誰にも必要とされなかったら生きていてはいけないのか?
こんな記事を読みました。
私は少し違和感を感じるのですが、皆さんはどうでしょうか。
私の違和感は、この記事の前提にあります。
(引用開始)
人は誰もみな、誰かに必要とされていたい、誰かに大切にされていたい、誰かに尊重されていたいものです。
時々、仙人みたいに山にこもって誰とも接さずに生きようとする人がいますが、それはその人が「私は誰にも必要とされなくてもいいんだ」と思いながら生きるためには人里から離れなくてはいけないことを意味します。つまり社会の中でたくさんの人と接しながら「私は誰にも必要とされていないんだ」と思って平気な人はまずいないということです。人が誰かに必要とされていたい、誰かに大切にされていたい、誰かに尊重されていたいと思う気持ちはそれだけ強いものなのです。
(引用終わり)
そうかなぁ?
「「私は誰にも必要とされていないんだ」と思って平気な人はまずいない」なんて当たり前のように書かれていますが、別に誰にも必要とされなくても生きてはいけます。
それなのに、誰かに必要とされなくては生きていけない、なんて思うから、第三者から見たら幸せなのに、幸せを感じないんじゃないのかな。
基本的に、自分の幸せくらい自分で決めろよ、と私は思います。
「あなたが私を必要としてくれないから私は幸せじゃない」
「お前が俺を必要としてくれないから俺は不幸だ」
・・・アホじゃなかろうか。人のせいにすんなよ。
愛ってのは見返りを期待しないのが前提です。
ただ「愛さずにはいられない」から愛するわけで。
究極の自己満足、と言ってもいい。
相手から同じだけのものが返ってこなくても、相手の幸せのために自分が何かができるだけで幸せになれる。それが「愛」です。
結婚して家族を養うこと。
結婚して家族のために家事をすること。
別に誰に感謝されなくたって、どちらも自分がしたいからすることではないの?
そんな覚悟もなく、結婚するから「こんなはずじゃなかった」とか思うのでは。
甘過ぎる。
まぁ・・・こういう考えだから、私は結婚していないのかもしれませんが、少なくとも幸せになるのに、人からの評価など気にしてはいません。
仙人みたいに山にこもって生活しているわけではないですがね。
「誰かに必要とされていたい」
「誰かに大切にされていたい」
「誰かに尊重されていたい」
自分で自分を必要とし、大切にし、尊重するんじゃだめなの?
自分で自分を大切にできない人間など他人からも大切にされる価値はないです。
自分で自分の価値を判断できないようじゃだめでしょ。
そんなに誰かが必要なら、あなたはその誰かが「死ね」と言ったら死ぬんですか。
甘ったれるのもいい加減にしてほしい。
人間なんて所詮、死ぬ時は一人。自分の人生には自分しか責任を取れる人はいません。
私達はみんな一人で生きていけます。
その大前提の上で、誰かを愛したり、誰かを支えたり、そして新しい命を育んだりする。
家庭というのはそういう喜びをもたらすところであり、別に、自分を満たすための道具じゃない。
世の中の男性がみんなこんなふうに考えているとしたら、誠に残念です。
そんなわけはないことを願います。
女性が一人で生きられるように、男性だって一人でも生きられる。
自分で自分を幸せにする術は男女関係なく、全ての人に平等に授けられているはずです。
結婚は誰かに幸せにしてもらうためにするもんじゃない。
自立した男女が、お互いに新たな家庭を築くためのものでしょ?
それも分かってないから、勝手に不幸せになっていくんじゃないのか。
私はそう思います。
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