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2019.01.11

「論理国語」とは

本日も東洋経済の記事より。

「作文下手な日本人」が生まれる歴史的な必然
なぜ、日本人は論理的な文章を書けないのか

少し調べてみると、高校の国語が、2022年度の学習指導要領から「論理国語」、「文学国語」、「国語表現」、「古典探求」の四つになるようです。
今まではどうだったかというと国語表現、現代文A、現代文B、古典A、古典B。
うん、私の頃も確かそうでした。
今から考えると「A」だの「B」だのって何じゃいな、と思いますねぇ。

ざっくりいうと、新しく登場する論理国語は「論理的な文章の書き方」を学ばせるものであるようです。
古文を読んだり、夏目漱石の「こころ」を読んでKの気持ちを議論したりするのではなく、契約書の作成方法とかグラフを読み取り方を学ぶ。
社会に出たとき、より役に立つ「実学」を勉強するわけですね。
それに対し文学者からは「日本人なら誰もが読んできた文学作品が国語教育から消える」という声が上がっているとのニュースもありました。

確かに「学校で学ぶ勉強って社会に出たときに役に立たない」ことが多いのですが、私は「勉強」ってそういうものだと思っていたので、だからどうするべきと考えたことはありません。

ただ、古典や現代文学が大事と言われても、それもあまりピンとこない。
「こころ」を読まなくたって生きていけますし、その時間にもっとやるべきことがあるならやった方がいいとも思います。

振り返ると、私自身は、小さな頃から国語は得意科目で、作文も大変得意でした。文章を書くのは当時から大好き。
それが論理的な文章か、と言われると、このブログの文章を自分で読み返すと、なるべく読んでいる人に伝わりやすいように書いてはいるつもりですが、論理の飛躍があったり、違う論点にすり替わったりしているときもありまして、あまり自信はないというのが正直なところです。

ただ、書くのを苦痛に思ったことはなく、自分の思ったことを文章に書き起こすことに困ったことはありません。
ブログも、仕事もね。

「話し方」はやや難があります。うまく説明ができないことが多い。
昨日も、上司への説明の際に
「で、一体何が言いたいの?」
というしどろもどろ状態に。文章で書くならあまりそうはならないんだけどな。

という自分の実態を考えると「話し方」は学校で教えてくれてたらなぁと思うことはあります。
3分間スピーチとか、もっと学校でやればいいんだよな。
内容は何でもいい。それが正しいとか間違ってるとかじゃなくて、事実について3分間で適切に話す訓練とかした方がいい。
たとえば昨日、テレビで見たドラマ、とか大好きなマンガや音楽やゲームについて語らせるのでもいいと思います。
そういうのって学校でやらなかったなぁ。私の頃は。

私は文学者ではないので、近代文学も古典も、やる必要があるかと言われると「ない」というのが私の意見です。
読解力が必要なら、小さい頃から読書を好きにさせて、習慣づけるようにすれば自然と身に付きます。
別にその本が「怪獣大事典」でも「日本妖怪総覧」でもいいでしょ。
読むこと、読んでその内容を理解することが大事。
私なんか小学校中学年から高学年まで図書館で星新一ばかり借りて読んでいました。

夏目漱石じゃなくて星新一で十分でしょう。
文章で書かれたものを読んで、それを理解し、楽しむことができればね。
どんな文学作品だって、どう読むかは読者の自由なのだから、読んで何をどう考えるか教育の範疇ではない。
読書を親しむことを習慣づけるところまでが国語教育ではないかしら。

一方、話し方は、読書ほど私自身には自然には身につかなかったので、学校でやってほしかったな。
社会人をもう30年弱やってきて今更ですけど。

物の考え方、読解力、そしてその表現。
国語って大事です。
「論理国語」か。
可能なら今から私もやりたいかも。

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