« April 2017 | Main | June 2017 »

May 2017

2017.05.26

100年後(2117年)の日本

・寿命をコントロールする遺伝子が発見され、人類は不老を選択できるようになる。

・病気はなくなりはしないが、病院に行けば全て治るようになる。

・体重をコントロールできるようになり、みんなが標準体型になる。

・食事はカロリーメイトのようなものになり、今のような食事は贅沢品となる。

・不老不死が実現したので、子供はいなくなっても問題はなくなったが、社会の新陳代謝をどうするのかが世界的な議論となる。

・体外受精、体外出産が実用化する。子供を求める夫婦は専用施設に精子と卵子を提供すれば、施設で赤ちゃんが生まれ、夫婦に渡されることになる。

・子供は普通の町にはいなくなる。子供を育てる夫婦とその子供は「養育特区」に集められてそこにしか子供はいない。

・しかし学校は現在と同じようにある。大人が通うようになる。

・単純労働はほぼロボットが代行するようになる。

・車、飛行機、鉄道など、全ての移動手段が自動化される。

・スポーツや芸能、芸術、娯楽の提供、などが人の仕事になる。

・働かなくても、衣食住には、基本、お金はかからず生きて行かれるようになる。

・死にたい人は死ぬことを選択できるようになる。合法的に安楽死できる薬を処方してもらえる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.10

何をどうすればよかったのだろう

おそらく世の中の大半の男女の誰もが、心から愛する相手と出会えて、相手からも大事にされる…
そういう相手と結婚し共に人生を歩み、その結果、自然と子供に恵まれ、幸せな人生を送る…
なんていうのを漠然と心に思い描きながら、20代、30代を過ごすのだろうと思います。

結婚や出会いは縁だと言います。
職場、学校、趣味のサークル、別に合コンや今時なら婚活アプリでもいいでしょう。
もちろんお見合いだっていいし、友達の友達だっていい。
そういう出会いを重ねていって、自然と出会い、結婚に至る。

そういうものだと20年前は、思っていました。

ところが現実はさにあらず(苦笑)

私は当時、男性も多く勤務する職場にいましたし、趣味のカラオケサークルにも入っていたし、合コンもありましたし、お見合いパーティにも持ち前の好奇心で参加しました。
親の知り合いや友達の紹介があれば、それも出会いの一つということでお見合いもしました。
たいして取り柄がない私、若さだけしか売りがありませんから、
「後になって『あのときこうしておけばよかった』という後悔だけはしたくない。若い内に婚活(って言葉は当時ありませんでしたが)、がんばろう」
と思っていました。

が、こんな活動を重ねる内にちょっと勘違いに気がつきました。

誰かの紹介でお見合いすると、断るのが大変です。人によっては「顔をつぶされた」と怒る。
「最初から結婚する気もなかったのか、そんな気持ちで話を受けたのか」
と叱られるのです。
それが親の知り合いの紹介だと、親の顔もつぶす。

私は結婚したいという思いはありましたが、好きな人とじゃないとできないと思っていました。
お見合いで私が会った相手の人は、悪い方ではなくもちろんいい方でしたが、好きかどうかと言われると、2、3回会っただけじゃ判断できません。
だったらもっと付き合いを続けてもいいんですが男性側がどうも煮えきらない。
付き合いを続けたいのか、やめたいのか、どちらかというとやめたいって感じに私には見えたので(親から言われて仕方なくお見合いしている感じ)、じゃあやめましょうか…となってしまいます。
で、本人同士がお互いにそう合意した後に、仲介人から電話かかってきて、上記のように叱られて、なんだかバカバカしくなってしまいました。

結婚のために結婚したいわけじゃない。
食べていくには仕事もあるので自分一人ぐらいならなんとかなる。
ただ、好きな人と出会いたいだけ。自分を好きだと言ってくれる人と一緒に暮らせたらいいと思うだけ。
以降、お見合いはやめました。
「好きじゃないと結婚できない」とか言うとアホかと思われるようなので。

私から好きになった人はいました。
告白はしたけどふられた人もいるし、告白しようとしたら距離を置かれた人もいました。
いずれもうまくはいかなかったけど、人を好きになるっていい経験ですね。ちゃんと私も自分以外の誰かを好きになれるんだなって思えてよかった^^
ま、いろいろありましたが(笑)、がんばったので悔いはないです。

結局縁がなかったってこと。
ま、しょうがないですな。
やるだけはやったし、仕事はあるし、一人の暮らしもそれなりに幸せで、私は自分の人生を後悔したことはありません。

今までも書いていますが、私はそもそも一人が向いてるみたいだなぁというのも最近気がつきました。
一人でいるとほっとする。誰かがそばにいると緊張しちゃう。

おそらくこの先、年をとっても一人で生きていけるでしょう。そのための準備も今、がんばっています。

読売新聞の「発言小町」という相談コーナーでこんな相談を見かけました。
「私は結婚できませんか?寂しいです。」

私が上記に書いたように結婚や出会いに「がんばった」のは20代後半から30代前半にかけての頃の話で、30代後半にはもう結婚はないな、と思っていました。

なので、一読して相談者の世間知らずと箱入りっぷりに驚くとともに、ここまで箱入りなら、なぜ親がもっと彼女が若い内にいい縁談を世話しようとしなかったのか、非常に疑問に思いました。

相談への回答はかなり厳しいものが多く、結論から言えば相談者が望む結婚は37才じゃかなり難しいのは「事実」なのでしょうがないのですけど、自分の来し方を振り返ると、私は、この相談者の少々無理な相談をナンセンスだと切って捨てることはできないのに気づきます。

そう、誰しもが…それを何歳から意識し始めるかの違いはあるとしても…
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と結婚したい、と思っていると思うんですよね。

相談者がそれを望み、結果、今、37歳になってしまっていることを私は笑えない。
自然にそういう相手と出会い、結婚に至るのだろうと、普通は思いますよ、うん。

そういう認識が甘いと言われればそうなので、自然に任せてたら出会わないから、婚活アプリだのなんだのが登場するわけですが。数だけ重ねりゃいいってもんでもないし、出会えば出会っただけリスクもあるのでねぇ。リスクを恐れてたら何も得られないというのも事実ですが、自分から進んで「傷つきたい」人間なんて存在しません。

年収が1000万、顔が人並み、×1じゃいやだ、年齢も同じくらいがいい、まあ条件がいろいろあるのが批判されちゃってますが、そりゃ条件だけ聞かれれば、いい方がいいに決まってます。

でも一番大事なのは、やっぱり「自分が好きと思えて、相手にも愛される」。
これなんだと思うんですよね。
好きな相手のためなら、条件なんていくらだって変わります。私もそうだったもん。

この相談はあくまでも一例。
今、非婚率が跳ね上がっていますが、じゃあ、「自分が好きと思えて、相手にも愛される」、そういう、人間だったら誰もが望む当たり前の幸せを手に入れるために、私達は何をどうすればよかったのだろう?

処方箋があるなら教えて欲しい。
自分のためにではなく、これから適齢期に入る若い男女のためにね。
私達が何か間違っていたのなら、同じ間違いを繰り返さないために。

無論、今の時代、結婚だけが幸せではないと思います。
今の私のように、結婚しなくてもそれなりの幸せはある。

でも、笑われるんだろうけど、正直な話、今でも思いますよ。
「自分が好きと思えて、相手にも愛される」
そういう相手と一生の内に出会いたかったなぁって。

出会ってる人はちゃんと出会ってます。
それこそ10代の内に出会って、結婚に至る人だっているのだし。
出会えないんだったら、やっぱりそれは単に「縁がない」ってことじゃないのかなぁ。
それを本人の努力がどうとか、条件がどうとか、言ってみたって始まらない。

で、もし出会えなくても、ちゃんとパートナーがいなくても一人でこの人生を歩いて行けるように、私はこれまでやってきた。
それならそれもありでしょ。少子化なんて知るかー(笑)。

件の相談者がこれからどうなるのかやや気になりますが、もしかしたらこれからすぐにいい人が見つかって結婚しちゃうかもしれません。
そうじゃなくても、親の財産で、一人でも幸せにやっていけるのかもしれない。
それは誰にも分らない。
彼女なりに幸せになれるといいなと思います。というか、なってほしい。
幸せは人と比べるものじゃない。

彼女と比べたら、私なんて大卒で就職して、それなりに社会経験も積んで、しっかり一人で働いてます。
それだって結婚できないんだもの。
彼女が37歳まで家事手伝いをしてたからってそれを責めてもねぇ。

結婚なんて、結局は縁だと思います。できなきゃできないでしょーがない。
そういうもんですよ。たぶんね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.09

poem(117)

      素直

あなたに「君は素直」とほめられた

「君は頑固」
「君は融通がきかない」
「君は人の言うことをきかない」
そう言われるよりはもちろんほめ言葉なんだけど

素直じゃない私は嫌いですか
あなたの言うとおりにしない私は嫌いですか

あなたの命令に従っていれば満足ですか
いつもあなたの思いどおりにしないといけませんか
それって私である必要はありますか

「素直」と言われて喜べない私は素直じゃない

いつもあなたの望むとおりの私ではいられない
でもたまにはあなたの望むとおりの私かもしれない
あなたにとって都合のいい私も都合の悪い私も
どちらも私

友達なら
都合のいいときだけ
都合のいいように
都合のいい私とだけ付き合えばいいよ
でもそうじゃないなら

お願いです
あなたにそう言われると悲しくなる
どうか「素直」ってほめないで

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2017.05.03

『日本を守る』組織は軍隊である必要があるのだろうか。

 本日は5月3日、憲法記念日です。

 安倍総理が、2020年までの憲法改正を目指していると表明しました。9条を改正し、自衛隊の位置づけを明確にするそうです。

 やはりそこなのか…
 新聞に自民党が以前作った改憲草案が出ていましたが、天皇を「元首」と位置付けたり、日の丸、君が代が国旗、国歌であることを明確にしたり、その辺もちょっとなぁと思ったのですが、その草案からまた変わる可能性があるので今はおいとくとして。

 以前の草案では、自衛隊は「国防軍」として明記されています。

 そうか、軍隊になってしまうのか。

 私は自衛隊の仕事ってめちゃめちゃ大事だし、災害のときなどに組織的に動ける存在があることは、とかく災害の多い日本国にとって必要不可欠だと思っています。

 それが自衛隊だと思っていて、自然災害だけでなく、テロとか、北朝鮮からミサイルが飛んできたりとかにも、対応する。とても大事な役割です。

 多分、それに反対する人はいない。

 いないんだけど…国防軍となるとちょっとなぁ。

 現行9条では

(前略)
 国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 となっていて、前段はいいとして問題は後段。

「陸海空軍その他の戦力はこれを保持しない」
 
 これよ、これ。「戦力」ってなんだって話だよなぁ。

 「交戦権」とは「戦争をする権利」だから、それも認めないのはよい。つまり現行憲法は、

『日本は国と国との紛争を解決するために武力は使いません。だから「軍隊」は持ちません。もちろん「戦争をする権利」なんて認めません』

 って言ってる。
 
 だから自衛隊は今のところ、実体はおいといても、表向きは「軍隊」じゃない。

 もろもろ災害の時に活躍する、警察とか消防署とか海だったら海上保安庁的な、昔の子供向けアニメ風にいうなら「日本を守るぞ」的な存在なわけです。

 軍隊じゃなくていい気がするけどなぁ。
 だって「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」なんでしょ?

 安倍総理もそこは変えないと言ってたもんな。

「日本を守る」じゃだめなのかなぁ。
 
 海外とのバランスなのかな…

 いえ「戦争」はね、だめだと思う。
 勝てばいいってもんじゃない。
 「国際紛争を解決する手段」は戦争以外にもあるんだし、逆に、戦争すれば解決できるのかといえば、力での解決は力で覆される。それが20世紀だったわけで。

 二度の世界大戦で日本のみならず、ヨーロッパだってアメリカだってロシアだって懲りたんじゃなかった?
 ロシアあたり、懲りてない気はちょっとしますし、そもそもすぐそばの北朝鮮がオカシイので、ついつい丸腰でいるのが怖くなる心理は十分にわかるわけですけども。

 それでもなぁ。結局、力比べによる世界支配などナンセンスにすぎないと人類は悟ったんじゃなかったかなぁ。

 自衛隊には軍隊にはなってほしくない。
 今が違憲だっていうなら、半分すでに軍隊っぽいからそう言われてるわけで、じゃあほんとに「軍隊」にしちゃえ、じゃなく、「軍隊」じゃなくする方の選択肢はないのかなぁ。
 
 国を守るのが軍隊である必要はあるんだろうか。
 国を守るための銃器や地対空ミサイルの整備などは軍隊じゃなきゃ持てないのだろうか。持てないならそこを変えればいいわけで。

 まあでも、いくら兵器を増強してもきりがない。
 疑心暗鬼こそが人類の本当の敵なのでは。
 
 そのための歯止めとして・・・自衛隊を軍隊として9条で位置付ける改憲だけは・・・

 2020年か。まだ多分生きているな。なんとか避けたいよな。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« April 2017 | Main | June 2017 »