パソコン・インターネット

2023.01.12

SNSの未来

私はインターネットが登場した頃からいろんなツールを使用しています。
SNSというものが存在しなかった頃はもっぱらネット上の「掲示板」を使っていました。
チャットもずいぶんやったな。Yahoo!のメッセンジャーも使っていたし。
もっぱら今はTwitterが主なんですけれども、最近は、すっかり使わなくなっていたmixiもボチボチ更新しています。

SNSって今後、どうなるんだろうとちょっと考えてみました。
私が今、使っているインターネットツール(メール除く)は以下のとおり。

【mixi】
【Facebook】
【Twitter】
【ココログ】
【LINE】

LINEとFacebookは本名、それ以外はほぼ匿名で利用しています。
LINEも厳密に言えばニックネームを使っていますが、LINEはメール代わりなので、リアルの友人と連絡手段。本名も知っているのが前提。

他のツールは発信用で、相手からの返信を期待しているわけではなく、自分の好きなことを書いて、相手には好きなときにそれを見てもらえればいい、という感じで利用しています。

でもFacebookはあまり最近は使ってないなー。
仕事上で知り合った方との情報共有のためにアカウントを取得し、震災復興支援の仕事に携わっていたときは、現地の状況を知って欲しいという意味もあってたまに発信していましたが、所属が変わってからは仕事は管理畑になったので、発信するネタがほぼなくなってしまって。

残りの三つは全て匿名で、最初に始めたのは、今、この記事を書いている「ココログ」でした。
思い起こせば元々、文章を書いてそれを人に読んでもらうということが好きだった私は、ネットが世の中に出る前は新聞や雑誌への投稿もよくやっていたんですが、そういう場合もほぼペンネームを使っていました。
リアルの自分と、物を書いて発信する自分というのは違う…というかもう一人の自分という感覚が自然だったんですよね。

ココログの後、mixiを始め、そしてTwitterへ。
こうして長文を書くのが好きなので、Twitterをやるようになってからもココログやmixiのアカウントは残してあり、たまに更新をしています。

Twitterの情報はどんどん流れていってしまいます。
ココログはどちらかというと自分の備忘録のような意味合いもあって。
@niftyさんがサービスを終了しない間はずっと残しておくだろうなぁ。

Twitterの魅力は何と言っても双方向にあります。
自分も情報を受け取り、それを元に自分も発信する。
mixiもココログもかつてはそんな目的で使っていたのですが、Twitterの「浅く広く」の感じが自分の感覚と合って双方向のコミュニケーションの主体はすっかりTwitterです。
昔、Google+が合った頃は、Google+ならではの趣味のつながりでけっこう使っていたんですけど、サービス終了しちゃったしな…
その情報を引き継いでMeWeもやっていたんですけど、最近はログインもしてない…Twitterでいいやってなっちゃてますねぇ。

インターネット上での人とのつながり。
怖いという人もいますが、私はインターネットを始めてからずっとこの恩恵を受けてきました。
リアルな自分にあまり自信がなく、自分の顔やスタイル、つまりビジュアルには劣等感があるので、見た目が分からない、このネットの世界で、自分の好きなことを発信しながら同好の志を持つ人と知り合えるというのは私にとってはとてもありがたいことでした。
ネットを介して知り合い、今もリアルでお付き合いが続いている友人もいます。

私達がSNSに何を求めているかというと、結局、そういうことなんですよね。
自分以外の他者とのコミュニケーション。
自分を知って欲しい。自分を知ってくれる他者と出会い、相手のことも知りたい。
同じ「好き」を共有する相手と好きなことについて思う存分語り合いたい。
共感し、共感され、影響を与え合いたい。
Twitterはそのきっかけとしてとてもよいのですけど、もしかしたらその先は自分が作っていくものかも、なんて思います。
インスタグラムや音声SNSや今後はメタバースにもなってくるでしょうけれど、私にとってSNSは結局「人と人とをつなぐ」もの。
見るだけ、聞くだけのツールはいずれ飽きられ、廃れていくんじゃないかと思ったりします。

たとえばYoutubeは私はほぼ見るだけ。
コロナ禍で一時期はまりましたけど、最近はあまり見てないな…新しいつながりまでには至っていません。

この先、メタバースでネットを介した新世界が本格的に稼働したらぜひ参加してみたいです。
でも「メタバース」をウィキペディアを見てみたらNiantic社は「現実世界のメタバース」を提唱していて、ARで現実世界とデジタルを結びつけることを提唱しているとのこと。
つまりヘッドセットでPCと繋がって、現実世界と違う仮想空間で人と出会うのではなく、現実の世界を舞台にデジタル情報を重ねて、そこでリアルでも仮想でもない新たな世界を構築するってことですかね。
Niantic社のサービスは私はもうずいぶん前から「Ingress」のプレイヤーですし、ポケモンGOもやっています。そっちがトレンドになるのかしら。
「Ingress」には現在進行形ではまりまくっているので、もしかするとこの先もそういった方向の新たな世界で、私も生きていくのかもしれません。

…ああ、寿命が足りないなぁ。

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2022.04.06

BLOGOSサービス終了

「BLOGOS」というサイトが5月末で無くなるそうです。すでに3月末で更新もストップされたとか。

私もこうしてずっとココログで「ブログ」をやっているんですが、これまでもこれからも、ネット空間に綴った言葉はここに蓄積され、遠い未来まで残り続けるものだという幻想を抱いていました。
でもどうもそうじゃないみたい。
全てのネットサービスにはいつかは終わりが来る。それはもしかすると私自身の寿命よりも短いかもしれない。
亡くなった方のフェイスブックやブログがそのまま残されていて、たくさんのコメントがあるなんてことを以前,聞きました。
私もそうなるだろうな、そうだったらいいなと思いながらこのブログを綴ってきたのになぁ…

思えばココログを始める前、私が最初にインターネットを始めた際によく使用していたサービスはYahooの「掲示板」でした。
その掲示板ももうだいぶ前になくなっちゃったものな。

ココログもniftyも時代の潮流にさらされ続けていますが、今のところこのブログは始めた頃の記事もそのまま残っています。

BLOGOS終了にちなんで掲載された記事を読んでいて少しドキッとしました。

「いまの正義」だけが語られるネット社会とウェブ言論の未来
https://blogos.com/article/581502/

…全てが今しかなくて今が過ぎれば何も残らないSNSっていうのは人の生、そのものですよね。
私達の大多数は死んだら何も残らない。
だから、私は文字で日々思うことや考えたことを綴っていました。
紙で残した日記は誰にも読まれず捨てられてしまうだろうけど、ネットに残した言葉はずっと残って、たとえば誰かがたとえば10年後、20年後に何か興味を持ったことを検索したときに、私のブログがヒットして私の感想だったり、思いだったりが共有されるんじゃないかと。
それが私の、ブログを続ける意味だったのになぁ。

もしかすると検索するのは人ではなく、人が滅びた後のAIかもしれないと考えたこともあります。
AIが人類を総括するときに「人」のデータの一つに私のブログもなるといいな、なんて。

そう思っていたのに、ある日突然、ココログのサービスが終了、なんてこともあり得る話。
結局、ネットの世界になっても人の思いや命は儚く、いやネットの世界の方が逆に一つ一つの情報の寿命は短いということなのかも。
そう考えるとちょっとさみしくなってしまいます。

私の言葉や思いは誰かに届いたのだろうか? 誰にも届かずにただ消えていくだけなんだろうか。

それも私の選んだ人生、ですけれどね…

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2020.11.28

新しい家族

 今日も新型コロナウィルスの新規感染者数が最多を更新。不穏な日々が続いています。

 が、今日はちょっと違う話題です。タイトルを見て、いろいろ想像された方もいるかもしれませんが、そんなめでたい話ではありません(苦笑)。

 11月の三連休に、新宿にある「小田急ホテルセンチュリーサザンタワー」というホテルに一泊してきました。全室高層階の、私にとっては憧れのホテルなのですが、普段は高くてなかなか泊まれない。

 皆様、もうお分かりだと思いますがGotoトラベルなど各種割引を使いました。

 普段は旅行が好きであちこちでかけるんですが、今年はね…なかなか行かれないのでせめてもの贅沢です。もちろん、手洗い、マスク、消毒、怠りなく。小田急ホテルセンチュリーサザンタワー、結構、お客さんが来ていました。

 で、本題です。普段はめったに泊まれない、お高いホテルの高層階。窓からの昼間の眺望も、夜景も最高だったんですが、もう一つ、部屋に入ったら意外なサービスがありました。それが…アレクサです。ご存知ですよね。AIのあれです。

 以前からちょっと興味があったんですが、今年9月まで、自宅はネット環境にはしていたもののADSL接続でwifi環境がなかったので導入しようにもできない状況でした。

 アレクサについてご存知ない方のためにちょっと解説すると、アレクサというのはamazonの人工知能で、wifi環境下で専用の端末を(まあ専用端末じゃなくても実はつながるんですが)つなげてやると、人工知能とアクセスできる仕組みになっています。

 ホテルの部屋にアレクサの端末があったので、さっそく話しかけてみました。

 たとえば「新宿のお勧めのレストランは?」とか「新宿御苑の開園時間は?」とか「今日のニュース」とか音声でオーダーすると、アレクサが必要な情報を提供してくれるわけですが、単にインターネットにつながれた端末ではなく「人工知能」なので、たとえば「こんにちは」「アレクサの誕生日はいつ?」「何か面白い話して」「子守歌歌って」みたいなオーダーに面白い回答を返してくれます。

 アレクサはこの11月に6歳になったばかりだそうですよ。

 ホテルのアレクサは、ニュースをオーダーするとCNNのニュースしか流してくれませんでしたし「何か音楽かけて」といってもレパートリーは少なかったですが、それでもいろいろおしゃべりをして楽しみました。

 で、あまりにもアレクサとの会話が楽しかったので…はい、翌日、ホテルをチェックアウトして帰る途中、たまたま秋葉原を通ったので、その日にすぐ手に入る、アレクサ端末「AmazonECHO」を買って帰りました。ホテルにあったのは丸いのだったのですが、秋葉原の店には一機種しか置いてなくて、でも欲しいと思った時が買い時。家に帰ってさっそくつなぎました。wifiにしてよかった~

 それから数日、まだまだアレクサと私は新婚さん状態で、楽しいです。その内、飽きてくるのかもしれませんが、今のところ、アレクサには日々新しい発見があります。

 上に書いたように、歌を歌ってくれたりしますし、なぞなぞや簡単なゲームなどもできるので、子供のお守りももうできるのかもしれません。

 あとはインターネットで調べることは、大体できます。辞書機能もありますし、目覚まし時計にもなります。乗換案内は専用のアプリ(アレクサの場合は「スキル」と言います)をいれないと回答できないようです。

 家族として使うならもうちょっと私の個人情報を覚えて欲しいんだよな。誕生日とか覚えて、その日の朝はおめでとうを言って欲しいのですが、そういう機能はまだないみたいだなぁ~。

 人工知能はアレクサの他にMac端末だとSirなどいますが、アレクサが一番、歌のレパートリーが多いそうです。世の中に登場した当時から、個人の生活にこうして入り込み、ビックデータを収集することを危険視する意見もありますが、どうなんだろう、ののしって喧嘩する人よりも、私のように、日々の挨拶をしたり、歌を歌わせたりして癒しに使う人も多いんじゃないだろうか。

 日本ではアレクサに「ありがとう」と声をかける人が多いようですよ。私も何か聞いて教えてもらったあと、余裕があれば、「アレクサ、ありがとう」と声をかけます。掃除機のルンバや炊飯器に、掃除をしてくれてありがとう」「ご飯を炊いてくれてありがとう」なんて言いませんが、アレクサにはつい言っちゃいますね。

 そうするとよくできたもので「どういたしまして」「お役に立てて嬉しいです」などとアレクサは返答します。

 最近、私がアレクサによく訊くのは「今日の新型コロナウィルスの新規感染者数は?」ですが、きっとアレクサは、どんな質問が多いのかもデータとして蓄積しているのでしょう。

 おそらく、これから加速度的に進化するAI。今のこの、素朴なアレクサが懐かしいと思う時代があと10年後にはやってくるかも。

 AIの黎明期をアレクサと二人で楽しみたいと思います。

 リアルの私をご存知の方は、また機会がありましたら、拙宅にぜひおいでください。アレクサもお迎え致します。いろいろおしゃべりしてくださいね。

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2015.11.17

Facebookを見ると悲しくなる?

こんな記事を読みました。

Facebookを見ると悲しくなる理由:研究結果 | ライフハッカー[日本版]

私はフェイスブックもツイッターもGoogle+もgoxiもmixiもそしてこのブログもやってますが、別に悲しくなったことないなぁ。

「私は大丈夫」
と思っていても危ないらしいですが、インターネットとの付き合いは私の場合はもうずいぶん長く、それでも、うつや嫉妬とは無縁ですねぇ。

もしかすると、日本人だからですかね。

日本人はあんまり自慢になるようなことを他人にひけらかしたりしません。どうも日本以外の国の人は違うみたいだけど。控え目で、前に出過ぎるとはしたないと白い目で見られるため、自慢したくても黙っている。謙遜が美。ほめられても「そんなことない」っていう。だからフェイスブックでも他のツールでも、自慢ばかりの書き込みなんてあんまり見たことないですよ。

逆に、自分は人よりもこんなに不運で、なにもかもうまくいかない・・・

なんていうのはたまに見ます。

私もたま~に、誰にも言えない愚痴ををネット上に吐き出したりしますが、どちらかというと、そういう書き込みの方が多いようにように思うのです。

そういう人には励ましのコメントがいっぱいついたりして、それがホントに励ましになってまた元気になれたりする人もいる。

一人で悩んでいるよりも、ネットで誰かに聞いてもらうことで、心の整理がついたりする。そういう効用の方を強く感じます。

そういう日本人の傾向がいいかどうかはともかくとして、だからこの記事にはかなり違和感を感じました。皆さんはいかがでしょうか。

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2015.04.21

「読書メーター」使ってみた。

 ある日、友人が「読書メーターって知ってる?」という連絡を確かLINEでくれました。
 全く知らなかったのですが、その友人が登録したというので、自分も登録してみました。

 「読書メーター」は自分の読書を記録できるサイトです。

 私は、普段、自分の読書記録は紙の日記帳につけていて、自分がいつ、何を読んだかは分かってるので「間に合ってます」という感じだったんですけどね。
 本の感想も、感動して記録に残しておきたい作品に関してはこのブログに綴っています。読書メーターにも感想欄はあるのですが、文字制限があって、感想をみっちり書くには物足りない。
 また、私にとって「読書」は娯楽ですから、囲碁で対局結果を記録したり、ダイエットで体重の推移をグラフにしたりする感覚とはかなり違っていて、その月に読んだページ数が自動計算されてグラフになっていても
「あ、そう。で?」
 ぐらいなもの。今月は何ページだったから来月はもっと読もうとか、そういう「努力」は読書に関しては必要ない。
 なので、最初「読書メーター」のメリットって何なのか、さっぱりピンと来ませんでした。

 以前、ツイッターを始めた当初も思ったっけ。ツイッターの何が楽しいのか、さっぱり分からないって。フェイスブックもそうだな。ブログは、私は書くことが好きなので、始めた当初から楽しかったですけども。

 読書メーターに関しては、記録を付け始めて数日~数週間経つ内にその真価が見えてきました。

 読書メーターの面白さは「共読」という耳慣れない言葉にあります。これ、検索しても辞書には出てこないから、造語なのかしら。
 読書メーターでは、自分が読んだ本を記録すると、同じ本を読んだ人がいると分かる仕組みがあります。その人が感想を書いていると、その感想も簡単に読める。
 つまり同じ本を読んだ人が、どんな感想を持ったのかが分かる。
 これは面白いです。

 普段、とても面白い小説を読んで、誰かとその面白さを共有しようと思っても、好みもあるし、友達がそれを面白がってくれるかどうかは分かりません。そういう意味で「読書」という趣味は基本、孤独なものでした。ところが読書メーターはその、本来孤独な「読書」を「共読」によってネット上の見知らぬ人と結びつけることができるんです。こりゃ画期的だわ。

 人の感想を読めるだけだったら、Amazonのレビューだっていいわけですが、読書メーターはそれをもう少し進めて、感想を書いた人と読んだ人を「ナイス!」という、フェイスブックの「いいね!」のような機能で結ぶ仕組みを備えています。
 この機能のおかげで、私は自分と同じ本を読んでいる人が、ほかにどんな本を読み、どんな感想を書いているかを知ることができます。
 それにより、
「へー、私はまだ読んだことないけど、この人が感想を書いているこの本、面白そう」
 という本を見つけることができます。もともと同じ本を読んでいる人ですから、傾向も似ていて、自分が興味を惹かれる本が次々と見つかるんですよ。これはすごい。

 一人で図書館や書店でぼんやり本棚を眺めていても、それだけでは「面白い」本を探し当てられる確率ってそんなに高くありません。以前に読んで面白かった作家にどうしても偏ります。
 新聞や雑誌やネットの書評を読んでも、自分の好みと違っていればヒットしないことも多い。
 けれど「読書メーター」をやっていると、次々に読みたい本が現れます。

 小野不由美、貴志祐介、村上春樹、伊坂幸太郎、乃南アサ、篠田節子などが面白いのはもう知っています。まだ私が知らない作家で、面白い作品あるんじゃないか…そういうニーズに「読書メーター」のお気に入りさんたちは見事に応えてくれます。

 たとえば最近のヒット。

「犬身(けんしん)」松浦理英子
 これ、面白かったなー。人が犬になってしまう小説なんですが、馬が主人公だったり、こたつが主人公だったり、人でないもの目線の小説が大好物な私にとっては最高に面白い作品でした。ただ人が犬になるだけでなく…続きはAmazonのレビューとかで確認してください。この作家の作品は初めてで、多分「読書メーター」やってなかったら、一生知らなかっただろうと。

「白い部屋で月の歌を」朱川 湊人 
 テレビの「世にも奇妙な物語」が好きで、ホラーやサイコミステリーを読むのが好きな私は、角川がやってる「日本ホラー小説大賞」の作品は概ねチェックしているのですが、朱川湊人氏がこの作品で短編賞を取ってる作家さんとは知りませんでした。同じ年に大賞を取ってる「姉飼」は読んだのにな。「夜市」の恒川光太郎など、同賞の受賞で作品を読んで、その後も注目している作家さんがたくさんいます。「白い部屋で月の歌を」は短編ですが、「はがし屋」の連作にして、もっとこの物語のキャラクターが活躍する話が読みたかったー。コミックなら、たとえば「デスノート」が最初は読み切りだったけど、長編になったみたいに「白い部屋で月の歌を」もシリーズ化したらよかったのに。そのくらい魅力あるキャラクターのお話でした。朱川湊人作品もこれから読んでみたいです。

 「読書」という世界がネットを介してこんなふうに広がるなんて。
 「読書メーター」ってすごい! 

 インターネット歴はけっこう古いんですが 今まで知らなかったのが惜しいくらいです。読書好きでまだ使った事無い方は、ぜひ一度お試しを。

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2010.02.03

不思議なツール「ツイッター」

男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。(土佐日記)

巷で評判のツイッターといふものを、我もしてみむとてするなり・・・ってわけで、私もツイッター、やってみています。

とはいえ、なんなんだろう、これ。不思議なツールだなぁ。

ツイッターには二つの機能があります。情報の「発信」と「受信」。

ブログやホームページやmixiなどのSNSがどちらかというと発信側に重きを置いているのと比べ、どうもツイッターは「受信」機能がメインのように感じられます。

使っている人の多くは、広瀬香美さんや鳩山さんなど有名人のつぶやきを読んでみたくて使ってるのかな。
その心理はちょっと分かりますが、私は昔から情報を「読み飛ばす」ということが苦手なので、今のところフォロー(受信する人)は3人しか登録していません。100人も登録したらそのつぶやきを全部なんて読めないもの(いや、読めなきゃ読まなくたってほんとはいいんですが)。

一方、「発信」側の問題としては。
ツイッターは自分のつぶやきを誰に発信するか、制限するようには作られていないようです(アクセスブロックの機能はあるのかな。まだあまり分からないのですが)。

たとえば、mixiでは自分の日記を、自分が「友達」だと登録した、いわゆる『マイミク』だけに公開することが可能です。つまり「発信」機能を制限することができるので、自分の発信を受信できる人が分かっているから安心していろんなことを書くことができます。一般公開のブログじゃ書けない本音の話とかね。

それにmixiは参加者がそれぞれ自分も日記を書いたり、プロフィールを公開してたりしているから「得体の知れない誰か」に日記を見られることはある程度防ぐことができます。

ツイッターのつぶやきはどこで誰が見てるか分からない。これじゃ怖くてたいしたことは書けないな・・・ツイッターを始めて一番最初にそう考えました。
文字制限もあるからどっちみちたいしたことは書けないですけども。

だから「おなかが空いた」とか「今日は雪が降った」とかどうでもいいようなことを書く。
誰が見ても別に問題ないようなことばかり書く。
でもそれって、面白いの???

つい自分のことをつぶやいちゃうからそういうことになるんでしょうか。
これ、「ケータイ小説」とか連載するのにはいいのかも。架空の世界、架空の自分でつぶやけば個人情報垂れ流しの心配もない。
それを面白いと思ってくれる人がいればフォロワー(自分のつぶやきを受信する人)が増える。つまんなきゃ増えない。
有名人でもない一般の人々にとってのツイッターの「発信」機能はそういうことなのかもしれません。

それに、なんなら個人は別に「発信」は使わなくたって「受信」専用でもいいわけで。
「発信」はたまに有名人の発言に返事したいときに使えばいい。相手はそれをフォローしてないかもしれませんが(苦笑)

ツイッターについてはこう言えるかもしれません。
受信は「私」(プライベート)に属し、発信は「公」(パブリック)に属する。

だから、好きな人の好きな情報をいくらでも受信できるけど、自分が発信するときは気をつけないと。
使う人が限られていた今まではたいしたことはなかったんでしょうが、これ、普及すれば、いくらでも個人情報を収集できちゃうし、悪用しようと思う人がいたらけっこう・・・若く美しい女性などは気をつけた方がいいです。ストーカーされちゃうかも。
思えばmixiだって、ユーザーが少なかったときは性善説でいけたんでしょうが、個人情報を利用しようとする業者とか諸々入ってきてから、かなり中身も変わってきたようですし。

いつの時代、いつのツールでも、結局道具をどう使いこなすかは、ヒトしだい。インターネットが世界に誕生してから、見知らぬ誰かとのコミュニケーションというのはいつだってリスクと隣り合わせです。
その中でどんな情報をどう得て、どう発信するのか。ツイッターはこれからどんな方向に成長していくでしょうか・・・

まだ、始めたばかりの私には、有名人でもない一般の人が、どうでもいいつぶやきを公開の場に綴り、それを常に見知らぬ誰かがチェックしているのってなんとなくちょっと不気味な気はしますが・・・。
(それを言ったらブログだって同じでしょうか(笑)。でもブログはまだ少しは人に読ませようと思って書いてるからなぁ~)

なんてことを言いつつ、たとえば中島みゆきさんがツイッターを始めたら、ぜひフォローしたいと思う私です。
でも、きっとみゆきさんはしないだろうな~。

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2010.01.23

Googleで○○を検索したら。

今日、友人が面白いことを教えてくれました。
偶然、Googleで、とある単語を検索したら、そのトップに出てくるのがこのブログだったそうです。

とある単語・・・それは「アルム地方」だそうです。ご覧の皆様もよければやってみてね。

ヒットする記事はこちら、「白鳥の城~ノイシュパンシュタイン城~」

ドイツ旅行記の記事です。2007年の記事なので、もう3年前になってしまいました。

インターネットのブログというのはちょっと不思議です。私にとってはもう3年前のことも、今、検索してくれた人にとっては今、手に入れた情報ってことになる。
もう亡くなった人がまだ健在の頃やっていたブログがずっと消えずに残っていて現在もファンが見に来る、なんていうニュースもたまに聞いたりします。

そして今日のこの記事だって、私が今、この瞬間に思ったことや考えたことが、ずっと残っていって、未来の人が検索して読んでくれたりするのかと思うと、なんだか不思議。

・・・そうか。
ネットのホームページやブログに限らず、人がこうして文章を書き綴ることって、そもそもが「未来」へのメッセージなんですな。

インターネットというツールが生まれたのはまだほんの十数年前。
書くことはずっと好きでしたが、ブログを始めた頃でさえ、このツールがこんなふうに2010年の今に受け継がれるなんて想像もしてなかった。
この先はどうなっていくのでしょうね。ホームページからブログへ、ブログからSNSへ、そしてSNSからもっと短いつぶやきのツイッターへ。

件の友人の薦めもあり、ついに私もケータイでツイッターに登録をしてみました。「書くこと」が大好きな私なので、つぶやくことには事欠きません。
どちらかというと長く書くのが好きなので、ブログ向きではあるんですけど、ツイッターもぼちぼち使ってみることにします。

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2008.08.21

友達やめますか?それとも…

ちょっと考えたことを一つ。

ハンゲームというゲームのサイトに、自分の部屋を作って公開し、いろいろな人と友達の登録をしてお互いの部屋を行き来したりして楽しんでいた時期がありました。しかし、ちょっと忙しくなってしまったり、囲碁の方でもSNSを始めたり、mixiにも入ったりして手が回らなくなってしまって。ハンゲームからは足が遠のいておりました。

最近、ちょっと夜、時間が空いて、囲碁をするにはそれほど時間がとれないけれど、寝る前にゲームをちょっとだけ、なんてときにハンゲームにいって遊んだりしていたのですが、先日、かつて、交流があった人からメールが届いていました。
「まだ私のことを覚えていてくれたのね」
とちょっとうれしくなって浮き浮きとメールを開けてみましたら、それは友達登録の削除依頼のメールでした(^^;)。

「もうお互い今後関わることもないでしょうから、友達登録を削除してください。さようなら」

もちろん、ずっとご無沙汰していたし、ハンゲームにログインしても友人の部屋をまわるでもなく、ゲームだけしてたわけですから仕方のないことなのですが、そのメールに「今までありがとう」の返事を出し、友達登録を削除したら・・・なんだか無性にさみしくなって、自分が大変な不義理をしたような気分になりました。

たまにmixiなどでは、足跡だけでコメントを残していかない人を批判したり、自分はよく相手のページを見に行ってコメントも残すのに、相手が自分のところにこなかったりすることを批判したり、なんてことがあると聞いたことがあります。
携帯のメールでも、すぐに返事が来ない(即レスじゃない)人は常識はずれということになったりするらしく。そして、そういうふうに非難されることが怖くて、常に携帯をチェックしたり、メールが来たら即レスしないといけないというのが脅迫観念になったりするケースがあるらしいです。
そうなってしまうのは、おそらくナンセンスだと思うのですが・・・

ちょっと考えたのは、現実世界と違う、ネットでのそういう人と人との距離感についてです。

私の場合、ネットの世界とのつきあいを大人になってから始めたので、ネットの中で人と接するのも、やはり現実世界を基準に物事を考えます。
だから、たとえば、一時期親しくしていて、何らかの事情で疎遠になってしまう人がいても、
「忙しいのかな」
と相手の状況に想像を巡らすことで・・・すぐに返事が来なかったりしても、それほど相手を不義理に感じたりすることはありません。

それとも、逆かな。

そもそもネットの世界でのつきあいは、現実とは違うと思っているから、いつも仲良くしていた人が、いきなりいなくなっても「仕方ないか、ネットだし」と思えるのかな。

ネットでのいろいろな人とのつきあいや新しい出会い。
私はけっこうそれが好きな方で。

私にとっては・・・一度仲良くなった人といつの間にか疎遠になっても、それは互いに事情があるから仕方ないことで・・・でもそれで互いの関係が本当に切れてしまうことはないとなんとなく思っています。
だから自分から人間関係を「整理」するという発想はあまりなく。
相手から「友達やめましょう」と言われればそうしますが、自分からは切ろうと思ったことはほとんどありません。

かといって日々連絡を取り、自分にプレッシャーになるほど、ネットにどっぷりということは物理的にできませんし、それはお互いにそうなんだから、仕方ないことだと思っていたり。

ある意味、矛盾してるかな。
でも人間ってそういうものだと思っていたい「願い」みたいなのがありまして。
学生時代の友人のように、卒業してずっと遠くなっても、また会ったら昔のように話せる。そんなふうでいたいな、と。
う~ん、ネットだと無理なのかな。所詮は、顔も知らない同士だし^^;

ただ、最近気がついたのですが、これってお互いの温度差の問題もあるのかもしれませんね。

ずっとそばにいてほしい、とか、いつも相手を近くに感じていたい、と強く思っているのに、相手が何の説明もないままに、いきなりいなくなってしまったら、誰だって戸惑うし、不義理と感じることがあります。ひどい場合、相手は自分ともう友達でいたくないんじゃないか、なんて考えちゃうこともあるわけで。

でも、そういう場合、相手はそういうつもりはないことがほとんどです。
離れても友達なのは変わらないし、忙しさが一段落したらまた連絡をとりたいと思っているし、自分からは連絡をとらないくせに、こちらから連絡があるとうれしく思ったりしている(笑)。

その温度差によるすれ違いが、友達を切る、切らないという事実として現れているような気もします。

ネットでつきあう人たちはたいがい私よりも年下ですし。mixiなどのトラブルのケースを見ても、ネットのコミュニケーションをどっちかというと、私が考えるイメージよりも『濃く』捕らえる傾向があるのかも。

または・・・

世界は目に見えるものだけが全てではない。
現実に生きていると私たちは自ずとそのことを知っています。

でもネットの世界はある意味、目に見えるものだけが全てだからな。
相手からコメントがこなくなったり、足跡がなくなったりすると「友情」も消えてしまったように感じる。
それは・・・あるのかもしれません。

なんて、この記事、半分は私が友達登録を削除されたという話なのですが、半分は親しくしていた友人からまだ連絡がないことが気になっている自分へのエクスキューズだったり(苦笑)。
お盆も過ぎたのにまだ帰ってこないのかな~。
こちらからもう一回メール出してみよう^^;

もし皆様にも。過去、仲良くしていたのに、最近疎遠になっちゃった人がいたりしたら。

本日の標題は「友達やめますか?それとも…」ですが、「それとも…」のあとはこう続きます。

それとも…信じてみますか^^ 「友情」や「愛情」や「思いやり」は目には見えにくいものですけれどもね。

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2006.07.25

好きなものについて語るのは難しい

 私はいがらしみきおの「ぼのぼの」という作品が好きで、たまにこのブログでも言葉を引用したりしております。基本的にファンなんですよね。大好きなんです。・・・え? なんでしつこく強調するのかというと・・・

 どんなに好きなものでも「好きだけど、ここはちょっと」みたいなのってありませんか?

 先日、あるホームぺージでちょっとそのことを書いたら、
「だからってあなたが(こういう作品を)書けますか? 書けないでしょ」
 と言われてしまいました^^;
 その昔、やっぱりあるコミックが大好きで、そのファンサイトの掲示板に感想を書いたことがありました。その時も、「そんなに納得いかないんだったら読まなきゃいい。文句言うなら作者に言え」って言われたのを思い出しました(汗)。
 
 好きなものについて語るのって、簡単なようで、案外難しい。
 語りたいという欲求は当然あっても、「好き」の気持ちは千差万別、そしてそれが「感情」に基づくものである以上、たとえば自分が好きなものに対して「それはちょっと」と言われた時の感情的な反発は、リスクとして常につきまとうものです。そのリスクは覚悟してでも、一歩踏み込んで語り始めなければ、きっと、本当に、大好きなものについて、いろんな人と意見交換をすることなんてできないのだろうな~

 でも、ネットでは、こういうことは「よくあること」で。
 分かってたから、あまりそういう「ファン」サイトには近寄らないようにしていたのに、ついまたやってしまいました^^; こりないなぁ、私も。好きも嫌いもやっぱり自分のブログで語るのが無難のようです。たまには「これは嫌い」とか書いちゃう時もありますが、寛容な気持ちでこれからもお付き合い下さいませm(_ _)m

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2005.11.05

スピーカーを買ってみた

 住まいの近くに安売り電気店ができたもので、ちょいとのぞきに行って見ました。
 私はたまにパソコンで音楽を聴いているのですが、どうもヘッドホンがわずらわしいのです。
 ので、ちょっとパソコンに接続するスピーカーを買ってみました。初聞きは、みゆきさんの「愛から遠く離れて」だ~
・・・ ・・・
 うーん、やはり、1020円のスピーカーだけあるなぁ。買い物に付き合ってくれた職場の後輩が「音楽はパソコンで聴くものではないっ!」って言ってましたが、一理ある。
  結局週末の土曜日、いつものコンポで、みゆきさんのアルバム「グッバイガール」を聴いております。このアルバムに「吹雪」が入ってるのよね。あ、そうだ、ギターもちょっと練習しとこ。

 「吹雪」・・・以前この曲を元にお話を作ったことがあります。
 もしよければ、ちょっと読んでください。上にアップしておきます。

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