今年もお世話になりました
今年は11月くらいにものすごく寒くなって、どうなることかと思いましたが、ここ数日は穏やかな年末となっています。
例年のことですが、私はいつも年末に明治神宮にお参りをします。古いお札をお返しして、新年の新しいお札をいただきます。年末の方が空いていますしね。
2016年の振り返りはすでに終えましたが、ほんと災害の多い年でした。
来年は、この年末のように、穏やかな1年でありますように。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
今年は11月くらいにものすごく寒くなって、どうなることかと思いましたが、ここ数日は穏やかな年末となっています。
例年のことですが、私はいつも年末に明治神宮にお参りをします。古いお札をお返しして、新年の新しいお札をいただきます。年末の方が空いていますしね。
2016年の振り返りはすでに終えましたが、ほんと災害の多い年でした。
来年は、この年末のように、穏やかな1年でありますように。
今年もお世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いします。
12月8日に、2016年は前代未聞の出来事がいくつも起こったという記事を書きました。
本稿はいくつかその記事に追加をしたいと思います。
追加その1
【「君の名は。」の大ヒット】
製作した関係者でさえこれほどヒットするとは思っていなかったという映画「君の名は。」
個人的には宮崎アニメ(ナウシカとかラピュタとか)ほどのインパクトはないのですが、地味に成功すると思われたこだわりの作品が、予想外にたくさんの人の支持されるというのはいいことだと思います。来年はどんな作品が表舞台に出てくるかな。楽しみ。
追加その2
【糸魚川大火】
災害が多かった2016年のだめ押しのように大規模火災が発生してしまいました。たった一件の中華料理屋の火の不始末から市街をあれほど広範囲に焼き尽くす大災害になるとは。死亡者はいなかったようで何よりですが、着の身着のままで焼け出されてしまった被災者の皆様の胸中を考えると私も胸が痛みます。
心よりお見舞い申し上げます。
追加その3
【SMAP解散】
人気グループの解散自体は、昔からよくある話ですが、SMAPの解散ほど裏の事情やもめ事が報道され、一時期は解散回避でSMAPメンバーが公開謝罪までさせられたあげく、結局、覆水盆に返らず。12月26日の最後のSMAP×SMAPで5人で歌う「世界でひとつだけの花」を聞いていると、恋人同士の別れのシーンを見ているかのようでした。
古い歌ですけど、ユーミンの「リフレインが叫んでる」を思い出してしまった。
♪どうしてどうして私達離れてしまったのだろう
♪あんなに愛してたのに
♪どうしてどうしてできるだけやさしくしなかったのだろう
♪二度と会えなくなるなら
まったく、どうしてなんですかねぇ。
いや、理由は想像できますし、この先はそれぞれで独立して活動していった方がいいとは思いますがこの解散は誠に後味が悪い。解散コンサートを派手にやって、お互いにありがとうを言い合って、気持ち良く卒業できればよかったのに。
やっぱり引き際を誤ったということなのかな…
何にせよ、前代未聞の2016年の出来事でした。もう…ないよね?
昨日、「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」という映画を見てきました。
最初からこれを見るつもりではなく「君の名は。」をもう一回見てもいいし、本命は「ファンタスティックビーストと魔法の旅」だったのですが、時間が合わず、ちょうどいい時間だったのはこれだったんです。
【感想】 泣けました
いやぁ泣けた。映画で泣いたのなんて久しぶりじゃないかな。個人的には「君の名は。」よりも泣けました。
面白かったですよー
ただいつものYahooの映画レビューを自分で書いていてふと思い直しました。
泣けた、はいいけど、この映画ってどんだけぶっとんだ設定なのよ?と。
詳細はネタバレするので書きませんが、正直に言って「あり得ない」レベルです。
「君の名は。」もかなりあり得ませんが、この映画の設定もあり得ない。自分で映画レビューに書いたんですが、それこそ
「このラブストーリーを成立させるためだけのご都合設定」
じゃないの?
そこで表題のように思ったのです。
「なぜそういうことになったのか」が気になり出したら、この映画、面白くないかもしれない。
でも私は泣きました。
「君の名は。」もネットで感想を拾うとやはり設定の矛盾や尺の関係で致し方ない説明不足などに気づいている人もいます。
でも衆知のとおりあれだけヒットしている。
そう考えると「説明」なんて必要ないのかもしれない。多少の矛盾はふっとばせ。
「ラブストーリー」さえあればいいんだ。彼と彼女の物語、最高!
・・・
・・・
なのかなぁ?(苦笑)
思うに、これは客に何をどう見せるかという非常に危ういバランス感覚の話なんだと思います。
同じような話でも大コケする映画はたくさんあります。
「君の名は。」は新海さんが非常にこだわり抜いた作品と聞いています。だったらそのバランスにブレはない。
「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は原作が小説です。
映画を見終わった後、原作の小説もちらっと書店で立ち読みしてみましたが、原作をうまく映像化している感じ。
小説っていうのは、どの情報をどう表に出すのか、非常に計算されています。その計算がうまくいっているからこそ原作小説はヒットしているのだろうな。
もちろん、原作がすばらしくても映画化の際、脚本や監督が原作の意図を汲まずにオリジナリティを出そうとしてぶれたりすることはしょっちゅうですが、それで原作以上の映画になることもまれにあるので、そのことの善悪は置いておくとして。
この映画は原作をうまく表現していてバランスを保っています。
設定がどれだけぶっとんでいようと、その世界を作った人達の中では詳細まで決められています。
ただそれをどう決められた2時間の尺で出して行くか。説明すりゃいいってもんじゃなく、大幅に割愛しても、もっと大事なことを観客に伝えることが必要です。
小説もそうなんですが、実は、作品というのは、作者や監督、要はその作品を作った人だけでできているものじゃなくて、観客及び読者といったその作品を受け取る側との共同作業で出来ていると私は思ってます。
作り手が厳選した情報を提示し、受け取った側がそれを元に何かを感じ取ることで、作品は完成する。
何を出し、何を出さないか、それはまさにセンス。
作り手が意図したように観客が感じてくれれば「はまる」わけですが、そこがうまくできてないと「何だこりゃ」で終わります。
その絶妙なセンスはかなり難しくて、映画でもアニメでも脚本家と監督と演出家とやりたいことが変わったりするだけで、ぶちこわしになってることが多いですね。
見ている方はどの意図を汲めばよいのかさっぱり分からないという。
そして得てしてそういう作品でも予告編だけはうまく出来ていたりするからなぁ。
そういうぶちこわし映画にひっかからないためには「Yahoo映画レビュー」ってけっこう役に立ちます(苦笑)。
実は、映画館で上映までの時間つぶしをしているときに「ポッピンQ」というアニメの予告編を目にしました。予告編はよく出来ていて話も面白そう。子供向けっぽいけど私は「まどかマギカ」に衝撃を受けたクチなので、これ見てもよかったかな、と思いました。
ところが、この映画は例の映画レビューやら、ネットの感想とかを見ると惨憺たる有様ですねぇ。
とても「君の名は。」レベルにほど遠い。
感想を読むとどうもストーリーが破綻しているらしく、なんでそんなことになっちゃったのか・・・
同じアニメだから「君の名は。」とはどうしたって比較されちゃうのに、ヒットする映画と大コケする映画と何が違うのか。
ま、見なくてよかったです^^;
どれだけあり得ない設定でもいい。
その説明が必要なわけでもない。
大事なのは、何を誰に伝えたいのかということ。
そして作品の半分は観客が作るんだということ。
いや「デスノート Light up the NEW world」も私、見たんですが、まああれはあれで面白いけど「デスノート」と名前が付く以上、見る側はあれを期待しているわけじゃないというのがなぜ作り手には分からないのか不思議です。
「デスノート」だけどデスノートじゃない「NEW world」だぜってことかな。
でも繰り返しになりますが、作品の半分は観客が作るんだしなぁ。
あれがやりたいなら「デスノート」とかタイトルつけるんじゃないとデスノートファンはみんな思っただろうなぁ。
それでも、まだ今年は「シン・ゴジラ」といい「君の名は。」といい、いい映画がヒットしてなかなかよい1年でした。
宮崎駿さんが引退しちゃっても、まだまだこれから何が出てくるか分からない。
来年も期待しています。
本日は西暦2016年の冬至。1年で一番、昼が短い日です。
なぜ日本には四季があり、夏は暑くて冬寒いのか、というと、地軸が傾いているからなんですが、なんで斜めになってると温度差が生じるのかというと、斜めから当たる日光よりも、真上から当たる日光の方が単位面積あたりの熱量が多いから、という説明になっています。
現代は便利だなぁ。検索するとなんでも分かるんだもんね。
しかし、分からないこともあります。
月は自転と公転の周期が一緒で、常に地球に同じ面を向けています。それってなぜなんですかね?
物理学の法則でそうなるようになってるの?
検索してみると、公転と自転が一致してしまう現象は比較的よくあるらしく、要は物理的作用によりそうなることが一番安定しているということみたい。
一説によると、月の重量は均一ではなく地球に向いた部分が一番重くて、つまり、重い方を下(地球に引っ張られる方)に向けているだけという説明もありました。だったらそうなんだろうなぁ。
ただ以下の疑問は検索してもこれが正解、というのにたどり着けなかった。
「月と太陽の見た目の大きさが同じ理由」です。
偶然にしちゃあまりにもできすぎなので、何かしら物理的な理由がありそうですが、ネットで検索しても要は理由は不明。
太陽の直径は月の約400倍ですが、地球からの距離が月の約400倍あるので、同じ大きさに見えるそうですが、なぜそういうことになっているのかはどうも偶然・・・
いや、偶然じゃないよねぇ。
そう思って検索するといわゆるトンデモ理論の方がもっともらしく思えてきます。
「月は何者かが意図的に造った」説。
何でも月ってのは表面こそ普通に地面ぽいけど、ちょっと掘ると金属でできた堅い層があって、その内部は空洞という説がありました。そこに何か住んでいたりして。
月に行った人間もいますが、その証言では実際に月には人類以外の何者かがいて彼らが造った建造物などもあるようです。
いや、正直ね。
何で月の開発が進まないのか訳が分からない。これも月の謎の一つです。
昭和40年代に人類が初めて月に行って、物理的には可能なんだから、もっと開発されててもおかしくないはず。なのに、あれから何十年も過ぎてんのに昭和40年代とほとんど状況は変わっていない。経済的にペイしないからと言われてはいますが…
おかしくない?
きっと何か大衆に知らせたくない不都合な真実が月にあるんでしょ。
限られた一部の人だけが知っていて、月を造り今もそこに存在する何者かとコンタクトしているのかもね。
その何者かが、月を造り、地球のそばにそれを配置している理由に関しては明らかに地球の生命体を観察しているからに思えます。
地球に生じた「生命」と呼ばれるものが、宇宙全体にとってどういう位置づけになるのかは想像も付きませんが、地球という太陽系の第三惑星にそういうものがある、というのは全宇宙的に見てもかなり特殊なことなんじゃないかな、って。
「生命」って何ですかね?
認知するもの、記録するもの。
長期の時空に渡って変化しながら存在し続け、特にその進化の末端にいる「人」って生命体は、時間を認知することができ、文字やその他の手段によって、過去の時空に起こったできごとを未来に受け渡すことができる。
月があそこに設置された時点で人類の誕生をその何者かが知っていたのかどうか、そもそも、私達は時間の1点しか認知できないけど、その何者かは全ての時間にいて、生命の誕生から消滅まで全部分かってんのかもしれなくて。
でもそういう存在からしても地球に存在する生命はありのままにしておきたかったのかもしれません。
私達から「それ」が月と呼ばれ、いつも天空に存在する。
彼らは私達からそんなふうに認知されていることを分かっているのかしらねぇ。
まあもしかすると、あそこに月を設置した何者かってのは、他でもない、私達の遠い祖先である同じ生命体なのかもしれないけど。
遠い未来、我々は時空を遡る方法を見つけることができるようになるのかも。
その証として、月は今も空にああして浮かんでいるのかもしれない。
そう思っちゃうほど、あまりに人為的、作為的じゃないですか? 月って。
遠い未来の人類がついに時空を遡る術を見つけ、でも過去に干渉することはできないから「観察」のみをあそこからできる。
つまり「月」とはタイムマシンなのかもよ?
もしそうだとしたら、ずっと昔から目の前にヒントを出され続けているのに、その謎をなかなか解けない私達。
私が今、こう書いているのも仮説に過ぎず、こう考えたことがあるのが私だけかどうかも分かりませんが、インターネットが普及した今は、遙か未来に渡って記録されることになります。
いつかの未来に、この想像が勘違いだったのか、ちょっとは真実に近づいていたのか、答えが出る時がくるかも。
その日のために私の駄文をここに置いておきます。
12月14日は誕生日でした。
特に予定はなかったのですけど仕事はお休みをとり、一人で家でまったりしていました。
別に隠す必要はないんですけど、やっぱり何回目の誕生日かはっきりは書きたくない・・・
でも今年は申年で年女だった、ということは書いておきます(苦笑)。
10年前はこれからが人生の本番だーと、希望に燃えていました。
で、この10年どうだったかというと、うん、本番らしい波乱万丈な10年でした。
10年前というと2006年。この間、海外旅行は三回行きました。
2007年にずっと憧れだったドイツ。
2011年はスイス。レマン湖きれいだったな。
2014年にオランダ&ベルギー。風車を見てチョコ買って。
旅行と言えば、2008年に東北の三陸海岸を車でドライブしました。私は車の免許がないので父親と(笑)。
旅先で夫婦に間違われたのもいい思い出です。
まさかその3年後に東日本大震災があろうとは。
仕事はずっと同じ職場に勤めており、基本、あまり転勤はないんですが、2009年からは2年間、東京の本社勤務を経験しました。
さらにその後、2013年から2年間は東日本大震災の対応のため東北勤務。勤務地は仙台でしたが、担当は岩手県だったので三陸沿岸までちょくちょく出張してました。
三陸では地元の方はもちろんがんばっていましたし、日本各地からたくさん支援の方が集まってきていて、復興に向けた動きを肌で感じることができました。そして、あの震災からの復興がどれだけ大変なことかも。
昨年秋に埼玉に戻ってきてからも東北にはプライベートでしばしば足を運んでいます。
今年6月は東北での業務経験から熊本地震の関連で2週間、博多でも勤務しました。
災害対応の場に身を置くと個人の力はとても小さくて自分に何ができるんだろうと思うことも当然あるんですけど、その中でしっかりと自分の役割を果たすことも、被災地のために、困っている誰かのために、なるのだろうと今では思います。
というか、そう信じることで、私個人も、そして被災地でがんばる人達みんな、また明日も一緒に未来へ進んでいける。
多分、これがこの10年で私が学んだ一番大きなことだったと思います。
自分が何のためにここにいるのか・・・長年の命題の答えがなんとなく分かってきたような。
有名な論語のフレーズによると
(引用開始)
子の曰く、吾れ十有五にして学に志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして 天命を知る。
六十にして耳順がう。
七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。
(引用終わり)
うん、大体、このとおりに来てる感じ。そうか、これが天命でしたか。
って年齢バレバレやん(爆)。
12月、2016年の総まとめの時期に入っています。
流行語大賞や検索大賞も発表されましたし、10大ニュースなどもまとめられつつあります。
オリンピックイヤーでリオ五輪では日本人が大活躍するなど、多少は明るいニュースもありましたが、今年は前代未聞の信じられない出来事が多発した年だったように思います。
「前代未聞」
それが2016年っていう年ではなかったかと。
まず災害。
4月の熊本地震は言うに及ばず、10月には鳥取中部でも大きな地震がありました。
夏は大型台風の来襲、台風がUターンして東北を直撃するというこれこそ前代未聞の出来事でした。
自然災害だけでなく、1月の長野出起きたスキーバス転落事故も衝撃でしたし、11月の博多の陥没事故も過去、憶えがないくらいのすごい規模でした。
犯罪も前代未聞。
川崎市の高齢者養護施設で職員が入所者をベランダから投げ落としたり、相模原市の障害者施設で元職員が障害者を刺殺したりという、弱者を対象としたひどい犯罪がありました。
東京都知事もまさか無党派の小池百合子さんが勝っちゃうなんてね。
アメリカ大統領選もまさかトランプさんが勝つとは少なくとも日本じゃ誰も予想してなかったでしょ。
前例にない、想定外の出来事ってこんなにポンポン起こるものでしたっけ?
時代が何か大きく変わろうとしているのかも。
東日本大震災から5年、まだ東北の復興もままならないというのに。
熊本地震前は、東日本大震災も西日本ではなんとなく遠くの出来事って感じじゃなかったですかね。
それが熊本の災害で他人事ではなくなり、南と北で起こったら次はいよいよ東南海かっていう…大変なことです。
「シン・ゴジラ」や「君の名は。」を見ていてもフィクションだと思えなくなっちゃう。
未知の生命体が海からやってくるのも、彗星が降ってくるのも、あり得なくないんじゃないの?と。
前代未聞といえば、天皇陛下の「お気持ち」の表明もまさにそれ。
前例踏襲ではなく、本当にあるべき姿のために、本来の意味での「抜本的見直し」がいろんなところで必要になっているんだなと思います。
過去、同様に前代未聞な出来事が起こった年といえば、私は1995年が思い浮かびます。
1995年は、地下鉄サリン事件と阪神淡路大震災があった年。
昭和から平成に変わった年や、1999年から2000年になった年も知ってますが、今年に比べたら平和だったな…気のせいかしら。
もちろんもっと前、太平洋戦争の頃や高度経済成長期はもっと日本は激動の時代だったんでしょうけど。
私もそんなに長く生きてるわけではないですが、昭和40年代、50年代、60年代、そして平成の始めあたりは比較的落ち着いてたような気がするんですよね。1億総中流、貧困や格差も今ほどではなかったような。
来年は2017年(平成29年)。どんな年になるのでしょう。
いつやってくるか分からない災害には常に備えが必要ではあるのですが、そればかり考えてもいられない。
何を目指し、未来に向けて何を積み上げていくのか、再び振り返り考え直す時期でもあるような気がします。
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