« April 2024 | Main

July 2024

2024.07.13

慌てて救急車を呼ばないで

6月に自宅で父の看取りを終えました。
父は自宅で緩和ケアを受けながら最期は眠るように息を引き取りました。
友人知人にそのことを伝えながらふと、これ…病院だったら点滴とか胃ろうとか延命措置が取られたのかなぁ?と考えていました。
延命措置についてネットで検索すると以下の記事を見つけました。
読んでみると少し違和感がありました。それもそのはず2018年の記事ですから今から6年も前の記事です。

「延命か自然な死か」家族に迫られる重い決断—終末期医療の現実
https://news.yahoo.co.jp/feature/1145/

裏付け等はないのですが、素朴な実感として2020年から2023年にかけての3年間のコロナ禍を経て、看取りの考え方も大きく変わったんじゃないかと考えています。
なぜコロナ禍によって看取りのあり方が変わったかというと、当時はコロナ対応のため医療機関が逼迫して「医療の質」をより厳選する必要があったからです。
加えて、コロナ禍の中で入院すると家族も面会ができずそのまま亡くなるということもありました。
救急車が来ても受け入れてもらえる病院がなく、それ以前に救急車も間に合わず自宅で亡くなったというニュースも後を絶ちませんでした。

つまり…病院で延命治療など手を尽くした上で亡くなるということがコロナ禍を経て「当たり前」ではなくなり、自宅で自然に息を引き取ることが当たり前になったのではないか、と。
6年前だとコロナ禍前。つまり6年前は記事のような状態が当たり前でしたが、今はもう違うように感じます。

もちろん地域差はあるでしょう。
私の父の自宅は、東京の隣県のベットタウン、人口40万人超の市にあり、地域には高齢者も多く、訪問医療、訪問看護、ケアマネージャーなども相応に地域で活動しているような地域です。

がんになった高齢者が全員入院できて、従来のような延命治療を受けて永らえるような余裕はおそらくないのではないかと。それが悪いわけではありません。だからこそ父は意味のない延命治療を受けることなく穏やかに逝けたのですから。


ただ記事を読んでいると家族の立場として頷けることがいくつかありました。
特に父と一緒に暮らしていた母のうろたえようを見ていたので、容態が変わった時に救急車を呼んでしまう家族の気持ちはよく分かります。
自力で食べることも飲むこともできなくなった人を目の前にしてやっぱり家族としては
「このままでいいのか?」
と思うんですよね。母もよく言っていました。「訪問看護が来ても何もしてくれない」と。
私自身は死んでいく人というのはそうなるものだから、無理に食べさせたり、飲ませたりしなくていいと、ある意味「達観」していたんですが、母は「食べられなくてかわいそう」「水を飲めないのでは薬も飲めない。飲まなきゃ死んじゃう」と必死になって食べさせよう、飲ませようとしていました。

父が亡くなったのが「今」でよかったと私は思っています。
自宅での看取りに関して私自身はほぼ違和感はありませんでした。
人の「死」は人それぞれで何が正解かなんてありませんが、少なくとも父自身はやはり延命措置をされて母に負担をかけながら永らえることは望んでいなかったと思います。
肺がん末期になるとかなり苦しいという話も知っていたので、その前に命尽きた方が本人のためでもあると私は思っていました。冷たいかなぁ。

母も、父が亡くなった後は自宅で看取れてよかったと言っていました。
父もそれを望んでいただろうとも。

これからの死はこれがスタンダードになるだろうと思います。
…まあ私自身は、平均寿命前に病気になったりしない限りは、長生きしてしまって係累が誰も居なくなり、誰も看取ってくれる人がいなくて、自宅で誰にも知られず亡くなるケースだろうなと思っていますが。

火葬とか死亡届とか骨を市営墓地の合葬墓にもっていくとかそういう手続きはどこかに委託しとかないとなぁ。

合葬墓も増えているみたいですね。散骨でもいいし。
というか、父を看取ってくれた母は父の再婚相手で、お墓には病死した私の母、つまり父の元妻も入っているため、自分が亡くなったら一緒にその墓に入るのは抵抗があるそうです。そりゃそうだ。なので、いずれは私が父の墓も墓じまいして、合同墓に納めるなり散骨するなりしないといけないわけで。
自分の死ぬときの話よりもまずはそこからか。

時代はどんどん変わるので、いずれは墓の話ももっと簡単に解決するようになっていくのかもしれません。

 

| | Comments (0)

2024.07.07

父が肺がんになった(最終回)

 肺がん闘病中だった父が6月27日に亡くなりました。83才でした。

 当ブログでは「父が肺がんになった3」で記事にしていますが、2月の「3」のときは本人、まだ元気であと余命わずかなんて言われても全然ピンときていなかったんですよ。

 4月に無事、桜も見られたのですが、5月に入り次第に足の筋力が衰え通院もつらくなってきたので、本格的に緩和ケアに移行することになりました。それが6月の初め。

 私はてっきりガンの末期といえば「ホスピス」という専門の医療施設で過ごすのかと思っていたのですが、近くの緩和ケアの病院もあるにはあるもののずっと入院をするということは想定されていないとのことで、とりあえず入院も視野には入れつつも自宅で在宅医療を受けることになりました。幸い、母が地域のケアマネージャーさんと知り合いだったので、その方を通じてベッドなどをレンタルし本格的に自宅での療養が始まったのですが…

 6月に入ったら急に日を追うごとに弱ってきて、それでも何とか自分でトイレにはいっていたのですが、最後の1週間は自分でベッドから起き上がれなくなり、おむつをあてていました。その状態で長く寝たきりになる人もいるしな…と覚悟してたら、結果的にはそれから1週間ほどで亡くなってしまいました。

 最後は食べたり飲んだりもしなくなり、意識も「せん妄」状態ではっきりせず、まだ起き上がれるときに一人でトイレに行こうとして転んで腕を骨折したりして、このままでいいのか、入院させた方がいいのでは、と付き添っていた母と悩んでいたんですが…

 看取りが難しいな、と思ったのは終わりが明確に分からないこと。

 6月26日に、医師は「あと2日」と言っていて結果的に亡くなったのは翌日でしたから、医師の見立てどおりだったんですが、私から見ると27日の朝は意識も少し戻り、骨折した腕なのか、がんの影響で他の部位なのか、かなり苦しそうにしていました。その様子は数日前と変わらなかったので、この状態がまた1週間くらい続くのかと思ったんですよね。居合わせた看護師さんもそうおっしゃっていて、とりあえず痛みをとるための座薬を取り寄せて下さり、薬が効いて落ち着いて眠ったので、一安心して私はいったん実家から自宅に戻ったところ…その間に息を引き取りました。分かっていたら付き添っていたんだけどなぁ。

 死に目に会えなかったのを残念ではないと言ったらウソになるんですけど後悔はありません。

 最後はそのまま眠るように逝ったようなので何よりで。肺がんの末期ってかなり苦しむと聞いていたので、安らかに逝けてよかった。

 …看取りは昔と違うのですねぇ。昔だったら、食べられなくなったり、飲まなくなったりしたら胃ろうとか点滴とかいろいろしたのかもしれませんが、自宅での看取りだったこともあり、そうした措置もなく。自分もこうやって死ねたらいいなと思ってしまうほどです。

 通夜と告別式が7月3日と4日にあり、明日から私の日常が戻ってきます。

 母が亡くなった時もそうだったんですが、血のつながった親だからか、亡くなっても「いなくなった」感じは全くしていません。遠くに今もいて、連絡したければいつでもできるような。元々、別々に住んでいて、電話とかもマメにしない父と娘だったので、今もどこかにいて見守ってくれているような気がしているのでさみしくないんだよな。

 娘は娘で自分の生を全うするから見ていてね。また何十年後かに会いましょ。

| | Comments (0)

« April 2024 | Main