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February 2018

2018.02.28

poem(119)

「再生」

やはり周囲がざわめきだすのは3月だ

新しい年が1月に静かに始まり
寒さに凍える2月が過ぎてゆき

何も動いていないように見えて
何も変わらないように見えて
不意に大きく動き出す

終わるものもあるけれど
全てが終わってしまうわけではない
そこから新しく始まる

つまり3月は「再生」の季節

私もまた
今年も古い夢に別れを告げて
春の訪れに始まりの歌を歌おう

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2018.02.21

「何かを間違えるな」

 2月は中島みゆきさんの誕生月で、それでというわけでもないのでしょうけど、2月25日(日)に立川のCRAZY JAMというライブハウスで「中島みゆきまつり」というイベントが開催されます。
 当然ながら中島みゆきさん本人が出るわけではなく、アマチュアバンドが3組出演し、中島みゆきさんの曲を演奏します。
 カラオケ好きで、クラシックギターをちょこっとかじったことのある私、これまでもたまに仲間とバンドで中島みゆきさんの曲を演奏することがあったんですが、今回、私の参加しているバンドもそのイベントに出演することとなりました。
 このブログでは書いたことがあるのですが、「Let’s play 中島みゆき」の略で「ぷれなみ」という名前のバンドです。
 
 いつも知り合いばかりのアマチュアバンドの集まりに参加して、お互いに腕前を披露し合う場で演奏するのですが、今回は、知らないお客様相手に有料ということなのでなかなか緊張する感じ。とはいえ、今回はベースは優秀なヘルプにお願いできたので、いつもの「なんちゃってベース」からは解放され、コーラスで、身の丈に合った参加ができそうです。コーラス、がんばります。

 というのが前置き。
 今回のライブで演奏する曲のうち、全くの新曲が中島みゆきさんの「慕情」という曲になります。TBSの昼の帯ドラマの主題歌だったので、知っている人もいらっしゃるかな。
 歌詞をちょっとだけ引用させていただきます。

(引用開始)
愛より急ぐものがどこにあったのだろう
愛を後回しにして何を急いだのだろう
甘えてはいけない
時に情けはない
手放してならぬはずの何かを間違えるな
(引用終わり)

 うーむ。
 なんかどきっとするんですよねぇ。
 この年になって言うこっちゃないですが、愛ってなんですかねぇ。
 どうも「後回し」にしてきた感が否めない(苦笑)。

 人を愛することよりも自分が生きてくることに必死だったな。
 自分が生きるには、誰かの愛に頼ることよりも、早く一人前に独り立ちして、誰かに後ろめたく感じなくても済むように、何もかも自分でできるようになりたかった。
 その願いは叶い無事に独立して一人で生きていかれるし、加えて、仕事やインターネットを通じて様々な新しい出会いがあり、私の世界は家の中だけでなく外へもそれなりに広がっています。
 持前の好奇心のせいか、旅行も好きですし。

 社会人として中堅になってきた7年前に起きた大災害が東日本大震災でした。
 福島から埼玉に避難していた双葉町役場の方々と一緒に仕事をし、仙台に住んで、岩手県の三陸沿岸被災地の復興の末端に係わり、私に何ができたのかは分からないけれど、災害からの復興には正面から向き合ってきました。
 それってとても大事なことだったと自分では思っています。
 埼玉に帰ってきて2年と5か月になりますけど、今でもやっぱり被災地を思うこと多いものな。

 ということで「今に至る」わけですが、やっぱ愛は後回しにしたかしら!?

 う~ん…いや、そうでもないか。
 だってそもそもこのブログが始まった2004年8月頃、私は大恋愛の真っただ中でした。片思いでしたけどもね。その相手である「心の恋人」へ直接伝えにくい、でも本当は伝えたい気持ちを書きたくて始めたのがこのブログ。

 うん、書いていて思い出しました。
 あら私の場合、ちゃんと愛は後回しにせず、最初にあったわ。
 今や「慕情」の歌詞でいうなら、
♪振り向く景色は~あまりに遠い~~
 ですけども。

 私は「慕情」の歌詞のようにもう一度始めからやり直したいとは思いません。
 その時はその時で一生懸命やってきたから。

 この一つ下の詩、「天命」で書いたようにむしろ関心があるのはこの先。
 もしかしたらこの先にまた新しい出会いがあることもあるかもしれないけれど、目先の寂しさに血迷って間違えないようにしなくちゃ。

…手放してならぬはずの何かを間違えるな…

 私にとって一番大事で手放してはいけないもの。それは…うん、今のところ大丈夫。
 そして、愛も後回しにせずちゃんと先に済ませてますから大丈夫(笑)。
 この先も焦らずに今を生きていきます。

 とりあえずは25日ですね。ライブ、がんばります♪

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2018.02.16

poem(118)

「天命」

もうずいぶんと前の若い頃に私
「いいお嫁さんになりそう」
と言われたことがあります

きちんとした職場に勤めていて
誰かに紹介するにはいいお嬢さんだったんでしょう
美人ではないですけど

ただ当時
私はそう評されることが嫌でした
人間、いつ病気になるか分からない
それにけっこうずぼらで怠け者
掃除も洗濯も毎日はしません
いいお嬢さんに見えるのはそう体面を繕っているから
それは本当の私ではない

結婚して一生一緒に生きていくのに
本当の私でない私を気に入ってもらっても
じゃあ私が病気になったらどうするの
離婚するの?

私は子供の頃から親や学校や友達や
他人に嫌われることが怖くて
外側の自分を取り繕って生きてきました
それは楽なことではなかった

取り繕う必要がないところにいたい
誰にも見られたくない
一人にしてほしい
それが私の本当の望み

結婚するなら本当の私を愛してほしい
でも嫌われるのが怖いから本当の私を見せられない

それじゃ結婚できるわけがないし
むしろ結婚は自分の望みとは反対
そして自分が不美人なのは知ってたから
自分の食い扶持は自分で稼がなきゃと就職し
あれから幾年月
一人で無事幸せに今を生きています

ただ 外側の私と本当の私
どちらも私なんだと気づいたある日から
その両者はだいぶ近づいてきました
今でも洗濯や掃除は毎日してないけど
ずぼらで怠けることは好きだけど
本当の私も自分で思うよりもいろんなことができるのが分かったから
「本当の私は何もできないろくでなしだ」
と思わされてきたのはどうやら何かの「呪い」だったらしい

呪いを乗り越えるのにずいぶん時間がかかっちゃったな
今や何でも自分でできるようになって
幸せな生活を送っている私ですが

少子化問題や婚活に悩む若い女性の相談などを目にすると心が騒ぎます
今の私だったら
「外側の私」や「本当の私」に惑わされることなく誰かを愛せるかしら
信頼できる誰かの前でありのままの自分でいることができるかしら
そしてそうなるのがもっと早かったなら
私も子供を産んでお母さんになることができたのかな

それは決して後悔ではなくて
人生をやり直したとしても私はこうして生きるしかなかったからもういいんですけど
ではこれからの人生で
私にはまだできることがあるだろうか、と

不惑の年を迎えた頃に
「まだまだこのままじゃ終わらないよ」
と思ったっけ
その思いは今もあります
まだまだ人生は続く

そしたらそろそろ
見つけにいきましょうか
天命をね

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2018.02.15

アルマーニの標準服と「約束のネバーランド」~子供の成長の理想とは~

 銀座の小学校が標準服(実質「制服」みたい)にアルマーニのブランド服を採用するというニュースが報道され、話題になっています。

 私が最初にこのニュースを聞いて感じたのは、小学校は制服じゃなかったですけど、中学、高校は制服だった自分の経験からいえば、
「制服ってそんなに大事なものかしら」
でした。

 中学の時、女子の制服はセーラー服だったんですけど、登校すると、すぐにスカートからトレパンやジャージに「下」だけ着替えさせられるのが私の中学のルールでした。上がセーラー、下が白いトレパンって異様でした。なんでそういうことになっていたのか、女子にスカートをそんなにはかせたくないなら制服の意味ないやん、と正直思います。
 私自身は部活の朝練があったので、上もセーラーではなくジャージに着替えちゃってて、制服でいる時間は、登下校時のみでした。

 ましてや小学生。
 体操服やジャージばかり着てたなぁ、私。
 動きやすい服装でいいと思うんですよね。洗濯もしやすいし。

 なんというか…外面とか体面を取り繕うためだけでしょ、制服の意味って。
 子供にそんなの必要かしら。

 もちろん大人になれば、体面を取り繕う場が必要なのはわかりますよ。
 会社員は背広にネクタイだし、葬式は喪服だし、TPOはいずれ学ばなくてはいけない。
 でも、それって小学生に「制服」という形で教えるものなの?
 変だなぁ。

 アルマーニ校長の今回の騒動についてはいろいろな意見が出ていますが、
「校長がどんな子供を育てたいのか分からない、校長が育てたいのは泰明小学校であり、そこにおとなしく、大人のいうなりに礼儀正しく従う学校の付属物としての子供なのではないのか」
 という評論をネットで目にしまして、まさにそうなんじゃないの、と思いました。

「子どもにどう育ってほしいか」

 最近、私は「約束のネバーランド」というマンガを読みました。そこに出てくる子供たちはまさに理想です。

 自分で考え、自分で判断し、自分たちで自分の未来を選択する。

 これができるようになることこそ、子供を大人にするってこと。

 まあ、マンガの中では、そうして理想の子供を育てると、人間の脳が美味しくなるので、人を捕食する鬼がそういう環境を作り、美味しく食べられる人間を育てているという何とも皮肉で、恐ろしい設定なんですけどねー。

(ちなみにこの漫画では賢くない子供はもっと小さい内に出荷されて食べられます)

 理想的な環境で愛情たっぷりに育てられ、日々の勉強で賢く成長した子供たち。
 彼らはその賢さから、自分たちが食べられるために育てられたことにも気づいてしまいます。
 そしてその環境から脱出することに挑戦する。
 育てる側と子供の頭脳戦がものすごく面白くて夢中で読んでしまいました。

 理想の子供にするための「母親」役を務める女性も大変賢く、子供たちにとっては強大な敵なんですが、敵でありつつも、そこまで賢い子供を育て上げる。

 子供は親の思うとおりには育たないものだけど・・・
 どういう子供になってほしいか。 そのためには何が必要なのか。
 「約束のネバーランド」がまさにその答えのように私には思えます。

 アルマーニなんかいらない。銀座の子供である必要なんかない。
 自分で生き抜く力こそ、子供に本当に大人が与えてやりたいものではないでしょうか。

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2018.02.13

家族っていいね~初めての「さっぽろ雪まつり」~

 一生に一度は見てみたいと思っていた「さっぽろ雪まつり」。
 今年は69回目だったそうで、来年が70回記念だったか。でも、今年は父が77歳、喜寿なので、喜寿祝も兼ねて、家族旅行を企画しました。

2018

 ホントは、父と母と3人で計画していたんですが、直前で母がインフルエンザになってしまってキャンセル。図らずも三陸親子旅以来の父娘二人旅になってしまいました。
 
 父と娘という二人って珍しいらしく二人でいると「奥様」と勘違いされることがあって、ちょっと困るんだよなぁ~。でも、今回泊まった宿はホテルなので、そういう気まずいこともなく済みました。

 他人から見るとファザコンと取られる可能性があって、あまり大きい声では言えませんが、私は父と二人の旅ってあまり嫌いじゃありません。

 このブログには何回か書いてますが、私の実の母は19年前に病死しています。当時、一人っ子の私と父で、葬式を仕切ってからというもの、私と父は、互いに唯一の家族ということで、なんとなく同志のような感じなんです。

 というか、母が生きていた頃からかなぁ。
 
 母はうつで1年に何カ月も寝込むことが普通でしたから、父はよく子供である私の面倒を見てくれました。
 いや、無論、昨今のイクメンのようにできるわけでもなく、車に乗せて、国道沿いのレストランでお子様ランチ食べさせたりとか。慣れない炊事で、白滝と豚肉の炒め物作ってくれたりとか。会社帰りに自分はラーメン屋でごはんを済ませ、家に餃子を買ってきてくれたりとか。
 ま、いろいろがんばってましたよ。
 
 うつの他にもいろいろ悪いところだらけだった母が60前で亡くなる少し前から私は家を出て一人暮らしを始め、父は母が亡くなる前も後も私に家に戻るようには言いませんでした。

 一緒に暮らしてたらもしかするといろいろあったのかもしれませんが、家を離れると私は家にいるときよりもいい娘になったようです。結婚しない以外はけっこう親孝行してると思うんだな。
 その後、私はごく普通に一人で暮らすことに慣れ、父は母が亡くなって7年後に再婚。
 今は付かず離れずのいい関係です。

 再婚相手の今の母はいい方で、一人暮らしよりはやはりパートナーがいると父もハリが出るらしく。母は父より10歳年下なので、とりあえず私ももろもろ安心なのです。 
 
 再婚してからは3人ででかけることが多かったんですけど、二人で三陸にいったのは、このブログにも記事があるので、見てみると2008年か。ちょうど10年前です。母が亡くなったのは1999年だったので、再婚してからだ。私にとっては、自分が運転免許ないので、父と二人だと運転してくれるんで、都合がいい、くらいのもんでした。
 
 それから10年後の今も、あまり父と私の関係は変わっていません。
 母と3人よりも、一層、気を遣わず、気負わずに自然体でいられるので、楽なんですよねぇ。
 少しは気を遣えよって感じかもしれませんが。

 父は、夏に胃がんの手術をして普通には食べられなくなったことはあり、食べるのは気を遣いましたが、足腰は普段、ゴロゴロしてるわりには大丈夫みたいで、結局、雪まつりの会場を2万7千歩ほど、私と一緒に見物して回りました。いや~よかった。一緒にテレビ塔に上ったりもして、雪まつりを二人で堪能しました。
 
 ・・・多分ね。

 もちろん、巨大な雪像も、そこに映るプロジェクションマッピングもイルミネーションも、大通り会場の特設ステージで生で見るスノボやスキーのジャンプも素晴らしかったんですが。

 全然気を遣わないでいられる家族との旅行というのが、私は久しぶりで、めっちゃ楽しかったようです。

 一人もいいけど、たまには。
 自分よりも、父が雪まつりを楽しんでくれてるのを見るのが楽しいんだよなぁ。これって家族ならでは。
 家族っていいわね。

 かといって、もう結婚はナイけどな~(苦笑)

2018_2


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