子供の貧困
今日、この記事を読んだのですが、ちょっと違和感がありました。
何に違和感を感じたのか、書いてみたいと思います。
私は、子供の頃、母親がうつで寝たきりのときは、自分でお米といでごはんを炊いたり、わかめの味噌汁は作ったりしたけど、おかずは
鮭の水煮缶詰
サンマのかば焼き缶詰
コンビーフ
ホテイの焼き鳥缶詰
イシイのハンバーグ(温めるだけで食べられる)
ボンカレー
とかでした。なので缶詰類は今もソウルフードです。
昔はコンビニもホカ弁もなかったから、開けるだけで食べられたり、温めるだけで食べられるものは貴重でした。
貧困というよりは物理的に食事を作ってくれる人、面倒を見てくれる人がいなかったからなぁ。
記事を読んで思うんですが、休み明けに痩せて出てくるということは、つまり
「コンビニで弁当も買えない」
ってことなのではないでしょうか。
それを「コンビニのお弁当など、栄養バランスが取れていない子が多い」ってバランスの問題にしない方がいいと思うんですよ。
そういうこと言い出すときりがない。
私が幼稚園の時、親が弁当を作れないときは昼に園から菓子パンと牛乳が出ました。
バランスはとれてないけど、それが悪いとは私は思いません。
「バランスがとれた食事」なんて言い出すからどんどんハードルが高くなる。
「こども食堂」だってそんなこと言ってるから月に1~2度しかできないんじゃないの?
フードバンクなどにストックされている食料を利用して、とにかく食べさせることを優先するくらいにハードルを下げればいいのではないかなぁ。
記事の後段になるともっと違和感はひどくなります。
キャンプ? 美術館・博物館? 旅行?
(引用開始)
夏休みやGWなどの休暇明けにはクラスの中で「キャンプに行った」「遊園地で遊んだ」という会話で盛り上がることでしょう。そこに入れない劣等感や疎外感を感じた場合、非認知能力のひとつで全ての力の基礎にもなる自己肯定感が著しく低下します。
(引用終わり)
非認知能力? 自己肯定感? 何言ってんの?
友達は遊園地に行ったことあるけど、自分は一回も親と行ったことない。そんなの普通にあるでしょ。
親に言ったって
「よそはよそ、家は家」
で終わりです。私は遊園地は幼稚園の遠足で行ったきり。親とは行ったことががないです。キャンプの経験もないし。
「子供の貧困」って何なの、って話です。
昔と今は違うっていうのも分かった上で言うのですが、問題は
「コンビニにいけばいくらでも食べ物があるのに買えない子」
「学校には行ってても給食費も払えない、遠足に行くときの交通費もない」
というような子どもなのではないでしょうか。
学校側で学びの機会を作るために博物館への遠足を企画したとしても、移動のための電車賃も払えなくて遠足の日は休まないといけない子がいたらそれは貧困です。
でも親がそういう場に連れていけるかいけないかは経済的な問題もあるし、親の労働環境もあります。
夜に働かなきゃいけない親は当然いるだろうし、祖父母の介護があって子どもと旅行なんていけない家庭もある。
それは貧困の問題もあるだろうけど、また別の話だし、そのことをもって「貧困だ、支援だ」って正直、
「よけいなお世話」
って気がしてならないのです。
この世界の全ての子供が、皆、バランスのよい食事を三食とり、親は昼間に働き、長期休暇には親とキャンプに行き、博物館や美術館にも連れてってもらい、旅行にも行く…
あまりにもお花畑思考なのでは?
私が言いたいのは、こういうことを言うから貧困問題って取り上げられる度に、
「俺の方がもっと困ってる」
という反発を招くんじゃないの?ってこと。
反発を招いてしまうと、本当に支援が必要な「長期休暇にやせてしまう子」への支援まで批判されちゃうでしょ。
貧困は本当に問題で社会的な支援が必要です。
けれど、どこに対してどのような支援が必要なのかはしっかり考えるべき。
発言する側はよっぽど気を付けないと。
とはいえ、私も自分自身の中の常識と「支援が必要な状態」を整理しながらこれを書いているのですが。
「貧困」とそれに対する「支援」を語るのはなかなかに難しいです。
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