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April 2016

2016.04.25

おみやげは食器が好き

Dcim0866

 どこかに旅行に行った時に、自分へのおみやげは陶器のマグカップにすることが多いです。いつもコーヒーやお茶を飲むたびに、旅先に思いをはせることができるので。
 笠間に行ったときに買った納豆椀も便利にずっと使ってるな。フランスのシャモニーで買ったマグカップや昔、スキーで蔵王に行ったときのロゴ入りのマグカップも長く使っていたのですが、割ってしまって、今はもう手元になく、そういう失くなってしまったものもあるんですけど、ね。

 陶器というのは、いつまでも色褪せず、ずっとそばに置いておけるのがいいです。今は失き、北海道のグリュック王国で買った、ブレーメンの音楽隊の動物たちをかたどった陶器の置物も昔から変わらず、あるものなー。

 で、冒頭の小皿は、裏磐梯の諸橋近代美術館にあったダリの時計を象ったものです。普通にしょうゆとか入れて使ってます。見るたび、思い出すな。諸橋近代美術館、ダリのコレクションも素敵でしたが、建物もとても素敵で。またいつか行きたいなー

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2016.04.21

「アインシュタインよりディアナ・アグロン」

表題のHKT48の新曲歌詞が「女性蔑視ではないか」ということで話題になっているようです。

HKT48新曲歌詞が「女性蔑視」と大炎上
http://www.j-cast.com/2016/04/13264026.html

歌詞を拝見しました。

・頭からっぽでいい
・勉強はできても愛されなきゃ意味がない
・人は見た目が肝心
・ママになるまで子供でいい

いやぁ。確かにひどい歌詞です。ひどい歌詞ですが・・・
ここまでいけば、真面目にこの歌詞のとおりだと思って作った歌詞ではないと私は思いますけどねぇ。

私は一読して「そんなわけないw」と笑ってしまいました。
「バカだなー(笑)」と。
こんなの真面目に「女性蔑視だ」とか取り上げる方がばかばかしくないですか。

昔、おニャン子クラブが流行っていたころに「私は里歌ちゃん」という歌があってこれもおバカな女の子の歌でしたが、私はこの歌がたいそう好きでした。

♪テレビのかたいニュースキャスター(ルンルン里歌ちゃん)
♪暗い事件を伝えるけれど(ルンルン里歌ちゃん)
♪遠い国のことなどまるで関係ないわ
♪専門外のことよ~

「バカでもいいじゃん」
という突き抜けたあっけらかんとしたメッセージ。
私はそういうことを声を大にして言えるっていうのもとっても大事なことだと思うのです。

世の中、頭がいい人が一番で、バカはだめ。
そればっかりだと窮屈過ぎてね。

いえ、いいんですよ、頭がいい人はいい人で。
でも・・・

結局一つの物差しでしか人間を測っていないっていうことでしょう?

いろんな生き方があって、多様性を認める社会。
だったら
「かわいくて」「キャピキャピで」「すべすべのお肌で」「ママになるまでは子供でいい」
そう思う女の子だっていてもいいでしょ。

だからこそ逆に、かわいくなくて、ヨロヨロのお肌で、ママになれずに年をとっちゃった女性だって、楽しくこの世界を生きていけるわけですからw←それが私。

なんというか・・・
この歌詞を見て頭にくる人達って、なんでそんなに傷つきやすいのかなぁ。

人になんと言われようと、自分の生き方に誇りを持っていれば、別に「キャピキャピ」の子供がなんて歌ってようと関係ないんだけどな。

秋元康ほどのヒットメーカーがバカなわけないし、バカなだけじゃ生き残っていけない芸能界に生きている女の子たちをたくさん見ているわけだから、ホントにこの歌詞のように思っているわけはないんです。

ただ秋元康としては、苦笑してスルーされるよりは、この歌詞を見てマジギレして話題になってもらう方がおいしいのかな、やっぱ。
つまりはいわゆる炎上商法。
完全に釣りですよねぇ。

まあでもいいんですよ。。
たくさんの人がこの歌詞に怒りを覚えてくれるというのは、とても健全な社会だなぁとちょっと安心したりもしています。

「私は里歌ちゃん」という歌にはこういうフレーズがありました。

♪頭固いおじさまたちに(ルンルン里歌ちゃん)
♪ジョーク分ってほしかったわ(ルンルン里歌ちゃん)

そういうこと。だって、作詞はどちらも秋元康だもの。

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2016.04.11

完全無欠コーヒーのその後

以前、こちらの記事で「完全無欠コーヒー」にTRYする旨をご報告しました。

その後、ひどい風邪をひいたりして、体調が悪化。
でも病院に行って薬をもらったら、比較的早く治りました。
もしかして好転反応だったのかな?

風邪から回復して元気になってきてから、また完全無欠コーヒーを始めました。
体重は体調悪化したときに急激に減りましたが、その後、元に戻り、夕食を食べ過ぎると増え、控えると減る、といういつもの状態に戻っています。

というわけで、今のところまだ、ダイエット効果は今一つなのですが、朝を完全無欠コーヒーにすると、気分はすっきりする(ような気がする)のでもう少し続けてみたいと思います。
昨日、1つ目のグラスフェットバターを使い切ったので、2つ目を買ってきました。
最寄りの成城石井では250g、2700円です。さすがに高! でも飲み会一回よりは安いと思っておこう。
ダイエットのためにエステに行けばこれじゃ到底済まないし、病気になったら医療費がもっとかかるしな。

願わくはもう少し体重が減ってくれるといいんだけどな。
完全無欠コーヒーを飲むと、炭水化物をとらなくても平気になるので、結果として低炭水化物ダイエットにもなっているはずだし、なんとかおなか周りがスリムになってくれるといいのですが。

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2016.04.09

幸せって何だっけ?

今日はコートを着ないでも平気なくらい暖かい日でした。
 毎日、寒くないだけでも、なんとなく幸せな気分になれます。
 
 仙台から帰ってきて、今の住まいの家賃は、管理費も込みで月およそ10万円で、高いなぁとは思うのですが、1年で120万、10年で1200万。これからたとえば30年住んだとしても3600万なんですよね。
 あら、どこぞのマンションを購入するよりも安いわ。

 一人だと、自分がこの世から去ったあと、財産を残す必要もないので、不動産を購入する必要はもしかしなくてもないんだよなぁ。
 だとしたら、別に一生賃貸でも、家賃を払えるだけの貯蓄さえあれば、家なんていらないんだわ。

 仙台から帰って、今の住まいを借りるときに、購入か賃貸か迷ったのです。
 年金暮らしになったら、月10万なんて払えないので、そしたら、将来的には購入しかないかと。

 でも、すでに残り時間の方が少ないと、改めて考えたら賃貸でもいけそう。仕事を引退するのが60歳だとして、そのあと30年っていったら、90歳でしょ。さすがにもう生きてないんじゃないかなぁ。

 仕事を引退した後も今のままここに住んでるかというと、その図は想像もつかないんですけどね。

 たとえば、10年前、私は今の自分を想像できていたかしら。さすがに10年経つといろいろなことが変わります。

 東日本大震災もあったしな・・・

 残りの人生をどう生きてどう過ごすか。
 そろそろ終活に向けて、考えなくちゃ。

 でも、もし、今、10年後の自分に会ったら、まだまだ終活なんて考えるの早いわよ、って叱られそうな気がします。

 たとえば10年前の自分に今の私が会えたなら・・・

 まあ、あまり大したアドバイスはできないかな。最後のつもりで婚活しろとも言いたくない。だって、その時はその時でがんばってたもんなー。

 仮に20年前の自分に会えたとしても、婚活は勧めませんねぇ。
 当時はいろいろ新しい出会いもあって、恋もしました。若かったから、誰でもいいから結婚しようと思えばいくらでも相手はいたでしょうけど、「誰でもいい」わけないんです。

 結局いつの時代でも、とことん縁がなかった。ザッツオール。

 そして今、前の日記にも書いたとおり、私は小さいころ、自分が望んだとおりの生活を手に入れている。
 それで十分。

 明日はちょっとでかけて桜を眺めてきます。でかけたいときにでかけて、のんびりしたいときにはのんびりできる。「幸せ」ってそういうことね。
 
 

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2016.04.03

「私だけがいない街」

 2016年の1月~3月の期間で、「僕だけがいない街」というコミックが原作のアニメが放映されていました。何かの事件が起ころうとするときに、一人だけ時間が逆行するという「リバイバル」と名付けた能力を持つ、一人の青年の話。時間が逆行した瞬間に、青年は、その未来の記憶を利用して、起こるはずの事件を未然に防ぐことができます。
 このリバイバルがすごいんですよね。主人公の母親が何者かに殺されるという事件が起こって、その際にもリバイバルが起きるんですが、なんと、青年は、小学校の時の自分にリバイバルする。つまり「母親が殺される」のを防ぐためには、小学校時代でその原因となる事件を防ぐ必要があるという…いやぁ、この導入部の設定ですごくドキドキしました。
 果たして、彼は、心は大人のまま戻ってしまった小学生時代の自分の力で、母親を救い、かつ、その事件の原因となった連続幼女殺害事件を防ぐことができるのか!?
原作のコミックは未読ですが、アニメには本当に夢中にさせられました。2016年4月現在で、すでにアニメは最終回まで終わっていて、どうなったか私は知っているのですけど、ラストは原作とは違うのかな~。
 お馴染み、藤原竜也が主演する実写映画にもなっていて、昨日、それも見てきました。映画とアニメのラストは大きく違います。私は、アニメの方のラストが好き。いい意味で予想を裏切ってくれてるから。映画の方は「僕だけがいない街」というタイトルならそうなるでしょう、というある意味では予想どおりのラストです^^;

 と、「僕だけがいない街」の話を書いてきたところですが、今、ふと思ったこと。
 この話の中に「雛月加代」という女の子が出てくるのですが、この記事のタイトル「私だけがいない街」はこの子が小学校の文集に綴ったお話です。抜粋しますと。

(引用開始)
今よりもっと大きくなって一人でどこへでも行けるようになったら遠い国に行ってみたい。遠い島に行ってみたい。誰もいない島に行ってみたい。辛いことも悲しいこともない島に行ってみたい。島には大人も子供もクラスメートも先生もお母さんもいない。その島で私は登りたいときに木に登り、泳ぎたいときに海で泳ぎ、眠りたいときに眠る。その島で私は私だけがいなくなった街のことを考える。子供はいつものように学校に行く。大人はいつものように会社に行く。お母さんはいつものようにご飯を食べる。私は私だけがいない街のことを考えると気持ちが軽くなる。遠く遠くへ行きたい
(引用終わり)

 映画で改めて触れても、とても心に残る文章です。
 なんというか、めちゃくちゃシンパシーを感じるんですよ。そのせいで、アニメの雛月が自分のことのようで。そうか、だから、私はこのアニメが好きなのか。

 物心ついたときから、誰もいないところでずっと一人でいたいというのは私の願望でした。
 誰にも構われたくない。一人で本を読んだり、心の中でお話を作って遊んだりしていたい。
 
 雛月のこの文章を第三者として読むと、とても孤独を感じる切ない話なんですが、私自身は心からほんと、誰もいない島にいって「登りたいときに木に登り、泳ぎたいときに海で泳ぎ、眠りたいときに眠る。」こういうふうに暮らしたかったんだよな。
 雛月のような状況に自分がいたわけではないんですけどね。
 でもなんとなく雛月が感じていたはずの「閉塞感」には心あたりがあって。

 子供の頃って何かに閉じ込められているような気がしていました。
 毎日やることが決まっている。やりたくないのにやらなくちゃいけないことがたくさんあって、明日が来るのが怖くて。明日が来ればまた学校に行って・・・うん、私はいじめられっ子だったのでね。また明日がくれば友達にいじめられる。それが嫌で、とてもつらかったのです。
 
 だから、誰もいない島に行きたい。登りたいときに木に登り、眠りたいときに眠る・・・望むのはそれだけ。
 思い出しちゃったな。

 雛月はいじめではなくて、いじめよりも子供にとっては逃げ出せない、親からの虐待という状況にあるわけですけれども。
 今、この瞬間も、私や雛月のように苦しくて辛くて、なのに自分ではどうしようもない状況に置かれて苦しんでいる子供たちが、この日本にはどれだけ多くいるのかと思うと胸が痛くなります。

 だからこそ、きっと、そんな雛月を救い出そうと奮闘するこの「僕だけがいない街」という作品が私にとっても救いになるんだろうなぁ。

 子供の頃のいじめられっ子だったときの記憶なんて、もうとっくに忘れたと思っていました。
 私、今、いくつだよ~(苦笑)
 意外と覚えているものですわ。
 
 でも、今、私はあの頃、望んでいた場所にいます。木には登れないけれど、遠い国にも遠い島にも好きな時に行ける。眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ、さぼりたいときはさぼり。ここには私以外、誰もいないので、望むだけ一人でいることができる。それがどんなに私にとっては幸せなことか。
 こう書くと、自分がめっちゃ孤独だなぁと自分で思わないでもありませんが、実際、これ、とってもぜいたくで幸せなことなんですよ。

 一人でいられてよかった。
 欲しいものを間違えないでよかった。

 今、私はそう思っています。

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