人間の限界~「ふわふわの泉」野尻抱介~
「ふわふわの泉」という本を読みました。
タイトルは、まんま、ふわふわしてますが、中身はけっこうハードなSFです。
2001年に刊行された小説で、後書きにあるように9.11も3.11もなかった頃に書かれています。が、内容は今よりも未来。だって2017年現在、まだ人類は人以外の知的生命体とのファーストインパクトを済ませていないですから。
小説の後半、人類は、未知の知性体と、先方が作り出したコミュニケーション用の模造体(シュミラクラ)を介していろいろな会話をします。
彼らは肉体を持たない、情報化されたデータとして存在し、複製によって自己増殖できる存在です。
…すごい設定だけど、なんとなくそういう存在って、今の時代だとイメージはできます。
小説の中で、人類もまた宇宙に出ようとチャレンジしているんですが、未知の知性体は、有機体である人類には無理、と言い切ります。
肉体にはいろいろ限界があって、これを宇宙に持っていくのは難しい。
じゃあ、人間も「情報化」した存在になれば宇宙へいける?
でもそれもその生命体(小説ではスターフォッグと呼ばれています。)は無理と言います。なぜかというと。
(引用開始)
みなさんの自意識には中枢がありません。人間の自意識は、自己と周囲の環境とのかかわりを類推することで生まれる一種の錯覚です。
(引用終わり)
他にもこんなふうに彼らは人類を評します。
(引用開始)
みなさんのような有機体は適応的な存在であって、環境の一要素でしかありません。
人間の視覚は太陽スペクトルの最も強い部分しか知覚できない。
聴覚は空気がないと機能しない。
生存できる温度条件がきわめて狭い。
食料とは別に酸素呼吸を必要とする。
脳は三次元空間しか理解できない。
みなさんは食と性と他者の支配にほとんどの関心を向けています。すべての欲求は遺伝子をより広く継承させるためにデザインされていますが、それは個体の意志とは無関係に発生したシステムであって、遺伝子の継承自体にはなんの価値もありません、この段階の生命が獲得する知性に、おのずから限界があることはおわかりでしょう。
(引用おわり)
うーむ。うすうす分かっていたけどそこまではっきり言われるとは(苦笑)。
人も一応「知性体」ではあるんでしょうけど、まだまだ、地球環境に縛られていて、生命としての限界を超えることはできない。
まあそれが「人」って生き物ではあるんですが・・・
こうして少しだけ、宇宙や意識や次元というものを認識できるようになってきただけでもすごいのかな。
作者の野尻抱介さんは後書きでこう書いています。
(引用開始)
人類は太陽が黄色矮星のままでいる限り、滅亡することはなさそうだ。
苦悩に満ちた現代は過渡期にすぎない。
持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り、いずれ全人類は不老不死になり、永遠に遊んで暮らせるようになる。
そのことを悟ったとき、人はどんな反応を見せるだろう?
本書の終わりでなぜ三人が笑い転げているのか、おわかりだろうか?
(引用終わり)
うん。
そう思いたい。
トランプさんがかなりぶっとんでて、北朝鮮がますます危険で、シリアで化学兵器が使われ、日本では原発が津波でぶち壊れ、出生率が低下して2050年に人口が半減するとしても・・・
「持続可能な社会の構築を心がけ、テクノロジーの発展をやめない限り」
我々は地球に存在し続け、宇宙に出る「いつか」に向けて歩みを止めないだろうと。
子供の頃、手塚治虫の「火の鳥」や萩尾望都の「ポーの一族」などを読んで、不死の存在に憧れていました。
こういう小説を読むと今も思っちゃうな。
ずっとずっと生きて、人類の行く末を見届けたい。
価値観や考え方は、どんどん変わっていって今とは全く違う世界になっているのだろうけど・・・
肉体には限界があるとして、人の意識が情報化して肉体のくびきを離れ、永遠を手に入れるまで、直観的にはあともうちょっとの気がするのよね。
どうも私の寿命的には、「私」が消滅するまでには間に合いそうにないのがとても残念だけど、ブログのこのデータはもしかすると残るかも!?
それが私の今の一番の夢なんですよ^^
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