『どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか』
東洋経済オンラインの以下の記事を読みました。
本日の記事のタイトルは、上記の記事から引用しました。
「どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか」
ほんとそれよね。
たとえば外国人との付き合いでもそういうことってあるわけですが、物の感じ方、考え方の違いは人間一人一人誰にでもあって。
いや、外国人じゃなくても、義親でも、自分の親でも、兄弟でも、クラスメイトでも、夫でも、子供でも、自分とすっかり同じ人間がいない以上は、自分と違う人間同士、互いに幸せになるためにはって話。
究極、みんな一人一人、誰ともかかわらず一人で暮らせばいいってことになるわけで、今、一人暮らしをしている私はそういう結論になってしまっても同意こそすれ反論はできないのですけど…
問題はやはり「仕事」です。
人間がみんな一人で暮らせばいいといっても、本当に一人では生きられない。
生きるためにコンビニでその日の食事を買うとすれば、それを売る人、作る人がいて成り立っているわけで。
そして「買う」ためには自分も何かの役割を果たし、買うための金を稼ぎ出す必要がある。
それが仕事であり、人の個性だ、違いだと言いつつも、仕事の前ではそれを制御する必要がどうしても出てくる。
プライベートは一人でもいいけど、やっぱり仕事はそうはいかないものなぁ。
うーん、人と接しなくていい、ただ一人で作業をこなせばいい仕事ってないのかな。
コメント欄にいろいろな意見が出ているけれど、アスペを社会全体で受け入れるなら「アスペでも適応しやすい仕事」をもっと調べて、標準化した方がいいんじゃないかと思ってしまいます。
もしかしたらアスペであることで高い生産性を出せる仕事もあるのかもしれないのに、もったいない。
記事についたコメントを見ていてつくづく思うのですが、この記事を書いた記者は、自分が普通であることに疑いを持ったことはないのかしらね。
一度「少数者」の側に立ってみればいいのに。
自分が社会に無理やり合わせようとするんじゃなくて、社会の仕組みの側が少しだけ変われば、ありのままの自分で生きられるようになる。
多分、アスペであることに苦しむ人が望むのはそういうことなんじゃないのかな。
もし普通の人間がこの記者のように自分が普通であることにプライドを持つほど偉いのなら、アスペを理解し、アスペでも生きやすい世の中を作るように努力してほしいけど、実際にはこうしてアスペの側に自分のいる「普通」の世界に適用させようとすることしか言えないのであれば、「普通」の人間はそんなに偉くないってことなんでしょう。
当たり前か。ただ「普通」で「多数」なだけなんだから。
アスペの人の中にはものすごく才能のある人もいるので、アスペが生きやすい世の中を作るためにどうすればいいか、アスペでも働いて収入を得るためにどんな仕事が向いているかは、アスペの側が提案できるのかもしれません。
ただ、人との交渉とかそれを現実化するための段取りとかはアスペだと苦手だと思うので、そこをうまく調整する「普通の人」と連携できないものかなぁ。
聴覚障がいや視覚障がい、身体的な障がい、または性同一性障がいなど数的に言えば少数で、「普通」が横行する世の中で生きることに様々な困難が伴う障がいはいろいろあるのですが、その中ではアスペはノウハウさえ確立すれば、世の中に多数存在するいわゆる「普通」の人々と、うまく役割分担しながらやっていけそうな感じはするんだけどな。
これだけアスペの性質や特性が分かってきたのだから、そこに至るまであともうちょっとって気はするんですけどね。
全ての人の幸せをどれだけ望んでもかなわないことは分かっていますが、少なくともアスペには幸せになる道もあると信じたい。
というか、今でもアスペでも自分に合った楽な生き方をできている人っていないのかな。
五体不満足でも、自分なりの幸せな生き方を確立し、いろんなことにチャレンジしている乙武さんのように。
アスペルガーの障がいを持ちながらも、この社会でありのままの自分で生きている…そういう先駆者、いるんじゃないかな。
「普通」で「多数」の人はむしろ、そういった先駆者たちに教えを乞うくらいの気持ちにならないと。
上から目線で自分たちが「少数者を受け入れてあげます」なんて言ってる場合じゃない。
でなければ、真に多様性のある社会など作り上げられない。
どうか、アスペに限らずできるだけ多くの人が、「普通」で「多数」な生き方を押し付けられることなく、幸せになれる世界となりますように。
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