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2016.10.03

再び「母」のこと

最近よく、1999年に56才で亡くなった母のことを思い出します。
今日も、読売新聞の「発言小町」に出ていた下記の相談を読んで思い出しました。

「もう耐えられない。涙が止まらないです。」

私が一人暮らしを始めたのは27才の時。母が亡くなる3年前でした。
一人暮らしをしようと思ったのは、職場の6つ年下の後輩が一人暮らしをしているのを見ていて、彼女にできるなら私にもできるだろうと思ったから。
一人で家探しをするのはやり方も分からないし、不安だったのですが、その後輩が一緒に家探ししてくれ、彼女と一緒のアパートに住むことになったので、心強く感じたことがきっかけです。

すごく実家を出たいわけでもなかったし、今、振り返るとよく決断したなぁと思いますが、当時はなんとなくでしたねぇ。

実家は一人暮らしの住まいからは電車で1時間程度。
そんなに遠くもなかったし、私にとってはセカンドハウスができたようなもので楽しかったのをよく覚えています。
つまり「独立した」という自覚はそんなになかった。根っこは実家にあって、興味本位で一人暮らしを始めたようなものでした。
でも結局、その後、今に至るまでずっと実家に帰ることはなかったのですが。

母が亡くなった後に、帰ろうかと父に話したこともありますし、そもそも母の具合が悪くなった際に、介護のために帰ろうかという話をしたこともありました。
しかし、父はどちらも断りました。
おそらく娘に負担をかけたくなかったのだろうと思います。

一人暮らしを始めた際、実家からの荷物は父が運んでくれました。
私が一人暮らしをすることについて当時、父が何て言ってたか、覚えていることがあります。
家にいると母とケンカばかりするから・・・とか言ってたっけ。
そんなにケンカばかりしていた覚えはないのですが、まあ、あったかも^^;

母は、
「お前に一人暮らしなんかできるわけがない」
と言ってました。すぐ戻ってくるだろうとも。

私が誕生してからずっと母は、躁鬱病を患い、年に何回も、何ヶ月も、布団に寝たきりになって外に出られなくなることがありました。
「死にたい」と口にしていたこともよくあったなぁ。

家事もできないし、子供の世話は当然できない。
当時の私にはそれが「当たり前」だったのですけど、今、客観的に振りかえれば、風呂は1週間に一度だったし、けっこう小さい頃から食事は自分で、ご飯を炊いたり、味噌汁作ったり、レトルトカレーを温めたりしてましたっけ。無論、母の分も。
掃除、洗濯はあんまりできなかったし(というか、教えてもらえないので、毎日するのが普通というのが分かってなかった)、家は荒れ放題でした。
ばっちい子供だったよなー。

よく身内はそれをほっといたものだ、と思いますが、おそらく父がそういう現実に対して対処できてなかったのだと今は思います。
子供である私に、何か買ってきて、食べさせることはがんばってましたが、炊事とかはあまりできない人だしなー。
そもそも家事はあんまりできない人だった。仕事も忙しかったしね。

思い返せば、母方の祖母が見かねてたまに来てくれて、掃除とか料理とかしてくれてたっけ。
でも同居はしなかった。まあ、祖母の家には祖父も未婚の長男もいたしね。

結局、躁鬱の母とその子供はほったらかしでした。

もし今の私だったらどうしたろう。
少なくとも、子供をお風呂に入れたり、食べさせたりはするなぁ。
母もちゃんと病院に連れてかなきゃ。

私は当時、母の病気というのがよく分かっていませんでした。
寝たきりになって、外に行かれなくなるのもそれくらい私にとっては母の「普通」だったから。
今にして思えば、ちゃんと薬でコントロールできたはず。本人には無理なので、誰かがちゃんと見て、うつになったら抗鬱剤を飲ませれば症状は多少は抑えられたはずなのです。
でも誰も母の面倒は見なかった。
そばにいるのは子供である私だけだったんだよな。

いろいろと間違ってたんだなぁと思います。
誰が間違っていたか、なんて、今、言ってもしょうがない。

躁状態になったときの母はめちゃくちゃ勝手で、よくそれでケンカもしたけど、私は基本、母が大好きでした。
母自身、自分の心をうまくコントロールできなくて大変だったんだろうけれど、私はなんとか成人したし、何よりも母から私は確実に愛されていました。
母とはたくさん話をしたし、一緒にマンガも読んだし、テレビも見たし、テレビゲームもした。
何でも話すことのできる唯一の存在。
小さい頃の私の願いは
「母を幸せにしたかった」。
だからでしょう、夫からDVを受けている友人から話を聞いて
「守ってあげたい」
と思ったことがあったっけ。

何が正しくて何が間違えているのか、なんて、結局、分からない。
当事者はそれでもなんとかやっていくしかなく。
でも一つ、言えるのは…結局、今の私があるのは、父と母がいたからだということ。

死ぬ時にまた自分の一生を振り返ったとき、
「あのとき、もっとこうできたはずだ」
と思うことはあるのでしょうけど、それは後だから思うだけで、今は今しかないわけで。
今しかない「今」を生きないとね。

いつか私が死んだ時、もしあの世があるのなら、そこで私は母と会えるのかなぁ。
母は私のことなんか忘れ去って楽しくやっているのかもしれない。
それならそれでいいけれど…私のしょうもない一生の話をネタにまた馬鹿話など二人でできたらいいな。

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