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June 2011

2011.06.25

poem(96)

使い古されたフレーズではあるけれど
好きな人が幸せだと私も幸せ
でも好きな人が悲しいと・・・
私も悲しくてとてもつらい

まったく人間って自分勝手だ
自分の胸の痛みを消すために
きみに幸せでいてほしい、なんて

私はきみの幸せのために何もできない
本当に困ったときに助けてあげることができない
「心配だ、心配だ」というだけで何もしてくれないと
以前にきみにも言われたっけね

誰だってそういうとき自分の無力さを思い知らされる
なんて一般化してみたって
痛みは消えるわけじゃない

いつかまた笑えるんだろうか
いつかまたこれでよかったと
思える日は来るのだろうか

時が過ぎるのを待つことができるのは
ある人にはとっては「救い」だけど
当事者にとっては「呪い」だと
昔読んだ物語の主人公が言っていた

待つのはそんなにきつくない
未来を夢見ていればいいだけだから

けれど

ああ本当に私は自分勝手だ
この胸の痛みを消すために
きみに幸せでいてほしい、なんて

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2011.06.15

幸、不幸の定義とツイッター

 以前、友人ともいろいろな話をしていて、確かその友人が言ったことなのですが、同じ言葉を使ってお互いに意見交換をしていても、その言葉の定義や解釈が、それぞれ違うと、お互いの言っていることがまったくかみ合わず相互理解に至らないことって比較的よくあることのようで・・・・

 「人間同士は分り合いたいと願い、互いに言葉を尽くせば、必ず理解し合える」
 というのが基本的なスタンスの私にとっては、けっこうその事実はショックなことでした。

 ショックだけど、ちゃんとどの言葉について、お互いにどう解釈していて、その違いがどこにあるのかまでおりていけば、最後はちゃんと相互理解までたどり着ける、と、この年になってもまだ考えていることを友人が知ったら、彼女はまた苦笑するだろうなぁ。

 でもその難しいことに、ちょっとまた挑戦したいと思います。

 ツイッターでいろいろな方々のツイート(つぶやき)を読んでいてふと、ひっかっかったことがありました。

 まず、知的障害の子供を持つ心理学者の先生が「障害があることは不幸だ」とツイートされていました。

 それに対して、いろいろな人から反対意見が寄せられていました。

 反対意見は「障害は不幸じゃない」という意見です。「障害は個性の一つ」「障害があっても幸せな人もいる」と。

 この議論はなかなか難しい問題を含んでいるんですが、私も、幸、不幸はその人自身が決めるものであって、客観的に、他人から、あなたは幸せだ、とかあなたは不幸だとか決められたらかなわん、と思っていることもあり、この議論に思わず注目してしまいました。

 最初は反対意見の方の側だったのですが、ずーっと読んでいくと「障害があることは不幸」とツイートされた方の意見の方がだんだんまっとうに思えてきました。

 その方のツイートはここでまとめて読めます。
http://twilog.org/ynabe39

 この方は繰り返しこうおっしゃっています。
「障害は不幸だ。でも障害を持つ人の人生が不幸かはまた別の問題である」

 うん、そういうことならそうかもしれない。

 てか、これって「不幸」ってことの言葉の意味が、受け取る人によってかなり強烈に響くから、そのせいで、議論になっちゃうのかもってちょっと考えました。いろいろ読んでみると、けして二つの意見は対立するものではなく、「障害」という事実をどう受け止めていくか、そのスタンスが違うだけで(もちろんスタンスの違いにも理由がちゃんとある)考えていることはそんなに変わらないような。

 「障害」は私は当事者ではないから語る資格を持たないので、他の話に例えます。

 たとえば「40まで結婚できていない独身の女性は不幸だ」というツイートが仮にあったとして。
 ぱっと見、「なんて失礼な」と思うわけですが、まあぶっちゃけ、愛するパートナーがいて、愛する子供がいて、暖かい家庭を育んでいる友人がもし隣にいたら、そりゃそれと比べたら「不幸ってのもあながち間違いではない」と私自身、思ったりします。

 でも、そのことと、だから「BUBIさんの人生は不幸か」というと、それはそうでもない(苦笑)。

 「事実」とそのことに対する「評価」であるところの幸、不幸の話がごちゃまぜになると、議論自体が混乱してしまうみたいですね。

※  ※  ※

 多分、高校生か中学生のころ、保健体育の教科書に載っていた話で、(ということは誰でも知っている知識かな)人間は何かの欲求を持ち、それがかなわないという事実に相対した時、自然と心に「防衛規制」が働く、というのがありました。

 以下は「すっぱいぶどう」の例でよく心理学の教科書とかに載っている例。

(1)合理化・・・すっぱいぶどうで我慢する
自分が行った失敗や不満の真の動機を隠し、理屈付けをして弁解する。◎すっぱいぶどうの機制

(2)代償(置き換え) ・・・ぶどうの替わりにりんごにする
ある感情が向けられている対象を別の対象に置き換えること。

(3)抑圧・・・あきらめる
不満や葛藤などの原因となる欲求や動機を無意識の領域に押しやられる機制。

(4)昇華・・・エネルギーを芸術活動に向ける
置換、補償などの機制によって本来の欲求が社会的・文化的に価値の高い目的に向けられ、努力すること。

(5)反動形成・・・ぶどうを好きなのに嫌いなふりをする
自己の弱点に対する非難を避けるために、正反対の行動や態度をとること。

(6)逃避・・・論文の締切りが迫っているのに行詰まり引き出しの中を片付ける
困難な状況から逃避することによって不安から逃れようとする消極的な機制。
 

これって人間が自分の心を守ろうとする働きなので、どれが間違いでどれが正しいって話でもないんでしょう。
できれば「昇華」できればいいのでしょうけど、これは「心がこういうふうに働くものである」っていう「事実」であって、それを「評価」するのは、ちょっと置いておきます。

つまり、人は、そういう働きをする心を持って生きているので、世の中に起こるいろいろな「事実」に対していつもフラットではいられない、というのがまず前提としてある。

そこで難しいのは「議論」っていうもののあり方。

特に「幸、不幸」なんていうキーワードからいくと、それが個人の心の問題でもあることから、どうしたって自分の個人的な心の在り方からどうしても意見を述べざるを得ません。

確かにそういういろんな人の経験や思いを背景にした意見てのもありだとは思うのだけど、それに「防衛規制」のバイアスがかかると、議論がただ、互いを攻撃しあうだけのものになってしまうみたいです。
いろいろなことを乗り越えようとしているのはみな同じはずなのに。

私にはそれって非常にもったいないことのように思えてなりません。コミュニケーションの仕方によっては、対立せずに建設的な話し合いにもなりそうなのに。
(対立が必ずしも悪いとは思わないのですが、どうもそうなるといい方向にはいかない)

特にツイッターはねー。
どうしても短い言葉だけが一人歩きをしてしまうものだから、その人がどういうシチュエーションで、日ごろどのような立場でどのようにものを考えていて、その上でどういう経緯でその発言をしたか、ということは一切顧みられることはなく、議論の俎上に載ってしまうからなぁ。

ツイッター上で流れるツイートなんてそもそも「感想」が行きかっているだけなので「議論」ですらないのですが、そうだとしても、そういうものだということを前提にうまくこのツールを使って、コミュニケーションの輪が広がっていけばいいな、と私は考えています。

ツイッターとの付き合いも1年半くらいになりました。
フォローする人がちょっとずつ増えてきて、いろいろな人の意見を目にすることができて楽しいです。
ipad2を買って、使い勝手がよくなったこともありますし。

ツイッターの中で流れる情報の取捨選択は、情報を受け取る方にあります。いろんなツイートの中で、どれが「事実」でどれがただの「感想」で、どれが傾聴するべき意見なのか・・・それを見極める目が、利用者一人一人に必要となってくるツールなのかも。

けっこうこれってすごいことです。
まだツイッターを使ったことがない方がこのブログの読者にいらしたら、この難しいことにぜひチャレンジしてみてください。
ツイッター自体はただのツールで、情報の取捨選択に何の制限もありません。
登録した瞬間は0なので、その「0」から自分の世界を作り上げる。
そのプロセス自体を楽しめるなら、きっとツイッターはとてもいいコミュニケーションツールになると思います。

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2011.06.04

「チキンライス」

土曜日の昼下がり、気持ちよい風に吹かれる洗濯ものを眺めながら、テレビを見ていると「リンカーン」というテレビ番組の再放送をやっていました。

ダウンタウンやさまぁ~ずなどの芸人さんたちの番組ですが、今日の再放送は、彼らを泣かせる企画「ミッドナイトリンカーン」。どうも次の火曜日あたりに5年振りに同じ企画をやるらしくその番宣だったようです。

ということは5年前か・・・確かに東京タワーの灯りも煌々と輝いていますね。

芸人さんたちは一人ずつ車に乗って、深夜のドライブをしながらラジオをつけると、そこから感動のエピソードや素敵な歌が流れてきます。さすがのダウンタウンも最後には涙を流してしまう、という企画。

・・・私も見ていて、最初はそうでもなかったのに最後は泣いちゃった。仕掛けられてると分ってても泣けちゃうことってあるんですね。

最後にラジオから流れるのが「チキンライス」という歌。作曲は槙原さんで、歌詞は松本人志さんで歌っているのは浜ちゃん。

この歌、初めて聴きました。うわ~ん・・・いい歌だなぁ。

http://www.youtube.com/watch?v=-b0sMAHhPh4&feature=player_embedded

私も、小学生のころ、家族で外食というとよく近所のラーメン屋さんに行きまして、チキンライスをよく頼んでいました。懐かしいな。

金持ちではありませんでしたが、貧乏ではなかった子供のころ。

でもまあ、人に歴史ありで、父と母と私、3人で、泣いたり笑ったりしながら暮らしていたあの頃を思い出すと、やっぱり涙が出てきちゃいます。

子供のころも、今も、かけがえのない時を生きているのは同じなんですけど、涙が出るのはなぜなんだろう?

こんな自分でも、愛してくれた人がいたことを思い出すからなんですかねぇ。

自分ではない誰かを大事に思う気持ち。愛されていたことへの気づき。

私は・・・私たちは、それをこの一生の残りの時間で、誰かに返していくことができるんでしょうか・・・

「チキンライス」とても素敵な曲です。聞いてみてくださいね。

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2011.06.03

「朗読執事」~高瀬舟~

つい先日、時代に遅れてはならじ、とipad2を購入しました。

1年ほど前からツイッターをやってはいましたが、電話はごく普通の携帯電話。スマートフォンの噂は聞いていましたが、携帯でもツイッターはできるので、これでも十分と思っていました。

が。この間、さいたまの元の職場に戻った話を書きましたけれども、戻っても、やはり都内で働いていたときのつながりでIT関係の部署に着任しまして。
基本情報処理技術者試験も残念ながら受からなかった機械オンチですけど、せめて、中の仕組みはわからなくても、サービスのトレンドくらいは押さえておかねばということで。いつまでも
「スマートフォン? 何それ?」
ではいけませんよね。
ipad2を購入して、さっそく囲碁のアプリをいれたり、ツイッターのアプリを入れたりして遊んでいます。

先日、テレビを見ていたら、おすすめアプリとして「元素図鑑」と表題の「朗読執事」が紹介されていました。

元素図鑑はちょっと高いのでまだ買っていませんが「朗読執事」は無料。さっそくダウンロードしてみました。
「朗読執事」というアプリは、本を朗読してくれるアプリです。文字通り、執事姿の金髪青年キャラクターが本を読んでくれます。

実は、タダだから面白がってダウンロードしてみただけで、そんなに期待してたわけじゃなかったんですよ。
ところが、これ・・・・びっくりした!!!

もともと本は好きでよく読みますが、朗読を聞く趣味などは全く今までなかったんです。

これ、最初から無料で芥川龍之介の「羅生門」のさわり部分が入っていて、執事の読みっぷりを試せるのですけど、うーん・・・聞いてみて、これはすごいと正直思いました。

執事の声、なかなか魅力的ですよ。これが読む「プロ」ってことか・・・

「羅生門」の話は知っていますが、ちゃんと本で読んだことはたぶんなくて、今回、執事が朗読してくれなかったら、読むことはなかっただろうと思います。今では使わない難しい漢字も多いしね。

朗読で読むと、読みにくい漢字も気にならない。
聴いているうちに、もっとこの執事に、難しい文学を読んでもらいたくなりました。

この先からは有料ですが、読んでほしい本をダウンロードしてみました。
朗読メニューはまだそれほど充実はしていないのですが、せっかくなら読んだことがないものがいい。
それも、自分では絶対読みそうにないもの。

ということで、森鴎外の「高瀬舟」を選択しました。どんな小説だか予備知識0です。

「高瀬舟」。みなさん、ご存じですか。

朗読で読んでみて、この作品にもびっくりしました。
鴎外の時代の古い作品ですけど・・・これって、今の時代にも通じている気がする。

そりゃ京都の高瀬川を下る高瀬舟はないし、島への流刑の習慣などももう今の時代はないのですけど・・・

後半、貧しい兄弟の極限のやりとりは衝撃的です。執事が読んでるのをいつしか忘れるほど、作品に引き込まれてしまいました。

・・・心に深く残る作品です。これから何度も何度も朗読で聞きたい。もっともっと、今の時代の人に知ってほしい。

「朗読執事」のコンテンツに「高瀬舟」を選んだ人はいったいどういう人なんでしょうね。
「朗読執事」をダウンロードするような女性にこの作品が向いているとは思いにくいのですが・・・でも私は感動しました。この作品に今、出会えてよかった。

かっこいい執事に目がない女性の皆様。ipadをもしお持ちなら。
「朗読執事」おすすめです。

で、何を読んでもらうかって、「高瀬舟」ぜひ聞いてみてください。

朗読っていいですね。この執事のファンになってしまそう。
誰かにお話ししてもらうなんてもうこの先二度とないと思っていたんですが・・・時代が進むとこんなこともできるようになるんですねぇ~。そのことにもちょっと感動しました。

朗読執事
http://www.rodokushitsuji.jp/

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