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November 2018

2018.11.30

『どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか』

東洋経済オンラインの以下の記事を読みました。

アスペルガー41歳男性が「就労不可」の理由

本日の記事のタイトルは、上記の記事から引用しました。
「どうすれば適度な距離を保ちながら、関係を築くことができるのか」
ほんとそれよね。

たとえば外国人との付き合いでもそういうことってあるわけですが、物の感じ方、考え方の違いは人間一人一人誰にでもあって。
いや、外国人じゃなくても、義親でも、自分の親でも、兄弟でも、クラスメイトでも、夫でも、子供でも、自分とすっかり同じ人間がいない以上は、自分と違う人間同士、互いに幸せになるためにはって話。
究極、みんな一人一人、誰ともかかわらず一人で暮らせばいいってことになるわけで、今、一人暮らしをしている私はそういう結論になってしまっても同意こそすれ反論はできないのですけど…

問題はやはり「仕事」です。
人間がみんな一人で暮らせばいいといっても、本当に一人では生きられない。
生きるためにコンビニでその日の食事を買うとすれば、それを売る人、作る人がいて成り立っているわけで。
そして「買う」ためには自分も何かの役割を果たし、買うための金を稼ぎ出す必要がある。
それが仕事であり、人の個性だ、違いだと言いつつも、仕事の前ではそれを制御する必要がどうしても出てくる。
プライベートは一人でもいいけど、やっぱり仕事はそうはいかないものなぁ。
うーん、人と接しなくていい、ただ一人で作業をこなせばいい仕事ってないのかな。
コメント欄にいろいろな意見が出ているけれど、アスペを社会全体で受け入れるなら「アスペでも適応しやすい仕事」をもっと調べて、標準化した方がいいんじゃないかと思ってしまいます。
もしかしたらアスペであることで高い生産性を出せる仕事もあるのかもしれないのに、もったいない。

記事についたコメントを見ていてつくづく思うのですが、この記事を書いた記者は、自分が普通であることに疑いを持ったことはないのかしらね。
一度「少数者」の側に立ってみればいいのに。
自分が社会に無理やり合わせようとするんじゃなくて、社会の仕組みの側が少しだけ変われば、ありのままの自分で生きられるようになる。
多分、アスペであることに苦しむ人が望むのはそういうことなんじゃないのかな。

もし普通の人間がこの記者のように自分が普通であることにプライドを持つほど偉いのなら、アスペを理解し、アスペでも生きやすい世の中を作るように努力してほしいけど、実際にはこうしてアスペの側に自分のいる「普通」の世界に適用させようとすることしか言えないのであれば、「普通」の人間はそんなに偉くないってことなんでしょう。

当たり前か。ただ「普通」で「多数」なだけなんだから。

アスペの人の中にはものすごく才能のある人もいるので、アスペが生きやすい世の中を作るためにどうすればいいか、アスペでも働いて収入を得るためにどんな仕事が向いているかは、アスペの側が提案できるのかもしれません。
ただ、人との交渉とかそれを現実化するための段取りとかはアスペだと苦手だと思うので、そこをうまく調整する「普通の人」と連携できないものかなぁ。
聴覚障がいや視覚障がい、身体的な障がい、または性同一性障がいなど数的に言えば少数で、「普通」が横行する世の中で生きることに様々な困難が伴う障がいはいろいろあるのですが、その中ではアスペはノウハウさえ確立すれば、世の中に多数存在するいわゆる「普通」の人々と、うまく役割分担しながらやっていけそうな感じはするんだけどな。

これだけアスペの性質や特性が分かってきたのだから、そこに至るまであともうちょっとって気はするんですけどね。
全ての人の幸せをどれだけ望んでもかなわないことは分かっていますが、少なくともアスペには幸せになる道もあると信じたい。
というか、今でもアスペでも自分に合った楽な生き方をできている人っていないのかな。
五体不満足でも、自分なりの幸せな生き方を確立し、いろんなことにチャレンジしている乙武さんのように。

アスペルガーの障がいを持ちながらも、この社会でありのままの自分で生きている…そういう先駆者、いるんじゃないかな。

「普通」で「多数」の人はむしろ、そういった先駆者たちに教えを乞うくらいの気持ちにならないと。
上から目線で自分たちが「少数者を受け入れてあげます」なんて言ってる場合じゃない。
でなければ、真に多様性のある社会など作り上げられない。

どうか、アスペに限らずできるだけ多くの人が、「普通」で「多数」な生き方を押し付けられることなく、幸せになれる世界となりますように。

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2018.11.28

清潔を保つのって大変なのよね

 昨日、久々に牛丼の吉野家に行きました。
 ちょっと通勤のルートからはずれている場所にあるのでたまにしかいかないのですが、吉野家のメニューはいつもおいしいです。

 今年の夏、うなぎは安いのを食べると資源保護に反するんだよなぁと思って控えていたんですが、吉野家で一度だけ食べたらそのおいしさにびっくりしてしまいました。
 牛丼もおいしいです。
 でも肉の量が少なくて、ごはんばっかり多くてやや不満(もちろん注文でカスタマイズはできますがそこまでするほどではない)なので、最近、牛丼のアタマ(ごはんではなく肉やたれやたまねぎの部分のこと)の自作に挑戦したこともあり、自分で作ればたくさん食べられるので吉野家で牛丼を食べることはなくなりました。そもそも、生涯ダイエットの身にとって、肉はともかく、どんぶりごはんなんて禁断ですからねぇ。

 それでも昨日、吉野家に行ってしまったのはここ最近ずっと風邪気味で、夕食の支度をしたくなかったため。
 ベジ牛定食という野菜の炒め物と牛皿のセットを頼みました。ごはんも少な目だったな。
 
 お料理はおいしいです。昔はまずかった味噌汁もなかなかです。

 しかし…この吉野家の店舗、いつもあまりきれいじゃないのですよね…

 昨日は食事をしてたら、向かい側のイスにハエが一匹止まってました。

 いや、昔はね、豚小屋が裏手にある小学校に通っててハエなんて見慣れていました。周りに農家が多くて、たい肥が積んであるような田舎でしたから。ただ近年は住宅街に住み、ハエなんて見たこともない生活をしています。久々に見たわ、ハエ。

 改めて周りを見まわしてみると、床もかなり汚い。
 前の客がこぼしたらしい食べ物の残骸が落ちているし、拭いても落ちないのか、黒い汚れがそこかしこに。
 イスはそういう汚れはないのですが、かなり使い込んできれいな色ではなくなっている感じ。うーむ…

 家の最寄りには「すき家」もあるのですが、その「すき家」も一度行ったらあまり清潔ではなかったので二度と行ってません。
 幸楽苑が隣にあって、その幸楽苑は汚いと感じたことがないので、そちらにばかり行ってしまいます。

 もう一つ、吉野家やすき家より、立ち寄る頻度が多い松屋は、前述の二店舗よりはきれいです。というか、すごく気を付けている感じが伝わってくる。
「消毒してるぜ!」
 という、食べ物を提供する店というよりは病院の食堂のような。清潔は清潔だけど無理やり清潔にしているような…でも不潔よりははるかにマシです。

 ちょっとネットで調べてみたのですが、牛丼チェーンの店の清潔さってその店で働く人によるようです。マニュアルはあるんでしょうが、きちんきちんとこまめに掃除しないとすぐに汚れてしまう。
 「きちんきちんとこまめに掃除」
 これねぇ。実は当たり前じゃないんですよね。掃除してもしなくても時給が同じならとアルバイトなら考えますよね。
 いくらマニュアルを徹底させると言っても所詮、やるのは「人」。
 
 掃除って、
「きれいにしなくちゃ」
「きれいにしたい!」
と思わなければ続かないです…

 この記事で書きたかったのは、

「きれい」は当たり前ではない

 ということに、汚い店に行って気が付いた、ということ。

 客からしたら「金を払ってるから」
 店員からしたら「金をもらってるから」

 それだけではなくて、きれいにしたい、きれいにしなくちゃ、という思いがなければどんどん汚れていくわけで、その仕事に対する誇りや責任感がなかったら「きれい」は維持できない。
 そのことに改めて気が付きました。

 以前、JRの駅のホームで掃除をする人を見かけたときに、ふと周りを見渡したらホームにごみ一つ落ちていないことに驚いたことがありました。昔は駅ってめちゃ汚かったよなぁ。
 今はなんてきれいなことか。トイレもきれいです。設備も新しくなってますが、きっと掃除も担当している会社が、その会社で勤務している担当の人ががんばってくれているんでしょう。
 職場のトイレもきれいです。毎日、高齢者の方が掃除してくれています。

 当たり前ではない「清潔」ということ。
 そのために払わなければいけない「努力」。
 私たちはもっともっとそのことを意識しなくてはいけないのかもしれません。

 振り返って自分の家ですが…
 一人暮らしなので、汚すのも自分、片付けるのも自分。
 今の住まいには3年前から住んでいますが、お掃除ロボットを導入し、アイランドキッチンになって水回りとリビングが一体化したため、なるべくきれいに使うように努力はしています。
 というかそもそもあまり汚さないようにがんばってます。
 使う側も掃除する側もお互いに配慮し、気を付けなければ…

 『きれいは当たり前じゃない。』
 
 ああ、風呂場も年末、大掃除しなくちゃなー。

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2018.11.27

「咳をしても一人」がいいよ

11月11日から急激に悪化し七転八倒した後、のどの痛みと咳で苦しめられてきた風邪も11月27日現在、やっと咳がおさまってきました。
まだ薬は飲んでいます。
11月20日にもらった薬は10日分。そろそろ無くなりつつありますが、この様子だと飲み切って終わりという感じ。それでも咳が残るようなら、もう一度内科、行っとくか…

その間、仕事もいってまして、あまりの咳に
「風邪じゃないんじゃないの?」
と疑われる始末。止まらない苦しい咳は今回が初めてではないのですが、今のところ、肺炎やぜんそくの診断を受けた病歴はないんですが。
一応、今週、もし内科に行ったら、上記の話をしてみようと思っています。

咳自体も苦しいし、しゃべってるときにしゃべれなくなるし、仕事にも当然支障を来して困るのですが、咳で腹圧がかかることによる尿失禁が困る(汗)。

生理用ナプキンで対応していましたが、昨日ドラックストアにいったら、最近はいわゆる「尿取りパッド」がこんなに出てるのか!!と驚きました。
水分の吸収も生理用ナプキンよりもはるかに優れており、なんだ、早くこれ使えばよかった。次回の教訓と致します。って次回がないのが一番だけど。

今回の風邪では、最初は咳はなかったんですけどねぇ。
熱と節々の痛みに全身の倦怠感。あれはひどかった。
横になって安静にしててもそれで楽にならないと、それ以上手の打ちようがない。
水分とったり、とにかくあったかくして汗を出したり、プリンやヨーグルトやフルーツやスープを取りながら自宅療養。
最初にきつかったのが日曜日だったので、朝がきたら病院にいくぞと念じながら一晩過ごすわけですが風邪なので、皆さんご存知のとおり、結局は自分の抵抗力でウイルスをやっつけるしかなく。
一番苦しい時間帯は、ひたすら時が過ぎるのを待つしかありません。
それが過ぎれば自然と回復に向かうと自分でも分かってるから、ひたすら耐えるしかない。

その「耐える時間帯」。
私は布団の中でゴロゴロしたり、じっとしていられなくて、何度も水を飲みに行ったりトイレいったり、うめいたり、うなったりしていました。

これねー。
ホント一人暮らしでよかったと思います。
家族がいたら心配させるじゃないですか。
横で誰かが出てたら安眠妨害以外の何物もないし。
というか、自分がこんなに苦しいのに、風邪がうつるからと別室に行かれてそこですうすう寝てられたら、それはそれで腹が立つかもしれない(苦笑)。

自分でもどうしようもない。
ひたすら耐えるしかないのは自分でも分かってる。
そんなときは一人がいいです。
だって、そばに誰かがいてもその誰かを心配させるだけだし、それで自分が楽になるわけじゃない。

たとえば年をとって老人ホームみたいなところにいたら、夜中に具合が悪くなってうなってたりしたら、きっと周りの老人たちに迷惑がられるだろうな。
介護の人はいるかもしれないけど、苦しいからって助けてくれるわけじゃない。
結局、自分は自分が助けるしかない。

入院していたとしてもそうです。
先日、「産褥期精神病」を描いたマンガについて書きましたが、苦しくてどうしようもなくても、誰も助けてくれず、それは仕方ないとしても、苦しくて暴れたりすると薬を打って眠らされたり、拘束されたり。
つらいなぁ。

風邪も後半に入り、全身症状は軽くなってきたのに、今度は咳がひどくなり、咳もまたそばに誰かがいたら困るよなと思います。
自分でも「咳」したくないけど、出ちゃうものは仕方ない。
自分でも止められないから咳しているのに、咳しているのを聞いている人がもしいたら、咳すら自由にできない。
うるさいと言われたら、やってられないなぁ。
言う方の気持ちももちろん分かりますけど。

こんなひどい風邪ひくなよ、と。
予防をちゃんとしなかったからじゃないの?と。

そんなこと、自分でも分かってる。
分かってるから言わないでよ。
誰も近くに寄るな。ほっといてくれ。
私を一人にして…

世の中の、一人暮らしじゃない人は、一体こういうときどうしているのでしょうか。
こんな状態になっても、一人でいるより、心配してくれる誰かに近くにいてほしいと思うのでしょうか。

もちろんもっと重い病気ならこんなこと言ってられません。
風邪だから…治るのが分かってるから、ではありますけど。
「咳をしても一人」で本当によかったといつも思うのです。

これって、私だけじゃないよな、きっと。

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2018.11.26

産褥期精神病

 たまたま、ツイッターを眺めていたら「まんが王国」というサイトで「妊娠したら死にたくなった~産褥期精神病~」というマンガが無料キャンペーン中というCMが入ってきました。

 ちょっと読んでみると、おや、これは・・・

 私の母が躁うつ病、最近の言い方では「双極性障害」だったという話を当ブログで書いたことがありますが、それは私の出産を契機に発病したという話でしたので、まさにこれだったのかな、と。

 全部を読んだわけではありませんが、精神病院に入院し、手足を拘束されてしまう、ごくごく普通の女性だった主人公の様子が痛々しくて見ていられません。

 …いや、しょうがないんですけどね。
 本人もコントロールできない状態で、暴れてしまったり、自殺しようとしてしまうような状態なら、拘束されるのもね。
 でも、なんというか、他の病気も全部そうなんですけど、どんなに苦しくても、その苦しみは周りの人間には当たり前ですが伝わらない。

 苦しくてどうにかラクになりたくて、少なくともどうすれば苦しくなくなるのか、いつこの苦しみが終わるのか、教えて欲しいと願うのに、医師からも看護の人からも、明確な答えは得られず、ただ、暴れないように拘束されるだけって…

 こんなの生き地獄以外の何物でもない。

 精神の病にかかって、家族の手に負えなくなったら病院に入れるしかないのですが、病院では結局、こうやって対処するしかないのなら、なるべくやっぱり病院に入れたくないって思っちゃいました・・・

 私の母がうつのときは、ひたすら布団に寝たきりで、食べるものも食べず、風呂にも入れず、普通に考えると入院させたほうがよかったのだろうかと思いますが、入院しても、別によくなるわけではなく、ただ家で面倒見切れないから入院させるだけなら、家にいたほうがまだ、人の目を気にせずに苦しいときは苦しいって言えるし、それを適当にあしらわれたりとかもしないし、話しかけられたくない時はほっといてもらえるし、ずっとましなのかなぁと。

 いえ、マンガを見て、精神を病む人に対して、普通の人間って、こんなに冷たいんだな、ということを思い出してしまってね。

 怠けてる、とか、気のせい、とか、甘えだ、とか…

 ひどすぎるよなぁ。

 自分だってどうしていいか分からない。心も体も言うことを聞かない。

 そういう状態を想像できない人達がいるのは、もちろん幸せで、うらやましいことで、彼らを責めるのはおかしいのは分かっていますが、それでもなんともやりきれない。

 たとえばたかが風邪だって、苦しい時はほんと苦しくて、なんとかして苦しみから逃れようと、薬飲んだり医者いったりします。
 風邪はそれで少しは楽になるからいいようなものの、心の病は体の病気ほどうまく薬がきかないことがあるし。
 それでも、私の母の時代よりは今はいろいろ研究がされてきているのかもしれませんが。

 人の心ってのはほんとやっかいな代物で。
 精神病がホルモンの関係で引き起こされるならば、もっともっと研究が進んでほしい。

 もちろん人の感情を薬や電気刺激で完全にコントロールすることを考えると怖い気はするんですが、わけもわからず不安になったり、苦しくなったりすることを制御する方法だけは必要なんだと思うのです・・・

 心の病は昔より増えているらしいですが、そう、少なくとも、産褥期の精神病はホルモンの変化によることがはっきりしているのだろうし、発現したときの対策をしっかりとお願いしたいと思います。

 このマンガの主人公のように苦しむ女性が、どうか今後減っていきますように。

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2018.11.14

風邪-2018∸

昨年の通院ラッシュに比べると2018年は比較的平和でした。

体調も概ねよく、たまに膝が痛いものの、ダイエットに取り組んでいますので体重が減れば良くなることを期待して、今はマッサージでなんとかしのいでいます。

椎間板ヘルニアはすっかり治って長く歩くのも苦ではなくなりました。
ありがたいなぁ。

しかし…ひいてしまいましたよ、風邪。
高血圧と高コレステロール対策のため、薬を数年前から服用しており、一か月に一度、内科に通っているんですが、今月は11月10日に通院したところ、風邪の患者がわんさかいました。

嫌な予感がしたものの、その時点では私は健康そのものだったので、うがいと手洗いさえすれば大丈夫、抵抗力だってばっちりさ、と思っていたのに、翌日の日曜日、朝からなんだか調子が悪く、時間が経つにつれどんどん具合が悪くなってきました。
この日は囲碁大会に出ていて、最後の4局目までなんとか打ち切ったのですが、そのあとは一目散に家へ。途中でビタミンCを買いました。

日曜夜は七転八倒です。喉や鼻の奥が痛いし、関節も痛いし、頭もどよんとするし、体温を測ってみると38.6度くらいありました。
あまりにあちこちが痛くて眠れないので、インフルエンザかなぁともちょっと思ったり。
でも、熱はそんなに高くないし、感染してから発症までがあっという間だったので、風邪の可能性が高いとは思いました。

翌月曜日の朝、仕事は休みました。
夜よりはだいぶ回復してきて、体を起こしていられる時間も増えてきたし、横になったら寝られるようにもなってきました。

前の晩は、苦しくて寝られなかった!
一人暮らしで他に誰もいないので、ヴーヴーうなって、布団の上をゴロゴロしていました。
いや、そうしてたって何かがよくなるわけではないのですが、じっと安静にしていられない感じ。ゴロゴロしていると少し痛みがまぎれる^^;
同居者がいたら、心配するでしょうからじっと我慢するしかないのでしょうが…

月曜日にはだいぶ回復、熱も下がってきたので、この時点、やっぱ風邪だなと判断し、病院にはいかないことに。
風呂にも入ってからだを温め、寝過ぎで寝られなければ本を読み、ゆっくり過ごしました。

翌火曜日は仕事へ。体の痛みはなくなり、熱も下がり、頭は少しぼーっとするものの、仕事はデスクワークなので、普通に仕事をすることができました。

ところが、その火曜の夜から喉が猛烈に痛み始めました。
あまりにひりひりしてのど飴なめても水を飲んでも鼻うがいしてもよくならないので、その場で翌日の耳鼻科をネット予約。
家にあった鼻炎薬をとりあえず飲んで寝ると、薬がよく聞いて、あれほどひりひりしていた喉の痛みは消えましたが、喉のどこかが腫れているらしく声が出しにくい。咳も出る。
鼻は詰まってるし・・・

仕事には行ったものの、電話の最中に咳の発作が出て止まらなくなる体たらく。やることだけはやって、早退し、今日は夕方、昨夜予約した耳鼻咽喉科にいきました。

明日は遠方に出張の予定なのですよ。
ほっといたって治るんでしょうが、早く治るなら治したいのが心情です。

耳鼻科では、やはり「風邪」との診断。うがい薬とトローチ含め、薬が5種類くらい出ました。

それにしても、去年の記事を見てもそうなんですが、風邪にかかったとたん急激に悪くなり、その重症度も著しく、1日経てばましになるとはいえ、その急性の度合いをなんとかしたい。なんとかならないなら、そもそも風邪ひきたくない。

そんなわけにはいかないのか、今年も風邪、しっかりひいております。
病気って、なると、何が悪かったのか、日ごろの行いを反省したくなるのですが、気を付けてもなるものはなるのよねぇ…

唯一よかったこと。

体重ですが、土曜日と日曜日が衝撃でしたよ。
土曜日と日曜日の朝では、たった1日で、2キロ以上減りました。風邪、おそるべし。
まあ、今朝は1キロ、戻ってましたが(汗)

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