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January 2017

2017.01.26

poem(114)

ツイッターでタレントの千秋さんが言っていた

>ほらやっぱりそうだ
>1月だけ進むのが超遅い
>お正月から随分経った気がするのにまだ16日、月の半分しか進んでない
>でも2月になった途端に超速くなるの
>知ってんの
>2月になったと思ったらあっという間に11月
>で、12月だけ少しゆっくり進んで
>またそれの繰り返し
>一年間ってそんな感じ!

「1月だけ進むのが遅い」
うん、そうかもね

新年になってずいぶんいろんなことがあったけど まだ1月

いっそのこと ずっとこのまま1月だったらいいのに

「きっと今年はいいことがある」
そんな漠然とした期待がある1月
まだ何も結論を出さなくてもいい
まだ何もやらなくていい
モラトリアムな1月

外は今年は特に寒いけれど
家に帰ればお鍋でもしてあったかくなる
バスクリンを入れた家風呂も気持ちいい

大それた目標や
年をとることの不安や
そうして結局何もできなかったことへの焦りや
そんなものは関係ない1月

やりたいことはたくさんあっても
まだ動かなくていい1月

ずっと1月だったらいいのに

このまま永遠に年をとらないなら
私たちはこんなに生き急ぐことなく
自分のことだけでなくて 世界全体のことを考えたり
人にやさしくできたりするんじゃないか

もう何もいらないんだ
ただこうして幸せに生きていられるだけでいいんだ

そんなささやかな望みを打ち砕くように
あとたったの数日で
気が付くと今年もすぐに終わってしまうのか

永遠にここにいたい
この1月に


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2017.01.15

「囚われのパルマ」

「囚われのパルマ」というスマフォゲームがYahooニュースで紹介されていたのでインストールしてみました。
いわゆる恋愛シュミレーションのゲームです。
恋愛シュミレーションゲームというと、CMなどを見るとかっこいい男の子がワラワラ寄ってきて、
「さああなたはどのタイプを選ぶ?」
みたいなのが多い感じがしますが、記事によるとこのゲームの場合はなかなか相手との距離が縮まらず、ジリジリするのがよいのだとか。

へぇ…ちょっとやってみましたが、なんか微妙。
私が現実世界で、友達とも毎日LINE送りあうような生活をしてないせいかもしれません。

何かの事件絡みで記憶を失い「収容所」に閉じ込められている青年と、そのカウンセラーとしての「私」が面会してガラス越しにコミュニケーションをとるというシチュエーションなんですが、面会の他にもお互いスマフォみたいな端末を所持していてそれでメッセージを送りあうことができます。

こちらからメッセージを送ると何かしらは返してくれますが、正直、私がその青年だったら、かなりうざかろうと思ってしまうんですよね。
「ほっといてくれ」的な。

何回かの面会で少し打ち解けてきてはいるんですが、どうも私はその青年の方に感情移入してしまって、自分から何かしらの「情報」を引きだそうとして話しかけてくるカウンセラーに対して「面倒くさい」とか「うざい」とどうしても思ってしまう。

自分がそう思うのであまりメッセージを送るのが楽しくないし(送らないとゲームが進みませんが)、どうでもいい話をメッセージで送ってその返事が「それが何?」的な冷たいものだったりすると
「そうだよねぇ…」
と思ってしまうんですよねぇ。

向いてないな、恋愛シュミレーション(爆)。

いやそもそも私がコミュ障なのかなー

ちょっと考えてしまいました。
他人と接していて、自分が楽しいと感じるシチュエーションって私の場合はなんだったかな、なんてね。

私は基本、一人で自由でいるときが一番楽しいと感じます。
だから正月のように一人で札幌へ行き、一人で観光地をまわり、一人で寝台特急カシオペアに乗り、一人で食堂車で豪華フルコースディナーを食べ、夜は一人で列車の個室から星空を眺めているとめちゃくちゃ楽しい。

そういうとき、誰かが一緒に乗っていたら楽しくないんですよ。
前の記事にも書きましたが、元日の札幌で夕飯に困ってサブウェイ。一人ならそれもブログにネタにして楽しんだりしてますが、もし誰かが一緒にいたら文句を言われるに決まってます。

(なぜ事前に店をリサーチしておかないのか。元日に休みが多いなんて当たり前じゃないか。そのくらいの想像つかないのか。)

…あ~うるさい。明日、カシオペアでフルコース食べるんだから文句言うな。コンビニ飯じゃないだけでも有り難いと思え。

基本的には他人は他人です。
自分と同じものを同じように楽しいと思う人なんていないと思うし、それはごくごく当たり前だし、自分の価値観を強要するつもりも全然ない。
私も正しければ、相手も正しい。
それでいいんです。私は自分のやりたいようにしたいけど、それが他人にとっての正解じゃないことなんて分かっている。私が馬鹿高い金払ってそれでもカシオペアに乗りたくたって、他人が同じように思うとは限らない。他人じゃなくても、仮に夫婦でも。

相手にも強要されたくないし、自分が楽しいと思うものを否定されたくない。
だから一人がいい。
そばにいるあなたが楽しいかどうかなんて、私には分からない。
いつもそれに気を遣い、相手に合わせてたら自分が楽しくない。
でも二人でいたら、相手に気を遣うことは「当たり前」。自分勝手に行きたいところに行くことなんてできないんです。

もちろん、私と同じようにカシオペアに高い代金を払ってでも乗りたい人はいるでしょう。
同じように、カシオペアからの夜景を楽しむ人もいるでしょう。
でも、その人はもしかすると私よりも鉄道ファンで、もっといっぱい写真撮りたいかも知れないし。
せっかく乗ったんだから夜は寝るのはもったいないと思うかもしれないし。
楽しみ方は人それぞれなんです。それでいい。別に同じである必要はない。

家族なら。夫婦なら。もしも相手が恋人なら。
自分の楽しみよりも相手が楽しむことを優先します。
相手が喜ぶことが自分も嬉しい。
それが一人じゃないってこと。

そういう喜びも分かりますが、これってけっこうひとりよがりになりがちでもあって。
好意の押しつけで過去、どれだけ塩対応されたことか(苦笑)。
以来、一人でいいじゃないかと思うようになりました。
私達は互いに一人。
たまに一緒に夜空を眺めて「あー星がきれいだね」って言い合うだけで十分ではなかろうかと。

または…私が遠くまで行って、いろんなものを見たりいろんなことをしてくるので、それを聞いてくれるだけで十分です。
一緒についてこなくていいよ。
その代わり、あなたが見てきたものを聞かせてほしい。
何かを見て、感動して、嬉しくなったら、それを一番に伝えたい。私も聞きたい。
それが多分、私にとってのかけがえのない「心の恋人」なのです。

だから私は今のままで充分幸せなんだろうなぁ。

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2017.01.10

元日に困ったこと

2017年の正月はとある事情で札幌で過ごしました。

「とある事情」って何かというと、昔から「寝台列車」というのに憧れがあったのですが、乗らないでいる内にどんどん廃止されていってしまうので、ここはもう清水の舞台から飛び降りたつもりで、高くてもいいからとにかく今の内に「寝台特急カシオペア」に乗っておこう!と思い立ったからです。
1日に飛行機で北海道入りし、札幌のホテルで一泊、次の日の夕方に札幌をカシオペアで出発し、3日にさいたまに戻ってきました。

初めての寝台列車、楽しかったです。星空を眺めながらの列車の旅。最高ですー

札幌から上野までのカシオペアは、実はすでに2016年(平成28年)3月26日で北海道新幹線の開業と合わせて廃止されています。2017年の正月に私が乗ったカシオペアは団体専用列車としてのパックツアーで運行されたもので、でもそういう団体専用列車としても札幌-上野間での運行は、今年、2017年2月26日を持って完全に終了してしまうのですって。

残念です…
しょうがないのかな。飛行機も安くなりましたしね。

列車で一泊、食堂車でフルコースディナーを楽しみながらのぜいたくな旅。こういう需要ってまだまだあると思うんですけどね。私も今回体験してみて大変楽しかったので、また機会があれば寝台列車の旅をしてみたいのに。

という話を身内にしたら、カシオペアの時代は終わり、今は九州の「ななつ星」だそうじゃないですか。九州一周のクルーズトレイン「ななつ星」。ツアー料金、一人100万越えもあるという超高級寝台列車です。ひぇぇぇ~
正月のカシオペアも目玉が飛び出るほど高かったけど、さすがにこれほどでは。
上には上があるもんだ。まあ、さすがにしばらくいいや^^;

という、ここまでが前置きでして。

そういう事情で元日の夜、札幌市内で一泊した私が遭遇した「困ったこと」がなんだったかというと。

『晩御飯を食べる店がなかった』

いえ、厳密にいえば泊まったホテルで新春バイキングとかやってたんですが、一食3500円もしたんです。
翌日にカシオペアに乗ってフルコースが予定されている身としては連日の贅沢は慎もうと思いまして、泊まったホテルがすすきのだったので狸小路のアーケードを少しぶらついてみました。
個人的希望としては、せっかく北海道にいるので新鮮な魚介の海鮮丼かサッポロラーメンでも、というところ。

ところがアーケード街の店もほとんどお休み。
当たり前と言えば当たり前です、元日ですもん。
ところがアーケードは観光客でとっても賑わっています。たまに営業しているラーメン屋があるとものすごい列。
そもそも観光客ですから地元情報には不案内で手頃な飲食店なんて急に探せるわけもなく、それでもコンビニ飯だけは避けたいと思い、やむを得ず選択したのは空いていたサブウェイ。
何が悲しくてわざわざ北海道でサブウェイのサンドイッチなんぞ食べなきゃいかんの、とは思いましたが、サブウェイのサンドイッチは文句なく美味しかったです♪

その後、ホテルへ戻る途中でコンビニに寄ってみると、おにぎりの棚が空っぽだった。
私同様の観光客の晩御飯難民ぶりが分かろうというものです。

アーケードの賑わいはほとんどが海外旅行客でした。みんな海外から日本に来ているお客さん。
そういう人達が手軽に夕飯をとろうと思ってもやってる店がない。
なんというか…非常にもったいないというか、ビジネスチャンスを逃しているというか、そんな感じがしました。

確かに正月といえば、家族で家でおせち食べて、雑煮食べて、というのが一般的といえば一般的。
正月から外食って日本人ならあまりしないかな。
でも、私自身が元日に旅行をしてみて、海外から日本に来ている人達であふれている観光地を体感し、
「こういうニーズ(正月こそ旅行して旅先で美味しい物食べたい)もあるんだな」
というのを実感した次第です。
それに合わせて働かされる飲食店側にしたらたまったもんじゃないのかもしれませんけど。
サブウェイの店員さんもご苦労様でした。

一方では、伊勢丹三越の社長が三が日くらいは百貨店も休みにしたほうがいいと言った、というニュースもありました。

正月も休みなしに営業するか、それとも三が日くらいはみんなで休むか。
昔は三が日はスーパーも休みでしたし、だからこそ年末にはいっぱい食料を買い込んで、野菜は冷蔵庫に入りきらないから軒先や物置に置いたりしてましたっけ。
それも懐かしく、正月くらいは家族で過ごすという価値観も分かるような気はします。

ただ個人的には、最近はよく正月に旅行の予定を組むようになりました。
父が再婚して実家に帰らなくてもよくなり一人で過ごすようになってからだな。
一人で家にいてもつまらないし、だったら、と。
自分自身のニーズが明らかに変わってきていて、それは、海外旅行客やこれからますます増える高齢者シングルのニーズでもある…

ちょっと面白い。
もしかしたら今は何かの過渡期なのかもしれません。
今後、どう変わっていくのか興味深いところです。

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2017.01.08

「日本の生産性が低い」について考えた

 新年初の記事です。
 今年もよろしくお願いしますm(__)m

 東洋経済オンラインに以下のような記事が掲載されています。

「なぜ日本は「女性の生産性」が極端に低いのか
 -男性と「同一労働」をさせる覚悟、する覚悟-」

「新・所得倍増論」という本を上梓している筆者は冒頭でこういっています。

(引用開始)
「日本経済低迷の原因は、女性が怠け者だから」というタイトルの、「星5つ」のレビューがありました。高評価はありがたいのですが、私が言いたかったのはそういうことではありません。誤解を生んでしまったままでは女性の皆様に申し訳ないので、本稿では、女性の生産性についてあらためて考えていきたいと思います。
(引用終わり)

記事を読んでみると、
・日本の生産性は低い
・GDP=人口×生産性
・日本の生産性が他の先進国と比べてここまで低い理由の約半分は、「日本人女性の生産性の低さ」で説明できる
・女性の給与は男性の約1/2。それは1979年度から2014年度までの35年間でほとんど変わっていない。
・男女の給与の差は「同一労働=同一賃金」になっていない(男女が同じ仕事をしているのに女性は給料が低い)からではない。
・もしそうなら、企業は安い賃金で使える女性を重用するはずだから。
・つまり、女性は給与に見合った労働をしている。労働に対して賃金は釣り合っている。差別ではない。

筆者はそこで、こういう言い方をします。
・女性を活用せざるを得ない「窮地」をつくり出す必要がある。
・女性の生産性を上げなければ、瀕死に陥っている社会福祉制度をどうするのか。移民に頼るのか。

そしてこう結びます。
「女性の生産性を高めるか、移民を迎えるか、社会保障を諦めるか。私には、答えは明らかだと思います。」

うーーーーむ。

いやぁ、でもさ。
今の社会システム(年末に人不足が問題になった宅配便でもピザ屋でも)を維持するために働く人を増やさないといけないとしてもよ?
そもそも労働環境が悪いブラックな職場で、男性であろうと女性であろうと日本に移民を希望する外国人労働者であろうと、本来は働きたくないわけで。

というかピザ屋でも宅配業でも介護でも、そのシステムを維持するために、安い賃金で馬車馬のように働く労働力を投入しなければ成り立たない社会って「奴隷制度」ですよね。

奴隷制度、ダメでしょ^^;

そのサービスが必要不可欠なものであるなら、価格が高くてもユーザーはそのサービスを利用する。
その結果、企業の収益が増え、労働者の賃金が上がる。

それが健全な在り方だと思います。
ユーザーとしての私は確かにサービスの値段が上がると困るけど、それならピザ屋を利用しないし、もし宅配よりもコンビニ受け取りが安いなら、コンビニ受け取りにする。

それで需要と供給のバランスがとれていくのではないかな。

問題は「社会保障」のカテゴリである介護とか育児サービスでしょうか。
ここは元々、公のサービスだっただけに、必要不可欠だけど簡単に価格を上げるわけにもいかない。上げると、低所得者層でそうしたサービスが利用できなくなる。介護をうけないわけにはいかない状況は誰だって当然あるでしょうし。

でもだからといって、職員の給与水準を低くしてたらそりゃだめだ。
民間ではやっていけないからこその「公的サービス」なんだから、結局、やはりこれは公的資金、つまり税金で補てんしていくしかないよな。

社会システムの維持に必要不可欠な労働に対して適正な賃金が支払われる。
その結果として生産性が向上していくわけだから、今は、バランスがとれてないということなのかな。

ただ、こう書いてきて私が思うのは、基本的に筆者のいう、

・女性の生産性を高めるか
・移民を迎えるか
・社会保障を諦めるか

この三つの選択肢ってどれも選択したくない、ということ。
だって、結局、社会保障(何のことを言ってるのか定義がよくわかりませんが、まあたとえば「介護」だとして)を始めとする今の社会システムに人が足りないときに、そこに女性や移民を仮に投入したとしても別にそれで生産性が高まるわけじゃないでしょ。

生産性の向上ってのは、いかに少ない人数で成果を出すかって話だから、安い労働力を投入すればますます生産性は落ちるばかりで。

介護だったら今の、人に頼るやり方一辺倒ではなく、できるところから機械化していくことが大事だし、宅配だったら今の方法(たとえば再配達の仕組みをコンビニ受け取りにするとか)改善をするしかない。集配所受け取りに何かインセンティブを付けたりするとかね。

人を増やすことよりも同じ人数で、今と同じ成果を出すための工夫をする。それが生産性の向上で、別に女性を働かせることだけが解ではないと私は思います。

私はそもそも生産性なんて低くたっていいんじゃないかと思っていまして。
大体、先進国の生産性が高いなんて言ったって、ごく一部の、数人で何億も稼ぎ出す人のせいで平均を取ると上がってるだけでしょ。
大半の米国人は、いい暮らしもいい仕事にもありつけず、だからトランプさんが選ばれた訳でしょ。

日本はいろんな人がいろんな仕事をシェアして、社会システムを築いています。
だから一人一人の生産性はそんなに高くないけど、みんなそこそこの仕事をしてそこそこの給料をもらって食べていく。
いえ、今は格差が広がって、その「そこそこ」ももらえない人が増えてきているのでそれが問題になっているけれど、生産性の議論とそれはまた別の話。

大体人手不足に対しては高齢者を働かせることが一つの解として今、動いているじゃないですか。
高齢者になったら、馬車馬のように働くことなんて無理なんだから、それこそ低賃金だけど、労働としてもそんなに過重じゃない仕事を多くの高齢者で分け合って、社会システムを動かしていくしかないでしょ。
生産性なんてますます下がるよな。

基本的には、高齢者や、小さな子供を持つお母さんが自分のライフスタイルに合わせた仕事をできる世の中が理想。それで私達の暮らしがまわっていけば問題ないわけで・・・

え? それじゃ世界から遅れる? 先進技術や新製品の開発競争に乗り遅れる?

それは今までどおり、大企業にがんばってもらわなきゃ。女性がどーの男性がどーのではない。人手不足とも関係ない。
単純労働ではなく、そういう世界でがんばってる人もたくさんいるし、むしろ日本人の労働者のメインはそっちなんじゃないかな。
生産性向上はそっちの方々にがんばって欲しい。というか言われなくてもがんばってると思う。

元々、全ての人間がスティーブジョブズのようになれるわけじゃないんだから。
世の中の大半の人間は目の前の仕事を粛々とこなし、対価としての給料をいただき、家族とささやかな正月を過ごすだけで十分じゃないのかな。

そういう生活を守るために「社会システムを維持」することは大事だんだけど、そのことと「生産性」を一緒に語るとどうも焦点がぶれる気がします。
ましてや「女性の生産性を上げろ」って、何ソレ?
女性が自分に合った仕事を、育児や家事と両立出来る範囲でやっていくことの何が悪いの?
「女性を活用せざるを得ない「窮地」をつくり出す」だなんて、今以上、日本の女性を追い詰めないでよ、と私は思います。

皆様はいかがでしょうか。

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