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2019.04.23

異動

毎年この時期になると、若くして自ら命を絶った同僚のことを思い出します。

命日は5月12日。

東日本大震災の後、当時、私とその同僚は同じ部署で東北の復興支援の仕事をしていたのですが、同僚は4月の末で1年の任期が終わり、5月のゴールデンウィーク明けから元いた職場に復帰することになっていました。
12日は元の職場への初出勤の日でした。

遺書によると自殺の原因は仕事ではなかったようです。
本当の原因は分からないのですが、同僚は職場に迷惑をかけたくないとの思いからしっかりそのことを書き残していたと聞きました。

一緒に働いていた間もそんな素振りは全然見せなかった。
自ら命を絶つほど悩んでいたことがあったのに、誰にもそのことを話さないまま逝ってしまいました。
そのことがどうにも悔しく、悲しかったことを今でも思い出します。

私も異動を今まで何度も経験してきました。
今年は4月いっぱいで今まで所属していた部署を離れ、5月から新しい部署に移ることになり、溜まっていた不要な書類を捨てたり、必要なものをファイリングしたりしながら整理を進めているのですが、この作業をしているとこのタイミングを同僚が選んだ気持ちが分かるような気がしてなりません。

異動というのは不思議なものです。
それまで必死にやってきたこと、目指してきたこと、積み上げてきたものが全て目の前から消え失せます。
新しい部署ではまた新しい目標があり、新しい課題があり、それを必死にやっていくことになり、それは今までもこれからも何も変わらないはずなのですが、そう思ってみても、
「何かを失うような感覚」
がどうしてもしてしまいます。

もちろんそれは後任に引き継いでいくのだし、自分が担当ではなくなってもなくなるわけじゃない。自分はまた新たなことを覚え、チャレンジしていく。
それはサラリーマンであればみんなが経験してきたことだし、これからも経験し続けることで、何も私が特別なわけではないんですけど。

そこにゴールデンウィークの長い休みが挟まると余計に思ってしまうのかも。
ここで全て終わりにしてしまってもいいんじゃないか、と。

仕事でなくても同じなのかな。
人は、この世界に生まれ、成長し、その時々にいろいろな経験をし、恋をしたり、辛い思いをしたり、いっぱいいっぱいいろんなことを考えて 喜んだり、悲しんだりしながら生きています。
でもそれって、何か意味があるかというと、そのこと自体には特に意味はない。
自分にとっては大事なだけど、他人にとっては関係ないこと。

仕事はたくさんの努力やたくさんの苦労をしながら仮に結果を出したとしても、異動してしまえばそれは自分のものではなくなります。
それって「喪失」の感覚に他ならず。
がんばった経験は自分にとっては意味はあるけど、逆に言えば自分にしか意味はない。

私は、
「生きることには意味はないけれど、意味なんかなくても生きることはそれだけで楽しい」
と思って日々を生きています。
だから、異動で、今まで頑張ってきたことが自分のものではなくなり、残るのは「経験」という自己満足にすぎないとしても、そこで「死んで終わりにしたい」とは今は思いません。

漠然とした期待でしかありませんが、生きている限りは何かを失ったとしてもまた何か新しいものを得るのだろうという気持ちがあるからです。

何を得るかは自分次第なので、また明日も新たな何かを求めて生きていきます。

ただ…やっぱり異動ってね。
失うものの大きさを思い知らされるというか。
逆かなぁ。
自分が今まで必死にやってきたものがこんなにちっぽけだったということを思い知らされるせいかな。
その感覚がどうにも悲しいというか、切ないというか、やるせないというか。

きっと同僚もそんなふうに、異動のためにそれまで自分の住んでいた部屋を片付け、元の職場に戻るために身辺整理をし、いろんなことを思って過ごしたゴールデンウィークだったのだろうと。
その心中を思うとやっぱり涙があふれてきます。

また会おうね。
いつかきっと会おう。
私も命が尽きる時が来たらきっと行くところは同じだから、さ。
もうしばらく待っていてね。

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