給食はなぜカフェテリア方式にならないのだろう
「教師による給食「完食」指導で小学生5人が嘔吐 そこまでして「好き嫌い」をなくす必要はあるのか」
今日はこの記事について。
思い起こせば小学校の「給食」は私にとっては鬼門でした。
食べられないものが多くて。
偏食の原因は、今にして思うと、母がそもそも炊事が苦手だったことにありそうです。
子供なんて転がしといても育つと思っていた節もあり、要は子供の食事にあまり意識が高くなかった。
家の食事は決まったものしか出なかったんですよ。
だから、給食では、初めて見るような食べ物が多くありました。
初めて見るったってたいした話ではありません。
そもそも自宅では、生野菜サラダって出たことなかったんです。
マヨネーズも嫌い、酢の物も嫌い、ドレッシングも嫌い。
なのに、給食って「○○の酢の物」や「△△のマヨネーズ和え」がよく出るんですよねぇ。
食べられなくて泣きそうでした。生のトマトも食べられなかったし。
納豆も家では当時、食べたことなかった気がするなぁ。
ということで、食わず嫌いが多く、食べてみたところで美味しいと思えず、給食は「苦行」でした。
小学校入りたての頃は食が細かったので、パンも食べきれなくてよく残して、家に持ち帰ったりしていました。
そういった体験から、私は給食の完食指導には否定的です。
しかし、じゃあ残せばいいのかというとそれもどうかと思う。
食事というのは、他の命を奪って自分の命をつなぐことですから、基本的に食べられる分だけをとって食べるべきで「残す」のはよくない。
給食を出して残されるくらいなら、給食廃止、弁当持参、といいたいところですが、これも自分の体験上、家での食事がそもそもまともでなく、弁当なんてもってこられない子もいるし、用意できない親もいますから、お昼は家に用意させるわけにはいかんのだよなぁ。
カフェテリア方式にできないもんですかね。
食べられるものだけ取らせる。取ったら残さない。
学食や社員食堂みたいに給食もできないものか。
マクドナルドとか、そういう子供向けカフェテリアやらないかしら。
アメリカではそういう形式だというのを以前テレビで見ました。
お菓子やデザートコーナーが充実していて、子供がそういうのばかり取る、なんて問題になっていました。
でも、そここそ教育なのでは。
野菜やタンパク質もとらないといけないよ、っていうのを学ばせる。
で、自分で取らせる。取ったら残さない。
それでいいんじゃないかなぁ。
自分で選べない1、2年生は「お子様ランチ」みたいな感じでいろいろ載ってる一皿メニューでもよいかも。
3年生になったら自分で選べるんだったら、みんな早く3年生になりたいと思うだろうな。
未だになぜ「給食」なのが非常に疑問です。
マクドナルドでもワタミでもファミレスチェーンでも吉野家でも参入して、カフェテリアにしちゃえばいいのに。
カフェテリアといっても、料金は月額一律で何を食べても定額がいいと思います。
それだとカフェテリアというよりバイキング形式か。
「給食&バイキング形式」で検索すると実例もあるみたい。
ほう、この記事によれば、なんと、保育園の子も自分で食べるものを自分でちゃんと決められるんだ。
じゃあ、1・2年生もできる。
リンク先はちょっと前の記事ですが、今もやってるかなー。
こういう保育園理想です。
20世紀から21世紀になって、文明も進んだはずなのに、未だに進歩しないものっていくつもありますが、給食もその一つ。
未だに何やってんだって思います。
思うに、たとえば医療の電子カルテとかもそうですが、半分「公」で制度の縛りがあるものってホント、なかなか進歩しないですよねぇ~
変えてはいけないことも世の中にはあるのですが、給食は変わって欲しいものの一つ。
未だに、私が過去、苦しんだ「完食指導」なんてやってんのかと思うと、半分、呆れてしまいました。
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