父が肺がんになった(最終回)
肺がん闘病中だった父が6月27日に亡くなりました。83才でした。
当ブログでは「父が肺がんになった3」で記事にしていますが、2月の「3」のときは本人、まだ元気であと余命わずかなんて言われても全然ピンときていなかったんですよ。
4月に無事、桜も見られたのですが、5月に入り次第に足の筋力が衰え通院もつらくなってきたので、本格的に緩和ケアに移行することになりました。それが6月の初め。
私はてっきりガンの末期といえば「ホスピス」という専門の医療施設で過ごすのかと思っていたのですが、近くの緩和ケアの病院もあるにはあるもののずっと入院をするということは想定されていないとのことで、とりあえず入院も視野には入れつつも自宅で在宅医療を受けることになりました。幸い、母が地域のケアマネージャーさんと知り合いだったので、その方を通じてベッドなどをレンタルし本格的に自宅での療養が始まったのですが…
6月に入ったら急に日を追うごとに弱ってきて、それでも何とか自分でトイレにはいっていたのですが、最後の1週間は自分でベッドから起き上がれなくなり、おむつをあてていました。その状態で長く寝たきりになる人もいるしな…と覚悟してたら、結果的にはそれから1週間ほどで亡くなってしまいました。
最後は食べたり飲んだりもしなくなり、意識も「せん妄」状態ではっきりせず、まだ起き上がれるときに一人でトイレに行こうとして転んで腕を骨折したりして、このままでいいのか、入院させた方がいいのでは、と付き添っていた母と悩んでいたんですが…
看取りが難しいな、と思ったのは終わりが明確に分からないこと。
6月26日に、医師は「あと2日」と言っていて結果的に亡くなったのは翌日でしたから、医師の見立てどおりだったんですが、私から見ると27日の朝は意識も少し戻り、骨折した腕なのか、がんの影響で他の部位なのか、かなり苦しそうにしていました。その様子は数日前と変わらなかったので、この状態がまた1週間くらい続くのかと思ったんですよね。居合わせた看護師さんもそうおっしゃっていて、とりあえず痛みをとるための座薬を取り寄せて下さり、薬が効いて落ち着いて眠ったので、一安心して私はいったん実家から自宅に戻ったところ…その間に息を引き取りました。分かっていたら付き添っていたんだけどなぁ。
死に目に会えなかったのを残念ではないと言ったらウソになるんですけど後悔はありません。
最後はそのまま眠るように逝ったようなので何よりで。肺がんの末期ってかなり苦しむと聞いていたので、安らかに逝けてよかった。
…看取りは昔と違うのですねぇ。昔だったら、食べられなくなったり、飲まなくなったりしたら胃ろうとか点滴とかいろいろしたのかもしれませんが、自宅での看取りだったこともあり、そうした措置もなく。自分もこうやって死ねたらいいなと思ってしまうほどです。
通夜と告別式が7月3日と4日にあり、明日から私の日常が戻ってきます。
母が亡くなった時もそうだったんですが、血のつながった親だからか、亡くなっても「いなくなった」感じは全くしていません。遠くに今もいて、連絡したければいつでもできるような。元々、別々に住んでいて、電話とかもマメにしない父と娘だったので、今もどこかにいて見守ってくれているような気がしているのでさみしくないんだよな。
娘は娘で自分の生を全うするから見ていてね。また何十年後かに会いましょ。
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