貧困ってなんだろう2
NHKの貧困問題の報道に関する騒動について、今朝、民放でも取り上げられていました。
聞いていてちょっと違和感を感じました。
もちろん、報道された高校生を叩く行為は許されないことです。
しかし、
「なぜそうなってしまったのか」
「報道の仕方に問題はなかったのか」
をもっと掘り下げず、ネットで話題となったことを批判するだけでは何の解決にもなりません。
ニュースのコメンテーターというのはずるいよなぁ。
偉そうに批判ばっかりしてさ~
この問題の根本にあるのは、
「あの子が貧困なら俺も貧困なのか。だったらどうして誰も助けてくれないのか」
ってことです。
貧困、貧困といっても、それは「相対的貧困」のことを言うのだと、前の記事でも触れました。
とすれば、社会全体の中で一定の割合の人々は「貧困」にカテゴリー分けされるわけです。
だとしたら同じように貧困の状況にある人であっても、全員を助けるなんてできないし、きりが無い。
では、その中で、より助けなくてはいけない人は誰なのか、となったとき、たとえば、そういう
「自分自身のせいでなく、親が貧困なために進学のチャンスを奪われる子供」
ってことになるわけですよね。
しかし、正直、同じ貧困状態にあるのに、そういう子供だけ救いの手がさしのべられて、それ以外の人は放置だったら、そりゃ恨まれるでしょう。
同じ貧困層にいる人達から。
今朝の民放の報道を見ていたら、
「奨学金が支援っていうけどそれって借金ですよ!」
というコメントがありました。
いやいや、だから、子供の内は進学したいと思っても、自分ではどうしようもないわけですよね。でも今、勉強して、将来、いい仕事に就けたら社会に還元できるかもしれない。
借金というよりは投資です。
投資の結果、豊かに生活できるようになったら、いただいた分を還元する。それって当たり前の話じゃないのかな。
だって成人の貧困者は自己責任なんでしょ?
だったら大人になったら他の貧困者と条件は同じ。
なのになぜ、その子だけが優遇されるの?ってことです。
前の記事で引用した「貧困報道は問題だらけだ」を読んだからより理解できるのですが、結局、貧困者の批判は、同じ貧困層からのものが痛烈です。
理由は上に書いた通り。
「なぜ俺は助けてもらえないのか」
です。その思いが分からない人間はこの問題を語るべきじゃない。より貧困者を傷つけることになる。
目の前にいる貧困者だけではなく、たくさん日本に存在する、働けない人達、働いても働いても生活が楽にならない人達を想像して欲しい。
朝の民放の報道では
「なぜもっと想像できないのか」
って言ってましたが、想像できないのはあなた達でしょう、と私は思います。
よっぽど貧困に縁がない生活を送ってきたんだろうな。
「なぜ俺は助けてもらえないのか」
貧困に関する報道を見て、そう思ってしまう人々の気持ちに思いを馳せることができない限り、こうしたことはこれからも続きます。貧困問題を報道するとバッシングの嵐になる。
その結果、まるでこの問題がタブーのようになるのだけは避けなくてはいけない。
だって、そうして誰からの助けも受けることが叶わずに貧困の連鎖に飲み込まれていく人が増え、社会全体が劣化していくことが最大のリスクでしょう。
見えない貧困が「相対的」なものなのなら、どこまでを支援の対象とするかの線引きはしっかりしないといけないだろうと私は感じます。
そうでないと同じように貧困にある人達に説明がつかない。
報道の仕方は難しい。けど逃げずにちゃんとこの問題と向き合っていかねば。
今回の騒動を受けて、関心が高まるのはよいことなので、では、何が問題だったのかは、片山さつきを非難して終わらせるんじゃなくて、もっとちゃんと取り上げてもらいたいです。
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