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2016.05.09

「はたらないでたらふく食べたい」

「はたらかないでたらふく食べたい」というタイトルの本が売れているそうで。

みんなホントはそう言いたいけど言えないから、どんなことが書いてあるのか、見てみたくなっちゃうのかな?

著者は栗原 康さん。1979年埼玉県生まれ。東北芸術工科大学非常勤講師で、年収80万だそうです。足りない生活費は両親の年金に頼っているとか。

私は、まだ本は読んでいないのですけど、ネットで、著者のインタビューや本の内容に触れた記事を読んでみると、

>やりたいことだけをやる
>やりたくないことはしない

>やりたいことをしたくてもお金がないからできない
>お金を稼ぐためにやりたくないけど仕方なく働く
>そんなのなんか変じゃないか?

ということが書かれているようです。ふむ。なんかいいこと書いてあるっぽい(笑)

確かにお金がないと何もできないからってお金のためにやりたくないことをして、人生を送るっていうのは目的と手段が逆転しているような気がします。

著者の主張は、

>やりたいことだけをやる(たとえば「たらふく食う」とか)
>お金なんてなんとかなる
>誰かが助けてくれる

ということのようです。「ようです」とか言ってないで、読んでから記事書けって話なんですが、正直、著者がたらふく食うために本を買いたくないんだよな~

「なんとかなる」「誰かが助けてくれる」・・・

うーん。昔と違って、現代はそうでもないですよ。私も実はそう思っていた時期があったんですが。

「誰も知らない」という映画をご存じでしょうか?

巣鴨子供置き去り事件、という実際の事件を元に作られた映画で、ものすごく衝撃を受けました。

親に置き去りにされた子供達が、それでも兄弟姉妹、がんばって助け合って生きていこうとするんですが、お金がなくなり、電気や水道も止められ、食べるものもなくなり…最後は死んでしまう。フィクションではなく日本で本当にあった事件です。

誰も助けてくれないし、何とかしようとしてもどうにもならない。
子供達が何をしたわけでもないのに…何とも痛ましい事件です。

私は…私たちは。
誰かに助けてもらうのではなく、誰かを助けられるようになるべきなんじゃないのかな。

少なくとも、巣鴨で親に置き去りにされ、死んでしまうしかなかった子供達とは違い、ちゃんと大人になれたのなら。
生まれてから大人になるまで、誰かしらの庇護を受け、食べさせて、寝せて、着るものにも不自由なく、ちゃんと勉強して、今がある。

だったらそれをまた誰かに返していかないといけないのじゃないかな。

もちろん、これは私の個人的な考えで誰かに押し付けようということではありません。

ただ、もしも何か私に「やりたいこと」があるのだとしたら…。

誰かが身近で困っているときに「助けられる」存在でありたい。

そのためにちゃんと働いて、少なくとも自分の面倒は自分で見て、いつか私の手を必要とする誰かのために、スタンバイしておきたいと思うのです。

それが私の「やりたいこと」なのだから、だったら働くのもまんざら悪いことじゃない。

著者は、本を読んだり、文献を研究したり、ものを書いたり、調べたり、考えたりするのに時間を使いたいそうです。もちろんそれも悪くないけど。

私は、学生の頃、それはやったから、今はそれをずっとやっていたいとは思わないかな。生きて動いているこの世界の方が面白い。「書を捨てよ、町へ出よう」と言ったところでしょうか。

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