自分がどれだけ異常なのか分かる子供はいない
久々のブログ更新です。
上記は東洋経済オンラインの記事。
これ、めっちゃ分かるなぁ。
私も自分の家を普通だと思っていたからな。
もちろん、著者の菊池真理子氏の家とは違いますが、私の家も相当おかしかったです。
でも子供は気づけないのよね。
そして周りもそういう家庭の子どもを助けられない。
この著者はえらいな。そういう状況をどうにかしたいと思ってちゃんと声を上げているのだから。
なんというか、この問題の一番難しいところは、多かれ少なかれ、問題を抱える家庭というのはあって、どこまでが普通でどこまでが異常なのか、誰にも分からないところです。
一番分からないのが当事者というのもやっかいなところ。
多分心理的な防衛機能の一種なんでしょうが、当事者は自分を「普通」だと思いたいのですよ。
自分の家庭や自分の親を「異常」だと「普通じゃない」とか思いたくない。
だから逃げ出せない。
逃げ出す先があるなんて想像もつかない。
だって子供にとって親は唯一無二ですからねぇ。
私自身を振り返っても、母がいなくなったら自分も死ぬと思ってました。
これ、子供にとっては当然の反応で、どんな親であっても、子供ってそう思うのです。
おそらく、虐待されてても、です。
私はもういい歳ですが、今もなお、自分の育った環境の異常さに気づいて愕然とすることがあります。それが自分に与えた影響の深刻さにも。
いい年になっていつまでも自分の性格を親のせいにしてるのは恥ずかしいのですが、三つ子の魂、百までとはよくいったもので。
自分はもうしょうがないけど、多分、同じように、異常な環境に気づくことができず苦しむ子供というのはたくさんいるので、何か、私もできるといいんだけどなぁ。
このブログでは何度か書いてきていますが、私の母は今でいう「双極性障害」いわゆる「躁うつ病」でした。私が医者に直接聞いたので、間違いない診断名です。
1年の半分以上は布団に寝たきり、何もできなくなりました。家事も、子育てもね。
よく結婚して子供も持てたな、と思うでしょ?
聞くところによると発症は、妊娠がきっかけだったようです。それまではうつはなかったみたいなんですよ。
今やもう詳細を証言できる人も少なくなってしまいましたが、どうやら私を出産した後、母はしばらく入院していたらしいです。
母子手帳の記録を見ると、それでも最初の1年くらいはちゃんとつけてるから、自分で育ててたみたいなので、入院したのはその後かな。その間は祖母の家にしばらく預けられていたらしい私。
でも私の物心つく頃は、母と自分の家に住んでいました。そしてその後、おそらくは私が小学校に上がった後くらいから(その前の記憶はあまりない)、母はしばしばうつで寝込むようになりました。その状態は以後、ずっと続きます。
母親がうつで子供の面倒を見られないとき、一般的にはどういう対応を取るのが適切なのかなぁと思うのですが、祖母が面倒みるってのがよくあるパターンでしょう。
祖母はたまにはきてくれましたが、一緒に住んではくれませんでした。
祖母には祖母の生活があるし、そうできない事情も何かあったんでしょう。
それに母の場合、うつ以外の状態のいいときは、普通に暮らせたりもする。
それがよけいに判断を難しくさせたのかもしれません。
母が寝たきりになると、ほぼネグレクト状態の私。
食べ物は父が買ってきてくれたので、なんとか生きることはできました。
着るものも洗濯はあまりしてないけど、なんとかなる。
風呂も1週間に一度でもまあなんとかなりますw
冒頭で引用した記事と同じ。
しかし、子供の私もですが、母にこそ、もっとケアが必要ではなかったかと私は今は思います。
うつで引きこもった母はそのまま放置されていました。
父は働いて母と子供を養ってはいましたが、多分、それ以上に何をどうしたらいいのか分からなかったのだろうと思います。
「躁うつ病」なんて言ったって、ただの「怠け」だと多くの人から思われていたあの当時。おそらく、病気だからとちゃんと治療するという発想自体がなかったんだろうなぁ。
私が成長してからは、母と一緒に母のかかりつけの病院に一緒に行き、躁のときはこれ、うつの時はこれ、という薬をいただいてきました。
うつででかけられなくなると私だけ病院へ行って、状況を医師に報告したり。
もっと早くそれをできればよかったんですよね。
成人期の半分をうつで寝たきりで過ごした母は、心だけでなく、体もボロボロ。具合が悪くなってもうつだと病院にも行かれないし、食べ物を面倒みてくれる人はいないし、当たり前といえば当たり前です。
母にもその娘にも面倒を見てくれる人がいれば、もう少しなんとかなっていただろうに、結局なるようにしかならなかった。
母は56歳でがんで亡くなりました。
よく「死にたい」と言っていたので本望だったのかも、と当時も今も私は思います。
悲しいという気持ちはあまりなくて、それはなぜかというと今でも母は私の中にいるからです。よく夢にも見ますよ。
うつのときには当然、面倒もみてもらえなかったし、食べ物は大抵、ふりかけとごはんと缶詰やレトルトだったし、諸々考えるにとても子供の成育に適した母ではありませんでしたが、少なくとも、私の一番近くにいた人ですから。
そう思っていること自体が、もしかすると私もどこかおかしいのかもしれませんけど。
今でもいろいろな理由で、親に放置されている子供がいます。
私は今、家庭こそ持っていないものの、普通に働いて、収入を得て、自立して生活しています。
子供の頃、どんな家庭環境であっても、結果そうなればいいんじゃないかという気も少ししますが、たとえば異性とまともに付き合ったことがないとか、自分に自信がからっきし無いとか、いろいろと影響はありますわ。
「まとも」とか「普通」とかって基準はどこにもないのかもしれないけど、少なくとも病気を患う人に適切なケアをしたり、親が面倒を見てくれない子供の面倒を見たり、そういうことが「家庭」に閉じられることなく、もっと、気軽に手助けできる社会になるといいんだろうなと思います。
少なくともインターネットが世界に登場して以来、それを使いこなせさえすれば、自分の状況を客観的に俯瞰できる情報はすぐそこにあります。
それでも「自分がどれだけ異常なのかを分かる子供はいない」。
私たちはこの世界を担う大人としてどう次世代の子供を助けていけるでしょうか。
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