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2019.05.01

祝 令和

 昨日と今日は、平成から令和への移行に伴う、皇室の行事のテレビ中継をがっつり見てしまいました。昨日の夜はプリンセス美智子様もドラマも見ました。

 政教分離だから、テレビで放映する際になるべく宗教色を失くすことが必要なのは理解しているのですが、直観的に私が思うのは、おそらく皇室の意義って、この国を何らかの人智を越えた祈りで守ることにあるのではないかってことなのです。

 おかしいかなぁ。

 もちろん、そうした祈りや願いが強制力を持ち始めたらまずいし、その力を利用しようとする者も出てくるから表向き「ない」ことにしないといけないのだろうけど、おそらく「天皇家」というのはそういう神職なのだろうと思うのです。

 神職が権威と結びつき、支配者としての性格を帯び始めることを、私たちが注意深く警戒しなければいけない理由は歴史が証明しているんだけど、権力と結びつくことを可能な限り避けている分には、天皇家は「国民の安寧」という祈りのためにこの国にあるのだろうと。

 私の洞察は間違っているかしら。

 いや、何が言いたいかというと、お祭りを楽しんだり、正月に初詣出にいったり、受験の合格を祈願したりするのと同じように、私たちはもっと天皇家のことを知りたいのに、天皇家が古来のしきたりに基づき、国の繁栄を願ったり、五穀豊穣を祈ったりすることを、どうしてもっとテレビでやってくれないのかということ。

 あの方たちは、天皇家に生まれたというだけで、私たちにある基本的人権さえも保障されず、自由に生きることが許されていない。

 雅子皇后や美智子上皇后は、天皇家に嫁ぐという形で自ら決断してあの世界に飛び込んだんだけど、男性はガチガチに縛られて、私たちの象徴であることを生まれながらに強いられてしまっている。

 もちろんある程度の自由は昔よりはあるし、自分がどんな天皇になるかも自ら選べるんだろうけど、ね…

 その自由と引き換えに、天皇家が日本のために何をしているのか、もっと私たちは知っていた方がいいんじゃないのかなぁ。

 そして時として、天皇家と一緒に何かを祈ったり、願ったりすることも必要なんじゃないだろうか。わざと隠されているんだよね。そして、誰もそれを教えてくれなければ知る機会さえない。

 今はネットがあるから、これからは知ろうとしさえすればきっとそれも不可能ではないとは思うんだけど。

 無理やり政教分離して批判を避けようとすることが不自然に感じられてならないわ。私たちも、いや私たちこそ、国の繁栄を願わなければいけない立場にあるというのに。

 願ったり、祈ったりすれば全て解決するのかと言われればもちろんNOだ。

 私たちは行動し、自らの国を自らの手で作っていかなければいけない。神はいないし、仮にいたとしても、私たちは神ではなく自分たちの手で自らの未来を選択する。

 けれど、時として天災はやってくるし、想定外の事故はどんなに備えたって発生する。

 傷ついて、それでも立ち上がらなければならないときもあるだろう。

 その時になくてはならないのが、願いであり、祈りなのだ。

 上皇はそのことをよくご存知であり、それこそが天皇家の役割だと知っていたからこそ、各地の被災地や戦跡を訪問し、慰霊の旅をされてきたんだろうと思います。

 多分…神様まかせにするのはいけないんだけど、全てが自分の力で変えられると思うのは人間の驕りなのでしょう。

 

 退位の昨日はずっと雨が降っていました。でも即位の今日は、即位後朝見の儀の頃、おだやかな光が差していました。

 新しい天皇陛下の即位と新しい令和の時代の到来を、今日は心よりお祝い申し上げます。

 

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