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June 2015

2015.06.26

「輝く女性」に感じる違和感

 政府が掲げる「すべての女性が輝く社会づくり」がちょっと・・・という記事が朝日新聞に出ていました。

 私は女性ですが、正直、あまりいい感じはしません。
 てか「女性」がどーの、ってのが古いなぁといつも思います。

 「輝く女性」そのキャッチフレーズからして嫌なんだよなぁ。
 そんなに輝いていなくちゃいけないのか。普通でいいやん。

 大事なのは、女性が古い考え方や風習に縛られることなく、自由に人生を選択できること。
 いえ、女性に限らず、人がみな等しく「誰もが」そうできること。

 と、私は思っています。

 前回「『女三界に家なし』に異論」の記事を書きましたが、私が一番感じるのは、人が助け合って、この世界で生きていく時に、

「働いて金を稼ぐ」

 のがもっとも上、という価値観が危険なんじゃないかということ。

 女性でなく男性でももちろんいいのですが、稼いで金銭的に家計を支える役割をする人ががいる一方で、「外から金を稼いでくる」のではなく、社会貢献や地域作り、家庭作りのために、ある意味、ボランティアで活動する人も大事。子育てだったり介護だったりね。お金は稼げないけれど、とても大切な「仕事」です。

 そしてそれを日本では女性が担うことが多かった。
 
 女性に「稼ぐ仕事」をしてもらおうってのはいいんですが、じゃあ、今まで女性が担ってきた役割って誰がするの? 誰もしないの?

 というと、女性にその役割を担わせようとしているかのように読めてしまうのかもしれませんが、私はそこは「自由に選択」できればそれでいいんじゃないかと思うのですよ。

A 外に稼ぎに行ってもいい。
B 稼がなくても、家庭で家族を、地域で地域の人達をサポートするのでもいい。

 どちらも選べるようにならないかなー。

 で、Bの人の役割も重要なんだから、Bの人を養うAの人に税金の控除とかの優遇策はあって当然だし、
「Aの人はBの人を金銭的にサポートするのは当然」
 というふうにもなってほしい。

 Aの人、Bの人、両方いて、社会は成り立つわけです。

 なのに、今はみんなをAにしようとしているような気がする。
 Bの人の社会的地位が脅かされているような気がする・・・

 そのことに私はすごく危機感を覚えます。

「輝く」って何? 「金を稼ぐ」ってこと?

 そうじゃないんじゃないかなぁ。
 今の日本の最大の課題は、少子高齢化じゃないんだっけ?
 となると、外で金を稼ぐのも大事じゃないとは言わないけど、子供やお年寄りなどの社会的弱者をサポートする人の地位を向上させなくちゃいかんでしょう。
 そういう人や、そういう役割が、「お金を稼ぐ」ことよりも下のように言われ、稼がない人が怠けてるみたいに言われるから、みんな子供を持ちたくなくなるのでしょう?

 女性を働かせなくちゃいけないわけは、どうも、近い将来労働人口が減るために、働いてない女性を労働力にしないと日本社会が破たんする、という事情のようで、それも分からなくはないのですが、それと引き換えに、何かを失ったら、本末転倒。事情があって働くのが難しい人も、みな人間らしく、幸せに生きられる社会にならなきゃ、安心して年もとれない。子供も育たない。

 政府が目指していることって、何かが違うんじゃないか、という気がしてなりません。
 

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2015.06.22

「女三界に家なし」に異論あり

「女三界に家なし」とは・・・
女は三従といって,幼い時は親に従い,嫁に行っては夫に従い,老いては子に従わなければならないとされるから,一生の間,広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なし。
(三省堂 大辞林より)

読売新聞の発言小町という相談コーナーに、舅の介護をご主人と一緒に続けてきた女性の話が出ていました。彼女は舅の家に同居しずっと介護をしてきたそうですが、最近になってご主人に大病が発覚し、舅さんよりもご主人の方が先に亡くなられてしまう事態になりそうだとのこと。

ご主人には弟さんがいて、もし最悪の想定どおり、ご主人がお舅さんよりも早く亡くなると、その後、お舅さんが亡くなった場合に、お舅さんの遺産は全て弟さんへ行く。今、住んでいる家も弟さんのものになってしまうので、彼女は住む家も無くすこととなります。そのときはご主人も亡くなっているし、お子さんもいないそうなので、彼女は一人で生きていかなくてはならなくなります。

「女三界に家なし」という話。

いつも思うのですが、結婚して家庭を持ち、仕事はその時点でやめて、上記の例とは違いますが、たとえば子供を産んで育てて、という女性が、仮にやむを得ない事情で離婚したり、ご主人と死別したりすると途端に生活に困る、という図式に、納得がいかないものを感じます。

最初に書いた例は子育ての代わりに舅の介護だったわけですが、つまり「仕事」ではなく、子供でも親でも夫でも、身近な誰かのために尽くす生き方を選択し、代わりに経済的には夫の収入に頼ることにした場合、その夫がいなくなったとたんに、その人は生活に困窮することとなる・・・まるで「誰かのために尽くす生き方」が始めから間違っていたかのように。
それが私には理不尽に感じられてならないのですよ。

子育てでも介護でも「誰かがやらなければいけない」事態ってあるじゃないですか。
仕事と両立なんて大変ですよ・・・
それでも仕事をやめてしまうと大変だから両立するためにみんな苦労する。そこまでしなくちゃいけないものなのかと。
「誰かがやらなくてはいけない」ことを担う決心をして仕事をやめた女性(もちろん男性でもいいですが)が後で生活に困るようなことになるのなら、じゃあ最初から、結婚も子供産むのもやめて、ひたすら自分のために仕事した方がいいってことになっちゃいませんか。

経済的に人に頼る生き方を選択したのが間違いで、自分の食い扶持はみんな自分で稼ぐのが基本なら・・・女性はそれでいいのかもしれませんけど(もちろん男性だっていいですけど)、結局それでとばっちりは弱者である老人や子供に来るわけです。介護や育児の手が必要な。

自分の面倒は自分で見るのが普通で、誰も他人の面倒は見ない、老人や子供はみんな施設。
そういう時代に、もうなってるのかもしれないけど、本当にそれでいいのかなぁ。
だからみんな結婚しないし、子供も作らなくなってるんじゃないかな。

自分のためでなく、誰かのために生きる。
これって、本当は一番の美徳だったはず。
「情けは人のためならず」って言葉がありまして、結局誰かのために尽くしたことは巡り巡って自分に返ってくる、と昔は信じられていたのにな。

今は結局、自分の食い扶持よりも誰かの世話を優先した人が貧乏くじを引くように出来ているのかな・・・それって悲しすぎるように思えてなりません。

私は女性ですが、結局、誰にも頼らず、自分の分は自分でなんとかして一人でも生きられるように人生の選択をしてきました。

「女三界に家なし」と言いますが、そうやっていつも誰かに面倒を見てもらう生き方しか出来なかったから、いつも誰かに従わなくてはならず、結果、落ち着く場所がない、のが昔の女性でした。

私はそんな生き方は嫌。誰にも従わずに自由に生きていきたい。

そのことに後悔はしたことないのですが、その引き替えに家庭も子供も持たずに年をとりました。
私個人としてはこれでいいけど、それが正しいと思ったことはなく。

本当は自分のためでなく、親のために、子供のために、愛する人のために、そして見知らぬ誰かのためにも尽くす生き方をした人が、一番幸せになっていいはず、と思うのですが。

なんでそうならないのでしょうね。

子供も、介護が必要なお年寄りも、もちろん成人男性も、女性も等しく幸せになれるような社会になるために、今のこの世界は一体何が足りないのだろう。

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