のようなへぼはめったにそんなに美しくは打てないのですけど、でもそれに少しでも近づくような、最善の一手を目標にしています。
この盤面でどこが最善か。答えは必ずあって、それに近づけば近づくほど美しい。
私の囲碁のイメージはそんな感じです。
まあ「美」とか「こうあるべき」とか言ってるから、がむしゃらに何でもやってくる人が相手だところっと負けてしまうわけで、それが弱点でもあるのですが、ちゃんといろんな変化を読み切れるようになって、美しい対局を目指していきたいと思います。
GWもきっと碁漬けですわ。
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Comments
神の一手ってあるのかなぁ。
どう打っても一局なとこが好きです。
このあたりがコンピュータが強くなれないところかもと。
なので、この一手なんていうペテン師をみかけると
むかつきます^^;
Posted by: じょえ | 2011.04.30 05:56
あはは。
私は多分、囲碁の無限の可能性を感じられるほど、まだ強くはない、ということなんだと思います。
級位の私にとっては、いつもそのシーンで一番効率のいい手は決まってるように感じられます。
もちろん、蓮舫さんじゃないですが、1番じゃなくて2番の手でも、相手が次に5番目くらいの手を打てば、相手を上回れるわけで、そういう意味では、どんな手でもありで。
1番の手じゃなきゃ認めないという頑固な考え方をしているわけではありません。
ただ、自分がいつも5番目や10番目の手しか打てないと、15番目の手を打つ相手には勝てるけど、3番目の手を打つ相手には勝てない。
相手が強ければ負けるし、弱ければ勝つ。
これってそういうことなんじゃないかと私は思います。
私は、ね。
有段者になったらまた違う考え方になるのかな。
まだまだ先は遠いですが^^
Posted by: BUBI | 2011.04.30 08:12