約束の地で
「約束の地で」(作:馳星周)という本を読みました。
読んでものすごく衝撃を受けました。
この本は5つの短編で構成される短編集ですが、この記事では、一番最初の短編、
「ちりちりと……」
について書きたいと思います。
簡単にあらすじを書きますと。(以下、ネタバレ)
主人公は事業に失敗して仕事も金も失い、故郷には死ぬつもりで帰ってきます。
生きることに絶望し、北海道のとある土地に戻った主人公は、ふと立ち寄った酒場で昔の知り合いとたまたま出会い、そこで、何年も音信不通にしていた自分の父親が妻と娘を火事で無くしたものの、多額の保険金を手にしたことを知ります。
その時、主人公の頭からは死ぬことなんてふっとびます。
・その金には俺にも権利があるはず
・親父は金が手に入ったことを自分に何も連絡してこなかった。そんなのおかしい。
・その金があればまた事業を興せる。俺は復活できる。
小説は主人公の一人称で進みますから、読んでいる私もこの時点では「まあそう思うのは当然かな」と思います。
問題は主人公と父親の折り合いが非常に悪いこと。
主人公にとっての母と妹が生きていた頃から、父親は横暴で無愛想で情けの欠片もない、嫌なやつだった、と主人公は小説の中で語ります。
さすがに親子だから、頭を下げれば、父はお金を貸してくれるかもしれない。
でも、頭は下げたくない。
そこで、主人公は、父親が一人で住んでいるという山奥の小屋に、父親が留守中に忍び込み、金をネコババすることを決意。家の中を漁りますが、金はなく、見つけた通帳にも残高はほとんどなく。
期待した後だけに再び絶望しかけた主人公は、ふと家の裏から続く小道を発見します。
そこをたどっていくと、父が自分で作ったと思われる、母と妹のお墓がありました。
主人公はここに金があると確信し、墓石を押し倒して、納骨室を確認する。果たせるかな、そこに金を積めた一斗缶が。
大喜びで一斗缶を取り出したところに、父親が帰ってきます。
妻と娘を火事でなくし、その後、住んでいた家で泥棒にも入られ、世間に嫌気がさして、山に引きこもって一人暮らしをしていた父親の心情は細かくは書かれていませんが、なんとなく私には想像できました。
もう誰も人を信用できなくなっていたのでしょうね。
きれいに手入れをし守っていた墓を荒らされ、金と盗もうとしている人物を見て、父親は持っていた猟銃でその人物を撃ちます。
いきなり父親に撃たれた主人公は、自分が撃たれたことが信じられない。
自分が息子であることを訴えようとしますが、撃たれたショックで言葉も出ない。
近寄ってきた父親は、自分が撃った人物が息子だと認めた後も。
・・・ここ、どうなんですかねぇ。ホントにこんなことになるんだろうか。
故郷から出て、長い間、音沙汰もなく、何をやっているのかも分からなかった息子。父親は
「どうせろくでもないことしかしてない」
と決めつけます。
ちゃんと顔を合わせ、金を貸して欲しいといえば貸してやったし、どうせ自分には必要ないのだからくれてやったってよかったのに。いない間に泥棒に入り、果ては母と妹の墓を暴き、金を盗む。そんな人間はどうせろくでもないのだからここで死ね、と父は言い放ちます。ここにお前の墓も作ってやるから、と。
撃たれて薄れる意識の中で、主人公の目から見て、父がどこかおかしくなっているのを見て取る様子が小説には書かれています。
そして、父は死にかけた息子をその場に放置し、主人公の意識が薄れていく・・・というシーンでこの短編は終わります。
主人公の視点から物語が語られるので、読んでいる方も、主人公に自然と感情移入しますから、あまり読んでいる間は、主人公をろくでなしだとは感じません。
事業に失敗したことにも、何もかもなくし、絶望して死のうと思っている状況にも同情さえします。
でも、最後のシーンで父は情け容赦もなく、その息子を撃ち殺す。
金に目がくらみ、愛情を受けた思い出もない父親に頭を下げることもできず、ついつい悪いとは思いながら母と妹の眠る墓を荒らしてしまう。
この辺の主人公の行動はすごくリアルです。
そして父親もねぇ。
普通、自分が撃ったのが息子だと知ったら少しは動揺もあるでしょうに。
そこで全く撃ったことに後悔もない父親が衝撃です。主人公である息子に感情移入しているから余計に。
父が息子を撃ち殺し、息子は失意のまま死ぬ。
なんて話なんだ、と読み終わって言葉も出ませんでした。
・・・私は別に裕福な家庭に育ったわけでもないし、今も年収何千万ももらうような仕事についているわけでもありませんが、今までの人生でお金に困ったことがありません。
「金に困ったことがない」というと欲しいものはなんでも買えたってことのようですが、そもそも、私はあまり何かを欲しいと思うことがないのです。
一人っ子だったので、いろいろ買ってはもらってました。それを兄弟を奪い合う必要はない。
でも、子供の頃、たまたま同級生の友達の家に遊びにいったら、その子の家にはおもちゃがいっぱいあってびっくりした記憶があります。
私は数としてはそんなに持ってなくて、買ってもらった人形やぬいぐるみをずっと大事に遊んでいた気がします。
自分が持っているものはみんな宝物で、後生大事にとっておく感じ。
新しいものはそんなに欲しくない。
今あるもので満足。
小さかった頃から、そして今もそうなのです。
あるもので十分。新しいものはいらない。
そうは言っても、昨今はスマフォもパソコンもどんどん新しくしていかないと、使いにくくなったりしますので、そこは致し方なく、買い替えたりはしますが・・・
でも服は今もそうかな。
よっぽど破れて着られなくなったら新しいのを買いますが、そうでない限りは別に新しいものにこだわりはありません。10年前の服とかも平気で着てますよ。
そういう性格だからでしょう。金に困ったことはない。
給料は自然と余り、余った分は貯金になる。
金があるからといって、それを使いたいと思わない。
休みがあれば旅行にはいきますが、それくらいかな・・・
そして何よりも重要なポイント。
家族がいないので、子供にかかる養育費がない。
もちろん借金癖のある亭主もいない。
母はなくなりましたが、父は健在で、お正月はお年玉をあげたり、夏はいっしょに旅行に行ったりします。
でも基本は父も年金だけで生活できているようですし、仕送りはしていません。
私は事業を興したりも、借金したりもしません。
ある分で十分。
だから「金がない」ことでここまで追い込まれる主人公の気持ちというのは想像を超えます。
どうしてこうなってしまうのか。
きっと、私にとってこの小説は想像を超えた世界で、それを目の当たりにした衝撃だったのかもしれません。
この本に収められている他の短編も読んでみてつくづく思うのですが、幸せと不幸せのラインってどこにあるのでしょうね。
私自身を振り返ってみたとき、客観的に見てそんなに幸せって感じでもないのですが、主観的には、仕事もあって、金には困らず、健康で、何よりも一人で、自由。
とても幸せなのですが、そうでない人と私の違いは何なのだろう。
そんなに違いはないはずなのになぁ・・・
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