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October 2012

2012.10.23

poem(101)

「11月」
11月が近づくと
人恋しくなるのはなぜだろう

だから12月には
友達と会う予定をいれまくり
超多忙になったりする

きみに恋をしたのも11月だった
クリスマスのイルミネーションが輝き始めた
少し肌寒い町中を歩いて
面白半分に恋人同士のスポットで
恋愛成就の鐘を鳴らしてみたりもしたっけ

なんて無邪気だったんだろうね
そして
なんて幸せだったんだろう

長距離バスで家に帰るきみと
ここで別れたらもう二度と
会えない気がして泣いてしまった

もし時間を戻して
あのシーンをやり直しても
やっぱり私はあそこで泣いてしまうのだろうし
きみとの出会い自体を
なかったことにしてしまいたいとも思わない

そしてもっと違う形で
きみを幸せにするために
私が何かできるかというと
今もまったくいいアイデアは浮かばない

枯れ葉舞う11月
もう一度あの時に戻っても
また同じことを繰り返すだけなのだろう

それでも
あの時の誓いは変わらない
今もきみをアイシテル
(さすがに漢字で書くのは恥ずかしくなってきた)

私がちゃんと覚えているから
きみはあの11月を忘れてしまっていい

いつかまたどこかのテラス席で
一緒にチーズとワインでも

そのときに話してあげる
あの頃きみにどれだけ恋をしていたか
そして今もどれだけ…

- 巡る11月に聖なる祝福を -

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2012.10.21

NEXT「悪の教典」

 実はここしばらく、珍しく、観たい映画がいっぱいあって、映画館に足を運ぶ回数が増えています。
 ここに感想を書いているのもあれば、書いていないのもあるのですが、ざっと並べますと・・・

8月4日 「おおかみこどもの雨と雪」
9月15日「天地明察」
10月7日「魔法少女まどか☆マギカ 前編 始まりの物語」
10月14日「フタバから遠く離れて」
10月20日「魔法少女まどか☆マギカ 後編 永遠の物語」

 我ながら、ジャンルがめちゃくちゃ^^;

 次に見る映画はもう決まっています。無論、タイトルの「悪の教典」。
 
 原作の貴志祐介さんの作品は、おおむね読んでいます。
 10月からアニメになった「新世界より」も原作を読んでいたので、興味があって、第一回は録画して見たのですが、ちょっと微妙な感じだったので、それ以上は録画はストップしています。小野不由美さんの「屍鬼」もそうだったんですが、原作を読んで気に入った作品は、思い入れが強すぎて、アニメを見るとイメージが壊れちゃうような気がして。

 例外は同じ小野不由美さんの作品でも「十二国記」シリーズ。あれはよかったなぁ。ちょっとオリジナルの話も入ってアニメならではアレンジもあるのですが、陽子や泰麒などイメージどおりでびっくりしてしまいました。そういう作品もたまにあります。

 では実写の映画ならどうなのか。
 上に挙げた「天地明察」も小説の実写化ですが、これはなかなかよかったですよー。
 どうよかったかは、このブログでは語っていませんが、なぜかというと、私が碁を趣味としているからでして。
 一般の方に分っていただけるような気がしなかったため、「天地明察」の感想は、goxiという囲碁打ち専用SNSの方で語っていたりします。

 要するに、アニメの場合も実写の場合もあまり違いはないのかもしれません。
 当たりもあればはずれもある。(当たり前)

 ただ、「悪の教典」については、大変、期待しています。

 以前、「バトル・ロワイアル」という映画がありました。これも小説を先に読んでいて面白くて、映画がどれだけの出来になっているのか、期待半分で映画館に足を運びました。
 これが・・・なかなか面白くって。小説以上の出来だったのです。先生役が北野武だったのもあるのかな。存在感が凄かった。

 その時に、小説の「映画化」の可能性を見直しました。監督次第で、キャスト次第で、小説を映像化することで原作よりもすごいものができる可能性がある。

 以来、たとえば「容疑者Xの献身」もよかったし、「テルマエ・ロマエ」もよかったし、たまに「インシテミル」のようながっかりの作品もあるんですが、事前の評判をyahooのレビューでチェックしていることもあって、案外、当たりをひくことが多くなってきました。

 「悪の教典」では、伊藤英明の蓮実役が、とても楽しみです。
 これが、おなじみ藤原竜也だったら、観なかったと思うのですが、伊藤英明なら見てみたい。いかにもいい先生っぽいじゃないですか♪ このキャスティングに見る前からはまってしまいました。

 こうやって、ものすごく期待してブログに記事を書くと、「がっかり」だったときにもここにやっぱり何かしら記事を書かないといけないような気がするので、ちょっとばかりプレッシャーなのですが(「まどか☆マギカ」でこの失敗をやらかしています)、でも、やっぱり「悪の教典」については書いておくことにします。

 早く劇場で「ハスミン」を見たいな!

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2012.10.20

【ネタバレ注意】劇場版「魔法少女まどか☆マギカ(後編)」

 さて、前編には本当にびっくりさせられた「まどか☆マギカ」。後編は今日、やっと見てくることができました。
(この先は、その感想ですが、未見の方はネタバレなのでご注意ください)

 ・・・ううむ。
 あまりにも前編がいい出来だったので、期待しすぎちゃったな^^;
 後編はイマイチでした。

 というか、結局、まどかの自己犠牲で終わるのですか?と。
 前編の感想で書いたとおり、まどかを犠牲にしないために必死でがんばった少女、ほむらの願いはどうなっちゃったのか、と。とってもがっかりしてしまったのです。

 時間遡行という超ルール違反をして、何度、運命を変えようとしても、最初よりもどんどん悪くなってしまうというのはSF界では、お約束の展開。でも、ほむらちゃんの気持ちは私にはよく分るのですよ。

 というか、すべての魔法少女たちの願いはみんなよく分る。
 目の前で苦しむ人をほっておけない。 簡単に自分の命と引き換えにしてしまう。
 そういう「救いたい」という願いは純粋なのに、そのことが招く結果はさらに大きな悲劇となる。
 それがこの「まどか☆マギカ」の恐怖の罠であったとして・・・

 だとしたらまどかも結局、その罠にはまっちゃったってことなんじゃないかなぁ。
 魔女がいなくなって、絶望にのたうちまわり、世界を呪う存在は消えたけれど、だからといって、それでよかったとは私にはあまり思えません。

 時間をさかのぼって、そういう苦しみを「なかったことにする」というのは、私は、ストーリーとして破たんしているような気がするんですよね・・・
 だって、現実ではそうできないから。
 なかったことにするために、命を投げ出し、魔法という、そう、「悪魔の力」に頼るってのは、今までとあまり変わっていない気がするのです。現に魔女はいなくなっても「魔法少女」はいなくなっていない。人を人でないものにするインキュベーターは相変わらず地球に存在する。

 もう一つひっかかっているのは「ワルプルギス」っていったいなんだったのだろうかと。
 あれも昔は魔法少女だったものの呪いなのでしょう。
 「ワルプルギス」の正体が何か、ストーリーに絡んでくるのだと思っていたのですが、全然それはなかった。

 それに、本当は、世界に魔法少女ってもっとたくさんいるんじゃないのかなぁ。なぜ、ワルプルギスと闘う時に、彼女たちだけしか存在しないのかもよく分らない。お話の都合上なのかしらん^^;

 ほむらがまどかを大事に思う気持ち。
 まどかが全ての少女たちを救いたいという気持ち。

 とてもよく分るのですが、それが宇宙全体のあり方まで変えてしまうというのは・・・いや、別にいいんですが、今一つ、見ていて説得力に欠けるかなぁ。これがありなら、宇宙は何度作り替えられていることか。
 もしかすると実際に何度も作り替えられて、無限の並行世界があるのかもしれないので、それはそれでありとは思うのですが、お話として、ちょっと広げすぎなんじゃないかと思ったりして。

 でも、なんと、実は、前編と後編だけで「まどか☆マギカ」というお話は終わらないそうです。劇場版はもう一本あるらしい。だとしたら、もしかすると・・・

 まどかには戻ってきてほしいです。
 世の中は「なかったこと」にはできません。
 絶望とその苦しみを抱えながらも、かけがえのない友と、また明日を生きてほしい。
 正面から戦って勝てないのがワルプルギスだったなら、ワルプルギスが生まれる前の運命を変えるなど、他にやり方があったんじゃないか、なんて、思ったり致します。今のまどかなら、ワルプルギスのこともきっとよく分っていると思うし。

 後編、イマイチだったんですが、それでもなんか次の映画にも期待してしまう私。まんまと作戦にはまってますなー。
 
 
 

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2012.10.19

poem(100)

「3.11」

いつも見ていたあの美しい桜は
駅前再開発の時にそこから消えた
別の場所に移植されたと聞いた
どこか別の場所で美しく咲いているだろうか

子供の頃に生まれた家から引っ越したことがある
いつも過ごしたあの家に
もう二度と帰れないことが不思議だった

普通に暮らしていても
時が経てば何もかもが変わっていく
目の前で変わっていくものを
もう何度見送ったことだろう

いつしか知った
大切なものは心の中にあるのだと
そこでは何もかも変わらないのだと

あの美しいふるさとも永遠にそこにある

どんなに世界が変わっても
私はここにいるのだから

喪ったものを悼むのは
ひと月に一度だけでいい
繰り返す11日 14時46分
その時だけ

どんなに世界が変わっても
私たちはここにいる

大切なものを心に留めながら
声を出さずに祈りながら

明日のために
今日を生きよう
・・・一緒に

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2012.10.13

怖かった!~「魔法少女まどか☆マギカ」(一部ネタバレ注意)~

「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメが映画化され、先週末に前編、今週末に後編が公開されています。

私はこの作品を全然、知らなかったんですが、最初はテレビで紹介されているのを見て、ちょっと興味を持っていました。公開されてからは、ファンの評価も高く「それならはずれはなさそう」と思って先週、前編を見に行ってみました。

…結論からいうと、評判どおり。
びっくりしてしまいました。まさかこんな怖い映画だったなんて。
もともと私はホラー好きなのでツボではありましたが、今までアニメを見てきてこんなに恐怖を感じた作品はありません。

「ひぐらしがなく頃に」というその方面では有名なめっちゃ怖いアニメ作品があるのですが、私にとってはそれ以上。
Yahooのレビューには「最恐ホラー」なんてタイトルをつけて紹介したんですが…
よくよく考えてみると、この作品を見て何がそんなに怖かったか考えてみると「もしかしたら」と思い当たる個人的な理由がいくつか。
このブログではそのことを書いてみたいと思います。
※一部ネタバレもありますので、この先を読む方はご注意ください。

このアニメの主人公は「まどか」という少女です。
ごく普通の…いや普通よりもちょっと、もしかしするとトロい女の子かも。

普通の「魔法少女」ものだと、第一話で、主人公の女の子が魔法の力を与える使者に選ばれ、魔法の力を付与されて正義の味方のヒロインに華麗に変身し、そこから敵とその子が戦っていくのが王道のパターン。
おそらく、見ている人の頭にそれが刷り込まれていることを前提に「まどか☆マギカ」はそれを見事に裏切ってみせます。

まどかはなかなか魔法少女になりません。
本人はなる気満々ですし、魔法をもたらす使者も、まどかにはものすごい素質があって、素晴らしい魔法少女になれると太鼓判を押します。
しかも魔法少女になると、なんでも一つだけ願いをかなえることができます。どんな不可能と思えることも一つだけ。
その代りに魔法少女になったら、毎晩、魔女の気配がないか町をパトロールし、魔女の気配を見つけたら魔法の力を使って戦わなければいけません。

まどかには特段かなえたい願い事はないんですけど…
私には彼女が魔法少女になりたい、という気持ちがとてもよく分かるような気がしました。
私もまどかと同じなので。

人の役に立ちたい。
こんなちっぽけで、人より秀でたものが何かあるわけでもない自分。
でも魔法少女になればみんなを魔女から守ることができる。
私の力がみんなの役に立てる。
それも魔法少女になったら、まどかは最強だ、なんてお墨付きまであるわけですよ。現実世界で、ぱっとしなければしないほど、なりたいじゃないですか、正義の味方♪

私はまどかよりもより一層に、人よりも自分がとろくて、ぱっとしないので(笑)、こんな誘惑を受けたらほいほい乗ってしまうでしょう。
たとえ、それと引き換えに、人間としての全ての幸福を犠牲にするのだと…分かっていたとしても。
案外、私だったら人でないものになったとしても、嬉々として魔女退治にいそしむイレギュラーになったかもなぁ。

それほどに、人間ってもろくて弱い生き物です。

何が本当によいことで、かけがえのないものかも分かっていないのに、分かっていないこと自体に気が付かずに、大切なものを簡単に手放してしまう。
自分もそういう過ちを犯してしまうに違いないという恐怖で、映画を見ていて足が震えました。

分かりますでしょうか?
この映画の中で「魔法少女」になるということはそういうことなんです。
真相が明らかにされるにつれ、「魔法少女」というかわいいフレーズ自体が罠であることに気付かされる。

まどかは弱くて愚かな普通の女の子で、何度も「魔法少女になる」という選択をしそうになりますが、そのたびにそれを阻止する少女がいます。
正義の味方の邪魔をしているわけで、王道の魔法少女ものなら敵役にあたるんですが、彼女が何のために何をしようとしているのかはだんだん分かってきます。
まどかがかけがえのないものを手放してしまいそうになるたびに、それを阻止しているのが彼女。

「魔法少女になる」という選択が果たして善なのか、悪なのかはまだ前編だけでは分かりません。
でもほぼ間違いなく「魔法少女になって世界を救おう」なんて話には裏があり、その裏に気が付かないうちに、多くの少女が戦いに引き摺りこまれていることは確かで。
少女達の純粋さにつけこんだ恐ろしい仕掛け、巧妙な罠。

本当に戦わなくてはいけないものは何だったのか。
後編ではそれが明らかになるのでしょう。

映画を見ていて、いつの間にかこう問いかけられている気がしてきます。

他人のために自らを犠牲にする行為は正しいことなのか?

もちろん、昔は…ポセイドンアドベンチャーなんていう映画がありまして、沈みかけた船の中で周りの人を助けるために勇気ある行動をした人が一人、また一人と死んで行ってしまう。
その自己犠牲の尊い勇気に多くの人が感動した映画でした。

でも「まどか☆マギカ」では。
自己犠牲は悲劇でしかないことを繰り返し、見ている私たちの目の前に提示します。

まどかが魔法少女になろうとすることを必死で止める少女の悲痛な叫び。
なぜもっと自分を大事にしないのか、と。
あなたが自分を犠牲にしたら、あなたを愛している誰かがどんなに悲しい思いをするのか分かっているのか、と。

うん…まさしくそこにこの作品のテーマがあるのかもしれません。
(前編だけしかまだ見ていないからはずしていたらすみません)

私もそうなんですが、世の中のけっこう多くの人たちがそのことに気が付いていない。
自分の満足のためだけに、大切なものを犠牲にしてしまう。

まどかはそれに気づけるのかな。
それとも気づいてもなお、魔法少女になる道を選ぶのだろうか?

後編、楽しみです。
今日、実は映画館に行ったのですが満席で見られなかったのですよ~!!
すごい人気ですね。
明日は無理ですが、来週なら、見に行けるかな~。

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2012.10.05

「なぜ、その子供は腕のない絵を描いたか」

 今日、書店の店頭に表題の本を見つけました。

 表紙の、その「腕のない自画像」のインパクトに惹かれて、何気なく開いてみると、今の子供たちが壊れ始めている、戦慄の実態が書かれていました。

 ・・・戦慄の、なんて言いすぎかしら^^;
 でも、ちょっと、どきどきする話です。

 今の子供、といってもこの本が書かれたのは平成17年、7年前の子供たちの姿で、当時の園児たちももう小学生になっています。

 ネタバレになりますが、結論から書くと、腕のない人物像や、腕や足のない、頭と胴体だけの、まるで積木を描いたような人物像を描く子供たちというのは、その子たちが「受け身」であることを表している、ということのようです。

「受け身」
自分から何もできない。何もやろうとしない。
自分で考えることもできない。

なぜそうなってしまうのかというと、今の子供が、「圧迫育児」という言葉で表現される、自分が何もしなくても親や環境がなんでもかんでも先にやってくれる、やることを強制する世界に生きているから、ということ。

昔に比べて、育児自体、確かに、「抱きしめて」「スキンシップを大事に」「愛しているという実感を与え」「子供が必要なだけたっぷり甘えさせる」のがいいこと、ということになっています。

それも確かに大事なんだとは思います。
思いますが・・・育児のイデオロギーが確かに変わったのは事実のようで。

その結果、何が起こったかというと、より母親と子供が近づいた。
世間も「どんな子供であるか」の責任を母親に全部押し付ける。
母親はなるべく安全でトラブルのないよう、子供を育てようとする。

もし私が母親でもそうだろうと思います。わざわざ自分の子供だけ、手をかけない、なんてことできないし、手をかけないようにしようと思っても、周りに、
「BUBIさんとこの子ってちょっと変よね」
と思われたくないから、人並みに、世間並みに手をかけるんだろうなぁ。

・・・それがよくないんですが(-_-;)

私自身は、あんまり手をかけられないで育ちました。

多少、コミュニケーション不全ぽい部分もあるので、まずいところもいっぱいある「人間」ではありますが、少なくとも、自分で頭で考えることはできる。

何より、ヒマがたくさんあっても退屈しないでいることができます。

自分の人生を自分で生きることができるのは幸せなことです。

「受け身」じゃ、何もできないし、何も育たない。
子供はいつか、自分で自分の人生を作っていかなければいけません。

親が子供を育てることの究極の目的は、それができる人間に育てることで、英語がしゃべれるとか、人よりも算数ができるとかじゃないんじゃないか、と思ったりします。

でも「人並み」か・・・。

日本人て周りが気になるからなぁ。

この、子供の変化は実はもうだいぶ前から始まっていて、1985年くらいが境だとのこと。つまり、もうその頃の子供が、大人になっているわけです。

うん。いるな。受け身の新人さんたち。
自分で考えられない、できないのは教えない人が、そういう職場環境が、悪いという人たち。

もう子供だけの問題じゃないですね。

何かのせいにはできません。私たちは、私たちの手でこの世界を作ってる。そういう一番大事なことを、できるだけ多くの人に気付いてほしいんだけどな・・・

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