君子の交わりは淡きこと水のごとし
表題のような故事があるのをご存じでしょうか。
意味は文字どおり、
「よくできた人物の交際を見ていると、あまり他人の実情に深入りをしないことが多い」
ということ。
皆さんはこの故事を読んでどう思われるでしょうか。
私は今、独身で一人暮らしです。
一人暮らしを始めた当初から「一人」になったことを水を得た魚のように感じた、根っから一人が大好き人間。
親と暮らしていた時の自分の人生は仮の姿で、一人暮らしを始めてからが本当の自分の人生のように感じられます。
それが「自立」ってことなのでしょう。
そんな一人暮らしももう20年近くになります。
子供の頃から友人は多いと思ったことがありません。
毎年、年賀状は40枚くらい書いていて、そこから紐解くと、小学校、中学校、高校、大学、そして仕事で、とそれぞれのステージごとに2~3人くらいの友人がいます。あとは趣味の囲碁と創作活動の友人。
そのくらいがちょうどいいかなーなんて思ったりします。
前に年下の友人に「冷たい」と言われたことがあります。
言われた時は意外でしたが、胸に手を当てて考えてみると、確かにそういう面はあるかも。
私はあまり人の面倒を見るタイプではありません。
余計なお世話はしない。
駅のトイレに忘れ物があれば、事務所には届けますし、前の人が定期を落としたら、拾って声をかけてあげますが、多分、それ以上の親切さはないなー
たとえば隣の家の子供が親に怒られて外に出されているのを見たりしたら、自分の家に入れてあげたりはせずに、見て見ぬふりをしちゃう。
誰かが風邪をひいて休んでいたら、とりあえずそっとしておく。自分がそうされたいんですよ。具合が悪い時は誰にもかまわれたくない。
人は人。自分は自分。
人に関わらない分、自分のこともとやかく言われたくない。
そういう自分の生き方を正しいとは思っていないです。
「淡きこと水のごとし」
それを聞いた時、
「まるで私のことみたい」
と思ったんですが、それを「君子」だなんて思ったことはない。
本気の恋をした経験は2回くらいありますが、残念ながら両思いになったことはなく。
自分の心の内をさらけ出して、素の自分を出して付き合えるような関係の相手は今はいません。
嫌われるのが怖いから、だいたいネコ被ってます。
まあ、その「ネコ」の部分も「自分」の一部なんだ、とある時思って、以来、変に「素の自分」にこだわることもなくなり、誰かがネコの自分を気に入っても
「それはホントの私じゃない」
なんて言わず、
「それもありかもね」
とは思えるようにはなりました。
ずっとネコ被ってると疲れちゃう。
一方、「ありのまま」にこだわり過ぎてかたくなになるのも相手に失礼。
結局、その相克のまま年をとってしまいました。
とても「君子」なんて言えるもんじゃないです。
相手のネコも自分のネコも分かりながら、ちらちら見える素の部分を楽しみながら、節度を持って、でも自分には嘘をつかず。
そんな「人付き合い」をできる相手が出来たら、本物の「君子」になれると思います。
いつかそうなりたいよー。
さらさらと流れる小川のようだけど、手を入れたらちょっとだけ温かい。そういう人づきあいが理想です。
いつか…このブログを読んでいる貴方とそうなれますように。
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