「最高の離婚」最終話~結局のところ~
(結局のところ、元に戻った。)
「最高の離婚」はそういうドラマでした。
ケンカを繰り返し、相手を傷つけるような言動を繰り返し、こんなはずじゃなかったと後悔し、それでもまた会えば一言言わずにはいられない。
家族だからこそ、夫婦だからこそ、他人じゃないから看過できない。
他人なら許せることも家族だから許せない。
ドラマの中には、
「男性は女性を好きになると許せなくなり、女性は男性を好きになると許してしまうようになる」
なんて名台詞もあったけど、どうなのかな。
一般的に他人なら、だらしなくたって、几帳面だって、自己責任だから「勝手にしてくれ」で終わってしまうものが、こと夫婦だと許せない。傷つけ合ってしまう。
私は個人的に「だから離婚最高、でしょ」と思っていたのですが、最後まで見て、元さやに収まるのを見ると、自分のそんな価値観を疑ってみたくなりました。ちょっとじっくり考えてみましょう。
※ ※ ※
これも私が個人的に、なのかもしれないのですけど、私には両思いの経験というのがありません。
自分も好きで相手も好き。
だから許せちゃう、ってそりゃ0とは言わないけれど、万に一つくらいの奇跡なんじゃないかと思っています。
で、それ以外の「万に9999」は、それこそ3D。「打算・妥協・惰性」(これもドラマの名台詞)。
私は、他人に価値観を押しつけられたり、我慢を強いられたりするのが苦手で、そういうことをされると、
「ほっといてよ」
と一番に思ってしまいます。
自分が「万に一」に当たるとは思えないので、残りの9999になるとすると、結局、人と暮らすというのは、我慢したり、譲ったり、耐えたり・・・その繰り返しなんじゃないかと思えてなりません。
これもやはりドラマの台詞ですが。主人公の光生は最初、「結婚は長い拷問」だって言っていました。
最終回にはそれが「結婚は食物連鎖」に変わります。
つらさは四倍になったそうで。
でもそう言いながら二人で暮らすことを選んだ彼。私には結婚経験がないので、正直、光生の心情は今一つぴんと来ませんが、
「食物連鎖」
つまり、そういうものだとあきらめて搾取され続ける現状を受け入れるってことかな(苦笑)。
・・・そう言われれば、究極、それもありなのかもね。
譲ることも耐えることも当たり前になってしまえばそこから逃げだそうとかは思わない。
それを引き替えにしても、妻である彼女の存在が「大事」なのだと、ドラマの最終回で彼は気づいてしまった。
彼の無神経な言動に傷つけられ続けてきた彼女にしてもそれは然り。
いやぁ、私自身もそれって全く分からなくはないのですよ。
人を好きになるってのはそういうことだもん。
自分のことはどうでもよくなる。自分よりも相手が大事。
搾取され続けようと、馬鹿にされ続けようと、自分がきれいにしたところを汚されても、自分が作った食事においしいといってもらえなくても、夢を否定されても、落ち込んでる時にさらに奈落に突き落とされても・・・
そして恋だ、愛だ、好きだ、嫌いだ、の期間を通り過ぎたら、次はそうされるのが「当たり前」になってしまって、ちょっとやそっとの言動ではいちいち傷つかなくなる。落ち込んだ時に慰めてもらうことも、夢を応援してもらうことも期待しなくなる。期待しなくなっても一緒にいる。なぜってそれが「当たり前」だから。
夫婦って、結婚生活ってそういうことなのねーーーーーーー
え? もしかして当たり前ですか?(爆)
いやぁ、私にはできない。だから私はこの世の全ての既婚者を尊敬しております♪
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