« たったひとりの人生の相方 | Main | poem(104) »

2014.03.11

〈私の3年〉

 あの大震災から3年。
 テレビなどで津波や原発事故で被災した様々な人々の声を聞きながら、私はどうやってこの3年を過ごしてきたかと、自分のことを振り返ってみました。

 3年前の3月11日、金曜日、私は都内の職場にいました。
 職場は11階建のビルの4階で、揺れたけど窓ガラスが割れたりはしなかったな。エレベータは止まったけれど、閉じ込められた人もいなかった。その後も余震が繰り返しあり、電車が止まってるという情報があって、これは今日は家に帰れないかもしれない、と思ったっけ。まだ携帯電話はガラケーでした。通話やメールはつながらなかったけど、ツイッターの画面は見られたので、夜はそれで少し知り合いの情報を得たりしてました。
 私鉄で帰れる人や徒歩で帰れる人は帰ったけど、私はその日は、職場で夜明かし。朝になって、電車が動いたらしい、という情報があったので、電車で帰りました。最寄り駅まではいけなくて電車で行けるところまで行って残りは8キロ、地図を買って歩きました。その土曜日は晴れて暑い日で汗だくになって昼頃、家に着きました。

 その後は、津波と原発事故の報道を家で見ていました。
 この日を境に「世界が変わる」と感じたのを覚えています。だって、福島原発が最悪の事態になったら関東地方だって避難することになる可能性があったもの。そう言っているうちに水素爆発もあって、津波被災地では何万人もが行方不明だし、どうなってしまうのかと。
 日曜日は家で過ごしたけれど、月曜日になっても電車は動かなかったので、その日は休みをとり、計画停電の影響でスーパーが休みになるといけない、ということで、近所のスーパーにいけば保存食料等が売り切れ、トイレットペーパーもなくなっていました。
 火曜日は出勤。職場に直接の被害はなかったけれど、落ち着きませんでした。その時点だってまだ余震はあったし、これからも何が起こるか分からなかったし・・・。津波と原発事故と、身近な影響では停電と物流のストップによるスーパーやコンビニの一部の棚が空っぽの状況。節電で、電車に乗ると車内が真っ暗だったりもしていました。
 落ち着かない気持ちが続く中、4月末で予定していた2年間の都内勤務が終わって、5月に埼玉に帰りました。

 埼玉では新しい仕事に着いて、とにかく夢中で日々を過ごしました。分からないことばかりだからとにかく毎日が勉強。イベントや出張もあったし、被災地支援ってことで原発被災地の農産品の風評被害対策の仕事もしたな。試行錯誤だったけどいろんな人と出会えたのはよかったです。1度目の3.11も埼玉で働いていました。

 その後、2012年の8月から3ヶ月、福島原発事故被災のため、避難している町のお手伝いに行くことになりました。2011年3月の震災からずっと、何か自分に出来ることがないかと思っていたし、自分の職場からも何人かが被災地支援に派遣されていることは知っていましたから、自分が行くとなったときは、私で役に立てるならと二つ返事で現場へ向かいました。3ヶ月のホテル住まいや、避難先の仮設のイレギュラーな環境や、被災された役場の方々との交流など、普通に仕事してるのとはやっぱり全然違っていて、3ヶ月で何ができたか、ほんとにてんてこまいして終わっちゃった気がするけれど、すごくあの3ヶ月は私にとって大事だったような気がします。大変なこともあったけど、本当にいろいろなことを考えたし、それを12月に帰ってからもあちこちで報告したりしました。

 福島の町・・・原発事故によって失われてしまったふるさと。
それは3年目の今もなお、癒えない傷として町の方々の心を痛めています。家族ばらばらに避難されたままの方も多いし、「帰れない」ってことがこんなにつらいなんて、どれだけの人が想像できるだろう。

 そして二度目の3.11。
 その日は埼玉の職場でセミナーの司会をしていて、黙祷をお知らせしたのを覚えています。
 仕事は始まってしまえば、震災とは関係なくまわっていくので、毎日、いろんなことに追われながらまた時間が経ちました。
 前の年は8月に3ヶ月派遣されたんですが、2013年10月から今度は仙台の事務所に派遣されて勤務することになりました。担当は青森と岩手。
 津波被災地の現状をつぶさに見ることとなりました。

 そして本日、三度目の3.11。東北にきて半年になりますが、津波で被災した地域も、再建がまだまだこれからなのを実感します。
 津波で家が流されてしまって、元の場所にまた家を建てるには、土地のかさ上げや防潮堤の再建や町づくりの見直しもあってできず、高台移転も土地造成や災害公営住宅がようやく少しずつできてきた、というのが現状です。まだまだ仮設住宅に住んでいる人も多い。
 正直、復興はまだまだです。被災された方々は、まだまだみんな歯を食いしばってがんばってる。

 私は今はこうして仙台にいて、津波被災地へ何度も行く機会があって、仮設のお店で商売をしている人、復興のためにがんばっている人と接する機会をもらえているから、実感できるんですが。
 考えてみると2011年の3月11日から、自分が実際に被災された方と仕事をすることになった2012年の8月までの1年5ヶ月でさえ、普通に仕事をして普通に暮らしていると、意識しなくなっちゃってたんですよね・・・ まだふるさとに帰れず仮設に住んでいる人がこんなにもたくさんいること。当たり前の生活にもどるためにはまだまだ時間も支援も必要なこと。
 今は日々、それと向き合いながら、震災から3年目を過ごしています。

 3.11
 世界が変わった日。
 たとえばまた1年後、5年後、10年後、私は「今」をどう振り帰るだろうか。

 皆様は3年間、どんなふうに過ごしましたか? 今日をどんな思いで過ごしていますか?

|

« たったひとりの人生の相方 | Main | poem(104) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 〈私の3年〉:

« たったひとりの人生の相方 | Main | poem(104) »