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January 2014

2014.01.28

都知事選挙まであと12日

都知事候補、家入一真さんの活動をつい毎日、ツイッターで追ってしまいます。開票までずっと目が離せない!

でも、自分がもし都民だったら、一票入れるかどうかは躊躇してしまいます。
だって、前も書きましたが、やっぱり家入さんには都知事にはなって欲しくないからな~。
以前、家入さんはツイッターでこのようなことをつぶやかれていたそうです。

(引用開始)

要求ばかりする人間とのつきあいはとても面倒臭い。要求はすなわち依存である。例えばアルコールやドラッグと同じで、人はいとも簡単に人に依存する。やがてより度数の高いものを求めるようになり、そしてそれが叶えられない時に絶望し愚痴るのである。最初の感謝などさっさと忘れてしまってね。
- 家入一真 苦情:08044431800さん (@hbkr) 2013年6月11日

僕は人に過度に期待したり求めたりしないし、逆に僕にも何も求めて欲しくない。
期待も要求も依存関係の始まりだからね。依存するから願いが叶えられない時に絶望するし、依存されるから身動きがとりづらくなる。人とのつきあいが依存関係にしかなり得ないのだとしたら、むしろ僕は隠遁生活を選びたい。
- 家入一真 苦情:08044431800さん (@hbkr) 2013年6月11日

“ビジネス関係だけじゃなく、友人や彼氏彼女、例え親子でも、人間関係において一方的に何かを求めだすとキリが無い。より要求は高まる一方だし、思いが叶えられない時に勝手に裏切られた気持ちになり、絶縁してしまう。一方的に勝手に期待し要求し依存することは、愛や友情では無い。
- 家入一真 苦情:08044431800さん (@hbkr) 2013年6月11日

(引用終わり)

全面的に同意。私はこういう家入さんが大好きです。
だからこそ、この人ほど「都知事」に向かない人はいないと思う。

都民と都知事の関係、いや国民と政府の関係って、まさに家入りさんが大嫌いな「依存」に他ならず。
都知事なんかなっちゃったら、自分は要求ばかりして、それがかなえられないからといって絶望し、糾弾する人ばかりが群がるんじゃないかと。
それは家入さんにとってものすごく不自由で不幸なことです。

私も過去、若者だったから気持ちは分かるし、若者に関しては家入さんならきっと詳しいから私が言うまでもないのですが、若者ってのは基本的にプライドばっかり高い甘ったれで、誰かが責任とってくれると思ってる。
誰かが演出する祭りに無責任に乗っかるのは大好きで、それが誰かの上手な「誘導」であることに気がつかずに、自分が選んで自分で行動していると思ってる。
親に依存して生きてきた時間が長いから仕方ないことなんですが。
私にしてから、自分で自分の責任を取ることの意味を理解し、その覚悟ができたのは一人暮らしを始めた20代の終わりくらいからだもんな。

もちろんそんな私よりも利口で大人な20代も30代もいないとは言わないけれどなんというか・・・そんな依存しがちの彼らが大喜びで家入さんを支持しているのを見ると反動が怖くて。

仮に都知事になったって家入さんは家入さんなのだし、一人の人間なのだし、できることって限られる。若者達は都知事がどれだけ全能だと思っているんだろう? 
「政治家」って立場になったって「人」であることは変わりないという当たり前の事実さえ彼らは忘れてしまうんじゃないだろうか。
そしてこうした政治参加へのムーブメントを与えてくれた「最初の感謝」なんてすぐに忘れて「叩く」側に回るんじゃないだろうか。

まあ、家入さんは分かってやってるのかな。そんな気もするな。
彼らに、人任せではなく自分が動かなければ何も変わらないことを教えようとしているのかも。
そういう意味では・・・都知事選立候補は壮大な「実験」なのかもしれません。

当選するつもりがないのに立候補だけしてみました、では誰も投票してくれない。ひょっとしたらひょっとするかも、と思わせるのが作戦で。そういう意味では本気も見せるし、それなりのリスクも負う。
その全てが計算なら、私が考える以上に「政治家」なんだけど、多分そこまでじゃないだろうな~(苦笑)

弱者を助けたいと思う気持ちはきっと本物で、それができる行動力もある。
分っていてもその「仕掛け」にはまってみたい、と思わせる。それが、家入一真。
当選して欲しくはないけれど(こらこら)これからも次はどう動くのか注目しています。

そういう意味では… がんばってください! 家入さん。

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2014.01.25

仙台のおすすめ牛タンと笹かまぼこ

 昨年10月から仙台に来て、3か月半。まだまだ仙台では「ストレンジャー」なんですが、だからこそ、まだ仙台名物と言われる「笹かまぼこ」や「牛タン」に興味が尽きなかったりします。

 牛タンに関しては、この3か月半で学んだことがいくつか。

・仙台在住の人はそんなに牛タンを食べにいかないらしい。でも精肉店やスーパーに売ってる牛タンを買ってきて、家で焼いて食べたりするらしい。

・利休、喜助、などの牛タンチェーン店は、都内にもあるみたいなので、仙台に客が来たときは、東京にはない店に案内した方が喜ばれるという噂。でも東京にはなくて仙台のグルメ本に載ってる牛タン店に行ったら、裏通りの小さい店で、先日など2時間待ちだった・・・

 まだ、実は噂の「利休」も「喜助」も行ったことがなくて、仙台在住の内に一度は行っておこうかと思っているのですが、この3か月半ですでに自分としては、「ここ最高なんじゃないか」というところを見つけてしまいました。

 それは・・・「青葉亭」
 
 先日、ここの牛タンステーキを食べたのですが、見た目もおなかも超満足。自分の好きに切り分けて、わさびやたれや好みでいただくことができるのもうれしいです。
 何よりどこで食べたって牛タン定食って高い割に、牛タンは薄焼きがちょっぴりしか食べられないじゃないですか。牛タンステーキなら大満足です。
 私は仙台駅直結の駅ビル、エスパルB1のレストラン街の青葉亭でいただきました。
 お肉が好きな人は、これが絶対お勧めです。見た目はちょっとグロなので、苦手な人はおやめください^^;

 続いて笹かまぼこ。
 鐘崎、白謙、阿部のかまぼこなど、こちらも仙台駅に到着するとすぐに目につく有名かまぼこメーカーが数々あるんですが、この間、鐘崎の無添加笹かまぼこを食べてみたら、期待したほどおいしくなくてがっかりしてしまいました。
 これなら、家の近所で買える笹かまぼこの方がおいしいや、と思って、改めて、家の近所で買った笹かまぼこのメーカーを見ましたら。
 「陸前屋高橋商店」
というところです。女川にある会社なのですが、実は先日、友人においしい笹かまぼこを聞いたときに教えてくれたのが「高政(たかまさ)」というブランドでして。いずれはじゃあ高政のかまぼこを食べてみないとなぁと思っていたら、なんと、高政も同じメーカーらしいことが判明。ギフト用が高政で、量販店用が陸前屋高橋商店、なんですって。(興味のある方は検索してみてくださいませ)

 ネット情報によると「陸前屋高橋商店」の笹かまぼこは、埼玉あたりでも売っていたりするようですので、ぜひ、近所で見かけたら買ってみてください。食べてみて笹かまぼこって、そのくらいしっとりしてておいしいものだと思っていたらだめですよー。それは「陸前屋高橋商店」だからです。
 しっとり笹かまぼこ
http://www.beeboo.co.jp/shopdetail/4937265111959/
 
 そのうち「高政」も実家に帰るときとかにおみやげにしようかな。

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2014.01.23

なぜ働かなくてはいけないか

 東京都知事選挙に家入一真氏が立候補されました。
http://topics.jp.msn.com/digital/general/article.aspx?articleid=3068067

 知事になったらやりたいことだけやるわけにはいかないし、というかやりたくないことばっかりだし、家入さんには向かないと思うけどな。能力のある人は政治家じゃなく、自分で会社を作って自分で運営した方が絶対効率がいいのに。
 家入さんは個人で起業して今までやってきたのに、なぜ今、都知事なんか…。話題作りのしゃれのつもりならいいけど、そうじゃなくて本気みたいなので、余計にそう思ってしまいます。
 日本て国は、公が何から何まで面倒を見る社会主義じゃなくて、自らがんばる人を応援する自由主義で(少なくとも私はそう思っています)、起業家の方が自由に何でもやれていいと思うんですよ、絶対に。

 公の役割は小さい方がいいと私は思います。役人なんて所詮決められたことしかできないのだし。そして、決めるのにめちゃくちゃ時間がかかるのが国や県や市町村、つまり公。時間がかかるのにはちゃんと理由があります。彼らが何かをするのに必要な費用は、彼らが働いて得た金じゃなく国民の税金を使うんだもの。ちゃんと話し合って賛否両論を吟味して決めてもらわねば誰も許さないでしょ。

 で、もちろん、時間かけてたらだめになることもあるわけで。
 スピードが求められ、ある程度リスクも覚悟で実行しなければならないこともあります。
 そういうことには「公」は向かない。向かない仕組みになってる。そういう仕組みである理由は上に書いたとおり。

 だから、家入さんがやりたいこと、これからやって欲しいことは、政治家なんかじゃできないことだと私は思ってたんだよな。

 私が家入一真という人を知ったのは2012年5月の「study gift」の時です。「study gift」は学生にクラウドファンディングの手法で学資を支援しようという試みで、及ばずながら私も一口協力しようとしたんですが、周知のとおり「study gift」はいろいろな理由から炎上し、一端、サービス停止に至りました。私もお金を返金してもらいました。
 当時、いろいろ議論はあり、サービスの停止と再立ち上げはやむを得ない感じでしたが、でも、こういうことをやってみようとし、実際にやってみて、試行錯誤しながら、本当に誰かの助けになる事業を立ち上げることが出来るのって、すごいことだと思って。
 絶対、そんなの役所にはできません。これこそが民のパワー。

 その後ずっとツイッターで家入さんをフォローしていますが、口座晒しも電話番号晒しもユニークだなぁと思います。
 リスクはもちろんあって、やらない理由はいくらでもある。
 でもやらない理由を並べてやらないんじゃなくて、とりあえずやってみる。それも物事を前に進め、世の中を変えていくために必要なことなんじゃないかと。そういうことができる人はなかなかいません。
 家入さんはそれができる人です。

 そういう人だと思っているから、都知事なんて家入さんの手足を縛る仕組みでしかないように思えてならない。
 こういう方には、自由にやりたいことをガンガンやって欲しい。

 と、ちょっと前書きが長くなりました。
 その家入さんが都知事の立候補の記者会見でこんなことを言いました。

>「なんで就活しなければいけないんだろう」ということに、答えられる大人はいない。

 私も大人の一人なのでちょっと考えてみたのですが、確かにこの問いって答えにくい。なぜなのか考えてみたのですが、どうもこの問いってそもそも答えがないからなんじゃないかという気がしてきました。

 働かなくてはいけない理由は、この世界にどこにもない。
 でも働く人はいます。
 それは、誰かの、何かの役に立ちたいと思うから。
 自分の力で何かを作り上げ、それに多くの人の評価を得たいと思うから。
 私達が働くのはそういう自発的な動機にもとづくものなので、「しなければいけない」ことじゃないと思うのですよ。
 マックのレジだって、街頭のティッシュ配りだって、またはもっと人の役には立ってないように思える仕事だってそれは同じこと。
 時として半沢直樹の世界じゃないけど「どれだけそれで利益を得るか」の方に重点が行ってしまって、そんな理由はどっか行っちゃってる仕事もなくはないですが、原点はそうだと思うのです。だって「働く」って「端(はた)を楽にすること」だもんね。
 
 人って生きている限り、そういう欲求はあると思う。
 人の役に立つことで、人に認められないという思い。「承認欲求」というんでしょうか。働くっていうのはその欲求を満たすこと。
 食べたいから食べるし、眠りたいから眠る、それと同じことで。
 なぜ食べるのか、なぜ眠るのか、それぞれ理由はあるけど、基本的には私達は食べたいから、眠りたいからそうするんですよね。
 働きたいから働く。それだけなんじゃないかなぁ。

 じゃあ働きたくなかったら働かなくてもいいのかって話ですが、働くのって、おいしいものを食べたら幸せな気分になったり、よく眠れたらすっきりするみたいに、働いたからこそ得られるメリットってのがあるわけで。働きたくない人にはそのメリットこそを伝えていくべきではないのかと。単純に、メリット=お金、でもいいけど。それだけでも相当なメリットですわな。

 働いてお金を得ることの喜びって知らないともったいないと私は思います。
 というかみんな知っていると思うけど、お金がないのとあるのとではあったほうがいろいろ便利ですよねw
 働くことによって評価を受け、その評価が「お金」という形で返る。「承認欲求」をお金という形で満たすことができ、そのお金はまた別の欲求を満たすために使うことができる。

 働くっていいことじゃないですか。
 働きたくなってきたでしょ?(なわけないか)

 昔・・・働きながら子育てをするワーキングマザーの皆様とこのブログで意見交換をしたことがありました。
 そのときに分かったことは、働きながらの子育てがどんなに大変でも、皆さんは「働きたい」と望んでいるということ。

 私自身は、実はあまり働くの好きじゃないですが、少なくともお金のメリットはとても感じています。働いて一人暮らしをするようになってから、やっと自分の人生が始まった気がしました。いろんな意味で親という軛(くびき)から解放され、自由を手に入れました。これってめちゃくちゃ大きい。

 「働きたくない」と言っている人だって一生親がかりで引きこもって生きることなんて誰も望んでないように思います。外の世界で思うまま生きたい。
 それを実現するのが「働く」ことなんだよな。

 「働く」ことは決して楽しかったり、楽(らく)だったりすることばかりじゃないですし、辛いことも、悔しい思いをすることも、歯をくいしばらなければならないこともあります。でもそれがもたらすメリットって本当に大きい。そのことも私たち大人は、もっともっと子供たちに伝えてかなきゃいけないんだろうな。

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2014.01.20

フルリスペクト ~一直線の尊敬~

 先日、黒執事原画展を見に行き、コミック最新刊も発売されましたので、コミックを読み返していてふと思ったこと。
 とあるエピソードでこんな才能を持つ青年が登場します。

 その青年は、自身に何か特別に秀でたものがあるわけじゃない。
 でも、周りに特別な才能を持つ天才がいると、その人を尊敬し、自分もその人に近づけるように努力を惜しまない。
 そうしてその天才と同じ技術を身につけてしまう。
 これは紛れもなく一つの才能であり「黒執事」の中ではその才能を「フルリスペクト」=一直線の尊敬、と名付けています。

 このエピソード、前に読んだ時はそれほど印象に残っていませんでしたが、最近、ネットの有料動画で「黒子のバスケ」を視聴しまして。
 見たことのある方はピンと来ると思うのですが「黒子のバスケ」にも主人公の黒子(くろこ)君を含め「奇跡の世代」と呼ばれる6人の天才バスケットプレーヤーが登場します。
 その一人、黄瀬(きせ)君が「フルリスペクト」に似た(もしかしたら同種の)才能の持ち主なのです。
 「黒執事」よりも、「黒子のバスケ」における黄瀬君の才能はより詳しく描写されているので、「黒子のバスケ」を読むとよりこの才能の本質が理解できるような。

 黄瀬君の才能は「黒子のバスケ」では「コピー」と表現されています。
 相手チームのエースプレイヤーの優れた技を一瞬でコピーできてしまう。
 これは・・・敵チームにとっては驚異ですよね。
 コピーというと自分では努力せず、相手の技を盗む、みたいであまりいいイメージはないですが、黄瀬君はもともとバスケに限らず、他の人が何かをやっているのを見ると、自分もすぐできるようになってしまう子でした。

 「黒子のバスケ」ではそれを「学習能力が高い」と評します。
 何かを習得しようとするときって、それなりに時間がかかるのが一般的。
 でも黄瀬君の場合はその「時間」が人並みはずれて短くて済んでしまうのです。これが黄瀬君の才能。
 すごく特別なことのように思えますが、実はこれってそうでもないのかもしれません。
 テレビから流れてくる歌をすぐに覚えて歌えちゃう子っているでしょう。
 誰も教えてないのに、見たものを、そのまますらすら絵に描けちゃう子もいます。
 他の人がなぜできないのかの方が分からない。
 黄瀬君に限らず、普通の人が時間をかけて習得することをあっという間にできてしまう人はいます。

 黄瀬君の「コピー」はだから「真似」ではない。
 いえ、正しくは「真似」ではありますが、それは私達がみんな普段「学習」という名前で呼んでいる作業の時間がものすごく短縮されたバージョンといっていいでしょう。
 「黒執事」で「フルリスペクト」の能力を持つ青年もクリケットの試合で一度見ただけの相手プレーヤーの投球方法を同じように再現することができました。

 見ただけで何でもできてしまう黄瀬君にも、唯一、なかなかコピーできないバスケットプレイヤーが「奇跡の世代」にはいて、黄瀬君はその彼に勝つために、彼への「憧れ」を捨て、彼のプレイの完全コピーに挑戦します。
 この流れは「一直線の尊敬」が相手の能力を習得することにつながる「フルリスペクト」とは反対で、黄瀬君の場合は、相手の全てを自分が習得してしまうことによってもう学ぶものがなくなっちゃうとつまんなくなっちゃうというトラウマがあってそれまでは相手のプレイのコピーがどうしてもできなかったんだけど、そういう思いを捨てた時に完全コピーが完成する、という話でした。

 ただ、それまではやっぱり自分のをいく人への憧れがあって、黄瀬くんもそれがあったからバスケやってきたんだな、と。
 「憧れ」そして「尊敬」が自らを高みへと導く、そういう「才能」っていいな~と、全然関係ない二つの物語に、似たような才能の持ち主が出てきたのを読んで改めて思った、という話。

 よく受験や就職の面接で「尊敬する人は?」って訊かれるって言いますよね。
 皆さんはそれって誰って答えますか。就職面接だと「父です」とか答えると印象がいい、と前に聞いたことがあるな。

 私は「尊敬する人物」と言われてピンと来る人が昔はいませんでした。
 当時、「千代の富士」は尊敬してたけど。だって一人横綱で各界を背負って立つなんて並大抵の覚悟でできることじゃないし~。
 でも就職面接で尊敬する人物を聞かれて「千代の富士」とか答える女子学生がいたらびっくりされただろうな。
 よほどの変わり者だと判断されて落とされそう。
 今の職場の面接では、あんまり覚えていませんがその質問自体されなかったんだと思います(笑)。

 「尊敬」ってのは本当は誰でもいいんだな。
 自分より優れているものを持っている友人なら誰だって。
 そうやって周りを尊敬できることが才能ならば、そういう才能こそが実は私達にとってもっとも必要なものかもしれません。

 でもやっぱり今でも私は「尊敬する人」を聞かれたら困ってしまうな・・・
 本音を言えば「天上天下唯我独尊」だからな~(こらこらこらこら)
 だから何もできるようにならないんだなぁ、うん。
 皆様、こういう大人になってはいけませんよ。

 今からでも、周りの人を少しずつでも尊敬できるように、そしてそういう人に近づけるようになりたいと思います。

 でも「リスペクト」には「尊敬」だけでなく「尊重」の意味もあるんだって。
 「尊重」なら得意。
 「人は人、自分は自分」ってことだものね。 え? 違う?(爆)

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2014.01.18

あんまり変わらない

Dcim0201 今日は池袋で開催中の、マンガ家、枢やなさんのデビュー10周年記念「黒執事」原画展に行ってきました。

 朝、仙台発9:43。新幹線で大宮まで行き、大宮から湘南新宿ラインで池袋へ。乗り換えは一回だけ。池袋には11時半、ちょっと過ぎに着きました。

 友人と待ち合わせて西武百貨店の会場へ。
 原画展を楽しみ、パンフレットや絵葉書を購入し、そのあと、遅めのランチ&おやつを本日は池袋のパルコのレストラン街で。
 たっぷりおしゃべりとおいしいランチ&おやつを楽しんだあと、夕方4時くらいには友人と池袋で別れて大宮へ。帰りの新幹線では、発売されたばかりの黒執事のコミック18巻を読みながら、本日は1日、黒執事漬けで仙台まで帰ってきました。
 仙台に着いたのは夕方6時ちょっと過ぎ。

 ・・・ふむ。こういう1日って、昨年10月まで埼玉に住まいがあったころと、ほとんど変わらなくない?

 朝でかけて、友達と遊んで、夕方に家に戻る・・・うん、あんまり変わらない。

 仙台に来てからも月に1度くらいは、関東にでかけているんですが、時間的な負担はそんなにありません。今日、一緒に原画展を見に行った友達に「遠くからわざわざ」と言われたんですが、気分的にはあまり変わらないし、帰ったのも早かったので、なんだか拍子抜けしてしまいました。

 まあ、無論、金銭的な負担は確かに埼玉に住んでた頃と比較にならないくらい多いんですけどね^^;
 大宮ー仙台間は、6枚つづり回数券が56,400円。つまり、1枚9,400円。往復で18,800円。
 改めて書くと、確かに1ヶ月に使う娯楽費としては多いか・・・
 まあでも、働くお父さんの一か月のお小遣いとして二万円と考えれば妥当な金額でしょう。
 そのために・・・ってわけじゃないけど、普段はお弁当だし~
 
 と、自分に言い訳しながら、来月は囲碁の大会のためにまた都内に出向きます。
 ジャンボ囲碁大会に出場の皆様、よろしく♪

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2014.01.14

あなたは望んで大人になりましたか ~「図書室のネヴァジスタ」(ネタバレあり)~

 皆様、あけましておめでとうございます。
 今年もボチボチ更新してまいります。どうぞよろしく~

 昨年、AmazonでPCゲームのソフトウェアをいくつか購入したところ、Amazonから「図書室のネヴァジスタ」というPCノベルのソフトウェアを薦められました。
 ゲーム、というよりはやはり「ノベル」、つまり小説。ゲームブックといっても最近の方は分からないでしょうが、要はPC上の画像と文章で物語を辿っていくと途中で選択肢が現れて、その選択によって先の展開が幾通りかに分岐していくという作品です。
 最近は、登場人物のセリフ付(フルボイス、っていうみたいですね)のものが多いですが、ネヴァジスタはBGMや効果音のみ、セリフに音声はないので私の感覚ではやっぱり「小説」です。

 こういう作品に慣れていないので読みにくいことこの上なく、登場人物の誰が何をしゃべっているのか分からなくなることしばしばでしたし、ミステリーなのでそもそも物語の中の出来事に前後の脈絡がありません。事件や現象が先に起こり、それがなぜ起こったかは、後から分かってくるという因果律を無視したストーリー展開。読んでいくと頭がごちゃごちゃしてきます。

 無論、それは、登場人物達自体が何が起こっているのか分からないままに事件に巻き込まれていくというストーリー展開と合わせた演出だとは思うのですが、正直、途中で読むのが面倒になっくてくるほど。

 それでも、やっぱり謎の答えが知りたくて3連休はずっと、PCとにらめっこしていました。

 「あなたは望んで大人になりましたか」はこのゲームのキャッチコピーです。

 ここからがネタバレ。これからプレイする人は見ないでね。

 ・・・
 ・・・
 ・・・よいですか?
 「ネヴァジスタ」とは「ネバーランド」のことだったのですね・・・

 ゲームの中でこんななぞかけがあるのですよ。とある少年が、友達にこんな手紙を送ります。

(引用開始)

 ネヴァジスタを見つけた
 彼の言った意味が分かる
 本当に残念なことだけれど
 それは君が死ぬのと同じこと

(引用終わり) 

 大人になりたくなかった子供がいて。大人になるのをやめるには死ぬしかなかった。
 そういう物語が「図書室のネヴァジスタ」です。

 小説に出てくる大人になりたくない子供たちはみんな10代。高校生です。
 いわゆるダークエイジ、暗黒の世代ですな・・・

 私だってあの頃はそうだった。大人なんて働いて死ぬだけだと思ってました。世の中は絶望に満ちていて、この先、生きていてもつらいことばかりだと思っていました。

 あんなにつらいことばかりだったのに、暗黒時代に命を絶つことなく、そこを乗り越えた私は、大人になることは自由を手に入れることなんだというのを知りました。

 親や世間や知識やいろんな枷に、なぜ子供の頃は縛られなくてはいけないのでしょうね。

 逃げ出せないオリに見えた恐ろしい牢獄は、実は概念でしかない。
 解放された先には、何でもありの、果てしなく広く、美しい世界が広がっていました。

 ネヴァジスタに出てくる子供たちはどちらかというと檻に閉じ込められて、助けを求めている子なので、私から見るとネバーランドに住むピーターパンとは真逆のようにも見えます。

 子供の頃が幸せで、ハッピーならば、大人になることが檻に入るように見えるでしょう。
 だから命を絶つことが永遠を手に入れることと=に映る。

 でも子供の頃が辛いなら、大人になることはそこからの解放なんだけどな。
 なんて・・・それは今だから言えるのか^^;

 しかし、あらためて「望んで大人になったのか?」と問われると、私は決してYESとは言えません。
 これを読んでいる皆様はいかがでしょうか。

 結婚をせず、子供もいず、誰にも縛られない、どんな選択でも可能な自由を選び取った私は、実は中身はそんなに彼らと変わってはいないような気がします。

 子供かと言われると子供ではありません。
 でもいわゆる大人でもない。
 
 知らない方には誠に恐縮ですが「スカイ・クロラ」というアニメ映画をご存知の方はいらっしゃいますか。
 
 この映画には「キルドレ」という大人にならない子供が出てきます。
 この映画を見たときに、私は、
「私たちがキルドレなんだ」
 と思いました。
 
 世界は変わらないかもしれない。
 何も変えられないかもしれない。
 それでも生きていく・・・

 子供の頃に見た絶望の世界と、実は今、私の目の前に広がる世界は何一つ変わったわけではないんです。絶望も希望も・・・世界はあるがままにあるだけで。
 それでも生きるということに望みをつなぎ、次の世代に夢を託し、生きるのが「命」なので・・・
 
 そのことを私たちは暗黒時代に足をすくわれそうな彼らにどう伝えていけばいいのだろうと。
 今、「図書室のネヴァジスタ」を見た、大人になった私はつくづく思うのでした。

 望んで大人になったわけではないけれど、生きた年数だけ積み重ねたものがあって。大人になるということはおそらくそこに希望をつなぐことなんだろうと思います・・・彼らに説明しろといってもできないけれど。
 あ~、私、商売に「先生」を選ばなくてよかったーw

「図書室のネヴァジスタ」はおそらく、彼らの世代にすごく響く作品なのだろうな。
 未来には絶望しかないと信じている。
 でもそんな彼らに希望を見せるための小説でありゲームなんでしょう。
 
 もし、機会がありましたら、下記のリンクからちょっと覗いてみてください。
 こういうゲームに慣れない方は、非常にとっつきが悪いかもしれませんが・・・
 もしかしたら、このゲームは誰かの「救い」になるかもしれません。

 「図書室のネヴァジスタ

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