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May 2013

2013.05.20

「黒執事」-千の魂と堕ちた死神-(ネタバレあり)

「黒執事」-千の魂と堕ちた死神-(ネタバレあり)

昨日、2013年5月19日に『ミュージカル「黒執事」-千の魂と堕ちた死神-』を見に行ってきました。


そういうミュージカルがあるという話は知ってはいたのですが、見たのは今回が初めてです。
「黒執事」には最近、実写映画化の企画もあって正直「う~ん^^;」と思わないでもないですが、噂では同じ実写(?)でもミュージカルは評判が悪くないのですよ。
持ち前の好奇心が勝ちまして、幸い、チケットも取れたので見てみました。

感想は…うん、これは面白い。

ちゃんと黒執事のお約束を踏襲しつつ、暗くなりがちで地味な展開にユーモアを添えている。
アニメの時も思ったのですが、シリアスな展開ばかりでなくオバカ要素も盛り込んでいて、私はこういうの好きですね~
周囲の観客は若い女の子が多く原作ファンも多そうですが、概ね「面白かった~」という声が聞かれていました。
これがないと黒執事じゃない、という要素を全て外さずに取り入れ、一本のお芝居としてまとめ上げている、脚本もさすがです。

それ以上に役になりきってるキャストの皆様にはむろん脱帽ですが。
グレルもアンダーテイカーもウィルもあまりにもそのもの過ぎて違和感を全く感じないのですが、それって実はものすごいことです。
何回も同じものを公演しているせいもあるのかな。だとしたらミュージカルってそれがいいですね。今回は三作目、厳密にいうと二作目の再演なのですが、それだけに十分こなれている感じです。人間がやっている以上、1回目よりは2回目、2回目よりは3回目、よりよくしていこうと思いますものね。

私はあの「黒執事」をこうしてそのままミュージカルにできてしまうことそのものに感動してしまいました。

でも、登場人物は同じで原作のエピソードを部分的に取り入れている箇所もありながら、ストーリーは完全なオリジナルなのです。

(この先はネタバレです。)
死神なのに死をもたらす相手である人間に同情してしまう死神、アラン。
なのにそのアランになぜか、死神が人間に死をもたらすが故に背負う「業」のようなものである「死の棘」という病が襲いかかり、彼はそれに苦しんでいます。

そしてそのアランを大切に思い、その病を癒やせるたった一つの方法を実行に移す死神エリック。でも「方法」たっておとぎ話のような、要はやってみたってホントに病が治るのか分からない不確実なものではあるのですが…エリックとしては万に一つでも可能性があるのならそれに賭けてみたいと思った。

その方法が千の魂を集めることだったのです。

死神は通常、死亡予定者リストに載っている人間を淡々と審査して淡々と魂を奪うのですが、エリックが魂を集めた人間は当然リストには載っていないので、死神派遣協会にも追われる身となる。

そして、その原因不明の死に、女王の番犬である悪の貴族、シエル・ファントムハイヴとその執事セバスチャン・ミカエリスも捜査に乗り出す、と。
捜査というかシエル達の場合は、犯人が分かったらその犯人を排除することが役割なんですけども。

アランのために999人の罪のない人間を殺害し、魂を集めたエリック。でも最後の一つで失敗する。

エリックを捕らえようとしたシエルを1000個目の魂にしようとエリックがシエルを襲った瞬間に、それ以上、エリックに罪を重ねさせたくなかったアランがシエルをかばってその刃に倒れる。

友を助けるためならどんな非道い罪を背負おうともためらわずに人間を殺し続けたエリックの願いは、最後の最後にその友の行為によって阻まれる。
それどころか大切な友を自分の手で殺してしまう。

絶望したエリックをシエルの命令によりセバスチャンが殺す。

そうして事件は解決します。

…こうやって書くと全く救いのない陰惨な物語ですね。

シエルは最後に言います。くだらない事件だったと(「つまらない」事件だったかな?)。

ちょうど私もそう思っていたので、なんだかシエルの不埒な言い草にちょっと救われてしまいました。

死神なのに死を恐れ、死神なのに孤独を恐れる、なんてね。

「一人で生まれ、一人で死ぬ」
そんなことは人間にとっては当たり前のことです。
理不尽なことも、逃れられない運命も、かなわない願いも全て、当たり前です。

シエルは、もしかしたらエリックのしたことを一番よく分かっていたのかもしれません。
守りたいものを守ろうとして999人の人間を殺害した死神。
運命に屈することをよしとしないのなら、そこから力ずくで這い上がるしかない。
それはシエルもやってきたことだから。

でも弱かったらさだめを跳ね返すことはできはしない。
シエルは女王の命令により死神を始末した。
そこにはただ強い者が弱い者を排除した図式があるだけで。
その絶対的な価値観の前には善も悪も存在しません。
ただし自分のやったことは自分に跳ね返る。それもまた真実。
シエルもその覚悟は当然あって…「黒執事」にハッピーエンドはあり得ません。
いたいけな少年の魂が悪魔に喰われて終わる。

その凄惨な結末が分かっていても束の間のひとときに夢を見る私たち。

セバスチャンなら
「だから人間って面白いんですよね」
とか言いそう。

くだらないんだけど…
そう、999個の魂が結局何の意味も為さずに天に昇っていく光景がたとえようもなく美しかったように。
アランとエリックの歌は美しかったな。

ひとりきりで生まれ、ひとりきりで死んでいく。
さだめだと分かっていてもそれをつらく悲しく感じるのはなぜなのか。
そして…そういう孤独を感じている者同士が出会い、永遠の生を共に歩む。

くだらない夢かもしれないけれど、人間ってのはそういうのにロマンを感じる生き物なんですわ。そう、私もね。

いや、ベタといえばもちろんベタですよ。でも私はこういうベタな話が好きなのー♪

『ミュージカル「黒執事」-千の魂と堕ちた死神-』、6月9日には、千秋楽の舞台が全国の映画館で「ライブ・ビューイング」されることが決まっていますのでまだ見ていない方は(これだけネタバレしてて「見ていない方は」もないものですが)ぜひ♪

19日の舞台ではアンコールの最後に「フェニックス」のポーズを披露してくれました(笑)
こういうファンサービス、最高に嬉しいです♪

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2013.05.15

お弁当作りが楽しいなんて~♪

 Dcim0033 二つ前に「ランチ革命」という記事を載せました。

 今年の4月から、主にダイエット目的で、ランチにお弁当持参を始めましたが、5月に入り、連休後もお弁当作りは続いています。出張と、一週間に一度は友人と外へランチへ出かける日があって、それ以外はお弁当を持って行っています。写真は昨日のお弁当です。おかずは野菜の肉巻。

 自分でも意外なことに・・・お弁当作り、楽しいです。

 なぜ? 中学と高校、親にお弁当を作ってもらえなくて自分で作らざるを得なかった頃はあんなに嫌でたまらなかったのに。作るのが面倒で、コンビニのおにぎりにもずいぶんお世話になったっけ。それなのに。

 我ながらとても不思議なので、今日のブログではその理由を考えてみます。

①自分の弁当だから。
 自分で自分の弁当を作るのは、開けたとき、中が何かは分っていてサプライズはありません。だから張り合いがなく、つまらないだろうと何となく思っていましたが・・・
 逆に、自分の弁当だったら何を入れてもいい。
 これが子供の弁当だったり、夫の弁当だったりしたら、見た目が悪かったり、バランスが悪かったりしたら、嫌がれるんじゃないかと気を使わなきゃいけないじゃないですか。何日も同じおかずが続いても文句言われそう。でも自分のお弁当なら別に、面倒ならば毎日同じでもいい。
 当初、私は、とにかく弁当作りを続けるために、ノン調理を心がけました。
 お弁当作るっても詰めるだけ。
 それなら続けられるんじゃないかと。
 そんなことができるのも自分のお弁当だからこそです。

 そして弁当作り二ヶ月目に入った今、少し、ポリシーが変わりました。
 自分が食べるんだからもうちょっとおいしいものをいれたいなと。
 最近はスープも持っていくようになりました。デザートにバナナを持って行ったときも楽しかった。
 そうやってだんだんグレードアップしていく。
 明日は何を作ろうか楽しみになる。
 普通とは逆で、最初は手抜きでだんだん凝るようになるわけです。面白いですよね。

②一人暮らしだから
 でも、自分のために自分の弁当を作るから楽しいだけだったら、学生の頃だって同じだったわけです。
 当時と今の違いは何なのか?
 
 ・・・これはあくまでも「私」個人の話なのかもしれませんが・・・

 親元を離れ、一人暮らしを始めて私はもうかなり長くなります。
 一人暮らしを始めた当初も、寂しいとはほとんど感じませんでした。
 人に煩わされなくていいのが、何よりうれしかった。洗濯も一人分、食器洗いも一人分。小さいながら自分のお城。お風呂も好きな時に入ればいいし、好きなだけ寝るのも自由。

 まるで、本当の自分に還ったようでした。
 それまでも、別に誰かに気を使って生きてきたとは思っていなかったのですが、意外と家族と住んでいても、当たり前ですが、相手に気を使っているもので。そういうものから全部解放されて、何でも自分で決めていいことになったとき、本当の自分の人生が始まったような気がしました。
 それから幾年月。そのまま、親元に帰ることもなく、今でも一人暮らしを満喫しています。

 誰も私のために何かをやってくれはしませんが、私も私の分だけをすればいい。
 この自由さが大好きなんですよね。
 だから・・・まあ結婚とかありようがないわけで^^; そもそも病気の時や具合が悪い時はなおさら人にかまってほしくなくて、一人でいたくなる性分です。 基本的に自己完結しているのが好きなんでしょう。

 というわけで、昔、親と暮らしていた当時は、弁当ったって、自分の弁当用にちょこっと何か買ってきて、ちょこっと何か作らなくてはいけませんでした。面倒でしょうがないです。

 今は違います。ごはんを炊くのも、買い物に行くのも、1日のトータルの家事の一環ですから、お弁当のために何か特別なことをするわけじゃない。

 いえ、正確にいうとちょっと違うのですが。
 お弁当を作るようになってからは、炊事全般がお弁当を中心に回るようになりました。その意味では「お弁当のために」特別なことをしているのは確かなのですが、炊事全般をそれに合わせてしまったので、他で特別なことをしなくなった。

 どういうことかというと・・・

・朝、お弁当のために、御飯が炊けるよう、夜セットしておく。
・朝は、お弁当を詰め、炊き立てのご飯と納豆で朝食。
・昼、お弁当。
・夜、ダイエットのため、晩御飯は置き換えのダイエット食品(オルビスのプチシェイクにしています)。朝のためにお米をといで、炊飯器にセット・・・

そういうサイクルに今はなっています。
おかずも作れるものは夜、作っちゃってます。そうすると朝はつめるだけですから楽。
お弁当用に作ったものの余りがあれば、それを朝ごはんとして食べたりもします。

何を作ろうか考えるのはお弁当だけでいい。朝と夜は決まってますから。
夜も、以前は出来合いのお弁当を買って帰ったり、外食したりしていましたが、それも少なくなりました。
朝と昼、しっかり食べるから夜は別にプチシェイクでいいやと。
夜は朝や昼よりもしっかり食べるものだと考えていた価値観が変わりました。これもお弁当効果なんでしょう。もともとダイエット目的ですから、願ったり叶ったりです。

おそらく一人じゃなかったらそんなこともできないだろうな。
自分がどうするのが一番自分にとっていいのか。それを考えることが楽しい。

こういう考え方ってちょっと変わってるのかな・・・

ともあれ。今夜も明日のために炊飯器をセットしました。おかずも大体決まっています。付け合せの人参はすでにレンジにかけて出来上がっていますから、明日の朝は、メインをちゃちゃっと作って詰めればいいだけ。

炊いたご飯は、2日間分くらいあるので、明後日のお弁当には炊き立てのご飯を持ってはいけないため、いつも木曜日は麺の日と決まっています。木曜日はパスタだな・・・おかずは何にしようかな。

あ、お弁当作りが楽しい理由がもう一つあった。

③昔よりお弁当に使えるおかずが増えた。

冷凍食品だってたくさん種類がありますし、豆やかまぼこや煮物や玉子焼きだって今は打ってますからねー。
中には冷凍庫から出してお弁当に入れるだけで、昼には食べられるおかずだってたくさんあります。
買ってきてつめるだけなら、楽に続けられる。
ただ、自分で作る方がどうしたっておいしいから、自然と作るようになるんだなー、これが。ないから作らされるのは嫌でも、作りたいから作るのは楽しい。不思議なんですが、人間の心理ってそんなものなんですよね。

子供の頃、やらされてた勉強は楽しくなかったけど、大人になってからする勉強は楽しい。そういう経験がある方がいれば、それと同じ、なのかも。

これからもお弁当作り、頑張ります。

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2013.05.13

売春はなぜいけないか?

 橋下さんが「慰安婦は必要だ」と発言した、というのがニュースになっております。

 うーん・・・言ってることは分からないでもないのですが、私が女性だからか性行為を商売にすることを当然だと認めたくない気持ちがどうしてもあります。
 もちろん「慰安婦」に関しては、時代背景とかいろいろあって「性行為を商売とする」ことだけが問題なのではないことは分っていますが・・・なので少し整理して考えてみることにしました。

 そもそもなぜ売春はいけないのか?
 突き詰めて考えていくと、もしかしたら「売春」そのものがいけないわけではないかもしれません。

 人には職業選択の自由があって、本人が望まないことを強制されることは人権にもとる行為です。

 逆に言うと「売春」も本人がそれを職業として選んでいるのならありなのかも。
 消費者が望むサービスを提供し、それで報酬を得る。その手段の一つならありでしょう。
 顧客が納得する最高のサービスを提供できるプロフェッショナルなら、それこそ高級マンションに住んで、ブランドの服やバックをいくらでも買えるような報酬を得て当然って気がします。

 いけないのは、たとえば幼児売春のように、未成年者を本人の意思決定がないままに、周囲の大人(たとえば親。海外の例ではそんなのばっかりみたいです)の都合で売春をさせて、本人たちよりも周りが儲かってたりするからですな。未成年はそういう意味で売春はさせてはだめだし、買うのも犯罪。

 職業なら、他の仕事と同じで、何かのトラブルが発生したときの対応とか、保険とか、年金とか、保証とか、ちゃんと働く人を守る会社組織みたいなものが本当は必要なんだろうな。とかく、こと売春の場合は、組織は本人たちからアガリをかすめとるような悪者っぽいイメージがありますが、そういう仕事だからこそ、ちゃんと労働者を守るルールを作り、それを守らない客は取り締まってもらわないといけないと思います。水商売と言われる接客業は、そういうちゃんとしたお店もあるよーな(ドラマでしか知らないけど)。

 「慰安婦」がそういうれっきとした職業だったのかどうか・・・
 もちろん、今でも貧しくて他に仕事がないから、本当はしたくないけれど、体を売る仕事に就くしかなかった、というのが、幼児売春が問題となっている国などの実態なのでしょうから、職業選択の自由もへったくれもなく。
 そこがこの問題の難しいところではあるのでしょう。被害者にとってみれば「強制」で、そうでない側からすれば「自由意志に基づいたものだった」となる。ただ・・・ここを争うのはひどく不毛な気がしてなりません。

 日本国憲法曰く。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
 『ひとしく恐怖と欠乏から免れ』です。貧困ゆえに、売春を強要されるような世界が現実であるならば、そこから脱しないといけない。「理想」ですから迂遠なことは覚悟の上です。

 少なくともこの先、二度とそういう悲劇を繰り返してはならないし、今、そういう状況にある国があるならば、それを是としてはいけない。
 そんなふうに思います。

 ただ、こうやって整理してもなお、なんとなく釈然としないのは・・・やっぱり私が女性だからだろうなぁ。

 性欲ってのは個人差があるものですから、一概に言ってはいけないのかもしれませんが、ぶっちゃけ、「慰安婦がいなかったら現地の女性をレイプするのが当たり前」「慰安婦は現地の女性を守るために必要」ってのは、どうにも納得ができない。

 そこまで人間って性欲をコントロールできないものなの? 人間も動物だからしょうがないって?
 そこまでどうしようもないなら、いっそ去勢しちまえ! (暴論ですよね^^; 分ってます)
 もとい、元に戻らない去勢はそれこそ人権にもとるからだめだとしても、今なら一時的に性欲を減退させるような薬、作ろうと思えば作れるんじゃないの?
 沖縄で性懲りもなくレイプ事件を起こす米兵には、自分で性欲をコントロールできない以上、そういう薬の投与が必要なんじゃないかと本気で思います。

 
 人間は、ちゃんと理性でコントロールできる。私だってできればそっちを信じたい!

 そういう信頼に基づいて、去勢も、薬も、誰も何も言わないでいるのに、もし、橋下氏がいうようにそこまで人間がどうしようもない生き物ならば、本気でそういう方法を考えなければいけないんじゃないの? 
 橋下さんにはいっそのこと、そういう提案をしてほしいですわ。

 ・・・
 ♪あたし男だったらよかったわ
 ♪力づくで男の思うままに
 ♪ならずに済んだかもしれないだけ
 ♪あたし男に生まれればよかったわ
 ・・・

 これは中島みゆきさんの「ファイト!」という歌の一節ですが、こんなふうに嘆かずにいられない女性がいなくなるようにと、願ってやみません。

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