「美容整形」っていいことなのか
有村藍里さんが美容整形を受けたというのがテレビのドキュメンタリーで放映され、朝の情報番組でも報道されているのを見ました。Yahooニュースのリンクも貼っておきます。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190303-00000320-oric-ent
美容整形の成功に称賛の声が集まっているとのこと。
うーん。私は3月4日の朝にテレビでこの話を知ったんですけど、何とも嫌な気分になりました。そして「怖い」と感じました。
彼女は自分の口元が気になっていたそうで、報道では「こんもりした唇」が嫌だったこと、自分の顔で他人を不快にさせていないか気になっていたことなどを話していました。
「自分の顔で、相手を不快にさせる」?
それが気になって整形しないではいられない?
それって「醜形恐怖症」ではないかしら。
つまり精神障害です。
私は藍里さんを批判したいわけではありません。
私が怖かったのは「美容整形がいいこと」であるとなったら、美容整形をしないことは悪いことであり、美人でない顔をそのままにしておくことは美意識が低く、他人を不快にさせる行為である、となってしまうのではないかということ。
見た目がよくない人を批判したり、さげすんだりすることが当たり前になってしまわないかということ。
有村藍里さんは確かにかわいくなりました。
でもそれで済むのだろうか。
唇やあごを整形したらまた他のところが気になるのではないかな。
そしていずれ年をとればシミやしわが気になるのではないのかな。
結局はあれって「美容整形」を当たり前にして、成功事例を華々しく報道することで業界が儲かりたいだけなのでは。
いや、別に業界が儲かることを否定はしませんが
「1mmでもかわいくなりたい」「かわいくないのは嫌」「かわいくないと人の目が怖い」
ある意味で精神疾患に近いような女性の意識に付け込んで、
「ほら、美容整形するとこんなにかわいくなって劣等意識も克服できて幸せになれますよ」
って…美に憧れる気持ちを利用されて、搾取されるだけでしょ。
私たちは「美=善」という一つの価値観に捉われてはいけません。
「美」も確かに世の中の善いことの一つで私もそれは否定しないけど、そのために、何かを犠牲にすることだけはあってはならない。
藍里さんは自分で考えて自分で「美容整形」を選択しました。
そのこと自体は批判したくないし、仮に彼女の今回のカミングアウトが彼女のプロデュースであるなら、それも戦略の一つだと認めてもいい。私はそれが彼女の幸せだとは思わないけれど、自分の幸せは自分で決めるものだから、彼女がそれを選択し、芸能界で生きていくならそれでも構いません。
ただ、その姿をテレビで見せられる、少なくとも「私」は、それを見たときの自分の不快感や恐怖をちゃんとこうして書いておきたいと思いました。
自分の容姿に劣等意識があって、それを克服したいと思うとき、「美容整形」は決して最善の方法ではありません。
なぜなら、それは、結局ところ際限がないからです。美にゴールってありません。
そして人間は誰でも年をとるしね。
美容整形というとマイケル・ジャクソンのことを思い出したりもします。
彼もずっと顔を直し続けた。それで最後は満足できたのかしら。
ずっと美容整形にお金をつぎ込み続け、どんなに社会的に成功しても、最後まで気持ちが満たされることがない・・・
それって地獄でしょう。
結局、幸せって「美」にはないんですよ。
「美」も幸せという価値観はあってもいいけれど、それは長い人生においてほんの一瞬でしかない。
というか「他人が自分を見る目」の中に本当の幸せなんてないんです。
これって現代を生きる私たちにとって当たり前だと思っていたので、最近の流れが私は怖くてたまりません。見た目の美のことばかりを言い続けたNHKの前朝ドラ「半分、青い」も怖かったしなぁ。
「美容整形」を悪いとは言いません。でもいいことだとも思いません。
有村藍里さんについては、彼女が自分の幸せのために選択したことなら仕方ない。
ただ、その報道を見て、その選択が支持されて、美容整形が広まっていくことに対しては危機感を抱いています。
皆さんはどう感じますか?
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