もしもタイムマシンがあったら
…この感覚は「アレ」に似ているなって、思い出したことがあります。
少し前のことなんですが、仕事中におなかが痛くなって、トイレにとりあえず駆け込んだことがありました。
そのまま、私、トイレから出られなくなってしまって。
トイレの中でへたったまま、気を失ってしまうかと思いました。それくらい、痛かった。
みっともない話ですが、パンツも下げたまま、全然動けないのですよ。
このまま死んでしまったら大変だなぁ・・・なんて遠い意識の中で思いました。
薄れそうな意識の中で、個室の外に人の気配がたまにします。
でも、その状態で助けを・・・呼びたいような呼びたくないような・・・
救急車で運ばれていく自分の姿を想像しました。
自分がどうなってしまうのか、分からなかった。
痛みの中で、そういうとりとめのない想念が行き来していく時間が一時間ほど。
なんとか動けるまでになって、とりあえずトイレから出て、そのあと保健室にいって休ませてもらい、落ち着いた後は、家に帰りました。
ま、結果、病院へいく必要もなく、休んだら治ったんですけども。
そのときに思ったんです。
どんなに苦しくてもつらくても死にそうでも。
その痛みは、自分しか分からなくて、他人は一切そんなこと関知しないんだってこと。
「痛み」ってのは自分しか分からない。
逆にいうと隣に死にそうな人がいても、その痛みを共有することって人はできない生き物なんですわ。
分からなくて当たり前。一人で痛みに耐えなければならない側にとってはどんなに酷であっても。
先日、会った人がこう言いました。
「え? 双葉町ってまだ(自分の町へ)帰れないの? そんなところがまだあるんだ」
福島第一原発の事故により、周辺の地域は放射性物質によって汚染され、国の指定する「警戒区域」になりました。
福島第一原発では、今も日々、事故の後処理のため、多くの人が放射線量の高いところで必死に働いています。
そして、福島県双葉町に住んでいた人たちは、今も自分の家には帰れない。
仮設の住宅に住んでいる方もいれば、家族バラバラに県外に避難している人もいます。
いつ帰れるのかも全く目途が立っていません。
「そんなところがまだあるんだ?」
あるんですよ・・・
そして今も失った家、失った故郷、失った仕事、失った穏やかな生活・・・それを前にして途方に暮れている。
あの事故から1年と8か月。
もちろん、地震と津波の被害の大きかった東北だって歯を食いしばるようにして復興にがんばっている。
でも原発事故による放射線の影響によって、復興のための一歩も踏み出せない地域がある。
すぐそばに、痛くて苦しくてのたうちまわっている人がいても、その痛みは他の人には関知できない。
それは仕方ないことなんですが・・・
逆説的に言えば。
もしかしたら、その痛みから立ち直るためには、結局自分がなんとかするしかなくて。
いくら人に訴えても
「まだ帰れてないの?」
と言われるくらいでショックを受けててはいけないのかも。
でも、今は。
少しでも多くの人に、知っててほしい、忘れてほしくない、と思ってしまいます。
すぐ近くにそうして今も苦しんでいる人たちがいること。
帰れないふるさとを思って涙を流している人たちがいること。
・・・
・・・
もしもタイムマシンがあったら、あの事故の何年前に戻れば、あの事故を防げるんだろう?
津波が来ることが避けられないとしたら、原子力発電所をとりあえず停止させておかなくちゃ。
でも、私のいうことなんか誰も聞いてくれないだろうし・・・
もしも。
もしも・・・
この記事を読んでくれた方がいらっしゃったら、ぜひ想像してみてください。
もしいいアイデアがあったら教えてください。
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