「女三界に家なし」に異論あり
「女三界に家なし」とは・・・
女は三従といって,幼い時は親に従い,嫁に行っては夫に従い,老いては子に従わなければならないとされるから,一生の間,広い世界のどこにも安住の場所がない。女に定まる家なし。
(三省堂 大辞林より)
読売新聞の発言小町という相談コーナーに、舅の介護をご主人と一緒に続けてきた女性の話が出ていました。彼女は舅の家に同居しずっと介護をしてきたそうですが、最近になってご主人に大病が発覚し、舅さんよりもご主人の方が先に亡くなられてしまう事態になりそうだとのこと。
ご主人には弟さんがいて、もし最悪の想定どおり、ご主人がお舅さんよりも早く亡くなると、その後、お舅さんが亡くなった場合に、お舅さんの遺産は全て弟さんへ行く。今、住んでいる家も弟さんのものになってしまうので、彼女は住む家も無くすこととなります。そのときはご主人も亡くなっているし、お子さんもいないそうなので、彼女は一人で生きていかなくてはならなくなります。
「女三界に家なし」という話。
いつも思うのですが、結婚して家庭を持ち、仕事はその時点でやめて、上記の例とは違いますが、たとえば子供を産んで育てて、という女性が、仮にやむを得ない事情で離婚したり、ご主人と死別したりすると途端に生活に困る、という図式に、納得がいかないものを感じます。
最初に書いた例は子育ての代わりに舅の介護だったわけですが、つまり「仕事」ではなく、子供でも親でも夫でも、身近な誰かのために尽くす生き方を選択し、代わりに経済的には夫の収入に頼ることにした場合、その夫がいなくなったとたんに、その人は生活に困窮することとなる・・・まるで「誰かのために尽くす生き方」が始めから間違っていたかのように。
それが私には理不尽に感じられてならないのですよ。
子育てでも介護でも「誰かがやらなければいけない」事態ってあるじゃないですか。
仕事と両立なんて大変ですよ・・・
それでも仕事をやめてしまうと大変だから両立するためにみんな苦労する。そこまでしなくちゃいけないものなのかと。
「誰かがやらなくてはいけない」ことを担う決心をして仕事をやめた女性(もちろん男性でもいいですが)が後で生活に困るようなことになるのなら、じゃあ最初から、結婚も子供産むのもやめて、ひたすら自分のために仕事した方がいいってことになっちゃいませんか。
経済的に人に頼る生き方を選択したのが間違いで、自分の食い扶持はみんな自分で稼ぐのが基本なら・・・女性はそれでいいのかもしれませんけど(もちろん男性だっていいですけど)、結局それでとばっちりは弱者である老人や子供に来るわけです。介護や育児の手が必要な。
自分の面倒は自分で見るのが普通で、誰も他人の面倒は見ない、老人や子供はみんな施設。
そういう時代に、もうなってるのかもしれないけど、本当にそれでいいのかなぁ。
だからみんな結婚しないし、子供も作らなくなってるんじゃないかな。
自分のためでなく、誰かのために生きる。
これって、本当は一番の美徳だったはず。
「情けは人のためならず」って言葉がありまして、結局誰かのために尽くしたことは巡り巡って自分に返ってくる、と昔は信じられていたのにな。
今は結局、自分の食い扶持よりも誰かの世話を優先した人が貧乏くじを引くように出来ているのかな・・・それって悲しすぎるように思えてなりません。
私は女性ですが、結局、誰にも頼らず、自分の分は自分でなんとかして一人でも生きられるように人生の選択をしてきました。
「女三界に家なし」と言いますが、そうやっていつも誰かに面倒を見てもらう生き方しか出来なかったから、いつも誰かに従わなくてはならず、結果、落ち着く場所がない、のが昔の女性でした。
私はそんな生き方は嫌。誰にも従わずに自由に生きていきたい。
そのことに後悔はしたことないのですが、その引き替えに家庭も子供も持たずに年をとりました。
私個人としてはこれでいいけど、それが正しいと思ったことはなく。
本当は自分のためでなく、親のために、子供のために、愛する人のために、そして見知らぬ誰かのためにも尽くす生き方をした人が、一番幸せになっていいはず、と思うのですが。
なんでそうならないのでしょうね。
子供も、介護が必要なお年寄りも、もちろん成人男性も、女性も等しく幸せになれるような社会になるために、今のこの世界は一体何が足りないのだろう。
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