運命って何だろう~映画「君の名は。」を見て~
1月3日に、アニメ映画「君の名は。」がテレビで地上波初放送となりましたが、みなさん見ましたか?
私は映画館でも見て、今回、二回目でしたが、面白いし名作だと思うんですけど、この作品ってなぜか見終わった後に、もやっとした感じが残り、ネットでいろんな解説を読みたくなってしまいます。
以下のリンクはそんな解説の一つ。なるほどなぁと思ったので御紹介しときます。
http://blogos.com/article/269090/
リンク先の解説を読んで、私が思ったのが本日の表題。
運命ってなんでしょうね?
解説の中では「運命」と「意志」という二つのことが、対比するように書かれています。
つまり「運命」は「意志」の力で変えられるか?ということ。
解説の中で「君の名は。」とともに引用されている「秒速5センチメートル」と「国境の南、太陽の西」では、結局、運命は変えられず、人の意志は静かな諦めとなっていく。
「運命」、つまり過去から未来まで全てのストーリーが決まっているとしたら、それに乗っかって、私達は、植物や他の動物と同じように流れるままに、あるがままに生きていけばいいわけですが、人は時にその流れを自分で変えようとします。で、実際に変えてしまう物語が「君の名は。」
そのように、運命と意志はしばしば、対立するようにフィクションの中で描かれるわけですけど、そうやって人が時間の流れを変えようとすること自体が、あらかじめ定められているのかもしれなくて、大昔から…それこそ「お釈迦様の手の中で暴れる孫悟空」みたいな例えでも描かれているので、人が古くからそうした「意志と運命との対立」というテーマを持ち続けていることが分かります。
つまりこういうことかしら。
人って生き物は、自然環境という定めを変えよう、変えようとして今まで進化してきた。それこそが人であることの意味なのかもしれないと思えるほどに。
だからこそフィクション世界でも、このテーマで何度も作品が作られ、多くの反響を呼ぶ。
現実の世界ではどうなんでしょう。
科学の世界でも、経済の世界でも、ミクロとマクロでは物事の動き方や考え方が違ったりすることがよくありますが、現実世界での運命と意志の対立でも、ミクロの世界では人の意志が優先するけど、マクロの世界では運命が優先するように思えたりもします。
たとえば今晩何食べようか、みたいなことは私達の自由意志で変えることができますが、今後の日本の人口減少は変えることのできないストーリーな気がします。
それともミクロの意志決定がマクロの「運命」の流れを作っている、と言えるのかなぁ?
だから人の意志で、運命さえ変えられると言えるのかしら。
人類の進化とそれによる世界の変容はまさにその例とも言えるわけで。
「運命」なんて人が勝手に作り出した定義なだけで、実はそんなものはないのかもしれない。
何も決まっていることなんてないのかもしれない。
けれど、人の意志は環境によって定義され、その枠の中で自我を形成し、意志を育てる。
だとしたら、私達の乗り越えるべきものは「運命」ではなく「環境」であるのかも。
そして「環境」を乗り越えるための手段が「フィクション」なのかも。
自分に与えられた環境だけでなく、全く別の環境を知ることが本を読んだりテレビを見たり、あらゆる情報を得ることで出来る訳だから…。
そうして人類は、世界を変えてきた。
私達の意志に基づいて。
それでもまだ「地球」という環境や「人体」という生物としての環境には縛られているのが21世紀なんですけど、もしかしたら、将来はそれすら乗り越えることが可能になるのかもしれないな。
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