アニメ・コミック

2021.03.28

「約束のネバーランド」のアニメ二期のお話

 この3月は、毎週楽しみに見ていたアニメが二本、最終回を迎えました。一つは「呪術廻戦」。私、この作品、アニメが始まるまで全然知らなかったのですが、同じ時間にアニメになる「犬と猫どっちも飼ってると毎日楽しい」をTwitterでいつも見ていて、アニメになるというので、録画したらなぜか「呪術廻戦」も録れてたという…

 「呪術廻戦」見てみたら面白かったんですが、セリフだけ聞くと「ん? 何て言ってるの?」っていうのが多く、脳内で文字にうまく変換できない言葉を知りたくて原作も読んだら一気にはまってしまいました。

 「呪術廻戦」は10月から始まり、半年、24話放映されました。アニメも面白かったなぁ。あまりアニメに詳しくない私でもとてもクオリティが高いのは分かります。物語はほぼ原作マンガどおりなんですけど、ちゃんとアニメとしての表現もされていて「領域展開」をアニメでどう見せるのっていう期待に対し、期待以上のものを見せてくれる。五条先生の「無量空処」など凄すぎてビックリしました。

 原作の展開以外に番外編としてちょっと挟まれる「じゅじゅさんぽ」がまたぶっ飛んでいて最高。私は真衣さんが高田ちゃんの握手会に行く回が一番好きでした。

 いや、すみません、記事のタイトルは「約束のネバーランド」なのになかなか本題に入れないw

 作る方は誰だって駄作を作ろうなんて思ってなくていいものを作ろうとしているのに「呪術廻戦」みたいに見る方が100%以上満足するものが作れる場合と、そうでない場合があるのは一体なぜなんでしょうね。

 最近Youtubeでいろんなアニメレビューを見ていると駄作のアニメもめっちゃいっぱいあるみたいで驚いてしまいます。私はその何分の1しか見ていないのですけど。

 ということでやっと「約束のネバーランド」二期の話。一期は2019年1月~3月に放送されました。もう2年前なのね。

 私は「約束のネバーランド」(以下、「約ネバ」)は原作コミックから読んでいました。ホントに面白くて「デスノート」以来の傑作だと衝撃を受けた大好きなマンガでした。

 原作は2020年8月に無事、完結しました。ちょっとラスト、駆け足気味で個人的にはもうちょっと感動したかったなぁ。まあでも、ああいう終わりもよかったかな。とりあえず無事、完結おめでとうございます。

 アニメも一期は録画して何度も繰り返し見るほどお気に入りなので、二期、エマ達の脱獄の後の物語もアニメになると知って、やっぱり絶対見なきゃと思ったのを今でも覚えています。

 ただ正直なところ「約束のネバーランド」というお話は、エマ達の脱獄までの物語が練りに練られて作られていて、その後の物語は都度「ジャストアイデア」でジャンプで連載を続けてきたんじゃないかな。もちろん、それでも面白くないわけではありませんが。二期を作るとしてどうするんだろうとちょっと思っていたところはあります。

 「約ネバ」アニメの二期は、最初こそ原作どおりに始まりましたが、結論として言うと、原作を大幅にカットし、無理やり一期と二期合わせて全24話で終わらせた、という形になりました。だいぶ、それが世間では不評です。

 もうちょっとうまく短くできたんじゃないかな、と思うのですが、あまり変えると「約ネバ」じゃなくなっちゃうし(完成した形も十分「約ネバ」じゃないといえばそうですが)原作の名セリフも無理やり入れつつ、何とかまとめたのがこの形だったんだろうなぁ。

 大人の事情で二期で「約ネバ」アニメを終わらせたかったのなら、原作の最終回までいかず、途中で終わることになったとしても、普通に原作をなぞった方が原作ファンの反発も招かなかったし、最後が「ダイジェスト」にならずにも済んだのに。

 原作の途中までしか作られないアニメなんて山のようにあります。「はいからさんが通る」とか「僕の地球を守って」とか(例えが古くてすみません)。「ドラゴンクエスト」のアニメもと唐突に打ち切りになってびっくりしたっけな。「ガラスの仮面」とかもそうだし。まあ「ガラスの仮面」は原作も完結してませんが。

 原作改変でひどいアニメもけっこうありますね。私の知る限りだと「黒執事」や「地球へ…」。

 こうして振り返ると成功した方が少ないか。「デスノート」のアニメは成功だったのではないでしょうか。クオリティも最後まで高くてね。原作と違う部分もありましたけど、私はアニメの「デスノート」好きだったなぁ。

 「地球へ…」の惨状のとき思ったのですが「脚本」は一人の人が担当して欲しい。リレー小説じゃないんだから。前の話で振った伏線が次の話でスルーされてたりするとほんと萎えます。

 脚本家は複数が担当するのが何らかの事情で仕方ないなら「シリーズ構成」を担当する人がしっかりして欲しい。作品全体を俯瞰して、何をどう見せるか、うまく調整するのがシリーズ構成の仕事よね?

 youtubeで「ひどいアニメ」のレビューを見ると、それ以前に予算不足、人手不足、でも納期は容赦なくやってくる、仕方がない、これでもう完成とするしかない、というブラックな感じがするアニメもあるようなんですが、ひどいものを作って放映しちゃっても誰も得しないような気がするけどなぁ。まあ「仕事」としてアニメ制作を請け負ったら、酷くても何でも納期までに完成させなくちゃいけないのかもしれないけど。「約ネバ」二期も、どうも納期ありきだったようですね。実写映画とアニメの二期の時期を合わせるために。

 しかし…映画もなぁ。映像は素敵でしたがレイ役の少年の演技が酷くて見てられない出来。あの子を降ろせなかったのも大人の事情なんだろうな。

 という「約ネバ」のアニメ二期のお話でした。原作を読んでいる私は、原作の記憶が強すぎて、アニメは何が起こっているのかさっぱりでした。アニメだけを見ている人は最後のダイジェストでわけわからなくなったことでしょう。原作どおりになぞれないなら、最後もあんなダイジェストにせず、アニメ独自のストーリーとしてしっかり完結させるのがアニメ作品としての責任だったと思うのですが、結局はどっちつかず。作っている人達もどうしたらいいのか、分からなくなっちゃったのかも。

 そう考えると私はあまり責める気にはなれません。ただ、いろんな事情抜きに、純粋にこのアニメがどうだったか、と聞かれたら「約ネバのアニメは一期だけ見る方がいいよ」と答えると思います。

  「呪術廻戦」は映画も二期も期待しています!

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2020.12.09

「呪術廻戦」を勝手に考察

 きっかけは全くの偶然からなのですが「呪術廻戦」というアニメを10月から見始めました。

 全然知らなかったんですが、原作は少年ジャンプで連載されている人気マンガ。

 私は、元々ファンタジーやホラーが好きで、昔、こちらは少女マンガですが「カルラ舞う!」も大好きで読んでいたことがありまして、「両面宿儺」やら「ふるべ ゆらゆら…」とか出てくると目が離せなくなってしまいました。

 アニメの1話を見たら、聴いているだけでは分からないセリフの言葉などもあったので、原作のマンガもネットレンタルで読み、今では毎週アニメを楽しみにしながら、原作は最新刊まで読んで、それでは飽き足らず、Youtubeの考察動画などを眺める日々です。

 アニメや原作の展開予想や、まだどちらでも語られていない謎の予想など考察動画を見るのが結構面白くて、すっかりそちらにもはまってしまい、ふと、自分もやってみたくなりました。

 いくつかの動画でもまだ語られていない(だから本編に関係ない)と思われる呪術廻戦の謎について、今日のブログでは勝手に考察します。マンガを知らない方は何を言っているやらだと思うので、読み飛ばしてくださいませ。

 呪術廻戦という作品には「呪い」というものが出てきます。

 作中の解説によると「呪い」は人の心から生まれる化け物で、人が何かを恐れたり恨んだりする「負」の感情が形となり、生きている人に害をもたらす存在となっているようです。

 それを祓う「呪術師」という人達がいて、この物語の登場人物はその「呪術師」を養成する高等専門学校に通う少年少女達&最強の教師です。

 私が今日、考察するのはこの「呪い」について。

 物語にはすぐに祓われてしまう低級の呪いもいるんですが、主人公達の敵となる特級クラスの呪いというのがいて、皆、それぞれの呪いの性質に応じた姿形をしています。普通、呪いは言葉が通じないのですが、特級は人間と会話することもできるし、徒党を組んで呪術師を襲ったりもします。

 でもそんな強力な呪いって、本来それほどたくさんいるわけでもないんですよね。

 作中の解説によると、遥か昔から存在し、人間の強い恐怖によってどんどん強化され、その内に知恵を付け、呪術師に見つからないように地下に潜っていた呪いで、作中に登場するのは、海への恐れから生まれた呪い、森林に対する恐れから生まれた呪い、火山の恐怖から生まれた呪いというような自然災害への恐れに起因する呪いでした。

 みな、普通の人間には見えません。「呪術師」には見えますが。

 その呪い達が呪術高専の生徒たちと戦うのですが…ふと思いました。なぜ「今」なんですかね?

 彼らは昔から存在はしていました。作中でしばしば自分の心中を語ってくれる火山の呪いに言わせると、これ以上隠れるのはガマンならないし、人間は醜悪だし、というか、負の感情を押し殺し偽りの生を生きている人間は「偽物」で、自分達こそ真の人間。「偽物」はこの世界から消え去るべきだ、というのが彼の主張なんですが、だからと言って人間にとって代わる戦いを始めたのがなぜ「今」なんだろう?

 実は「呪術師」側には、近年、史上最強と言われる呪術師が生を受けて活躍していますので、戦いを仕掛けるのは最悪のタイミングなんじゃないかと。火山達は、人間よりも長い時間をずっと生きてきたわけですから、別に「最強呪術師」が生まれる前でも、死んだ後でも、好きなタイミングで人間を滅ぼすことができたはずなのになぁ。

 そこでふと思いました。

 彼らが戦いを思い立ったのは「真人」が生まれたからじゃないかって。

 「真人」は特級呪いである彼らのリーダーなんですが、生まれたのはどうもごくごく最近らしいです。彼が何の呪いかというと「人が人に対して抱く恐れから生まれた呪い」だとか。

 人間が一番怖い、というのはこれも昔からあったはずなんですが、最近生まれたというのはどういうことなんだろう…

 そこでふとアニメの1シーンを思い出しました。呪いというのは人間ではないので、刃物で切り刻んでも赤い血が出ません。

 ですけど、真人は、自分の形を自在に変える化け物ではありますが、切ると赤い血が出ます。

 真人って呪いではあるんだろうけど「人」でもあるのかも。

 呪いなのに「人」の体を持つ存在、というのは、実はこの作中では主人公もそうです。「両面宿儺」という正体不明の特級の呪いが、現代の高校生の肉体に宿っている。作中の言い方だと「受肉」というのですが、真人も元となる人間がいて、その人間に何らかの理由で「人への恐れ」の呪いが宿っているんじゃないかなー。

 児童虐待を受けた子供とか、体中、縫い目だらけなのを見ると、何かの特殊能力を持つからといって親に研究施設に売られて研究施設で生きたまま切り刻まれたとか、そんな想像をしているんですが、その恐れや恐怖が「人への呪い」を呼びこみ、受肉し、この世に再生した…

 最近、児童虐待、多いですからねぇ…

 そして「真人」が生まれ、その「真人」を不憫に思い、育てたのが周りの特級呪いだったのかもと。

 だから「真人」は、生まれたばかりでまるでリーダーっぽくないけれど、周りの呪い達は「真人」を中心に意思決定をし、人を滅ぼすことで一致している…というのが私の考察です。

 当たっているかなぁ?

 呪術師側の主人公達にとっては「呪い」は倒し、消し去るべき敵なんですが、呪い側にもそれなりの主張はあります。

 そもそも彼らを生み出したのが、私たち、人間ですしね。

 なんとなく、単純な「敵」というよりはなぜ彼らが存在するのか、考えてみたくなります。

 いつか作中でこんな話も語られるのかな。

 「呪術廻戦」大好きです。これからも楽しみにしています。

 

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2020.04.25

「夏目アラタの結婚」を読んで理想の結婚を考えた

「夏目アラタの結婚」

というマンガにはまっています。死刑判決を受けて拘置所にいる連続殺人犯の女性と、彼女が隠した被害者の遺体の隠し場所を探るために彼女に面会を求めた主人公「夏目アラタ」の面会室での心理バトルのマンガです。めっちゃ面白い。

タイトルにあるとおり、夏目アラタは彼女の気をひくために「結婚しよう」と持ち掛けるのですが、実はホントに結婚する気はさらさらなく。どうせ死刑に決まっているのだからとたかを括っていたら、いろいろ経緯があって正式に婚姻届を出すところまでストーリーは進んできました。

主人公のアラタ自身は、相手が彼女でなく誰であろうとも結婚なんてノーサンキューの独身主義者なので、拘置所にいる彼女と婚姻届を出したところで彼女が釈放されることはまずないし、周りから「早く結婚しろ」とか言われなくなる分、面倒が少なくなっていいや、くらいに考えているんですが、さて、この先、どうなるんでしょう。本当に彼女…結婚して「夏目真珠」になりましたが、真珠は釈放されることはないんでしょうか? この先の展開がますます楽しみです。

このマンガは「ビックコミックスペリオール」という雑誌に連載されていて、私はこのマンガが好き過ぎて単行本を待ちきれないこともあり、10年以上買い続けていたビックコミックスピリッツからスペリオールに乗り換えました。

最新号を読むと、また最新話も面白く、そして考えさせられます。

真珠は、結婚してもし一緒に暮らすことになってもアラタには部屋の隅に二畳ほどのスペースをもらえればずっとそこにいるし、ごはんもパックのごはんとツナ缶だけでいいと言います。

でもアラタはそれに対して(結婚ってのは)犬猫を拾うわけじゃねぇんだよ?…と言うんですよね。

根っからの独身主義のアラタが「結婚」についてどう考えているのかは、今までのストーリーの中であまり詳しく語られていないのですが、昨日発売された最新号で少しだけその考え方が伝わってきます。

真珠は、パートナーには逆らわないし、何でも言うことを聞く、というスタンスなようですが、アラタはそれを「二人の人生に責任を持つ気はないってことだよな」「俺がもっともお断りしたいタイプ」と思っています。

アラタはじゃあ自立した女性がいいってこと? う~ん???

男性ってのは、自分に逆らわずおとなしく従う女がいいんじゃないのかな。

私はずっとそう思ってきました。何も言わずについて来させる代わりに、女性の人生の全責任を背負うんですよ。結婚ってそういうことでしょ? いや、これが古いのはもちろん分かって書いてます。

ただ、基本的に男も女も、自分の都合がいいパートナーが欲しくて結婚ってするんじゃないのかな。女性を従わせて、だけど責任は負いたくないというのが昨今の男性ですが、そういう男性じゃ結婚する女性なんているわけなく、だから非婚率って上がってるんだと思うんですよね。

私は女性ですが、自分の人生を人に背負わせることは絶対にしたくないです。他人の人生の責任も負いたくない。誰の面倒も見ないけど、自分の面倒は自分で見る。だから絶対的に自由です。自由が好き。だから独身なのでしょう。

ただ、自分のことはどうでもいい、この人のために生きたい、と思ったことがないわけではありません。だから「結婚」についてはこう思います。

「自分の都合」のための結婚なんかあり得ない。誰かのために生きたいと思う、その相手のために結婚ってするんだ、と。

だとしたらね。真珠の方が正しいんですよ。アラタのために自分は生きる。ただそれだけでいい、と。

アラタも、だから自分のためじゃなく、真珠のために、真珠を笑顔にするためにこの先を生きたいと思えたならこの結婚は成立する。今のところまだそう思ってないので、二人は完全にすれ違っています。

もちろん、夫も妻も「自分の都合」のために相手を利用して、それで成り立ってる結婚だってありますけどね。でもそれって自分が幸せになれない、自分の思ったとおりでない時に、その原因を相手に押し付け合い、ののしりあい、そして諦める、そういうことになっちゃうじゃないですか。他人なんて自分の思いどおりにならないのだから、自分の都合で結婚したら、その先は地獄だなんて目に見えてますよ。

互いが互いのために生きる。それが結婚、なんじゃないかな。

さてアラタはそう思えるようになるのかな。いや、真珠がアラタと対等のパートナーになるとは到底思えないので。だって、今までの人生が恵まれてなさ過ぎなんだもの。

まだこれから幾つもの展開がありそうです。楽しみです♪

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2018.11.26

産褥期精神病

 たまたま、ツイッターを眺めていたら「まんが王国」というサイトで「妊娠したら死にたくなった~産褥期精神病~」というマンガが無料キャンペーン中というCMが入ってきました。

 ちょっと読んでみると、おや、これは・・・

 私の母が躁うつ病、最近の言い方では「双極性障害」だったという話を当ブログで書いたことがありますが、それは私の出産を契機に発病したという話でしたので、まさにこれだったのかな、と。

 全部を読んだわけではありませんが、精神病院に入院し、手足を拘束されてしまう、ごくごく普通の女性だった主人公の様子が痛々しくて見ていられません。

 …いや、しょうがないんですけどね。
 本人もコントロールできない状態で、暴れてしまったり、自殺しようとしてしまうような状態なら、拘束されるのもね。
 でも、なんというか、他の病気も全部そうなんですけど、どんなに苦しくても、その苦しみは周りの人間には当たり前ですが伝わらない。

 苦しくてどうにかラクになりたくて、少なくともどうすれば苦しくなくなるのか、いつこの苦しみが終わるのか、教えて欲しいと願うのに、医師からも看護の人からも、明確な答えは得られず、ただ、暴れないように拘束されるだけって…

 こんなの生き地獄以外の何物でもない。

 精神の病にかかって、家族の手に負えなくなったら病院に入れるしかないのですが、病院では結局、こうやって対処するしかないのなら、なるべくやっぱり病院に入れたくないって思っちゃいました・・・

 私の母がうつのときは、ひたすら布団に寝たきりで、食べるものも食べず、風呂にも入れず、普通に考えると入院させたほうがよかったのだろうかと思いますが、入院しても、別によくなるわけではなく、ただ家で面倒見切れないから入院させるだけなら、家にいたほうがまだ、人の目を気にせずに苦しいときは苦しいって言えるし、それを適当にあしらわれたりとかもしないし、話しかけられたくない時はほっといてもらえるし、ずっとましなのかなぁと。

 いえ、マンガを見て、精神を病む人に対して、普通の人間って、こんなに冷たいんだな、ということを思い出してしまってね。

 怠けてる、とか、気のせい、とか、甘えだ、とか…

 ひどすぎるよなぁ。

 自分だってどうしていいか分からない。心も体も言うことを聞かない。

 そういう状態を想像できない人達がいるのは、もちろん幸せで、うらやましいことで、彼らを責めるのはおかしいのは分かっていますが、それでもなんともやりきれない。

 たとえばたかが風邪だって、苦しい時はほんと苦しくて、なんとかして苦しみから逃れようと、薬飲んだり医者いったりします。
 風邪はそれで少しは楽になるからいいようなものの、心の病は体の病気ほどうまく薬がきかないことがあるし。
 それでも、私の母の時代よりは今はいろいろ研究がされてきているのかもしれませんが。

 人の心ってのはほんとやっかいな代物で。
 精神病がホルモンの関係で引き起こされるならば、もっともっと研究が進んでほしい。

 もちろん人の感情を薬や電気刺激で完全にコントロールすることを考えると怖い気はするんですが、わけもわからず不安になったり、苦しくなったりすることを制御する方法だけは必要なんだと思うのです・・・

 心の病は昔より増えているらしいですが、そう、少なくとも、産褥期の精神病はホルモンの変化によることがはっきりしているのだろうし、発現したときの対策をしっかりとお願いしたいと思います。

 このマンガの主人公のように苦しむ女性が、どうか今後減っていきますように。

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2017.04.24

好き過ぎる♪ 「正解するカド」

 知り合いの勧めで、この4月から「正解するカド」というアニメを見始めました。

 「正解するカド」? ヘンな名前…。
 というのが第一印象でしたが、第一話を見たら、めちゃくちゃ面白い。一言で言うと「リアル」。

 何がリアルかというと、今のこの日本にもし信じられないような「超常現象」が起こったとして、それに私達はどう対応するのか、というリアルさです。昨年、公開された映画「シンゴジラ」を見たことがある方なら、ああいう感じ、と思っていただければ。

 「超常現象」とは…
 ある日、突然、羽田空港の上空に未知の「何か」が現れます。

 「何か」としか言いようがないのですが、見た目は馬鹿でかい立方体の構造物。一片が2キロメートル以上あります。
 そういうものがいきなり上空に出現し、空から羽田空港の滑走路に降ってきて、たまたま滑走路にいた飛行機が一機、下敷きになってしまいます。

 一体これは何なのか?
 どこから現れたのか?
 それはともかく、下敷きになってしまった飛行機はどうなったのか? 乗客は全員死亡? という大きなニュースになりました。

 立方体は未知の物質でできていて、外部からのどんな干渉も受けません。
 壊すこともできないし、全く、何なんだ、これは?

 と、対応に苦慮しているところへ、いきなり、物体の上部が階段状になったかと思うと、一人の人間がそこから現れました。なんと、それは下敷きになった飛行機の乗客の一人。

 そして、その後からもう一人。
 その人物こそがヤハクィザシュニナ。この立方体の所有者(?)だったのです。

・・・というところが第一話なんですが、導入部がリアルなので、ヤハクィザシュニナの登場シーンに仰天しちゃうんですよね。

 え? 宇宙人? 何なの? 的な。

 いや普通、アニメでSFなら宇宙人や幽霊や未来人や地底人、どんなものが出てきたって驚きませんよ。
 設定が超リアルなため、つい現実を前提に物語に入ってしまうので、目の前に人でないもの、なのに人の形をしているものが登場した時点で、びっくりしちゃう。

 今、アニメは3話まできていますが、そのヤハクィザシュニナという人に見えるソレが何なのかは全く分かりません。もちろん馬鹿でかい立方体の正体も。

 でも、ちょっと分かってきたことはあります。
 どうやら立方体(この立方体が「カド」と呼ばれています)はノヴォと呼ばれる異世界からこの宇宙に出現したらしい。
 そして「ヤハクィザシュニナ」は、人類とのコミュニケート用に用意された「人型(ひとがた)」みたいです。
 でもこのコミュニケート用「人型」はよくできていて、カドに飲み込まれた飛行機に乗っていた人間が持っていたスマフォを調べることで、人類のコミュニケーションの方法や言葉を一瞬にして学習してしまいます。

 カドに飲み込まれた飛行機は、カドの中で無事で、乗客も全員生存していました。
 たまたま載っていた外務省の役人が「タフネゴシエーター」と呼ばれる交渉人のスペシャリストで、彼が、人類として最初にヤハクィザシュニナと接触しました。
 ヤハクィザシュニナも人類とのコミュニケートに彼を間に立てることが有効だと判断し、以降、人類とカドの交渉は彼が間に立って行われることとなります。

 真道(しんどう)という名のその交渉人は、かなり優秀でこれまでも様々な交渉を手がけていることから、ヤハクィザシュニナという得体の知れない存在にも臆することなく接しています。

 「臆することなく」
 普通、こういう場合って「冷静」に、というのが一般的な気がするんですが、真道さんという人は不思議な人です。冷静って感じでもないんですよね。
 未知の存在を目の前にして、クールではないんですよ。恐れもない。普通は怖いと思うんですが、どうも怖いとは思ってないみたい。勇気があるなぁ。
 相手が何をしようとしているのか。何を求めているのか。それに興味がある。というか相手の存在に自分も興味がある。
 ヤハクィザシュニナとのコミュニケートを本人も楽しんでいるように見えます。
 そして彼の言葉、彼の意図を人類に伝えることが、自分の役割であることに「燃えている」という感じ。

 カドが出現の際に飛行機を飲み込んでしまったのはたまたまで、真道さんがその飛行機の乗客だったのもたまたまなのですが、「カド」と「ヤハクィザシュニナ」にとっても、ファーストコンタクトがこういう人類だったのはまさに僥倖だったでしょう。普通はこうはいかないよなぁ。

 「カド」の出現の目的は不明で、ヤハクィザシュニナの話だと「人類を推進するため」らしいですが、何のために「人類を推進」させたいんですかねぇ?

 ヤハクィザシュニナはまずその証として「ワム」と呼ばれる、無限の電力を、彼らがやってきた「異方」からこの世界に供給するという物体を現出させます。

 もう一つ一つがパニック。
 ファーストコンタクトには「贈り物」は必須なのかもしれませんが、この贈り物はちょっととんでもなさ過ぎでは・・・

 というか、人類との接触にあたり、最初にワムの提供を申し出ろと言ったのは、誰なの? 真道さんなの? もうびっくり。

 真道さんとザシュニナ(略称で呼ぶのは信頼が深まった証らしい)は、どうも舞台裏でずいぶんいろんなことをコミュニケートしているみたい。ザシュニナの意図をかみくだいて分かりやすく伝えるのも真道さんの役割みたいですが、私はこの舞台裏に非常に興味があります。どうやってるんだろう? 

 つまり真道さんは人類ではあるけれど、ザシュニナの代理人なんです。
 ザシュニナの意図を汲み、彼の提案を人類に受け入れさせるように動いている。どこまで彼はカドとザシュニナのことを理解しているんだろう? 興味は尽きません。

 ザシュニナは謎ですねぇ。
 なんであの姿と格好なんだろう。
 カドもなんであの形なんだろう。
 あれだけ大きいものが出現したら、確かにオオゴトで政府が動くわけですが、そういうの分かってたのかしらん。全人類が相手ならたとえば地球の外から彗星のふりして現れてもよかったのに、なんで「カド」なの?

 ザシュニナはなぜあの姿形なの? もっと年配でもよかったんじゃ? 日本に出現するのに、なぜ日本人をシュミレートした人型じゃないんだろう。髪が白、目が赤なのはなんで? 女性型でもよかったのになぜ男性型なの? 裸じゃないほうがいいと言われてなんであの服なの? 上着は絵本の王様を参考に作ったみたいだけど…

 もうね、謎だらけ。
 そして知りたいことだらけ。
 
 そして・・・
 この作品もDVD化されるし、あとでまとめて見る人もいそうなんですが、リアルタイムで毎週放映されるアニメを見るというこの体験はまた格別です。まさに今しかできない。
 次の回まで、カドとヤハクィザシュニナの正体をあれこれ想像し、後の展開を予想する・・・楽しいなぁ。
 DVDでまとめて見るんじゃこの楽しみは体験できない。

 皆様、まだ間に合います。見逃した方はネットで動画が配信されていますので、3話まではそれで見て、残りは一緒にリアルタイムで見ましょう。
 これ、すっごく面白い♪

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2016.04.03

「私だけがいない街」

 2016年の1月~3月の期間で、「僕だけがいない街」というコミックが原作のアニメが放映されていました。何かの事件が起ころうとするときに、一人だけ時間が逆行するという「リバイバル」と名付けた能力を持つ、一人の青年の話。時間が逆行した瞬間に、青年は、その未来の記憶を利用して、起こるはずの事件を未然に防ぐことができます。
 このリバイバルがすごいんですよね。主人公の母親が何者かに殺されるという事件が起こって、その際にもリバイバルが起きるんですが、なんと、青年は、小学校の時の自分にリバイバルする。つまり「母親が殺される」のを防ぐためには、小学校時代でその原因となる事件を防ぐ必要があるという…いやぁ、この導入部の設定ですごくドキドキしました。
 果たして、彼は、心は大人のまま戻ってしまった小学生時代の自分の力で、母親を救い、かつ、その事件の原因となった連続幼女殺害事件を防ぐことができるのか!?
原作のコミックは未読ですが、アニメには本当に夢中にさせられました。2016年4月現在で、すでにアニメは最終回まで終わっていて、どうなったか私は知っているのですけど、ラストは原作とは違うのかな~。
 お馴染み、藤原竜也が主演する実写映画にもなっていて、昨日、それも見てきました。映画とアニメのラストは大きく違います。私は、アニメの方のラストが好き。いい意味で予想を裏切ってくれてるから。映画の方は「僕だけがいない街」というタイトルならそうなるでしょう、というある意味では予想どおりのラストです^^;

 と、「僕だけがいない街」の話を書いてきたところですが、今、ふと思ったこと。
 この話の中に「雛月加代」という女の子が出てくるのですが、この記事のタイトル「私だけがいない街」はこの子が小学校の文集に綴ったお話です。抜粋しますと。

(引用開始)
今よりもっと大きくなって一人でどこへでも行けるようになったら遠い国に行ってみたい。遠い島に行ってみたい。誰もいない島に行ってみたい。辛いことも悲しいこともない島に行ってみたい。島には大人も子供もクラスメートも先生もお母さんもいない。その島で私は登りたいときに木に登り、泳ぎたいときに海で泳ぎ、眠りたいときに眠る。その島で私は私だけがいなくなった街のことを考える。子供はいつものように学校に行く。大人はいつものように会社に行く。お母さんはいつものようにご飯を食べる。私は私だけがいない街のことを考えると気持ちが軽くなる。遠く遠くへ行きたい
(引用終わり)

 映画で改めて触れても、とても心に残る文章です。
 なんというか、めちゃくちゃシンパシーを感じるんですよ。そのせいで、アニメの雛月が自分のことのようで。そうか、だから、私はこのアニメが好きなのか。

 物心ついたときから、誰もいないところでずっと一人でいたいというのは私の願望でした。
 誰にも構われたくない。一人で本を読んだり、心の中でお話を作って遊んだりしていたい。
 
 雛月のこの文章を第三者として読むと、とても孤独を感じる切ない話なんですが、私自身は心からほんと、誰もいない島にいって「登りたいときに木に登り、泳ぎたいときに海で泳ぎ、眠りたいときに眠る。」こういうふうに暮らしたかったんだよな。
 雛月のような状況に自分がいたわけではないんですけどね。
 でもなんとなく雛月が感じていたはずの「閉塞感」には心あたりがあって。

 子供の頃って何かに閉じ込められているような気がしていました。
 毎日やることが決まっている。やりたくないのにやらなくちゃいけないことがたくさんあって、明日が来るのが怖くて。明日が来ればまた学校に行って・・・うん、私はいじめられっ子だったのでね。また明日がくれば友達にいじめられる。それが嫌で、とてもつらかったのです。
 
 だから、誰もいない島に行きたい。登りたいときに木に登り、眠りたいときに眠る・・・望むのはそれだけ。
 思い出しちゃったな。

 雛月はいじめではなくて、いじめよりも子供にとっては逃げ出せない、親からの虐待という状況にあるわけですけれども。
 今、この瞬間も、私や雛月のように苦しくて辛くて、なのに自分ではどうしようもない状況に置かれて苦しんでいる子供たちが、この日本にはどれだけ多くいるのかと思うと胸が痛くなります。

 だからこそ、きっと、そんな雛月を救い出そうと奮闘するこの「僕だけがいない街」という作品が私にとっても救いになるんだろうなぁ。

 子供の頃のいじめられっ子だったときの記憶なんて、もうとっくに忘れたと思っていました。
 私、今、いくつだよ~(苦笑)
 意外と覚えているものですわ。
 
 でも、今、私はあの頃、望んでいた場所にいます。木には登れないけれど、遠い国にも遠い島にも好きな時に行ける。眠りたいときに眠り、食べたいときに食べ、さぼりたいときはさぼり。ここには私以外、誰もいないので、望むだけ一人でいることができる。それがどんなに私にとっては幸せなことか。
 こう書くと、自分がめっちゃ孤独だなぁと自分で思わないでもありませんが、実際、これ、とってもぜいたくで幸せなことなんですよ。

 一人でいられてよかった。
 欲しいものを間違えないでよかった。

 今、私はそう思っています。

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2015.03.05

「孤独のグルメ」

「孤独のグルメ」という作品が人気らしいです。
コミックが原作ですが、ドラマにもなっています。

先日、ちょっとドラマを見てみました。
確かに思わずクスッと笑えます。

私達が一人でご飯を食べる時って、
(うん、これはうまい。うまいぞー)
(やっぱりごはん&納豆ってベストよね)
(あ~昼もカレーだった。失敗したー)
とかって心の中でいろいろ考えつつもすました顔で黙々とご飯を食べています。

それをそのまんま表現しちゃってるのがおかしい。
でも確かに「あるある」って思って共感できてしまう。

(さてと・・・どこかでランチしようかな。
 ドトールやスタバは近くにあるけれど、そうじゃなくてもうすこしがっつり食べたい。
 パスタやピザじゃなくて、今日はご飯だな。
 具だくさんの味噌汁が食べたい気分・・・)
とか思いながらランチの店を探している自分にめっちゃかぶるんですよ。

こういう作品が人気っていうことは、「一人飯」をしてる人も案外多いんだな~。

そして一人だからって無味乾燥なわけではなく。そこには一人だけの自由で、贅沢で、気ままなグルメの世界が広がっている。
主人公がお酒がダメというのにも共感。私もお酒はほとんどだめなので。

ところで、毎日のお弁当をツイッターにアップしている私だったら差し詰め「孤独のお弁当」と言ったところでしょうか。

Photo
(ふむ・・・週末に一パック買ったいちごがまだ残っているな。
 まだ傷んでいない。これならいける。
 そして今日はパスタ。週に1度ご飯ではなくパスタの日を作るのがアクセントとなるのだ。)
とか言いながら、今日もお弁当を詰めました。

さあ、皆様も。
味わい深く、とても豊かな「一人○○」の世界へようこそ。

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2014.09.17

黒執事Book of Circus

 枢やな原作の「黒執事」のアニメ第三弾、「黒執事Book of Circus」が最終回を迎えました。
 この「黒執事Book of Circus」、オープニングから大変なクオリティの高さで、ただのアニメではなく、DVDになって永久保存版を狙ってるとしか思えない作品でしたが、最終回の出来にもびっくりしてしまいました。

 お話は、原作のサーカス編と同じです。
 だから、原作コミックを読んでいる私はストーリーは全部知っているんですが、それでも今回の第三弾は面白かったなー。

 ちょっと別な話になりますが、実は先週の土曜日、ミュージカルの黒執事をまた見に行ってきました。
 ミュージカル「黒執事 地に燃えるリコリス」ね。

 私は黒執事のミュージカルは前作、「千の魂と堕ちた死神」を見てあんまりおもしろいので、舞台を見た後、ライブビューイングも見てDVDも買ってしまったクチなんですけども(そのときの感想はこちら)、今回の「地に燃えるリコリス」は正直言って今一つでした。(ファンの方、申し訳ない)

 前作のストーリーはオリジナルで死神派遣協会のパワフルダンスなどが超楽しかったんですが、今回のミュージカルは原作どおり。原作どおりでストーリーを知ってるからつまらなかったのかなぁ・・・と思ったりもしたのですが、今日、アニメの「黒執事Book of Circus」を見てそうじゃないことを図らずも実感してしまいました。

 なんというか・・・原作どおりに作るって言っても、それだけじゃやっぱりだめでこれって意外と難しい。 アニメの「黒執事Book of Circus」は、その難しいことをやり遂げちゃってる。これはすごいことです。コミックと比べてみたのですが、最終回、ほぼ原作とアニメの絵はアングルから何から同じ。でも、アニメは動いているので、それに合わせて、少しずつはちゃんと違うのです。紙芝居では面白くないものね。どこで音楽を流すか、どこでセリフを入れるか・・・すごいなぁ。なんでこんなふうにできるんだろう。
 そして「サーカス編」の最終回の名シーン。
 なぜここでシエルがこう言うのか、なぜここでセバスチャンが・・・そういうことがしっかりと伝わってくるラストシーン。いやぁ、すごい。

 
 以前、アニメの「デスノート」の時も同じように思ったっけ。
 デスノートのアニメは原作とはちょっと違う終わり方なのですが、私はあの終わり方大好きです。
 「デスノート」という作品を、このアニメを作った人がどう解釈して、どう描きたいかが伝わってくる。
 
 こういう作品って、どうやってできるんでしょうね。監督がいいのかなぁ。

 ミュージカル「黒執事 地に燃えるリコリス」はとってももったいなかったです。役者さんは前作同様すごくがんばってて、みんな原作のイメージそのもの。マダムレッドも素晴らしい演技でした。シエルもがんばってたし。
 でもなぁ・・・なんであんなつまらなくなっちゃったんだろう。

 ミュージカルで今回題材となったエピソードは、グレルの初登場シーンです。
 ミュージカル黒執事のグレルさんは、前作でも芸達者ぶりに脱帽してしまったので、このエピソードではどれだけはじけた、めっちゃ面白い、最高のパフォーマンスを見せてくれるのかと期待してたのに~~~
 原作どおりじゃつまらない。いや、原作どおりでもいいのだけど、もっともっとセバスチャンとの対決シーンは盛り上げないと~~

 いや、その意味でも、ですよ。

 「サーカス編」のラストシーンは、黒執事史上に残る名シーン(と勝手に思っている)なので、アニメではどうなるのかどきどきものでしたが、「黒執事Book of Circus」でのシエルのセリフはすごかった!! 
 
 この感動が伝えきれないのがもどかしいですが、イメージどおり、いえ想像以上のシエルのセリフに、ホントにびっくりしてしまいました。
 そしてそのあとに続くセバスチャンのモノローグがまたいいのよね~

 と、いうように・・・何と明確に言い表せませんが、面白くていいと思える作品になるか、そうでもない残念な結果になってしまうかは、もちろん見る側の好みもあるのでしょうけど、何か、大事なポイントがあるようです。

 「黒執事」って、原作は原作で面白い作品なんですけど、そうであればあるほど、アニメやミュージカルやいろんな媒体で、波及した作品が作られていく。
 
 その中でも「黒執事Book of Circus」は素晴らしい名作となりました。これを見られてよかった。制作に携わった皆様、お疲れ様。お見事でした!
 
 「黒執事」が好きな一ファンとして、心から感謝申し上げます。 

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2014.01.20

フルリスペクト ~一直線の尊敬~

 先日、黒執事原画展を見に行き、コミック最新刊も発売されましたので、コミックを読み返していてふと思ったこと。
 とあるエピソードでこんな才能を持つ青年が登場します。

 その青年は、自身に何か特別に秀でたものがあるわけじゃない。
 でも、周りに特別な才能を持つ天才がいると、その人を尊敬し、自分もその人に近づけるように努力を惜しまない。
 そうしてその天才と同じ技術を身につけてしまう。
 これは紛れもなく一つの才能であり「黒執事」の中ではその才能を「フルリスペクト」=一直線の尊敬、と名付けています。

 このエピソード、前に読んだ時はそれほど印象に残っていませんでしたが、最近、ネットの有料動画で「黒子のバスケ」を視聴しまして。
 見たことのある方はピンと来ると思うのですが「黒子のバスケ」にも主人公の黒子(くろこ)君を含め「奇跡の世代」と呼ばれる6人の天才バスケットプレーヤーが登場します。
 その一人、黄瀬(きせ)君が「フルリスペクト」に似た(もしかしたら同種の)才能の持ち主なのです。
 「黒執事」よりも、「黒子のバスケ」における黄瀬君の才能はより詳しく描写されているので、「黒子のバスケ」を読むとよりこの才能の本質が理解できるような。

 黄瀬君の才能は「黒子のバスケ」では「コピー」と表現されています。
 相手チームのエースプレイヤーの優れた技を一瞬でコピーできてしまう。
 これは・・・敵チームにとっては驚異ですよね。
 コピーというと自分では努力せず、相手の技を盗む、みたいであまりいいイメージはないですが、黄瀬君はもともとバスケに限らず、他の人が何かをやっているのを見ると、自分もすぐできるようになってしまう子でした。

 「黒子のバスケ」ではそれを「学習能力が高い」と評します。
 何かを習得しようとするときって、それなりに時間がかかるのが一般的。
 でも黄瀬君の場合はその「時間」が人並みはずれて短くて済んでしまうのです。これが黄瀬君の才能。
 すごく特別なことのように思えますが、実はこれってそうでもないのかもしれません。
 テレビから流れてくる歌をすぐに覚えて歌えちゃう子っているでしょう。
 誰も教えてないのに、見たものを、そのまますらすら絵に描けちゃう子もいます。
 他の人がなぜできないのかの方が分からない。
 黄瀬君に限らず、普通の人が時間をかけて習得することをあっという間にできてしまう人はいます。

 黄瀬君の「コピー」はだから「真似」ではない。
 いえ、正しくは「真似」ではありますが、それは私達がみんな普段「学習」という名前で呼んでいる作業の時間がものすごく短縮されたバージョンといっていいでしょう。
 「黒執事」で「フルリスペクト」の能力を持つ青年もクリケットの試合で一度見ただけの相手プレーヤーの投球方法を同じように再現することができました。

 見ただけで何でもできてしまう黄瀬君にも、唯一、なかなかコピーできないバスケットプレイヤーが「奇跡の世代」にはいて、黄瀬君はその彼に勝つために、彼への「憧れ」を捨て、彼のプレイの完全コピーに挑戦します。
 この流れは「一直線の尊敬」が相手の能力を習得することにつながる「フルリスペクト」とは反対で、黄瀬君の場合は、相手の全てを自分が習得してしまうことによってもう学ぶものがなくなっちゃうとつまんなくなっちゃうというトラウマがあってそれまでは相手のプレイのコピーがどうしてもできなかったんだけど、そういう思いを捨てた時に完全コピーが完成する、という話でした。

 ただ、それまではやっぱり自分のをいく人への憧れがあって、黄瀬くんもそれがあったからバスケやってきたんだな、と。
 「憧れ」そして「尊敬」が自らを高みへと導く、そういう「才能」っていいな~と、全然関係ない二つの物語に、似たような才能の持ち主が出てきたのを読んで改めて思った、という話。

 よく受験や就職の面接で「尊敬する人は?」って訊かれるって言いますよね。
 皆さんはそれって誰って答えますか。就職面接だと「父です」とか答えると印象がいい、と前に聞いたことがあるな。

 私は「尊敬する人物」と言われてピンと来る人が昔はいませんでした。
 当時、「千代の富士」は尊敬してたけど。だって一人横綱で各界を背負って立つなんて並大抵の覚悟でできることじゃないし~。
 でも就職面接で尊敬する人物を聞かれて「千代の富士」とか答える女子学生がいたらびっくりされただろうな。
 よほどの変わり者だと判断されて落とされそう。
 今の職場の面接では、あんまり覚えていませんがその質問自体されなかったんだと思います(笑)。

 「尊敬」ってのは本当は誰でもいいんだな。
 自分より優れているものを持っている友人なら誰だって。
 そうやって周りを尊敬できることが才能ならば、そういう才能こそが実は私達にとってもっとも必要なものかもしれません。

 でもやっぱり今でも私は「尊敬する人」を聞かれたら困ってしまうな・・・
 本音を言えば「天上天下唯我独尊」だからな~(こらこらこらこら)
 だから何もできるようにならないんだなぁ、うん。
 皆様、こういう大人になってはいけませんよ。

 今からでも、周りの人を少しずつでも尊敬できるように、そしてそういう人に近づけるようになりたいと思います。

 でも「リスペクト」には「尊敬」だけでなく「尊重」の意味もあるんだって。
 「尊重」なら得意。
 「人は人、自分は自分」ってことだものね。 え? 違う?(爆)

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2012.02.17

「コードギアス 反逆のルルーシュ」

「コードギアス 反逆のルルーシュ」というアニメを有料のネット配信サイトで見ております。

ちょっと前のアニメなので、何を今更、という方もいるでしょうが、そのネット配信サイトで複数話無料キャンペーンをしてたもんで(汗)。

原作がコミックで実写映画やアニメにもなった「デスノート」や、最近ですと貴志祐介の小説「悪の教典」などが好きで、昔は田中芳樹の「銀河英雄伝説」にはまっていた私。

要は、悪魔的に頭のいい主人公が、自らの目的を達成するために戦略を巡らし、敵と対決し、時には人間としての情に揺れつつも、非情に徹して突き進み、最後には破滅する・・・というお話がツボのようです。
「銀英伝」のラインハルトは破滅はしてないですが、あんまり幸せな最後とも言えない感じだものなぁ。

普通の人間には、果たそうと思っても果たせない理想、みたいなものがあります。
もし悪魔的なくらいに頭がよかったなら・・・もちろん、その頭の良さを、地味で難しい研究分野にのみ使えば、トラブルにも犯罪にも結びつかず、巷からは「変人」と見られながらも、そのうちにノーベル○○賞をとったりするような論文を発表して世間をあっと言わせたりするのかもしれませんが、ルルーシュも月くんもラインハルトも、みな、世界を変えようと願い、実際にそれを実現することにその才能を使います。
普通の人間には果たせない理想を、その力で実現する。憧れちゃうな。

そんな彼らに対して、正義面して足を引っ張る人間が出てくるのも定石で。天才でもさすがに人間ですから、正義や情で責め立てられれば傷つかないわけはない。
それでも、自分の信念のために彼らはがんばります。がんばるけど、最後はあまりいい死に方はしない。意外と一番しぶといのは凡人なのかも・・・と凡人代表の私は思ったりします。
だからこそ、世界を変える力を持つ頭のいい人に憧れてしまうのかもしれません。

・・・なんだかんだ言っても日本は今のところまだ平和ですね。
問題がないとは言えないけれど、ルルーシュ達のように自分の力で世界をひっくり返そうとする人はまだ出てこない。「コードギアス 反逆のルルーシュ」の世界では、日本はブリタニアという国に征服され、日本ではなく「11(イレブン)」というナンバーで呼ばれています。それでも変革は日本人ではなく、ブリタニア人のルルーシュによりもたらされるわけで、それも考えてみたらかなり皮肉な話だな。

たとえば昔の田中角栄や今の橋下さんは、もしかするとそういう存在だったりするのかしら。
現実の世界でも案外、世界をひっくり返す計画が裏の方で着々と進んでいたりするのかも?

こんな言葉がありますな。
「強くなければ生きてはいけない/優しくなければ生きる資格がない」

頭がいい、ということは「強い」ということに他なりません。物語に出てくる頭のいい人たちは幸せな結末を迎えることがかなり少ないのですが、強さと優しさを兼ね備えた人、リアルでもどこかにいないものでしょうか^^

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