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August 2016

2016.08.31

貧困ってなんだろう2

NHKの貧困問題の報道に関する騒動について、今朝、民放でも取り上げられていました。

聞いていてちょっと違和感を感じました。
もちろん、報道された高校生を叩く行為は許されないことです。
しかし、
「なぜそうなってしまったのか」
「報道の仕方に問題はなかったのか」
をもっと掘り下げず、ネットで話題となったことを批判するだけでは何の解決にもなりません。

ニュースのコメンテーターというのはずるいよなぁ。
偉そうに批判ばっかりしてさ~

この問題の根本にあるのは、
「あの子が貧困なら俺も貧困なのか。だったらどうして誰も助けてくれないのか」
ってことです。

貧困、貧困といっても、それは「相対的貧困」のことを言うのだと、前の記事でも触れました。
とすれば、社会全体の中で一定の割合の人々は「貧困」にカテゴリー分けされるわけです。

だとしたら同じように貧困の状況にある人であっても、全員を助けるなんてできないし、きりが無い。

では、その中で、より助けなくてはいけない人は誰なのか、となったとき、たとえば、そういう
「自分自身のせいでなく、親が貧困なために進学のチャンスを奪われる子供」
ってことになるわけですよね。

しかし、正直、同じ貧困状態にあるのに、そういう子供だけ救いの手がさしのべられて、それ以外の人は放置だったら、そりゃ恨まれるでしょう。
同じ貧困層にいる人達から。

今朝の民放の報道を見ていたら、
「奨学金が支援っていうけどそれって借金ですよ!」
というコメントがありました。

いやいや、だから、子供の内は進学したいと思っても、自分ではどうしようもないわけですよね。でも今、勉強して、将来、いい仕事に就けたら社会に還元できるかもしれない。
借金というよりは投資です。
投資の結果、豊かに生活できるようになったら、いただいた分を還元する。それって当たり前の話じゃないのかな。

だって成人の貧困者は自己責任なんでしょ?
だったら大人になったら他の貧困者と条件は同じ。
なのになぜ、その子だけが優遇されるの?ってことです。

前の記事で引用した「貧困報道は問題だらけだ」を読んだからより理解できるのですが、結局、貧困者の批判は、同じ貧困層からのものが痛烈です。

理由は上に書いた通り。
「なぜ俺は助けてもらえないのか」
です。その思いが分からない人間はこの問題を語るべきじゃない。より貧困者を傷つけることになる。
目の前にいる貧困者だけではなく、たくさん日本に存在する、働けない人達、働いても働いても生活が楽にならない人達を想像して欲しい。

朝の民放の報道では
「なぜもっと想像できないのか」
って言ってましたが、想像できないのはあなた達でしょう、と私は思います。
よっぽど貧困に縁がない生活を送ってきたんだろうな。

「なぜ俺は助けてもらえないのか」

 貧困に関する報道を見て、そう思ってしまう人々の気持ちに思いを馳せることができない限り、こうしたことはこれからも続きます。貧困問題を報道するとバッシングの嵐になる。

 その結果、まるでこの問題がタブーのようになるのだけは避けなくてはいけない。
 だって、そうして誰からの助けも受けることが叶わずに貧困の連鎖に飲み込まれていく人が増え、社会全体が劣化していくことが最大のリスクでしょう。

 見えない貧困が「相対的」なものなのなら、どこまでを支援の対象とするかの線引きはしっかりしないといけないだろうと私は感じます。
 そうでないと同じように貧困にある人達に説明がつかない。
 
 報道の仕方は難しい。けど逃げずにちゃんとこの問題と向き合っていかねば。
 
 今回の騒動を受けて、関心が高まるのはよいことなので、では、何が問題だったのかは、片山さつきを非難して終わらせるんじゃなくて、もっとちゃんと取り上げてもらいたいです。

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2016.08.23

貧困ってなんだろう

 NHKの子供の貧困についての報道が話題になっています。
 
 番組の中で報道された高校生女子が、高価なマーカーを持っていたり、アニメグッズをたくさん持っていたことが分かり、他にも、1000円以上のランチにも何度も行ってたり。、これを「貧困」と報道したのはNHKのやらせなんじゃないの? ということです。

 ・・・うーむ。

 しばらく前から、日本の「貧困」問題が気になっていて、こんな記事を読んだりしていました。

「貧困報道は問題だらけだ」


 リンク先の記事にも出てくるんですけど、自身も貧困に苦しむ人でさえ、生活保護をもらっている貧困者を見て「ずるい」と感じたりするんですよね。

 貧困問題ってホント難しい。
「貧困」の定義ってできるのだろうか。どこからが貧困でどこからがそうじゃないって線引きはできるんだろうか。
 
 Blogosで紹介されていた記事では、貧困には「絶対的貧困」と「相対的貧困」の二種類があって、たとえば、子供の6人に一人が貧困、っていうのは、この相対的貧困のことを言うのだとか。相対的貧困の場合、月給25万だと「貧困」の定義に相当するとのこと。

 つまり、食うに困るということではなく、日本なら日本の平均値から計算して出される定義だそうです。
 月給25万か。「俺はそれ以下で生活している」っていう人がたくさん出てきて、「俺も支援しろ」ということになり、話がややこしいことになりそうですね^^;;

 そもそも私達はなぜ、貧困者を助けなくてはいけないのだろう。「貧困報道は問題だらけだ」から、引用します。


(引用開始)

同じ場所に定住していると人口が増えて、自然採取の食物が足りなくなって、そこで争いが起きるから。だからより長く安定して暮らせる場所を求めて人類は旅をしてきたし、安定して同じ場所に暮らすために農耕を発達させてきた。となると、農耕発祥以前の旅する人類の目的は、安住の地にたどりついて、そこで社会を築くことなわけ。でも、その旅の途中で群の誰かが怪我して倒れたらどうしよう? 放っておく? 実はここでその怪我人を乗せて旅を続ける担架が、生活保護なんだ。

(中略)

「じゃその先を考えてみようか。旅する人類の目標は、旅の目的地に到達して、そこで安定した社会を築くこと。でも社会を作るには、働き手が沢山必要になる。木を切って井戸を掘って家を建てて畑を作って道路を整備して、そういう社会基盤を作るためには、働き手が必要でしょ? でも、辛い旅の途中で怪我した人をみんな置き去りにして来たら、せっかく安住の地に辿り着いても人手が足りない!ってなって困るわけ。だから、一時的に怪我をして働いたり歩いたりできなくなっている人は、まだ歩ける人が担架に乗っけて目的地まで運ぶ」

(引用終わり)

 つまり、働けない人を切り捨てていってしまっては、この社会全体を維持していけない。だから助け合う必要がある、という考え方です。

 子供の貧困を、社会全体で考え、救済していかなくてはいけない理由は、結局、これなんだよな。

「育てられないなら産むんじゃない」
 
 とかって、親の自堕落を批難する人もいるけど、私が思うに、子供を産み育てることにはある種、リスクが内在しているわけで。

 たとえば、お父さんがいきなり交通事故で死亡、お母さんも病気がち、経済的に困窮するとか。
 そうじゃなくても、結婚して子供産んで、育て始めたら、旦那がDVを始め、どうしようもなく離婚したら、仕事が見つからず、やむを得ずアルバイトを掛け持ちしてしのぐ内に、ついに疲労でお母さんが倒れるとか。

 もちろん、そうならないで、結婚して子供作って、豊かな家庭生活を送れる人がまだ多いのかもしれないけど、つまり、あらゆる「育てられない」状況を想定してたら、子供なんて作れないのよ。
 事実、それでみんな2人目、3人目をためらうわけでしょ。結果、少子化じゃないですか。

 社会を維持していく上で、どんな状況にせよ、生まれてきた子供を健全に育む責任は、社会全体にある。それを前提に、どこまでを支援していくのかを考えなくてはいけないのよね・・・

 じゃあ、働けなくなった老人は切り捨てていいのか、という話にもなっちゃうけど、老後が心配だとますます、リスク回避のために、子供に投資できなくなるしなぁ。
 そう考えるともちろん子供だけの問題じゃないのだけども。

 前の前の記事「約束の地で」の感想にも書いているのですが、金の問題はほんと難しいです。
 上を見たらきりがない。
 貧困に関係なく、中学を卒業したら就職する子も少ないとはいえいるのに、その一方で、たとえば「医者になりたい」という夢があるのに、お金がなくて医大にはいけない子がいたとして、後者の子にだけ支援するのが正しいかってことです。
  
 上で引用した記事では、結局のところ、傍目からは働けそうに見えても脳や心に問題を抱えていて、そのせいで仕事に就くことができない上に、普通なら節制や節約や、必要なところに金を使うのに、無意味に浪費してしまったり、人にだまされたり・・・貧困はそういう「目に見えない障害の問題だ」と記事は語っています。
 そういう人達を「自業自得だ」と切り捨ててしまっては、何の解決にもならないんだよな。

 かといって、普通の人が必死で節約したり、働いたりしている横で、毎日パチンコしている生活保護受給者がいればそれでいいのかってなるし…

 多分、生活保護に関しては担当する役所も相当なジレンマだと思うのですよね。

 どう解決すればいいのか私自身にも分からないので、この記事に結論は付けられないのですが、少なくとも貧困の連鎖だけは避けるために、

「食べられない子供には食事を」
「学校へ行けない子供には奨学金を」
 
 社会の側が負担して、用意していかなければならないのだろうな。
 もしその子が高価なマーカーやアニメグッズを持っていても。

 「貧困」をイメージだけで「同情」を集めるように報道するんじゃなくて、何のために何が必要なのか、ちゃんと考えていかないといけないのでしょう。

 テレビは話題になるようにショッキングに報道するからなぁ。
 でも、それがきっかけで議論になるのだから、別に悪くはないのか。

 ただ、NHKに報道された女の子は顔と名前がはっきり出ていたために、住所が特定されてひどいことになっているそうです・・・

 貧困報道は慎重に。
 引用した「貧困報道は問題だらけだ」にもそのことが出てきます。
 安易に同情を引こうとするやり方がどれだけ危険かという…ね。

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2016.08.22

面白かった! ルーン占いとタロット

Dcim0925友人が占いができるということで、先日、自宅に招いた際に占ってもらいました。
面白かったな~

まず最初にやってみたのはルーン占い。
ルーン文字を書いた石が袋に入っていて、そこから石を取り出します。

占いたいことをイメージしながら石を取り出すのですが、私の一番知りたかったのは、老後の備えを何年先までしておけばいいか、ということ。
つまり自分が何歳まで生きるか、ということです。

そしたら「そういう当て物はしません」と言われてしまいました。
今から考えたら、質問を変えればよかった。

「今の備えで、死ぬまで安心して暮らせますか」

で聞いてみればよかったかなー

でも、ルーンはそんなに詳しく何かが出るわけでもないので、今回は、
「今年12月まで、どんな心がけでいるといいか」
を占ってもらいました。

そうすると結果は画像のとおり。

左から順に、最初の石は「ウィン」。意味は「喜び」
次の石は「ギューフ」。意味は「愛情」「ギフト」「人を助けること」

と出ました。つまり、愛情を人に与えること(ボランティアとか)で私自身も幸せになれる。

追加で上記を前提に、もう一つアドバイスするとしたら…で石をひいてみると

3つめの石は「ラーグ」。意味は「女性性」「水」

どうも女性的な何かを人に与える(滞らせず水が流れるように、あまり考えすぎず(?))こと、のようです。

まあ12月といえばクリスマスですしね。
他、いろいろと人に何かをあげることができる4ヶ月になるのかも。それで私のハッピーならいい感じです。

タロットは、当ブログではお馴染み、例の「心の恋人」との今後を占っていただきました。

これがなかなか可笑しくて。

まず「過去」は今まで良い関係を築いてきているとのこと。うん、当たってる。

そして「今の自分」は守りに入ってるとのこと。まー、そうかも。

ここまではいいとして…
「今の相手の状態」は、混乱、もしくは何も決めていないとのこと。これ、笑いましたw
そうか~。私、相手が自分のことをどう思っているのか、すごく心配だったんですよね。
タロットにも中央の「結論」に「不安」とか「不信」とか出ていました。
相手にとって私のアプローチが迷惑なのかそうでないのか分からず、前に進むべきか引くべきかちょっと迷ってて。
そしたら、なんだ、決めてないのか。なんだかすごく腑に落ちる感じ(笑)。

そしてこれからですが…

「近い将来」はカップの8の逆位置。この解釈が一番難しそうでしたね。
ネットで見てみると「未練」。当たりすぎてて怖い。「踏ん切りがつかない時、次に行くのをためらっている時」だそうです。

(引用開始)
逆位置の「杯の8」は、次に進む決心がつかない事や、未練を残している状態などを意味しています。自分がどうするべきか頭ではわかっていても、気持ちの上ではなかなか離れられない時、後ろ髪引かれる思いを感じている時、情が移って、気持ちの整理がうまくできない時、このカードは表れます。

このカードはあなたに、次に進む時が来ていることを受け入れましょうと伝えています。無理をする必要はありませんが、気持ちの上で少しずつ旅支度を始めてください。準備が整ったら、ひとまず次に向かって歩きだしてみましょう。始めのうちはこれでいいのかと不安になったり、心細さを感じたりするかもしれませんが、徐々にこれまでより楽に息ができることに気付いたり、そうできる状況に整っていくでしょう。落ち着いて、時間をかけて進めてOKですが、「次」に向かうことを忘れずにいてください。
(引用終わり)

これが「近い将来」か…。

でも、面白いのは解決策は「妄想」なんですよ。
妄想は得意よ(笑)

そして「自分の本当の気持ち」のところには死の逆。
「思いがけない展開」「復活」です。

心あたりがありすぎでこれも笑ってしまいました。
確かに最近になってちょっと恋愛モード復活の気配。
ただやっぱり恋に盛り上がってる時はいいことばかりではなく、相手の気持ちと自分の気持ちに振り回されて恋愛一色になっちゃうので、それに対する不安はあるな。

全体的にものすごく当たってたわけですが、あまり深く考えず妄想パワーで、やりたいことをした方がいい、ということのようです。

いえ、いろいろ迷いもあったのでDeathの正位置とかで「すっぱりやめろ」と出たりするのかなぁと思っていましたが意外にあまりマイナスな感じはなく。
まあ「結論」が不安や不信ですから、プラスってわけじゃないけれど、それを「妄想」パワーで乗り切ればいいのなら、つまりいい方に考えて行けばいいわけで。
それも今すぐどうこうということでなく「少しずつの旅支度」。
それでゆっくり発展的解消に向かっていくのかも。

ただ一番強いのが「自分」のところのDeathの逆位置なんですよね。
つまり「復活」もしくは「思いがけない展開」か。
それが一番強いならカップの8が示す「次の段階」とは「解消」ではなくもしかすると…いい方に考えておこうっと(笑)。

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2016.08.18

約束の地で

「約束の地で」(作:馳星周)という本を読みました。
 読んでものすごく衝撃を受けました。

 この本は5つの短編で構成される短編集ですが、この記事では、一番最初の短編、
「ちりちりと……」
 について書きたいと思います。

 簡単にあらすじを書きますと。(以下、ネタバレ)

 主人公は事業に失敗して仕事も金も失い、故郷には死ぬつもりで帰ってきます。
 生きることに絶望し、北海道のとある土地に戻った主人公は、ふと立ち寄った酒場で昔の知り合いとたまたま出会い、そこで、何年も音信不通にしていた自分の父親が妻と娘を火事で無くしたものの、多額の保険金を手にしたことを知ります。
 その時、主人公の頭からは死ぬことなんてふっとびます。

 ・その金には俺にも権利があるはず
 ・親父は金が手に入ったことを自分に何も連絡してこなかった。そんなのおかしい。
 ・その金があればまた事業を興せる。俺は復活できる。

 小説は主人公の一人称で進みますから、読んでいる私もこの時点では「まあそう思うのは当然かな」と思います。

 問題は主人公と父親の折り合いが非常に悪いこと。

 主人公にとっての母と妹が生きていた頃から、父親は横暴で無愛想で情けの欠片もない、嫌なやつだった、と主人公は小説の中で語ります。

 さすがに親子だから、頭を下げれば、父はお金を貸してくれるかもしれない。
 でも、頭は下げたくない。

 そこで、主人公は、父親が一人で住んでいるという山奥の小屋に、父親が留守中に忍び込み、金をネコババすることを決意。家の中を漁りますが、金はなく、見つけた通帳にも残高はほとんどなく。

 期待した後だけに再び絶望しかけた主人公は、ふと家の裏から続く小道を発見します。
 そこをたどっていくと、父が自分で作ったと思われる、母と妹のお墓がありました。

 主人公はここに金があると確信し、墓石を押し倒して、納骨室を確認する。果たせるかな、そこに金を積めた一斗缶が。

 大喜びで一斗缶を取り出したところに、父親が帰ってきます。

 妻と娘を火事でなくし、その後、住んでいた家で泥棒にも入られ、世間に嫌気がさして、山に引きこもって一人暮らしをしていた父親の心情は細かくは書かれていませんが、なんとなく私には想像できました。

 もう誰も人を信用できなくなっていたのでしょうね。

 きれいに手入れをし守っていた墓を荒らされ、金と盗もうとしている人物を見て、父親は持っていた猟銃でその人物を撃ちます。

 いきなり父親に撃たれた主人公は、自分が撃たれたことが信じられない。
 自分が息子であることを訴えようとしますが、撃たれたショックで言葉も出ない。

 近寄ってきた父親は、自分が撃った人物が息子だと認めた後も。

 ・・・ここ、どうなんですかねぇ。ホントにこんなことになるんだろうか。

 故郷から出て、長い間、音沙汰もなく、何をやっているのかも分からなかった息子。父親は
「どうせろくでもないことしかしてない」
 と決めつけます。
 ちゃんと顔を合わせ、金を貸して欲しいといえば貸してやったし、どうせ自分には必要ないのだからくれてやったってよかったのに。いない間に泥棒に入り、果ては母と妹の墓を暴き、金を盗む。そんな人間はどうせろくでもないのだからここで死ね、と父は言い放ちます。ここにお前の墓も作ってやるから、と。

 撃たれて薄れる意識の中で、主人公の目から見て、父がどこかおかしくなっているのを見て取る様子が小説には書かれています。
 そして、父は死にかけた息子をその場に放置し、主人公の意識が薄れていく・・・というシーンでこの短編は終わります。

 主人公の視点から物語が語られるので、読んでいる方も、主人公に自然と感情移入しますから、あまり読んでいる間は、主人公をろくでなしだとは感じません。
 事業に失敗したことにも、何もかもなくし、絶望して死のうと思っている状況にも同情さえします。

 でも、最後のシーンで父は情け容赦もなく、その息子を撃ち殺す。

 金に目がくらみ、愛情を受けた思い出もない父親に頭を下げることもできず、ついつい悪いとは思いながら母と妹の眠る墓を荒らしてしまう。
 この辺の主人公の行動はすごくリアルです。
 
 そして父親もねぇ。
 普通、自分が撃ったのが息子だと知ったら少しは動揺もあるでしょうに。
 そこで全く撃ったことに後悔もない父親が衝撃です。主人公である息子に感情移入しているから余計に。
 
 父が息子を撃ち殺し、息子は失意のまま死ぬ。
 
 なんて話なんだ、と読み終わって言葉も出ませんでした。

 ・・・私は別に裕福な家庭に育ったわけでもないし、今も年収何千万ももらうような仕事についているわけでもありませんが、今までの人生でお金に困ったことがありません。

 「金に困ったことがない」というと欲しいものはなんでも買えたってことのようですが、そもそも、私はあまり何かを欲しいと思うことがないのです。

 一人っ子だったので、いろいろ買ってはもらってました。それを兄弟を奪い合う必要はない。
 でも、子供の頃、たまたま同級生の友達の家に遊びにいったら、その子の家にはおもちゃがいっぱいあってびっくりした記憶があります。
 私は数としてはそんなに持ってなくて、買ってもらった人形やぬいぐるみをずっと大事に遊んでいた気がします。
 自分が持っているものはみんな宝物で、後生大事にとっておく感じ。
 新しいものはそんなに欲しくない。
 今あるもので満足。
 
 小さかった頃から、そして今もそうなのです。
 あるもので十分。新しいものはいらない。

 そうは言っても、昨今はスマフォもパソコンもどんどん新しくしていかないと、使いにくくなったりしますので、そこは致し方なく、買い替えたりはしますが・・・
 
 でも服は今もそうかな。
 よっぽど破れて着られなくなったら新しいのを買いますが、そうでない限りは別に新しいものにこだわりはありません。10年前の服とかも平気で着てますよ。

 そういう性格だからでしょう。金に困ったことはない。
 給料は自然と余り、余った分は貯金になる。
 金があるからといって、それを使いたいと思わない。
 休みがあれば旅行にはいきますが、それくらいかな・・・

 そして何よりも重要なポイント。
 家族がいないので、子供にかかる養育費がない。
 もちろん借金癖のある亭主もいない。
 母はなくなりましたが、父は健在で、お正月はお年玉をあげたり、夏はいっしょに旅行に行ったりします。
 でも基本は父も年金だけで生活できているようですし、仕送りはしていません。

 私は事業を興したりも、借金したりもしません。
 ある分で十分。
 だから「金がない」ことでここまで追い込まれる主人公の気持ちというのは想像を超えます。

 どうしてこうなってしまうのか。
 きっと、私にとってこの小説は想像を超えた世界で、それを目の当たりにした衝撃だったのかもしれません。
 
 この本に収められている他の短編も読んでみてつくづく思うのですが、幸せと不幸せのラインってどこにあるのでしょうね。
 
 私自身を振り返ってみたとき、客観的に見てそんなに幸せって感じでもないのですが、主観的には、仕事もあって、金には困らず、健康で、何よりも一人で、自由。
 とても幸せなのですが、そうでない人と私の違いは何なのだろう。

 そんなに違いはないはずなのになぁ・・・
 

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2016.08.12

凄すぎて絶句!  ~シン・ゴジラ~

 本日、庵野監督の「シン・ゴジラ」見てきました。

 いやぁ、すごい。表題どおり、凄すぎて言葉もありません。

 特に怪獣オタクでもなく、ただ、ウルトラマン世代ではある私。子供の頃には、ゴジラはよく、テレビで映画が放映されているのを見ていました。ゴジラvsキングギドラや、モスラを見たことがあります。ストーリーは全く覚えていませんが。

 「シン・ゴジラ」はたまたまちょっと宣伝を目にしたあと、ネットで評判を読んで見たら、大変好評で。さらにあのエヴァンゲリオンの庵野さんが監督をされたとのこと。
 エヴァンゲリオンは私、10話までしか見たことがなくて、はまってはいないのですが、それでも庵野さんの噂はそこここで聞きます。

 私の印象は、独自の世界観を確立されているということ。
 この人が監督をするのなら、ただの怪獣映画ではないことは確かでしょう。

 それに、ネットで予告編などを見ると、音楽がすごくいい。エヴァも音楽が神秘的でとてもいいのですが、あの音楽でゴジラ。見てみたくなりました。

 感想といっても、とにかくゴジラがものすごい迫力で、これはいくら言葉を尽くしても百聞は一見に如かず、見て頂くしかないのですが、一つだけ、どうしても、このブログで書いておきたいことは。

 ・・・3.11の東日本大震災&原発事故。そして熊本地震。

 これを経験してしまった日本人にとって、すでにゴジラはただのフィクションではない、ということ。

 私は見ていて確実にオーバーラップしましたよ。
 逃げ惑う人々。何百万人もの避難民。なす術もなく破壊されていく家々。広がる放射能汚染。

 ゴジラが動き出したら、人間には止める術もなく、ただ逃げるしかないんです。

 現実の天災とゴジラはまさに同じ。

 パニック映画は今までもたくさん作られていて、たとえば宇宙からの侵略の「インディペンデンスデイ」とか隕石が落下する「ディープインパクト」や「アルマゲドン」などたくさんあって、見たこともあるんですけど、今日の「シン・ゴジラ」ほど、リアルに感じたことはなく。

 もちろん、現実の日本を舞台とし、ゴジラが東京や鎌倉や川崎など身近な場所を蹂躙していくので、そのせいはあるんですけど・・・

 なんというか、官邸の対策本部や政府や自衛隊の対応が、まさに「3.11」。

 この先、東南海地震や東京直下地震などがいつ起こるかわからない日本にあって、「シン・ゴジラ」の世界は、題材が「ゴジラ」にもかかわらず、まったくフィクションとは思えないのです。

 この映画には自衛隊も協力しているみたいですが、ほんと、何かあったときに、
「まさか、そんなことが起こるわけない」
 と言えなくなってしまった3.11後の世界に生きている私たちの心の準備として、この映画を見ておく必要があるような気さえしてきます。

 とにかく、凄かった、「シン・ゴジラ」。
 見ていない方はぜひ見てみてください

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2016.08.09

「言ってはいけない 残酷すぎる真実」

「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という本があります。


「美人とブスの美貌格差は3600万」・・・
 最初に私がこの本を手にしたきっかけはこのフレーズでした。

 なんとなく普通に日々、過ごしていて、見た目がいいと得だよなぁと思うことは確かにあるのですけど、それを「言ってはいけない残酷すぎる真実」なんてタイトルの本で、ブスは3600万も損なんだよ、と言われると、私としては反発したくなります。

 以下は自分のことなんですが、そもそも外見に自信が持てない女性は、男性から選ばれず結婚できないかもしれませんから、なんとかして自立して生きていこうとします。私の場合、幸いにして知能に関しては、小学校の頃のIQテストの結果がめちゃめちゃ低く、どうなることか危ぶまれた過去があるにしては、普通に学校に行き、中学、高校、大学と進学することもできました。結果、今日現在、自立して生きていくことはできています。

 これは多分、私がブスだからなのですよ。
 もし美人だったら、別にここまでがんばる必要ない。
 結婚して旦那が養ってくれるなら、自分で稼ぐ必要もないし。

 もちろん、モデルや女優、アナウンサー、もしくはホステスなど、美貌がメリットとなる職業はありますけど、そんな職業、最初からなろうと思いません。

 それに美貌がメリットとなる職業は「美貌+若さ」が価値ですから、年をとれば、必然的に仕事でも不利になります。
 本では、美人の弁護士は年をとっても有利だ、と書いてありますが、そもそも美人だったら弁護士なんかしなくたっていいでしょ。あほらし。

 生涯賃金ということで言えば、日本の女性は、美人なら高収入で条件のいい男性と結婚し、自分は働かないで暮らすのが最高のステータスですから、格差3600万と言われても、ピンときません。

 美人なら自分で働く必要がない。
 なら稼ぎはブスの方が多いんじゃないかな。

 という認識があって、
「なんてくだらない本なんだ。適当に都合のいいデータだけを取り上げて、強引な結論を出してるだけでしょ」
 と頭に来て、件の本を手にとりました。

 案の定、「美貌格差」の章の3600万は単純計算ですし、それで美人が得と言われてもねえ、という内容だったのですが、ディスるにはちゃんと読まねばということで本を買って、ちゃんと読んでみました。すると。

…意外とこの本、いいことが書いてありました。
 いいこと、というか、私は不愉快とは感じず、この内容を「おもしろい」と思いました。

 結局、こういうことなのです。

 人間の能力には差がある。
 それは遺伝の影響によるものも多く、つまり本人の努力とかそういうことでどうにかなるものでもない。
 なのに、人は生まれた時は平等で、それを環境次第でよくも悪くもできるという「神話」でなんと多くの資源が無駄に浪費されていることか。

 私は、本書の趣旨に深く賛同します。

 つまり人間って一人一人みんな違うんですよ。
 幸せの定義が一人一人みんな違うように。

 美醜も知能も運動能力も遺伝の要素が強くある。
 本人の力ではどうにもならない。
 だとしたら。

 私が今までやってきたことは正しかった。
 美しさで勝負したら損するのであれば、他で自分の取り柄を伸ばしていけばいい。その中で自分だけの幸せを手に入れればいい。
 
 美人には美人の、ブスにはブスの生き方があります。
 生まれながらの歴然とした違いはあるわけで、そこは否定しません。
 でも、その結果、幸せになれるか不幸になるかは選び取ることができる。

 本は女性と男性の生まれながらの違いにも言及しています。
 これはまさに自明の理でして、男性と同じように働くことが女性の幸せとは限らない。そんなこと望んでいない女性はたくさんいます。
 
 そういう「違い」を前提とせずに議論することの愚かさをこの本は教えてくれます。

 読書メーターというサイトで、この本の感想を見ていると、「不愉快」とか「危険」と感じる人も確かにいるようで。
 まあ確かに
「犯罪者の子供は犯罪者になる確率が高い」
 なんて言われるとどきっとしますよね。

 でもそうであってもその事実をあるがままに受け入れ、犯罪を犯さないように、起こり得るべき未来を変えることは私達にはできる。

 そういう意味で、私はある種、救いの書とも取れるのですが。
 あまりこういう感想を持つ人はいないのかな…

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2016.08.08

「お気持ち」

 今日、天皇陛下の「お気持ち」を聞きました。

 すごくちゃんとした人なんだなぁというのが感想。
 「ほんとはこうしたいんだけどな」というのがあっても、それをいうといろいろ面倒だから、言いたいことも飲み込んで、流れに任せてしまっている人がほとんど。私たち、市井の人間はね。

 天皇陛下のお立場からすると、本当の気持ちを言えないプレッシャーというのは、私たちの比じゃない。
 だけど、自分の職務と、家族に対する強い気持ちが、今日のメッセージだったと、私は受け止めました。

…すごいことだ。
 思いを伝えること、わかってもらうこと。
 どんなに言っても分かってもらえないと、私たちはすぐにあきらめちゃう。
 陛下のお立場だったら、ほんと、私たちの比じゃないほど、そういうことばかりだったんだろうなと思うのに。
 「もういいや」ってなって、流れに任せて、できなくなったら「できません」でも済むはずなのに。

 真摯に、こうして「国民の理解」を得ようと向き合ってくださる。ほんとすごいわ。

 …なんというか。どんな困難があったとしても、ちゃんとこうして自分の気持ちを伝えようとすることは、とても大事なんだ、ということをしみじみと感じました。
 応えたいよね。その気持ちに、国民の側も。

 困難であってもしっかり検討しよう。逃げないで向き合おう。

 何がベストなのか。今、何をするべきなのか。
 
 とてもいい「お気持ち」の表明だったと思います。

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2016.08.04

「パパ活」の衝撃

 本当に流行っているのか、それとも例によって一部の特殊な事例をマスコミが面白がって取り上げているのか知らないですが「パパ活」というのをする若い女性がいるそうです。

 「パパ活」とは、若い女性が「性交渉は抜き」で、自分に投資してくれる男性を見つけて、付き合うことを言うようです。

 ネットでは、パパ活を行う女性の方の話は目にすることができます。
 いわく

・バイト生活でお金がない。でも自分の夢を叶えたい。

 そんな時に「パパ」と食事を一緒にしたり、デートしたりするだけで何万ももらえるパパ活。すごく助かってる、みたいなことがパパ活成功者談として書かれています。

 女性の側は確かにそうなんでしょうが・・・
 パパである男性の方の、そうやって、若い女性にデートだけで何万も払うことをよしとする心理というのが、どうもピンと来ません。

 それだけお金があるなら、プロの高級クラブとかにだって行けるでしょうに。
 素人がいいなら、わざわざ「パパ活」なんて言葉で寄ってくる得体の知れない女性よりも、身近の普通のお付き合いの中で知り合える女性が、そういう地位もお金もある男性ならたくさん居るんじゃないのかな。
 すごく不思議です。

 ただ、まぁ、確かに「普通の付き合いの中で知り合える女性」って、業種によっては限られますからね。
 そういう男性にとっては、パパ活のマッチングサイトもあるようなので、そういうシステムで若い女性と知り合える方が、割り切れるし、まあ、お気軽といえばお気軽か。
 高級クラブのプロ相手にがっぽり取られるよりは素人さんの方が扱いやすいかも。

  でも、大手企業の社長や役員で「普通の付き合い」に困らない男性は、そういうサイトは利用しないんじゃないかなぁ。
 となると。あまり人に言いにくい仕事で、お金はあるけど、素人の若い女の子とフラットに知り合うチャンスがない男性か・・・

 株など不労所得で儲けてたり
 金融業だったり・・・

 そう考えるとやっぱりちょっと危険じゃないですか、「パパ活」。
 そういうサービスを求める男性って「まっとうじゃない」職業しか思いつかない。
 「まっとう」だったら「パパ活」なんかで女の子探さないでしょーー。

 だったら
・パパと付き合うことで女が磨かれる
 とか
・パパと付き合うことで人脈ができる
 なんて書いてあったとしたって、ろくなもんじゃないことが想像できますが^^;

 私にしてみたら、女性の側の「楽してお金を手にしたい」「いい生活がしたい」という発想自体が、ものすごく浅ましくはしたないように思えてならないのです。

「夢を叶える」なんてそんな簡単なことじゃないよー。

 若くてきれいだからって、簡単に何万も大人の男性からもらうことが、いいことだとはどうしても思えない。
 プライドはないのか、プライドは。
 お金で自分のプライドを売るようなもんじゃないかな。
 それが「いいこと」としてもてはやされる風潮に衝撃です。

 いやぁ、びっくりした。

「働かないで得るお金」なんてろくなもんじゃない。
 古いかもしれませんが、私の感覚はそれです。いつかそのしっぺ返しは来る。
 いつか返さなければならないツケならば、ツケでものを買ったりしない方が精神衛生上いいと思うのだけど。
 それも私の価値観か・・・。おばさんのいうことなんて、若い女の子たちは知るかって感じですかね。
 世の中すごいことになってますな^^;

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