« January 2012 | Main | March 2012 »

February 2012

2012.02.28

労働力の再配分

 今朝、みのもんたさんが朝のワイドショーで国の出先機関の廃止の話をしていました。

 いわく、国の出先機関がなくなったら、県に国の役人が移る。そこで国がしていた仕事をする。つまり国の役人が地方公務員になる。

 それじゃ何の意味もない、とみのもんたさんは言うわけです。
 それでは「天下り」じゃないか、とね。
 「いらないからなくせ」と言ってるのに、国から県へいくだけじゃ無駄の削減にならないと。

 ・・・ふむ。言ってることは一見とても分かりやすいです。でも・・・ちょっと待てよ。

 じゃあ国の出先機関廃止はそこに今、勤めている人の数だけ失業者を出すということ?
 それって・・・かなりの数になるんじゃないかしら・・・ そんな乱暴なことをするのが正しいの?

 ちょっと真面目に考えてみることにしました。


 そもそも・・・私たちが人並に暮らしていくためには「仕事」が必要です。
 仕事をして、たとえばものを作る。
 作ったものが売れる。
 会社がもうかる。
 もうかったらそこから会社員は給料をもらう。
 その給料で暮らしに必要なものを買う。
 買ったら、それを作った他の誰かがまたもうかる。

 経済というのはその繰り返しで。体の中に血液が循環するように、お金とものが人と人とを行き来しています。

 「無駄の削減」っていう名前で、働く人の首を切るのはこのサイクルを断つことなんじゃないのかな。

 「無駄使いの削減」ということを、それを踏まえて真面目に考えてみると、その真意は「労働力の再配分」ってことなんじゃないかと思います。

 「無駄」とは必要のないものに仕事と金が使われている状態を指します。本来、人と人とを行き来してまわっていくお金がサイクルの輪を外れている状態。

 たとえば今朝のテレビで言ってたように、同じ建物に国の機関と地方の機関が一緒に入っていて、みんなが同じことをしている、みたいことがあるとしたら・・・
 それを一つにして、その分、人やお金が浮いたら、本当に必要なところにその人とお金をまわす。そう考えるのが正しいのでは。

 一つの役場がいらないなら、それを消し去ることが無駄の削減ではなくて、そこにある資源を再配分することなんじゃないのかな。

 国の役場がなくなって、県にその仕事がいく。その仕事をやる人が県にいないなら、国の役人が地方公務員になるのはやむを得ないし、それを天下りって言って批判するのはなんか違う気がします。

 もちろん、重複してた窓口が一つになって前よりも人が少なくて済むなら、それはそれでよいことです。
余った人の首を切るんじゃなくて、もし人が余るなら、人を必要としてるところにその人たちをまわせばいい。

 そこに働いている人がいる以上、「廃止」って言ったって、パソコンでデータを消すようにきれいさっぱりなくす、なんてわけにはいきません。
 そこにある人的資源をどう再分配するかを考えるべきで、その意味では国の役人が地方に移るのだって、そりゃ、ありだと私は思うのですが・・・みのもんたさんは、そんなの許さないっていうのかなぁ。

 民間の会社では、実際にコスト削減で働く人の首を切ります。
 その結果、仕事を失くした人がハローワークにあふれている。
 だからって、役人も民間なみに首を切ってさらに失業者を増やすことが正しいことなの?

 役人もそうでない人もみんなが仕事を得て、みんなが幸せになる方法ってないのかしら。

 ・・・おそらく、経済がどこまでも成長していくというのが幻想なんじゃないかと私は思います。
 人も金もものも飽和状態なんじゃないかと。その中での競争って、限られたパイを奪い合うことでしかない。
 誰かが他人よりより多くもうけようとすれば、その分誰かの仕事がなくなる・・・そういうことなんじゃないのかな。

 ワークシェアなんて言葉があります。
 日本人の労働生産性が他の先進国と比較して低い、なんていう分析をたまに見ますが、それはワークシェアの結果のように私は思います。

 「もうけすぎ」の人がいない。
 その分、より多くの人に富が配分されている。

 もちろん、競争、つまりパイの奪い合いが現代社会の原動力だってのは分っています。社会主義がいいって言いたいわけじゃない。

 ただ・・・もう少し「みんなが幸せになる」ことを考えてもいいんじゃないかな、って。

 
 なんか、こうやって文章にすると、これってものすごく当たり前のことですね。いわずもがなって感じ。
 ・・・でもその当たり前を政治家とかはちゃんと分ってんのかな~(汗)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.02.26

本当の人生

 先日、当ブログに「まちぼうけ」という記事を書きました。

 一攫千金を狙うよりも、地道にこつこつ生きる方が、最終的には多くを得ることができる・・・
 一番シンプルなのは「まちぼうけ」よりもイソップの「うさぎとかめ」の逸話でしょうか。

 先人がそういうのなら、おそらくそれが正しいのでしょう。正しいのでしょうが・・・人生の折り返し点を過ぎても、なんとなく、実は
「ホントにそうかなぁ?」
と思う瞬間があったりします。てか、逆に折り返し点を過ぎたから、そう思うでしょうか。

 男性も、働き盛りになって、いきなり転職したりする方がたまにいらっしゃいます。
「俺の人生、本当にこれでよかったのだろうか?」
 そう思うからなんでしょう。

 「うさぎとかめ」の逸話が正しいとしても・・・つらつら考えるに、若いうちはこつこつと歩いてきて、その道の中途で、
「俺の本当の人生は、こうじゃない。本当はもっとやりたいことがあったんだ」
 とそこで思い切って軌道修正をすること自体は、悪いことではない、と今の私は思います。

 今は人生って長いですからね。
 いくつになっても再チャレンジはできるし、いくつになっても新しいことを始めることはできる。

 もし、人生の半ばにして、本当の自分の生き方に気づいて方向転換をし、何かを新しく始めるとすれば、それまでの期間は長い助走期間としての位置づけとなると思います。
 それまでにお金を貯め、人脈を築き、勉強や下調べをしっかりとしておく。
 しっかりと力をつけた上で、そこから大きく飛躍する。

 ・・・いいなぁ。そういう生き方ができれば、10代、20代、30代なんて、下積みで十分ですよね。

 うむ、なんで、そういうことを教えてくれる人が今までいなかったのだろう?
 まるで、20代になって就職すればゴールみたいな・・・そういう価値観ってどこから出てくるんだろう?

 もしかすると、次世代を育む必要性からすれば、早いところ結婚して、早いところ家庭を作り、そして家庭ができたらそれを守らねば次世代を安心して育てられないからなのかもしれません。

 しかし。
 すでに、「産めよ増やせよ」の時代ではない。
 人が平均で80年生きる時代なら、次世代を育んだら、それで終わり、じゃないのが人生です。

 としたら、やっぱり40代からの「本当の人生」ってもありじゃないかしらん。

 30代まではこつこつやってきたとしても、40代からはその財産を元手に、勝負をかけてもいいんじゃないかしら。

 なんか最近やけにそういう気持ちになるんですよ。
 もしかしてもう人生残り少ないのかなぁ。(おいおいおい)

・・・
・・・
なんて思いつつ、そんなタイミングに、とても教訓になる、ぶっちゃけ胸にグサッとくる小説を読んでしまいました。

本のタイトルは「わたしはここにいる、と呟く」(新津きよみ著)

Amazonの本の紹介によると「さがす」をテーマに綴られた7つの物語でできた書籍なのですが、グサッときたのはこの中の一編、「あなたの居場所」。以下、あらすじをご紹介しましょう。

登場するのは、中学から同級生の二人の女性。
「将来の夢」や「なりたいもの」がなかなか見つからない少女たちは、対称的な人生を歩みます。

片や、夢中になれるものやなりたいものが見つからないまま、高校、短大、銀行勤め、結婚、退職、子育てという人生を歩んできた女性。

片や、小さいころからピアノ、バレエ、水泳、勉強、様々な分野で秀で、あふれる才能に恵まれた女性。外交官を目指したいという夢を持って、海外留学をし、外資系の企業に勤め、華やかな人生を歩いています。

前者の女性は、同級生の後者の女性の姿を見て、自分の今の状況に焦り、通信教育で編み物、パッチワーク、ペン習字、といろいろやってみますが、何をやっても長続きしない。自分のなりたいもの、やりたいことってなんだったのかと、悩みます。

しかし、実は後者の女性も、華やかに見えても、決して幸せだったわけでなく・・・
彼女もまた自分のなりたいもの、やりたいことを見つけられず迷う女性の一人でした。
アメリカ人男性と恋に落ち、後にその男性に捨てられ、会社の仕事には満足できず、夢のある仕事につきたいと転職を繰り返し、美術の専門学校や、フラワーアレンジメント、アロマテラピーなどいくつかの学校に入りなおしては資格をとりますが、仕事に結びつくことはなく。

二人の女性がどうなったのかは、ネタバレになりますのでここには書きませんが、この短い小説にはいろいろ考えさせられました。

私自身の今までの人生は、結婚以外は、前者の女性とそっくりです。

私も「なりたいもの」「やりたいこと」って全然見つからなかったんだよな~
文章を書くことは好きなんですが、これを仕事にしたいとか、これで何かしたいと思ったことはありません。

なんというか、文章を書くこと、読むことは好きすぎて、仕事にしたくないって思っちゃった。ちょっとばかり、そういう仕事を体験したことはあるのですが、仕事で文章を書くのはきついです。思ってもいないことを書かないといけませんからねぇ・・・自分が思ってもいないことを文章にして書き、人に読ませるのはめちゃめちゃ苦痛です。でも「仕事」にしたら、そんな甘っちょろいことを言うのは許されないのは重々分っていました。

それ以外に好きなこと、やりたいことも・・・高校、大学を通して、ずっと考えていましたが、結局、これっていうものは見つかりませんでした。

その後、特に才能もなかったので、人生「コツコツコース」の方に乗り、今に至る、というのが今の私です。一応、それなりに幸せ^^

で・・・つまりは再チャレンジ、とか、夢を叶える、とかそういうことを考えるとね。
そうしたほうがいいのか、それとも今の路線をそのまま進んだ方がいいのか、いろいろと迷うわけです。

まあ、ぼんやりと未来予測をするに、今の時代「安定」なんてものは絶対はないわけで、
「今の路線を進む」
としたって、いつの間にか、その先が崖っぷち、なんてこともあり得ます。
その意味ではいつどうなってもいいように、いろいろと準備だけはして置かなくてはいけないんですけど、それはそれとして、私の「やりたいこと」「なりたいもの」って何だったか、「叶えたい夢」ってなかったのか、今のうちにちゃんと考えておかなくちゃな、なんて思ったりします。

ま、ずーっと考えていてそれでも見つからないのだから、今日、明日、見つかるもんでもなさそうですけども。

でもいつか、ここから飛び立つために、足腰弱らないように、準備だけはしとかなきゃ。

皆様はいかがですか^^

| | Comments (2) | TrackBack (1)

2012.02.17

「コードギアス 反逆のルルーシュ」

「コードギアス 反逆のルルーシュ」というアニメを有料のネット配信サイトで見ております。

ちょっと前のアニメなので、何を今更、という方もいるでしょうが、そのネット配信サイトで複数話無料キャンペーンをしてたもんで(汗)。

原作がコミックで実写映画やアニメにもなった「デスノート」や、最近ですと貴志祐介の小説「悪の教典」などが好きで、昔は田中芳樹の「銀河英雄伝説」にはまっていた私。

要は、悪魔的に頭のいい主人公が、自らの目的を達成するために戦略を巡らし、敵と対決し、時には人間としての情に揺れつつも、非情に徹して突き進み、最後には破滅する・・・というお話がツボのようです。
「銀英伝」のラインハルトは破滅はしてないですが、あんまり幸せな最後とも言えない感じだものなぁ。

普通の人間には、果たそうと思っても果たせない理想、みたいなものがあります。
もし悪魔的なくらいに頭がよかったなら・・・もちろん、その頭の良さを、地味で難しい研究分野にのみ使えば、トラブルにも犯罪にも結びつかず、巷からは「変人」と見られながらも、そのうちにノーベル○○賞をとったりするような論文を発表して世間をあっと言わせたりするのかもしれませんが、ルルーシュも月くんもラインハルトも、みな、世界を変えようと願い、実際にそれを実現することにその才能を使います。
普通の人間には果たせない理想を、その力で実現する。憧れちゃうな。

そんな彼らに対して、正義面して足を引っ張る人間が出てくるのも定石で。天才でもさすがに人間ですから、正義や情で責め立てられれば傷つかないわけはない。
それでも、自分の信念のために彼らはがんばります。がんばるけど、最後はあまりいい死に方はしない。意外と一番しぶといのは凡人なのかも・・・と凡人代表の私は思ったりします。
だからこそ、世界を変える力を持つ頭のいい人に憧れてしまうのかもしれません。

・・・なんだかんだ言っても日本は今のところまだ平和ですね。
問題がないとは言えないけれど、ルルーシュ達のように自分の力で世界をひっくり返そうとする人はまだ出てこない。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界では、日本はブリタニアという国に征服され、日本ではなく「11(イレブン)」というナンバーで呼ばれています。それでも変革は日本人ではなく、ブリタニア人のルルーシュによりもたらされるわけで、それも考えてみたらかなり皮肉な話だな。

たとえば昔の田中角栄や今の橋下さんは、もしかするとそういう存在だったりするのかしら。
現実の世界でも案外、世界をひっくり返す計画が裏の方で着々と進んでいたりするのかも?

こんな言葉がありますな。
「強くなければ生きてはいけない/優しくなければ生きる資格がない」

頭がいい、ということは「強い」ということに他なりません。物語に出てくる頭のいい人たちは幸せな結末を迎えることがかなり少ないのですが、強さと優しさを兼ね備えた人、リアルでもどこかにいないものでしょうか^^

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.02.13

まちぼうけ

ネットでこんなのが話題になっているそうです。

「才女」目指す時代は終わった? 「大学院行くより整形の方が幸せ」に賛否両論

 大学院と整形を並べるのが相当無理があるなぁという気がしますが、記事の中の、
「男女雇用機会均等法が制定されて以来、多くの女性は学を付けてキャリアウーマンを目指すようになったが、ここに来て女性の気持ちが変化しているのだろうか。」
 この部分も「そうだったっけ?」って気がします。

 男女問わず、今の時代って、
「高学歴=高収入」
 って図式自体が崩れてますよね。

 そもそも「幸せ」自体の定義が人それぞれ。高収入なのが幸せってわけじゃない。

 日曜日のNHKのテレビ番組に、パラオの海で、テッポウエビとハゼの共生関係を研究している人が紹介されていましたが、そういうのが究極の「幸せ」なんじゃないかと私などは思います。もちろん、パラオの生物学者さんだって、たくさん私の知らない日々の悩みはあるんでしょうけど。

 幸せについて考えたとき、

・衣食住に困らない
・健康

 この二点ははずせませんが、それ以外に究極の幸せのイメージってなんだろうなと想像していて昔々の「愛の園」という歌を思い出しました。西条秀樹が歌ってたんですが知ってる人少ないだろうな。
 その歌詞によると

・全ての心が愛を分かちあう
・豊かな実り
・争いがない
・安らかな暮らし
・ほほえみ
・助け合う命
・分け合う幸せ

 そういうのが「愛の園」の姿として描かれています。
 つまり・・・

 頭の良し悪しでも
 見た目の美醜でも
 才能の有無でも
 運動能力の高さでもなく

 究極の幸せの姿って実はそういう個々の優劣にとらわれることのない「争いのない」世界じゃないのだろうか。

 無論、資本主義社会においては「競争」こそ進歩の源であり、人々がより生活の向上を目指して切磋琢磨しあい努力していく姿が理想とされている気がしますが、そうやっていつまでも競争して、誰々よりも私の方が幸せだ、誰よりも不幸だ、なんてやってる間は幸せなんて絶対なれないよなぁ。

 私自身はあんまり、今よりももっとどうなりたい、という願いを持っていません。
 健康で衣食住には困ってないので、現状維持で十分に幸せ。
 それの良し悪しについては、時々、今も考えることはあるのですが。
 大学院には行ってないし、整形もしたことないけれど、争いのない安らかな暮らし。私だけでなく、世間の大半の人々はそういう暮らしをしているんじゃないかな~。

 実はこの記事、発信元が「ゆかしメディア」というところ。ちょっと見てみたら「富裕層限定SNS」を運営しているサイトでした。

http://media.yucasee.jp/posts/index/10342

 なんだ、高収入の人だけが集まるサイトで「大学院か整形か」って話をしてるだけなら、世間の大半にはそもそもナンセンスな話題。お金があり余ってる人たちなら整形でも大学院でも好きな方に使えばいいもんね。
 にしてもそういう人たちの語る「幸せ」って・・・記事を読んでみてもあまりぴんときません。ホステスからアナウンサーになることがサクセス? 何が就職に有利かって話も、富裕層の人達に「就活」を語らせるほどばかばかしい話はないと思う。
 だから「飲み屋でバイトしてどっかの社長にコネを作れ」なんて話が、もっともらしく記事になっちゃうんだろうな。

 もともとこの記事の発端がツイッターのつぶやきだっていうのもちょっと問題かも。
 私もツイッターをやっていますが、誰かの一言がどんな背景の元に発せられても、「背景」が切り捨てられて言葉だけが一人歩きするのがツイッター。それを元に賛否を語ること自体が「危険」です。

 今の世の中、ネットの情報は玉石混合。読む方の取捨選択の判断が大事です。でも、その「判断」って私達のようにネットがなかった時代を知っていれば分かってるけど、最初からネットの玉石混合に放り込まれてる世代はどうなのかな。
 多くの情報からどう受け取るか・・・だからこそこれからは、Facebookのような、信頼できる人間の口コミっていうのが重要になってくるのかもしれません。

 さてこの記事を書いていて、ふと子供の頃よく歌った「まちぼうけ」という歌を思い出しました。

 ある日、畑で働いていた農夫の横で、ウサギがたまたまあった木の根っこにひっかかって転び、農夫は何もしていないのに、ラッキーでウサギを1羽、手に入れることができました。嬉しくなった農夫は、その日から毎日、木の根っこの横でウサギが引っかかるのを待つことにします。その結果・・・

「整形して飲み屋でバイトしてどこかの社長さんにコネ作るのが就活」なんて、この逸話そのもののように私には思えてなりませんが(苦笑)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.02.12

こういう映画が好き~「魔法使いの弟子」~

「魔法使いの弟子」という映画をDVDレンタルで見ました。

こういう映画、好きだなぁ。シンプルで楽しい作品です。

普段だと「面白い♪」という映画を見ると、yahooに映画レビューを書くのですが、「魔法使いの弟子」を見ていたら、どういう映画が面白いのか、というのを個人的に語りたくなってきてしまったので、ブログにすることにしました。しばしお付き合いください。

「魔法使いの弟子」というのは、まず、作っているのがディズニー。全く前知識がなく借りたので、びっくりしました。ディズニーですけど、実写です。というか、ディズニーの世界を実写にした、というのが解説でありました。

が、私は実はディズニーの世界って好きではなかったりします。あのいかにも作り物のファンタジーの世界があまり好きじゃない。

「ファンタジーが作り物なのは当たり前じゃないか」
という説もありますが、そんなことないんですよ。

魔法の世界には魔法の世界なりの秩序や理屈がある。私はSFやファンタジーが昔っから大好きなんですが、何が好きかというと、その世界それぞれに確として存在する「ルール」が好きなんです。

魔法だってなんでもありじゃない。

昔からずっと考えているのですが、たとえ、仮に超能力なんてものがこの世界に本当にあったとしても、それでできることなんて実は我々の手の届く範囲をほんの少し拡大したものでしかない。

以前、超能力が当たり前に存在する世界を舞台に小説を書いたりしてきたことがあるんですが、その世界では、瞬間移動(テレポーテーション)をする際、本人がいったことのない場所には移動できない、というルールがありました。

本人が行ったことがあって、場を記憶していること、もしくは、その場所に本人の知り合いが実際にいて、その知り合いがテレパシーで誘導してくれるならば、行けるのですが、全くそういうとっかかりがない場所には瞬間移動することができませんでした。

まあ、私の小説のルールはどうでもいいのですが、要は魔法だって、ある程度の理屈は必要だという話。

「魔法使いの弟子」を見ていると、そういうルールがちゃんとあって、その上にお話があります。
もちろん、映画の中でそのルールを事細かに語ったりしないんですけど、一貫した世界観がそこにあるから安心して見られます。

まあ、最後の戦いで、ニューヨークのビルのてっぺんにあるアンテナをちょっと蹴飛ばしただけで、世界を破滅させる魔法が阻止されるなんて、世界を救うにしてはお手軽過ぎて、かなり笑えたりしちゃうんですが、まあ・・・

この映画の中では魔法は「科学」で解説されます。
主人公からして物理学を学ぶ学生だしね。

いろんな仕掛けがすべて夢があって面白い。ニューヨークのハンバーガーショップでハンバーグを焼いていると、そこに魔法の文様が浮かび上がるシーンなんか、私的にツボです~

そのほか数々の魔法が、作品の中には登場しますが、吸い込まれて10年出られない壺にしても、折りたためる魔法書にしても、敵を鏡の中に閉じ込めてしまう技とか、みんなわくわくする魔法ばかりです♪ う~、この映画、楽し過ぎる♪

現代のニューヨークを舞台にそういう魔法での戦いが繰り広げられるわけで。

魔法の世界は、実はディズニーランドの中にあるわけでなく。
この世界にこそ、魔法が満ちている、と私は考えております。

携帯やパソコンで遠くの人ともリアルタイムで通信でき、遠い場所で起こっていることを即座に知り得たりするなんて、もう、私が昔、イメージした超能力が当たり前に存在する世界そのものですわ。

ほんの少し想像の翼を広げれば、ニューヨークだって東京だって、魔法や超能力の戦いの舞台となります。
そういうイメージが楽しい。

確かに物語はすごーくシンプルで、ちと映画の時間の枠のせいか、かなりはしょられてる部分があるのですが、破たんしない範囲にうまくおさめています。

この映画はディズニーの「ファンタジア」のオマージュだということで、ディズニーが大好きな人からは不評なのですが、「ファンタジア」を全く面白いと思わなかった私には、ちょうどいい感じ(笑)。

モップのダンスのシーンは、ストーリー的には、無い方がすっきりするんじゃないかと思ったくらいです。どうしても入れたかったので、ストーリーは無視して無理やり入れた感じだったしな。

いろいろな魔法が現代のニューヨークに復活し、そこで戦いを繰り広げる。善悪ではなく、なぜ敵が敵となったのか、という話もなかなかに切ない設定でした。人間ってのは何百年たってもあまり変わらない生き物ですな。

あ~、いつかニューヨークに行くことがあったなら
「ここ、魔法使いの弟子、で見た場所だ~♪」
とか大騒ぎしそうな予感。

とてもとても楽しい映画です。皆様もぜひ。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2012.02.10

poem(99)

「タミフル」

その薬を飲むと不思議な夢を見るという

もうとうの昔に亡くなった母が当たり前にいて
昔飼っていた猫が一緒の布団で丸くなる

誰も訪れる予定はないのに
インターホンが何度も鳴った気がしたし
誰も番号を知らないはずの電話も鳴っていた

キッチンの蛇口からは水がぽたぽた垂れて
何度締めに行っても
締めた途端に
自分の体が布団から1mmも出ていないのに気付く

・・・
そんな日々を何日か経て
熱はやがて下がる
おやおや
この部屋にいるのは私だけ

不思議だね
夢の中の方が
私は一人じゃない、なんて

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« January 2012 | Main | March 2012 »