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October 2018

2018.10.22

すごいぞ、郡山

2018年の9月にイングレス(Ingress)というゲームの「ミッションディ」というイベントが福島県の郡山市であり、私も行ってきました。

イングレスというゲームは、スマートフォン位置情報を元に、地図を見ながら実際のいろいろな場所を周って遊ぶゲームなのですが、ミッションディというのは「スタンプラリー」のように、決められたチェックポイントを周るというイベントです。

9月のイベントに合わせて12個の新しいミッション(スタンプラリーのコース)が作られましたが、9月のイベントの日には私は半分の6ミッションしか周れませんでした。歩いて周ったらけっこう距離があってへとへとになってしまってね…。

全部周らなくてはいけないというルールがあるわけではないのですが、せっかく行ったのに半分しか周れなかったのが残念で、10月に再チャレンジ。
残りの6ミッションをするために郡山へ。
距離があるのは分かってたので今回は自転車をレンタルするつもりだったのですが、なんと当日、レンタル自転車をやってる施設が臨時休業なのが発覚。がっくりきましたが、前泊までして準備万端で来たのにこのままスゴスゴ帰るわけにもいかないし、天気も快晴、とにかくやってみるしかない。

バスで、前回、途中で終わったスタンプラリーの場所まで移動し、そこからミッションを始めました。

郡山市。
皆様、ご存知ですか。
私は実は9月のイベントで来たのが初めてです。存在は知っていましたが降りるのは初めて。
なんだかとても面白い場所でした。

県庁所在地でもないのになかなかの発展ぶり。静岡の浜松とか、群馬の高崎とか、埼玉の大宮とか(大宮はさいたま市になっちゃいましたが)そういう場所はここだけではないですが、後で調べたところ、郡山市は東北では仙台に次ぐ大都市だそうです。
福島県のちょうど中心にあたり、県内の市の人口では沿岸のいわき市に負けるものの第二位とのこと。なぜ郡山は福島県の県庁所在地ではないのでしょう。後で調べたらちゃんと理由はありました。

スタンプラリーで周っているとたくさんの歴史的建造物があり、立派な公園があり、なぜこの場所がこれほど発展しているのか本当に不思議です。
というか、なぜ、知らないんだろう、私。

福島県という場所は現代の私たちにとっては不思議に思えますが、そもそも江戸から明治に変わるときに武士側に着いた会津藩だったところです。
そのせいか、日本史の本流から外れてしまい、ほとんど歴史の授業でもやらないんですよね。
明治維新で近代化に向け歴史がダイナミックに動くとき、主役は西の地域がほとんどで、東側は忘れ去られてしまったようになります。

郡山という場所は、江戸時代は奥州街道の宿場町だったのですが、当時はそれほど人口も多くなく、荒野が広がる場所だったそうです。「水利が悪い」とウィキペディアにはありますが、要は水の便が悪い場所で、耕作もしずらく人が住みにくい場所だったんですね。

ここからは、安積(あさか)高校の古い木造校舎が現在は安積歴史博物館になっており、そこの情報。
(ところでなぜ「安積」って書いて「あさか」で読むのかも謎です。昔からこの場所は「あさか」と呼ばれていたらしいですがそれに「安積」という漢字を当てたのは誰で、どうしてだったのかしらねぇ。)
明治維新によって武士が大量に失業したため、明治政府は武士の処遇に困っていました。実際、反乱とかもあったようです。その対策として、この荒野、「安積原野」を開拓し、そこに士族を入植させようという構想が当時の明治政府に生まれます。

そこから、猪苗代湖の水を荒地に引いて、阿武隈川に流す「安積疎水」の工事が国営事業として始まります。
無論、いろいろと紆余曲折を経て、のようですが・・・

これ、朝ドラとかにしたらどうかな? てか過去、ドラマになったことある?
広大な荒野を豊かな農地に変える広大なプロジェクト。「プロジェクトX」ですね、まさに。

歴史はあまり詳しくないですが「安積疎水」の話はとてもわくわくしました。当時を伝える記念碑やオブジェがあちこちにあり、街を歩いていても楽しいです。開成山神宮や開成館など当時からある建物も残っていますしね。
そうして郡山は今や大都市へと変貌し、現代に至る。

大河や朝ドラにするには地味かなぁ。確かにあまり有名じゃないしなぁ。
でもすごいプロジェクトだったと思うのですよね。

以前、東北の小岩井農場のプロジェクトを知ったときもすごいなぁととても感動しました。
小岩井農場のある場所も広大な原野で、現在のような森や牧場にするために、大変な努力が費やされました。
今も持続可能な森林の維持のために、小岩井農場のプロジェクトは継続中です。

人間の寿命もはるかに超えて、未来に向けて「今」を作る。
そういうプロジェクトにロマンを感じてしまいます。
人間もそんなに悪いもんじゃないなぁと思ったり。

すごいですよ、郡山も。もし機会がありましたら、降りて街を歩いてみてください。

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2018.10.14

メディケアダイエット(その8)

 タイトルの(その〇)の数字は、今まで受けたカウンセリングの回数で記載しています。
 ちょっと前になりますが9月22日は8回目のカウンセリングでした。9月22日は、ちょっと体重が上振れしてしまっていましたが、担当カウンセラーによると、少しずつ減ってきていますし、4群点数法による食事の抑制も続けていいるので、この調子でがんばって、ということを言われました。

 メディケアダイエットとの契約時の約束は、契約期間中に体重の10%減。
 9月22日時点ではマイナス3キロくらいなので、まだまだって感じ。

 (その7)で書きましたが、カウンセリングを月1回にすることで、メディケアダイエットにフォローしてもらう期間を延ばしてもらっています。体重の10%減らないうちに、

「はい、契約期間終わりました、さようなら」

 じゃ困りますもの。カウンセリングは全12回なので、9月に8回目でしたから、あと残り4回、10月、11月、12月、1月。この4ヶ月で体重10%減までいくかなぁ…
 いや、9月のカウンセリングのときは3キロしか減ってなかったので全然、自信がありませんでした。

 たまに、ぐっと減ることはあるんですけど。
 また戻っての繰り返しです。

 カウンセラーは、1月までに目標には必ず行きますよ、と言われています。

 ホントかなぁ? 信じられないんだよなぁ(苦笑)

 私は理屈っぽい人間なので、ちゃんと筋道立てて説明してもらえないと、信じられないのよね。
 これはメディケアダイエットを始めてからずっとなんですけど。

 結局、カロリー制限であることが分かって、確かにこれをちゃんと続けられれば減るんだろうな、と今は思っていますが、カロリー制限をがんばっていても、9月22日のように体重は上振れすることがあるので、正直、今でもダイエットって何が正しいのか分からないというのが本音です。

 ただ…
 そうやって、日々増減する体重に振り回されながらも、4群点数法を継続していると、確実に体重は減ってきている。

 9月22日には思い切り上振れしていた体重は、翌日には一気に1キロ減り、その後も細かく増えたり減ったりしながら、上に振れた時も9月22日の時より上には振れなくなってきていました。

 そして本日、10月14日。 

 平日はランチが外食なせいかじわじわ増えるので金曜日はかなり上振れ状態だったのですが、今朝はメディケアダイエットを始めて以来の最低体重でマイナス5キロ!!
 
 自分でもびっくりしたー。
 まぁ、土日はいつも減るんですけどね。

 こうやって結果が出るとまたがんばろうと思います。
 まず、朝ごはんはサラダで野菜をたっぷりとりたいと思います~

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2018.10.09

自分がどれだけ異常なのか分かる子供はいない

「家という密室でまかりとおる「おかしなルール」」

 久々のブログ更新です。
 上記は東洋経済オンラインの記事。
 
 これ、めっちゃ分かるなぁ。
 私も自分の家を普通だと思っていたからな。
 もちろん、著者の菊池真理子氏の家とは違いますが、私の家も相当おかしかったです。
 でも子供は気づけないのよね。
 そして周りもそういう家庭の子どもを助けられない。
 この著者はえらいな。そういう状況をどうにかしたいと思ってちゃんと声を上げているのだから。

 なんというか、この問題の一番難しいところは、多かれ少なかれ、問題を抱える家庭というのはあって、どこまでが普通でどこまでが異常なのか、誰にも分からないところです。
 一番分からないのが当事者というのもやっかいなところ。
 
 多分心理的な防衛機能の一種なんでしょうが、当事者は自分を「普通」だと思いたいのですよ。
 自分の家庭や自分の親を「異常」だと「普通じゃない」とか思いたくない。
 だから逃げ出せない。
 逃げ出す先があるなんて想像もつかない。
 だって子供にとって親は唯一無二ですからねぇ。
 私自身を振り返っても、母がいなくなったら自分も死ぬと思ってました。
 これ、子供にとっては当然の反応で、どんな親であっても、子供ってそう思うのです。
 おそらく、虐待されてても、です。
 
 私はもういい歳ですが、今もなお、自分の育った環境の異常さに気づいて愕然とすることがあります。それが自分に与えた影響の深刻さにも。
 いい年になっていつまでも自分の性格を親のせいにしてるのは恥ずかしいのですが、三つ子の魂、百までとはよくいったもので。
 自分はもうしょうがないけど、多分、同じように、異常な環境に気づくことができず苦しむ子供というのはたくさんいるので、何か、私もできるといいんだけどなぁ。

 このブログでは何度か書いてきていますが、私の母は今でいう「双極性障害」いわゆる「躁うつ病」でした。私が医者に直接聞いたので、間違いない診断名です。
 1年の半分以上は布団に寝たきり、何もできなくなりました。家事も、子育てもね。
 よく結婚して子供も持てたな、と思うでしょ?
 聞くところによると発症は、妊娠がきっかけだったようです。それまではうつはなかったみたいなんですよ。
 今やもう詳細を証言できる人も少なくなってしまいましたが、どうやら私を出産した後、母はしばらく入院していたらしいです。
 母子手帳の記録を見ると、それでも最初の1年くらいはちゃんとつけてるから、自分で育ててたみたいなので、入院したのはその後かな。その間は祖母の家にしばらく預けられていたらしい私。
 でも私の物心つく頃は、母と自分の家に住んでいました。そしてその後、おそらくは私が小学校に上がった後くらいから(その前の記憶はあまりない)、母はしばしばうつで寝込むようになりました。その状態は以後、ずっと続きます。
 
 母親がうつで子供の面倒を見られないとき、一般的にはどういう対応を取るのが適切なのかなぁと思うのですが、祖母が面倒みるってのがよくあるパターンでしょう。
 祖母はたまにはきてくれましたが、一緒に住んではくれませんでした。
 祖母には祖母の生活があるし、そうできない事情も何かあったんでしょう。
 それに母の場合、うつ以外の状態のいいときは、普通に暮らせたりもする。
 それがよけいに判断を難しくさせたのかもしれません。

 母が寝たきりになると、ほぼネグレクト状態の私。
 食べ物は父が買ってきてくれたので、なんとか生きることはできました。
 着るものも洗濯はあまりしてないけど、なんとかなる。
 風呂も1週間に一度でもまあなんとかなりますw
 冒頭で引用した記事と同じ。
 
 しかし、子供の私もですが、母にこそ、もっとケアが必要ではなかったかと私は今は思います。
 うつで引きこもった母はそのまま放置されていました。
 父は働いて母と子供を養ってはいましたが、多分、それ以上に何をどうしたらいいのか分からなかったのだろうと思います。
 「躁うつ病」なんて言ったって、ただの「怠け」だと多くの人から思われていたあの当時。おそらく、病気だからとちゃんと治療するという発想自体がなかったんだろうなぁ。
 私が成長してからは、母と一緒に母のかかりつけの病院に一緒に行き、躁のときはこれ、うつの時はこれ、という薬をいただいてきました。
 うつででかけられなくなると私だけ病院へ行って、状況を医師に報告したり。
 もっと早くそれをできればよかったんですよね。
 成人期の半分をうつで寝たきりで過ごした母は、心だけでなく、体もボロボロ。具合が悪くなってもうつだと病院にも行かれないし、食べ物を面倒みてくれる人はいないし、当たり前といえば当たり前です。
 母にもその娘にも面倒を見てくれる人がいれば、もう少しなんとかなっていただろうに、結局なるようにしかならなかった。
 
 母は56歳でがんで亡くなりました。
 よく「死にたい」と言っていたので本望だったのかも、と当時も今も私は思います。
 悲しいという気持ちはあまりなくて、それはなぜかというと今でも母は私の中にいるからです。よく夢にも見ますよ。
 うつのときには当然、面倒もみてもらえなかったし、食べ物は大抵、ふりかけとごはんと缶詰やレトルトだったし、諸々考えるにとても子供の成育に適した母ではありませんでしたが、少なくとも、私の一番近くにいた人ですから。
 そう思っていること自体が、もしかすると私もどこかおかしいのかもしれませんけど。

 今でもいろいろな理由で、親に放置されている子供がいます。
 私は今、家庭こそ持っていないものの、普通に働いて、収入を得て、自立して生活しています。
 子供の頃、どんな家庭環境であっても、結果そうなればいいんじゃないかという気も少ししますが、たとえば異性とまともに付き合ったことがないとか、自分に自信がからっきし無いとか、いろいろと影響はありますわ。
 「まとも」とか「普通」とかって基準はどこにもないのかもしれないけど、少なくとも病気を患う人に適切なケアをしたり、親が面倒を見てくれない子供の面倒を見たり、そういうことが「家庭」に閉じられることなく、もっと、気軽に手助けできる社会になるといいんだろうなと思います。
 少なくともインターネットが世界に登場して以来、それを使いこなせさえすれば、自分の状況を客観的に俯瞰できる情報はすぐそこにあります。
 
 それでも「自分がどれだけ異常なのかを分かる子供はいない」。
 私たちはこの世界を担う大人としてどう次世代の子供を助けていけるでしょうか。
 

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