労働力の再配分
今朝、みのもんたさんが朝のワイドショーで国の出先機関の廃止の話をしていました。
いわく、国の出先機関がなくなったら、県に国の役人が移る。そこで国がしていた仕事をする。つまり国の役人が地方公務員になる。
それじゃ何の意味もない、とみのもんたさんは言うわけです。
それでは「天下り」じゃないか、とね。
「いらないからなくせ」と言ってるのに、国から県へいくだけじゃ無駄の削減にならないと。
・・・ふむ。言ってることは一見とても分かりやすいです。でも・・・ちょっと待てよ。
じゃあ国の出先機関廃止はそこに今、勤めている人の数だけ失業者を出すということ?
それって・・・かなりの数になるんじゃないかしら・・・ そんな乱暴なことをするのが正しいの?
ちょっと真面目に考えてみることにしました。
そもそも・・・私たちが人並に暮らしていくためには「仕事」が必要です。
仕事をして、たとえばものを作る。
作ったものが売れる。
会社がもうかる。
もうかったらそこから会社員は給料をもらう。
その給料で暮らしに必要なものを買う。
買ったら、それを作った他の誰かがまたもうかる。
経済というのはその繰り返しで。体の中に血液が循環するように、お金とものが人と人とを行き来しています。
「無駄の削減」っていう名前で、働く人の首を切るのはこのサイクルを断つことなんじゃないのかな。
「無駄使いの削減」ということを、それを踏まえて真面目に考えてみると、その真意は「労働力の再配分」ってことなんじゃないかと思います。
「無駄」とは必要のないものに仕事と金が使われている状態を指します。本来、人と人とを行き来してまわっていくお金がサイクルの輪を外れている状態。
たとえば今朝のテレビで言ってたように、同じ建物に国の機関と地方の機関が一緒に入っていて、みんなが同じことをしている、みたいことがあるとしたら・・・
それを一つにして、その分、人やお金が浮いたら、本当に必要なところにその人とお金をまわす。そう考えるのが正しいのでは。
一つの役場がいらないなら、それを消し去ることが無駄の削減ではなくて、そこにある資源を再配分することなんじゃないのかな。
国の役場がなくなって、県にその仕事がいく。その仕事をやる人が県にいないなら、国の役人が地方公務員になるのはやむを得ないし、それを天下りって言って批判するのはなんか違う気がします。
もちろん、重複してた窓口が一つになって前よりも人が少なくて済むなら、それはそれでよいことです。
余った人の首を切るんじゃなくて、もし人が余るなら、人を必要としてるところにその人たちをまわせばいい。
そこに働いている人がいる以上、「廃止」って言ったって、パソコンでデータを消すようにきれいさっぱりなくす、なんてわけにはいきません。
そこにある人的資源をどう再分配するかを考えるべきで、その意味では国の役人が地方に移るのだって、そりゃ、ありだと私は思うのですが・・・みのもんたさんは、そんなの許さないっていうのかなぁ。
民間の会社では、実際にコスト削減で働く人の首を切ります。
その結果、仕事を失くした人がハローワークにあふれている。
だからって、役人も民間なみに首を切ってさらに失業者を増やすことが正しいことなの?
役人もそうでない人もみんなが仕事を得て、みんなが幸せになる方法ってないのかしら。
・・・おそらく、経済がどこまでも成長していくというのが幻想なんじゃないかと私は思います。
人も金もものも飽和状態なんじゃないかと。その中での競争って、限られたパイを奪い合うことでしかない。
誰かが他人よりより多くもうけようとすれば、その分誰かの仕事がなくなる・・・そういうことなんじゃないのかな。
ワークシェアなんて言葉があります。
日本人の労働生産性が他の先進国と比較して低い、なんていう分析をたまに見ますが、それはワークシェアの結果のように私は思います。
「もうけすぎ」の人がいない。
その分、より多くの人に富が配分されている。
もちろん、競争、つまりパイの奪い合いが現代社会の原動力だってのは分っています。社会主義がいいって言いたいわけじゃない。
ただ・・・もう少し「みんなが幸せになる」ことを考えてもいいんじゃないかな、って。
なんか、こうやって文章にすると、これってものすごく当たり前のことですね。いわずもがなって感じ。
・・・でもその当たり前を政治家とかはちゃんと分ってんのかな~(汗)
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