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October 2016

2016.10.27

かわいがられたくない

今でもたまに見かけますが
「男性にかわいがられる女性になろう」
とか
「夫にかわいがられる妻」
とか
「上司にかわいがられる部下」
というようなことが推奨されているのを見ることがあります。

そりゃ嫌われるよりは好かれた方がいいのは決まってますが、私は昔からこの「かわいがられる」という価値観があまり好きではありません。

なんだか「気持ち悪い」のです。

別にかわいがってもらわなくても、対等な人間同士として付き合えればいい。
仕事でもプライベートでも。
好き、嫌いで人を判断するのはよくないと思うのですよね。

そう考えると私自身はもしかすると人を好きになったことないのか?
いえ恋愛の一つもしたことないというわけではないのですが、私が人を好きになるポイントは、誰にも分け隔てなく優しい人を見ると、その人のことを
「素敵だなぁ」
と思うんですよね。
「えこひいき」が嫌い。
だから私も好きになった人を特別にひいきしたりしない。意識して、他の人と同様に平等に接したりします。好きだなんて伝えたら嫌われちゃうような気もします。

ずっと独身で、それどころかろくに男性と付き合ったこともないというのはこれが理由なのかもしれない、ということに最近気が付きました。
だって、男性から特別扱いされると「気持ち悪い」んだもん。
気持ち悪いんじゃなぁ。

もしかしたら何か障害なのかとLGBTの診断チェックをしてみたら意外とそうでもありませんでした。
なんだ、じゃあただの甲斐性なしってだけやん(爆)

過去、好きになった相手に自分から気持ちを伝えたことは何度かあります。
でもあんまり「相手に好きになってもらおう」という気持ちはなかったような。
好きになってもらえたら嬉しいとは思いましたが、自分に自信がないので、私のことなんか好きになってくれるわけはないと思う気持ちの方が強かったです。
相手にもそれが伝わったのかもしれません。

実は本心では、誰にも「好きになってもらいたくなかった」のかも。
特別扱いしてかわいがってもらうのが嫌だから。
自分は「その他大勢」でいい。誰かの特別にはなりたくない。

なんでこんなふうに思うようになったのかなぁ。

一人でいる方が安心する。
他人に自分に係わって欲しくない。
ほっといて欲しい。
それが「私」です。

今、その願いは叶って、私はとても幸せなのですが、やっぱり人並みに
『これでよかったのかな…?』
とはたまに思います。
でも、そう思ったって、結局はよいも悪いも私はこう在るしかなく、そんな自分に正直に自分が一番欲しいものを手に入れたのだから後悔はありません。

ただ、なぜ自分がこう在るのかは興味があります。不思議なんですよね。

折に触れ、また考えてみたいな。

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2016.10.10

滋賀県栗東市がつくったチラシは「古い男女観」?

滋賀県栗東市がつくったチラシは「古い男女観」?

上記のようなニュースがありました。
チラシの内容を読んでみましたが、私は別になんとも思わなかったなぁ。

イラストの子供が男でも女でもそれはたまたま「男」だったり「女」だったりするだけで、あいさつはどっちでも大事だし、ありがとうを言うのも、物を片付けるのも性別関係ないし。

このチラシが問題だとして訴訟になっているなんてびっくりしました。

私は、人がみんな違うように、男女もいろいろ違いはあるので、無理にそれを「同じ」にしようとすることにこだわるのはナンセンスだと思う立場だけど、このチラシにはその種の論争を持ち込むまでもないような。

つまり、男女には区別があるのだからこのチラシの言うことも全うだ、と言いたいわけではなく、このチラシにはそもそも「男の子は男らしく」「女の子は女らしく」という意図はないと私は思います。

「時間を守る」ところのイラストが男の子だからって、それは男の子だけの問題とは思わないでしょ。思う人もいるのかな?
「靴や物を整理できる子に」のところが女の子だったら、問題になったかも。
そういう意味では確かに性差を念頭に入れたチラシではあるかもしれないけれど。

それにつけても、人の受け取り方というのは本当に様々だなぁと思います。
志布志市のうな子のPR動画の件も問題になっていましたが、私は全然「いやらしい」とも「問題だ」とも感じなかったんですよね。あの動画を見て変な想像をする方が妄想たくましすぎるのではないかと思ったのですが。

私は男女に違いはあるけれどそれが優劣だと考えたことはありません。
「表に立つのは男性で、女性はそれを裏で支えるべき」とも思ったことはなくて、男でも女でも表に立ちたい人は立てばいいし、裏方にいたい人はいればいい。
うまい言い方ができないのですが、つまり男、女に関係なく、やりたいことを自由にやれる世の中であればいいと思うのです。

「違いがある」ということをイコール「性差」に置き換えて「○○なら××であるべき」とすることはおかしいと思うけど、私は、このチラシのイラストのそれぞれの子供が男だろうと女だろうと、そのことに何の意味も感じず、ただ「子供」としか捉えてませんでした。
このチラシに違和感を感じない人は「男は○○で女は××」という価値観に違和感を感じないわけではなく私と同じなんじゃないかしらね。

イラストに描かれているのが、この部分は女の子でこの部分は男の子で、それに何かの意味を見いだしちゃう人の方が、性差にこだわり過ぎなんじゃないかと思うのですが。

そして、この記事をアップしようとしている間に「25歳からは女の子じゃない」という資生堂のCMが炎上して削除されたという話題も目にしました。

このCMも見てみたけど、私はあまりきにならなかった^^;

だって、男性の目から見た「女」としての価値が、年をとれば下がるのは仕方ないとしても、それで「人間としての価値」が下がるわけではないでしょ。

年をとったら、男からチヤホヤされるのではない、人としてのかっこよさを伸ばしていけばいいわけで。
私はそういうメッセージだと、このCMを受け取りましたが。

「女としての価値」だけに捕らわれているのは男性も女性も同じなのかも。

別に男に取り入るだけが女性の価値じゃない。
もう少し時代が進めばみんながそう思えるようになるかなー

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2016.10.03

再び「母」のこと

最近よく、1999年に56才で亡くなった母のことを思い出します。
今日も、読売新聞の「発言小町」に出ていた下記の相談を読んで思い出しました。

「もう耐えられない。涙が止まらないです。」

私が一人暮らしを始めたのは27才の時。母が亡くなる3年前でした。
一人暮らしをしようと思ったのは、職場の6つ年下の後輩が一人暮らしをしているのを見ていて、彼女にできるなら私にもできるだろうと思ったから。
一人で家探しをするのはやり方も分からないし、不安だったのですが、その後輩が一緒に家探ししてくれ、彼女と一緒のアパートに住むことになったので、心強く感じたことがきっかけです。

すごく実家を出たいわけでもなかったし、今、振り返るとよく決断したなぁと思いますが、当時はなんとなくでしたねぇ。

実家は一人暮らしの住まいからは電車で1時間程度。
そんなに遠くもなかったし、私にとってはセカンドハウスができたようなもので楽しかったのをよく覚えています。
つまり「独立した」という自覚はそんなになかった。根っこは実家にあって、興味本位で一人暮らしを始めたようなものでした。
でも結局、その後、今に至るまでずっと実家に帰ることはなかったのですが。

母が亡くなった後に、帰ろうかと父に話したこともありますし、そもそも母の具合が悪くなった際に、介護のために帰ろうかという話をしたこともありました。
しかし、父はどちらも断りました。
おそらく娘に負担をかけたくなかったのだろうと思います。

一人暮らしを始めた際、実家からの荷物は父が運んでくれました。
私が一人暮らしをすることについて当時、父が何て言ってたか、覚えていることがあります。
家にいると母とケンカばかりするから・・・とか言ってたっけ。
そんなにケンカばかりしていた覚えはないのですが、まあ、あったかも^^;

母は、
「お前に一人暮らしなんかできるわけがない」
と言ってました。すぐ戻ってくるだろうとも。

私が誕生してからずっと母は、躁鬱病を患い、年に何回も、何ヶ月も、布団に寝たきりになって外に出られなくなることがありました。
「死にたい」と口にしていたこともよくあったなぁ。

家事もできないし、子供の世話は当然できない。
当時の私にはそれが「当たり前」だったのですけど、今、客観的に振りかえれば、風呂は1週間に一度だったし、けっこう小さい頃から食事は自分で、ご飯を炊いたり、味噌汁作ったり、レトルトカレーを温めたりしてましたっけ。無論、母の分も。
掃除、洗濯はあんまりできなかったし(というか、教えてもらえないので、毎日するのが普通というのが分かってなかった)、家は荒れ放題でした。
ばっちい子供だったよなー。

よく身内はそれをほっといたものだ、と思いますが、おそらく父がそういう現実に対して対処できてなかったのだと今は思います。
子供である私に、何か買ってきて、食べさせることはがんばってましたが、炊事とかはあまりできない人だしなー。
そもそも家事はあんまりできない人だった。仕事も忙しかったしね。

思い返せば、母方の祖母が見かねてたまに来てくれて、掃除とか料理とかしてくれてたっけ。
でも同居はしなかった。まあ、祖母の家には祖父も未婚の長男もいたしね。

結局、躁鬱の母とその子供はほったらかしでした。

もし今の私だったらどうしたろう。
少なくとも、子供をお風呂に入れたり、食べさせたりはするなぁ。
母もちゃんと病院に連れてかなきゃ。

私は当時、母の病気というのがよく分かっていませんでした。
寝たきりになって、外に行かれなくなるのもそれくらい私にとっては母の「普通」だったから。
今にして思えば、ちゃんと薬でコントロールできたはず。本人には無理なので、誰かがちゃんと見て、うつになったら抗鬱剤を飲ませれば症状は多少は抑えられたはずなのです。
でも誰も母の面倒は見なかった。
そばにいるのは子供である私だけだったんだよな。

いろいろと間違ってたんだなぁと思います。
誰が間違っていたか、なんて、今、言ってもしょうがない。

躁状態になったときの母はめちゃくちゃ勝手で、よくそれでケンカもしたけど、私は基本、母が大好きでした。
母自身、自分の心をうまくコントロールできなくて大変だったんだろうけれど、私はなんとか成人したし、何よりも母から私は確実に愛されていました。
母とはたくさん話をしたし、一緒にマンガも読んだし、テレビも見たし、テレビゲームもした。
何でも話すことのできる唯一の存在。
小さい頃の私の願いは
「母を幸せにしたかった」。
だからでしょう、夫からDVを受けている友人から話を聞いて
「守ってあげたい」
と思ったことがあったっけ。

何が正しくて何が間違えているのか、なんて、結局、分からない。
当事者はそれでもなんとかやっていくしかなく。
でも一つ、言えるのは…結局、今の私があるのは、父と母がいたからだということ。

死ぬ時にまた自分の一生を振り返ったとき、
「あのとき、もっとこうできたはずだ」
と思うことはあるのでしょうけど、それは後だから思うだけで、今は今しかないわけで。
今しかない「今」を生きないとね。

いつか私が死んだ時、もしあの世があるのなら、そこで私は母と会えるのかなぁ。
母は私のことなんか忘れ去って楽しくやっているのかもしれない。
それならそれでいいけれど…私のしょうもない一生の話をネタにまた馬鹿話など二人でできたらいいな。

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