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January 2019

2019.01.29

二重スリット実験の謎「なぜ「観測」によって「結果」が変わるのか?」

以前「シュレディンガーの猫」について調べたことがありました。

「シュレディンガーの猫」については検索いただくとして、簡単に書くと、生きている確率50%、死んでいる確率50%の状況に置かれた猫がいるとして、まだ人が確認していない段階では、猫は生きているか、死んでいるか、分からないですよね。

だから、人が観察していない段階では「半死半生の猫」というのが存在しているとする…という現実にはあり得ない解釈がいわゆる量子力学における「コペンハーゲン解釈」です。

でも普通に考えてそんなことはあり得ないわけで。
猫は生きているか、死んでいるかどちらかしかなく、それは人が観察しようがしまいが同じです。

ところが本日の表題の二重スリットの実験ではこんなことがおこります。

二つのスリットがある薄い壁に向けて電子銃で電子を一個射出します。
そして、壁の向こうに電子が当たったら跡が残る感光板というものを用意しておきます。

電子銃で電子を一個射出すると、壁の向こうの感光板にも一個、跡が残ります。
感光板のどこに跡が残るかは都度バラバラなんだそうですが、それを繰り返すと、感光板にはまるで二つのスリットの両方を電子が通ったかのように、干渉縞ができるんですって。

干渉が起こるということは電子は粒ではなくて「波」だということが言えます。
つまり、電子銃で電子を一個射出すると、そのエネルギーが空間を波のように伝わり、二つのスリットを同時に通り干渉を起こしている…

でもそれならなぜ、感光板に到達したら1個の点に戻ってしまうんでしょうね?
よく分からないけど、つまり電子は「波」と「粒子」両方の性質を持っていて、人間が観測したときは「粒」になる。
エネルギーの状態にあるときは人には観測できない、ってことなんだと私は思っていました。

以上を前提とした上で、二重スリットの実験の謎とは、こうです。

電子銃から一個、電子をスリットが二つある壁に発出して、その向こうにある感光板のどこに到達したかを観測する。
そこまでは同じですが、スリットのどっちを電子が通ったか、分かるように両方のスリットにセンサーを置いておきます。
そうすると、どちらか一つのセンサーだけが反応するそうで、つまり電子は両方を通ったわけではないことが分かります。
で、その実験をすると、なぜか感光板に干渉縞はできないそうです。

ん? おかしいな。
どちらのスリットでも観測できなければ、電子はスリットを通る瞬間は波になっていて、人には確認できない状態になっている証拠になるのですが、実際はどちらかのスリットで確認できるらしいです。
そしてそれを確認するとなぜか干渉が起こらない。

どういうこと?
センサーを置かずにどちらのスリットを電子が通ったか分からない状態なら干渉が起こるんですよね。
観測するのとしないのとでなぜ結果が変わるの? 電子は観測するかしないかで波になったり粒になったりするの? そんな馬鹿な。

私は以前、「こちらのページ」を見て、ずっと電子というのは高速で回転するコインのようなものだと思っていました。
表なのか裏なのかは回転している間は分からない。
でも停止すれば分かる。
シュレディンガーの猫で言えば人間が見ていない間は生死の確率が50%ずつ。でも見ればどちらかは分かる。
電子が波であり粒であることもそういうことなんだろうと漠然と思っていたのです。

でも、この二重スリット実験の謎は、どういうことなのか、よく分からないなぁ。

以下の記事を読むと何となく分かったような気にはなります。
http://hp.vector.co.jp/authors/VA011700/physics/2slits1.htm#totyuu

が、こればかりはこうしてネット検索しているだけではだめですねえ。
本当にどちらのスリットを通ったかをセンサーで観測すると、干渉縞はできないのか。
センサーを使用したことによって何らかの作用を及ぼしてしまったから干渉縞ができなかったのではないか。

驚いたことにネットを検索すると、実は二重スリットの実験の謎は、別に電子でやらなくてももっと大きい分子レベルでも現れることが分かりました。URLを張り付けておきますね。
https://news.mynavi.jp/article/20141202-a068/

あれれ?
としたら、二重スリット実験の謎は、量子力学うんぬんじゃなくて、何かもっと別の物理法則によって発現する現象なのでは?

観測すると干渉しない。
観測しないと干渉する。
なんでそんなことが起こるんだ。
「見ているか、見ていないか」で結果が変わるなんて普通に考えてあり得ない。半死半生の猫じゃなるまいし。
何か別の理屈があるはずなんだよなぁ。

もし答えをご存知の方がいたら教えてください。

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2019.01.24

なぜ結婚は難しくなったのか

非婚率が上がり、結果として出生率も低く、人口減少が社会問題となっています。
なぜ結婚できない男女が増えたのか?
結婚したいという人は少なくなってはいないと思うのですが、どうも男女のマッチングがうまくいっていないように私には感じられます。

ちょっと整理してみました。

男性が結婚を望む理由には「子供が欲しい」というのがあると思います。

(男性編)
〇子供が欲しいのでパートナーになる女性は若い方がいい
〇けれど20代の女性はまだまだ仕事をしたい盛り
〇10代後半から20代前半の女性で結婚願望がある人もいなくはないが、彼女たちからすれば相手は選びたい放題。
〇その年代で結婚を考える女性は専業主婦希望が多いのでは。
〇とすると、女性からはより高収入の男性が選ばれる。
〇かつ女性も可能なら、高齢男性よりも同年代の男性がいいと考えるので、若くて高収入でその他の条件(ルックスなど)がいい少数の男性が選ばれて、収入があっても30代、40代の一般男性はあぶれる。

一方、女性は…

(女性編)
〇「20代は仕事をしっかりして20代後半から結婚は考えたい。仕事は続けたい」
〇望む相手は同世代。
〇しかし男性の20代後半から30代はあまり結婚は考えてない。婚活市場に出てくるのは30代、40代のおっさん。
〇ただし、30代、40代男性も30代の女性は眼中にない。可能な限り「若くてきれい」な女性がいい。
〇結果、30代以上の女性はあぶれる。

いわゆる「自然」なのは10代、20代の学生の内に出会い、付き合いを重ね、お互いに20代後半から30代前半になったら結婚するパターン。
女性も男性もそういうのが、多分、求めている「理想」です。
私はかつて、自分もそういう自然なルートで結婚できると思ってたのよね。
20代後半からはちょっと焦って、合コンや友達からの紹介やお見合いパーティや一般的なお見合いなどもしましたけども(汗)

上記の箇条書きのような整理をすると「婚活」で理想の結婚をしようなんてのが土台無理というのが分かります。
30代、40代になって特定のパートナーもいないのに婚活で理想の相手と出会いたいなんて無理。
婚活で理想の相手と出会って結婚できる人は、いないとは言いませんがとても少ないと思います。

結婚したいなら男性も女性も、同年代の相手を、学生の内に見つけておかないといけないよな。
男性も年をとってから若い子と結婚しようなんて考えてるとしたら、
「あなた、ルックスと収入にそんなに自信がありますか」
てなもんだよなぁ。

無論、同じことは女性にも言えて「婚活は30代になってから」なんて考えてたらだめ。
おまけに女性は30代になったら「ルックスと収入」に自信があってもだめなのがつらいところ。
男性にとっての女性は若さだけが価値みたいですから。

例外はもちろんあるとは思います。
ただ例外は例外だから可能性としてはとても低い。
「例外の人もいるから」
と安心してはいけない。自分がその例外に入れるとは考えない方がいい。
例えるなら「宝くじには当たる人もいる」くらいだと思った方がよさそうなくらいです。
多くの人は「選ばれた人」なんかではなく「その他大勢」なのだから。

ただね。20代の頃の自分を振り返ると思うんです。
若さだけが自分の価値だというのは当時の私は分かってました。
でも、だからと言ってお見合いで紹介された、好きでもない相手と結婚したいか?
そんなに結婚ってしなくちゃいけないのか?
自分も働いてるし、自分の食い扶持くらい自分で稼げる。なのに?

自分の子供はそりゃ欲しかったです。
当時は当たり前にお母さんになることを疑ってもいなかったもの。
でも、恋愛して結婚してその先に家庭があるのなら「恋愛」「結婚」のハードルが高すぎて、どうしてもクリアできませんでした。

ここだけの話、好きになった人はいましたよ。
バレンタインにチョコ渡した人もいましたし、自分から告白もしたし、ネットでのやりとりで親しくなってデートまでいった人もいました。
でも相手からは選ばれませんでした。
しょうがないよなー(苦笑)。縁がなかった。ほんとそれに尽きます。

一人で生きる人生ももちろん悪くはありません。
私はどうも一人が向いているみたいですし。
けれど、人間としてのサガなのか、そういう同じ孤独を分かち合える誰かがいたらなぁと思うことは多々ありました。今もね。
だから、今、まだ間に合う人たちには「自然に結婚」なんてできないのだから、パートナー探しはできるだけ早くから頑張って欲しいと言いたい。
みんながみんな結婚できるわけではないし、結婚だけが全てではないんだけど、うっかりタイミングを逃してしまったが故に、というのはもったいないもの。

若者たち、がんばってください。

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2019.01.17

おウチカーブス

 年を取ると筋肉が減って、体の節々が調子が悪くなってくるそうです・・・

 本格的な年寄りはまだ先のはずの私でも、今でさえ腰痛や椎間板ヘルニア、そして階段を上り下りするときには膝の痛みが気になっており、とにかく健康でないと年をとったら大変です。

 動けなくなったら一人で暮らせなくなっちゃう^^;

 ということで、今の内から運動習慣を身に着けておかないと動けなくなるのは必須なので、運動不足は常に気にしているんですが、最近、友人が「カーブス」というのを始めたと聞きました。

 1回30分で終わる運動プログラムを週2回ほどやるスポーツジムのようで、1回30分ならいいかなぁとちょっと興味が湧きました。

 …
 …
 しかし、これ、ネットの口コミを見ると、非常に評判悪いですねぇ。

 そもそも、平日の19時までしかやってないので、18時まで仕事な私は仕事で遅くなったらまず行かれません。
 
 それと、何やらプロテインを売りつけられるらしい。
 それに、いっしょに参加している方といろいろおしゃべりしたり、目標を発表したりするらしい。

 だめだ、ただでさえ人見知りのコミュ障だから知らない人となるべく話したくない。スポーツクラブで友達を作るなんて絶対したくない。
 今までもスポーツジムにゲストでたまにいくことがありましたが、スポーツクラブは一人で黙々とエアロバイクこいだり、プールで歩いたりするところだと私は思っています。
 
 一人で自分の体と向き合うところ。

 だから一人が好きな私には憩いの場所なのです。
 なのに、何が悲しくて、スポーツクラブでコミュニケーションまでとらなくてはならないのか。

 それに、私、そういうところでプロテインを売りつけられたら、買っちゃいそうなんだよなぁ。
 断り切れない。
 絵のキャッチセールに遭ったことはありますが、それは買わなかったので、買わないこと自体はできるかもしれませんが、そうすると、どうもカーブスの場合、買う人と買わない人へのスタッフの接し方が変わるようです。

 げー、やだ。

 いろいろ実態を知るにつけ、コミュ障で一人が好きな割に、空気を読まず我が道を行くことのプレッシャーにも耐えきれないヘタレの私は、カーブスには近寄らない方がいいという結論に達しました。

 しかし、いろいろ調べていて、カーブスがどういうプログラムなのかは分かりました。
 家でスクワットとかしてたら、子供が寄ってきちゃったりするお母さんは、家ではトレーニングできませんが、私は一人暮らしなんだから、これ、家でできるんじゃないかな。

 ということで、さっそくカーブスもどきプログラムを、ネット情報から拾って、家でやってみることにしました。

 踏み台昇降 30秒
 ↓
 腹筋     30秒
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 腕立て伏せ 30秒 
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 ダンベル   30秒
 ↓
 踏み台昇降 30秒
 ↓
 スクワット  30秒

 これを1セットとし、1回に4セットやります。1セットが4分だから、4セットで16分。あとストレッチな感じかな。

 踏み台昇降用の台は、以前に買ってますので、すでにあります。
 ダンベルはないけど、2リットルペットボトルを両手に1本ずつもって、上げ下ろし。

 腕立てはできないので、膝ついてやります。
 スクワットもキツイので、つかまりスクワット。

 負荷はだいぶ軽減されてしまいますが、最初はここからでしょう。慣れてきたら負荷は上げていけばいい。

 以前から踏み台昇降は保健士さんから勧められていたんですが、これだけだと退屈なんですよねー。
 でも、上の30秒で筋トレと繰り返すのだと、飽きる前に次の動作が入るので、面白いな。

 けっこう16分間は忙しく体を動かします。
 でも、筋トレの間に踏み台昇降を挟むからか、体はラクだし、これ、いいかも~♪

 これを週2やるといいようです。
 毎日やるとそりゃいいんでしょうが、とりあえずはカーブスへ行ったつもりになって週2を目標にやってみたいと思います。
 楽しかったので続くかも。

 一人でできるし、何よりタダだし、着替えも必要ないし、なんだ、簡単だわ。
 ということでブログにつけてみました。

 さて、三日坊主になりませんように。

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2019.01.14

メディケアダイエット(その10)

 土曜日はメディケアダイエットのカウンセリングでした。

 正月明けで、体重は元のもくあみ。2キロくらい増えてしまいました^^;

 結局リバウンドか…なんて落ち込んでいましたが、カウンセリングでは、改めて食事内容をチェック。ここんとこ、甘いものが止まらなかったんですが、

 ・パンや麺ではなく、主食はごはんにする
 ・野菜を食べる

 ということで、再チャレンジ。
 土曜日、日曜日、そして今日、月曜日は鍋にして野菜をたくさんとっています。

 鍋食べて、ごはんも食べると、甘いもの食べなくても大丈夫だなぁ。

 食べたくなったら、ミカンやバナナを食べるようにしました。

 これでまた頑張ってみるか。
 
 パンが好きでたまにとても食べたくなるのですが、小麦はダメなんだそうです。なるべく全粒粉パンにしたりしてがんばってたのになぁ。

 てか、食べちゃいけないものないんじゃなかったっけ、メディケアダイエットって。
 結局食事制限だし、パンは禁止だし、体重の10%減なんて達成できそうにないし、お金かけたかいがない(-_-;)

 でも、一応、卒業は3月でカウンセリングは、あと2月と3月、残っています。

 とりあえず来月、今より3キロぐらい減ってたらいいんだけど。
 

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2019.01.11

「論理国語」とは

本日も東洋経済の記事より。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

少し調べてみると、高校の国語が、2022年度の学習指導要領から「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」の四つになるようです。
今まではどうだったかというと国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典B。
うん、私の頃も確かそうでした。
今から考えると「A」だの「B」だのって何じゃいな、と思いますねぇ。

ざっくりいうと、新しく登場する論理国語は「論理的な文章の書き方」を学ばせるものであるようです。
古文を読んだり、夏目漱石の「こころ」を読んでKの気持ちを議論したりするのではなく、契約書の作成方法とかグラフを読み取り方を学ぶ。
社会に出たとき、より役に立つ「実学」を勉強するわけですね。
それに対し文学者からは「日本人なら誰もが読んできた文学作品が国語教育から消える」という声が上がっているとのニュースもありました。

確かに「学校で学ぶ勉強って社会に出たときに役に立たない」ことが多いのですが、私は「勉強」ってそういうものだと思っていたので、だからどうするべきと考えたことはありません。

ただ、古典や現代文学が大事と言われても、それもあまりピンとこない。
「こころ」を読まなくたって生きていけますし、その時間にもっとやるべきことがあるならやった方がいいとも思います。

振り返ると、私自身は、小さな頃から国語は得意科目で、作文も大変得意でした。文章を書くのは当時から大好き。
それが論理的な文章か、と言われると、このブログの文章を自分で読み返すと、なるべく読んでいる人に伝わりやすいように書いてはいるつもりですが、論理の飛躍があったり、違う論点にすり替わったりしているときもありまして、あまり自信はないというのが正直なところです。

ただ、書くのを苦痛に思ったことはなく、自分の思ったことを文章に書き起こすことに困ったことはありません。
ブログも、仕事もね。

「話し方」はやや難があります。うまく説明ができないことが多い。
昨日も、上司への説明の際に
「で、一体何が言いたいの?」
というしどろもどろ状態に。文章で書くならあまりそうはならないんだけどな。

という自分の実態を考えると「話し方」は学校で教えてくれてたらなぁと思うことはあります。
3分間スピーチとか、もっと学校でやればいいんだよな。
内容は何でもいい。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、事実について3分間で適切に話す訓練とかした方がいい。
たとえば昨日、テレビで見たドラマ、とか大好きなマンガや音楽やゲームについて語らせるのでもいいと思います。
そういうのって学校でやらなかったなぁ。私の頃は。

私は文学者ではないので、近代文学も古典も、やる必要があるかと言われると「ない」というのが私の意見です。
読解力が必要なら、小さい頃から読書を好きにさせて、習慣づけるようにすれば自然と身に付きます。
別にその本が「怪獣大事典」でも「日本妖怪総覧」でもいいでしょ。
読むこと、読んでその内容を理解することが大事。
私なんか小学校中学年から高学年まで図書館で星新一ばかり借りて読んでいました。

夏目漱石じゃなくて星新一で十分でしょう。
文章で書かれたものを読んで、それを理解し、楽しむことができればね。
どんな文学作品だって、どう読むかは読者の自由なのだから、読んで何をどう考えるか教育の範疇ではない。
読書を親しむことを習慣づけるところまでが国語教育ではないかしら。

一方、話し方は、読書ほど私自身には自然には身につかなかったので、学校でやってほしかったな。
社会人をもう30年弱やってきて今更ですけど。

物の考え方、読解力、そしてその表現。
国語って大事です。
「論理国語」か。
可能なら今から私もやりたいかも。

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2019.01.03

お正月に「家族」について考えてみた

 一人でどんなに気楽でぜいたくな生活をしたとしても「家族」がいる喜びの方が素晴らしい…

 読書メーターのサイトを眺めていたらそんなショートショートが掲載されていたので読んでいました。

 それから、ツイッターでは

「男が老いて独り身なのはかなり惨め。でも女が老いて独り身なのは毎日がサバイバルだ。危機感持てよ。」

 というつぶやきを目にしまして、ちょっと落ち込む(苦笑)。

 まあ、女とか男とか独身とか既婚とかで、一括りにできないことは重々分かってはいるのですが、こういう意見ってたまに目にするとやっぱり気になるのよねぇ。

 以前から、私個人は一人であまり困ったことはなくて、結婚も30代以降、早々に見切りをつけ、代わりに一人で生きていくための備えをしてきたわけで。

 後悔しないためにどれだけ準備をしてきたか。
 「危機感持て」なんて今更言われなくても、相当危機感、感じてやってきました。

 そのせいか、世間一般の声をよく聞いてみると、私はどうも「結婚できないままきちゃった高齢女性」の一般的なくくりと違うところにいるみたいです。

 いや、そうじゃないか。時代そのものが変わってきているのか。以前の「一般的なくくり」ともう私ら世代は、全員違うのかもしれない。

 思うに、私らよりも前の世代の高齢女性は、やっぱり男性に養われる存在で、男性に幸せにしてもらうという価値観が基本だったんでしょう。
 もちろん、今がそうじゃないとは言いません。そういう価値観がが悪いとも思いません。今もそうでありたい女性もいるし、私個人は男性が働いて、女性がそれを支えて、それが幸せならそれでいいと思っています。

 前にツイッターでちょっと書いたのですが、女性自身が医師になりたいと望む人もいて、それはそれでいいのですが、医師としてがんばりたい男性の妻としてその男性を支える女性がいてもいいと私は思うんですよ。
 いわゆる某医大の入試での女性差別の話ね。

 もちろん、女性が医師として働きたいならその道を入試の段階で閉ざすなんて許せないことです。
 ただ、医師という職業が非常に過酷な労働環境にあるのは事実であって、それ自体をなんとかしなければいけないというのは当然なんですが、現実に、今、現場に男手が必要で、女性は前面に出るのではなく後方支援に当たるというのはそれも有効な役割分担ではないかと考えたりしました。

 男女で語る話ではないのかもしれませんけど。
 第一線で活躍する人も、その後方支援に当たる人も、職業に貴賎はなし。
 昔から、私は主婦も大事な「職業」だと思っていたしな。

 ちょっと話がそれました。
 女性が男性に養われることは否定しないという話でした。

 ただ、そういう時代だったなら確かに「女性が年取ると悲惨」だったのでしょう。
 高齢になった女性は、夫婦ならともかく、他人だと男性からの評価は0でしょうし。
 若くてきれいなうちに、男性にパートナーになってもらう。
 男性にとっての評価が女性にとっての全てでした。

 高齢者のコンカツについてネットで情報を拾ってみると、私たちよりも上の世代のコンカツだと、高齢女性が当時の価値観に基づき、自分を養ってくれる男性を探したいと思って活動している構図みたいです。女性の方が会員が多いみたい。でも男性からしたらいくつになっても若い子がいいんでしょう。きっついなぁ。 

 女性は男性から評価されることが全て。過去は確かにそうでした。
 でも今はそうじゃない。

 今は「結婚」って選ばれた人しかもうできなくなっているんじゃないかと私は思っています。
 昔…といっても一世代前の話ですが、当時は結局、結婚するのが当たり前だったし、女性は結婚しなきゃ食べていけなかったから。誰でもいいとは言いませんが、たとえば多少、性格に難があったりしても、若くて経済的には厳しかったりしても、マザコンだったとしても、どんな男性でも結婚できたんだろうと思います。

 今は違います。
 女性は自分と合わない男性と無理に結婚したりしません。もちろん男性もね。

 結婚して幸せになれる人もいる。それで子供を持ち、家庭があって幸せな人もいる。
 でもみんながみんなそうじゃない。
 結婚しないという選択肢もあって、男性も女性も、それを選んでもいい。

 自分を幸せにできるのは結局自分しかいません。誰かに幸せにして欲しいと願い、その誰かが男性だったり、子供だったりしたとしても、人に頼っている限りは幸せにはなれないと私は思います。
 
 もちろん年を取ったら人に頼らずには生きていけないので「誰にも頼らない」なんていうのは驕りだと、私は常々自分に言い聞かせているところですが、ボケて何も分からなくなるまでは、若くても、年をとっても、自分が自分であることの尊厳って変わらないんですよね。 
 
 パートナーもいず、家庭がないと最後は「孤独死」なんでしょうが、これからの時代はそんなの当たり前になっていくんじゃないかしら。
 まあ死んで何日も放置されてしまったら後片付けをする方が大変なので、独居の高齢者には見守りシステムが必須になるでしょう。私の家にもつけて欲しい。

 だから、独身だから悲惨だ、とかじゃなくて、独身でも幸せでいられる道をちゃんと探しておこうよ、というだけの話のような気がします。
 結婚できなくて、家庭もないけど、私個人は今は幸せだし、これからも幸せでいるための努力はずっと続けていきます。

 そういう人がこれからは増えていく。
 そういう人のための世の中になっていく。

 というか、そういう世の中にするために、独身高齢女性の一人として、これからもがんばっていきたいわ。
 

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2019.01.02

2019年の始まり

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 あけましておめでとうございます。
 2019年は船の上で迎えました。
 以前、仙台に住んでいた時に、松島で遊覧船に乗って海の上から初日の出を見るというバスツアーに参加したことがあって、とてもよかったので、関東でもそういうのがないかなぁと思って探したら…ありました。

 昔、よくテレビのCMで聞いた覚えのある♪さんふらわぁ~♪って分かります?

 その、さんふらわあが、大晦日の夜に茨城県の大洗から出て、横浜の八景島まで行き、洋上から八景島のカウントダウン花火を見たのちに、元旦に大洗まで戻ってくるというツアー。

 犬吠埼沖から初日の出を眺めることができます。
 2019年はちょっと天気が心配でしたが、さすが、私の晴れ女パワー♪
 ちょっと雲がかかっていて、太陽がのぞくのが遅かったんですけど、ちゃんと見事な初日の出を見ることができました。

 さんふらわあは、お高いスイートや個室がたくさんあって、今の時代はそちらの方から先に売れていくそうです。

 私は一番安い、二等船室の大広間。
 でも、ちゃんと個人別にカーテンが引けて、自分のブースが割り当てられています。ベットじゃないですが、病院の大部屋みたいな感じ。
 もう一昨年になりますが、やはり正月の特別列車で夜行のカシオペアに乗ったことがあって、寝台車の魅力に目覚め、今は失き北斗星の寝台を模したホテルにも泊まってみたことのある私。
 大広間も修学旅行みたいで面白かったです。

 コインロッカーもタダで使えるし、大浴場もあるし、トイレは綺麗だし、着替えるところや座って化粧できる場所もちゃんとあるし。

 二等船室は船の真ん中にあって窓がないのですが、部屋の外にはロビーがあって、そこでゆっくり海を見ながらくつろげます。
 海を眺めながら、好きな音楽をウォークマンで聞き、文庫本を開く。
 まぁなんというぜいたく♪

 それに年越しのこういう旅行は普段、一人暮らしの私には、素晴らしいメリットがあります。
 それは、バイキングで正月料理を一通り味わえること。

 いや、一人だと、正月ってたとえば伊達巻でも、黒豆でも、家でそろえるといちいち高いし、量もあって食べきれないし非効率なんですよねぇ。

 でもやっぱ日本人なせいか、正月からいつものごはんに納豆ってのもさみしい。
 今回のツアーでは船のレストランで、伊達巻、黒豆はもちろん、カニやエビやお雑煮などなど、お正月料理を堪能致しました。
 大晦日の夜は、年越しそばも出たしね。
 
 さんふらわあ、よかったな~♪
 素晴らしい年越しになりました。


 
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